第五十一話:死神の帰還と、戦乙女たちの洗礼
エインヘリアル母艦の最深部に位置する特別医務室。
そこは過去一ヶ月間、ローゼリアにとっての「絶対的な牢獄」であり、同時に「至上の楽園」でもあった。
「……信じられない。これほど無茶苦茶に焼き切れていた魔力回路が、たった一ヶ月で完全に元通りになるなんて。いや、元通りどころか、以前よりも魔力の通り道が太く、強靭に進化している。……まるで、細胞そのものが一度破壊されてから超高密度で再構築されたみたいだ」
最新鋭のバイタルスキャナーのホログラムデータを前に、医療チーフが眼鏡を押し上げながら驚愕の声を漏らした。
その言葉を聞いた瞬間、真っ白なシーツに包まれたベッドの上で、ローゼリアは歓喜の声を上げそうになるのを必死に堪えていた。
「ふむ……つまり、妾の身体はもう完全に治ったということじゃな?」
「ええ。肉体的な疲労も完全に抜け落ちていますし、魔力回路に至っては全盛期以上の数値です。もう『絶対安静』は必要ありません。今日から通常任務に復帰していただいて構いませんよ」
チーフのそのお墨付きが出た瞬間。
ベッドの脇で、剥いたばかりのリンゴを乗せた皿を持っていた純白の騎士——リアンヌ・ヴァーミリオンが、この世の終わりのような絶望の表情を浮かべた。
「そ、そんな……! チーフ、何かの間違いではありませんか!? 魔力回路というものはもっと繊細なはずです! 念のため、あと半年……いや、一年くらいは私が付きっきりで介助と寝食のお世話をするべきだと……!」
「いえ、副団長。これ以上ベッドに縛り付けては、逆に身体が鈍ってしまいます。姫君はもう、どこからどう見ても健康そのものです」
チーフの冷静なツッコミに、リアンヌはガックリと肩を落とした。
(うおおおおおっ! リアンヌ様による24時間体制の至れり尽くせり天国が終わってしまったぁぁぁっ!!)
内心では血の涙を流して絶望のサンバを踊り狂っているローゼリアだったが、表面上はあくまで『気高き皇女』としての威厳を保ち、コホンと一つ咳払いをした。
「……聞いたか、リアンヌ。お主の献身的な看護のおかげで、妾は完全復活を果たしたのじゃ。一ヶ月間、風呂からトイレまで世話を焼かせてしまってすまなかったな」
「い、いいえ! 私は騎士として当然の義務を全うしたまで! むしろ、もっと私の手でローゼリアのすべてを管理し、お世話したかった……っ!」
リアンヌがローゼリアの手を両手で包み込み、名残惜しそうにその透き通るような金髪の頬にすりすりと顔を寄せる。
その甘い香りと柔らかな感触に、ローゼリアの理性が限界突破しそうになったが、彼女は己の頬をパチンと叩いて気合を入れた。
「さて! 身体が治ったとなれば、これ以上こんな白い部屋で燻っているわけにはいかん! 妾の身体は、一ヶ月間のサボりで完全に錆び付いておる。……早速だが、リハビリを行うぞ!」
ローゼリアが勢いよくベッドから跳ね起き、漆黒のパイロットスーツを手に取った。
その瞳には、かつて六百年前の神話の時代を駆け抜け、百年前の雪山で軍師として戦い抜いた『黒き死神』としての、ギラギラとした野生の光が宿っていた。
一時間後。
母艦エインヘリアルの広大な後部格納庫。
そこには、整備班長であるフィーネによって調整された三機のマギアナイトが並んでいた。
長女ランドグリーズが駆る、巨大な戦斧と重装甲を誇る近接特化機。
次女ロスヴァイセが駆る、ミサイルポッドと高機動スラスターを積んだ制圧支援機。
そして三女オルトリンデが駆る、超長距離狙撃に特化した『ジークルーネ』。
エインヘリアルが誇る、最強の『戦乙女』姉妹である。
「……あんた、本気で言ってるの?」
腕を組んだランドグリーズが、呆れ返ったような声を格納庫に響かせた。
「退院初日のリハビリに、私たち三人全員を相手に模擬戦をやるだなんて。いくらあんたが『黒き死神』でも、一ヶ月も寝たきりだった身体じゃ、ただのサンドバッグになるだけよ?」
「そうだわ。ローゼリア、あなたに怪我をさせたら、リアンヌに私たちがどんな目に遭わされるか……」
ロスヴァイセも、観覧デッキで般若のような顔をしてこちらを睨みつけているリアンヌをチラリと見て、ブルッと身を震わせた。
「心配無用じゃ」
ローゼリアは、余裕の笑みを浮かべて三人の前に立った。
彼女の背後にあるのは、自身の専用機である漆黒の悪魔『ノワール』でもなければ、百年前から持ち帰った神帝機『レヴィアタン』でもない。
フィーネが新兵の訓練用に用意した、何の変哲もない『量産型の汎用機』であった。
「なっ……お姫様、マジでその量産機でやる気か!? いくらなんでも舐めすぎだろ!」
顔をオイルで汚したフィーネが、スパナを握りしめて抗議する。
「舐めてなどおらん。今の妾がどれだけ動けるか、純粋な『操縦技術』と『戦術眼』を確かめたいだけじゃ。……お主ら三人の専用機は、実弾の代わりにペイント弾と出力リミッターをかけてあるのじゃろう? ならば、妾がこの量産機で勝てば、お主らの奢りで今夜は最高級の肉を焼いてもらうぞ」
その挑発的な言葉に、ランドグリーズの銀髪がフワリと揺れ、好戦的な笑みが浮かんだ。
「……いいわ。そこまで言うなら、容赦はしない。一ヶ月のブランクがどれほど致命的か、その量産機のコクピットで思い知らせてあげる!」
「データ収集の絶好の機会です。……手加減はしませんよ、ローゼリア」
丸眼鏡を光らせたオルトリンデも、静かに闘志を燃やしている。
「ふふ、望むところじゃ。……バハムート、サポートを頼むぞ」
ローゼリアが、パイロットスーツの内ポケットに忍ばせたタブレット端末に声をかける。
『……了解しました、マスター。現代のサルどもが乗る玩具の動きなど、私の演算能力の1パーセントもあれば完全に予測可能です。……圧倒的な格付けを見せつけてやりましょう』
相変わらずの毒舌を吐く神話のAIの音声に苦笑しつつ、ローゼリアは量産機のタラップを駆け上がった。
模擬戦の舞台は、母艦に隣接する巨大なホログラム・シミュレーション宙域。
今回は『廃墟と化した巨大都市』のデータが読み込まれており、無数のビル群や瓦礫が複雑な射線と死角を生み出す、極めて戦術的な地形となっていた。
「いくわよ、ローゼリア!!」
通信機からランドグリーズの咆哮が響くと同時に、模擬戦開始のブザーが鳴り響いた。
先陣を切ったのは、やはり一番血の気の多いランドグリーズ。重装甲機とは思えない凄まじいスラスターの推進力で、一直線にローゼリアの量産機へと突進してくる。
その手には、機体の全高ほどもある巨大な戦斧が握られており、一撃でも食らえば量産機の貧弱な装甲など一溜まりもない。
「まずは小手調べね! 吹き飛びなさい!!」
振り下ろされる必殺の戦斧。
かつてのローゼリアであれば、無尽蔵の魔力で絶対的なバリアを展開し、正面から力で捻じ伏せていただろう。
しかし、今の彼女は違う。
(……踏み込みが深すぎる。大振りの攻撃は、威力が高い分、軌道が単調になる)
ローゼリアの脳裏に、百年前の雪山で共に戦った銀髪の騎士——アンネリーゼ・ヴァルターの『鉄壁の盾』の使い方が閃く。
アンネリーゼは、敵の重い攻撃を正面から受け止めるのではなく、ほんの僅かな角度をつけて『受け流す』ことで、相手の体勢を完全に崩していた。
「遅いぞ、ランドグリーズ」
ローゼリアの操る量産機は、戦斧が直撃するコンマ一秒前。
スラスターを吹かすのではなく、機体の『関節駆動のみ』を使って、左斜め前方へと滑るようにステップを踏んだ。
そして、量産機に装備された小型のシールドを、戦斧の側面に「コンッ」と軽くぶつける。
「なっ……!?」
ただそれだけであった。
しかし、その絶妙なタイミングと角度の干渉により、戦斧の運動エネルギーのベクトルが強制的に逸らされた。
全力で振り下ろした武器の軌道を狂わされたランドグリーズの機体は、そのまま前傾姿勢でバランスを崩し、盛大に廃墟のビルへと突っ込んでいった。
ズガァァァァァァンッ!!
「きゃあああっ!?」
「ランドグリーズ!?」
味方の無様な姿に、後方で援護のタイミングを窺っていたロスヴァイセが驚愕の声を上げる。
『マスター。右上方、仰角30度。ロスヴァイセ機より、マイクロミサイル群が発射されました。弾数、36発。……同時に、3時方向のビル陰より、オルトリンデ機の狙撃用レーダー照射を探知』
バハムートのAIが、無機質かつ完璧な状況報告をローゼリアの脳内に流し込む。
包囲網の完成。
上空からは回避困難なミサイルの雨。そして横からは、一撃必殺の狙撃。
量産機の機動力では、絶対に避けられない『死の十字砲火』。
「……三人揃って、随分と教科書通りの連携じゃな」
コクピットの中で、ローゼリアはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
彼女の手が、まるでピアノの鍵盤を叩くかのように、恐ろしい速度でコンソールを弾く。
「魔力・リミッター、限定解除。……バハムート、空間の魔力濃度を書き換えよ」
ローゼリアは、量産機のジェネレーターに自身の膨大な魔力をほんの一瞬だけ流し込み、周囲に特殊な『魔力パルス』を放った。
それは、リヴァイアサンの『概念破壊』の応用。
空間に満ちる魔力の流れ(ベクトル)を強制的に歪め、センサーや誘導兵器の『認識』を狂わせる高度な電子・魔力戦術である。
「なっ……ミサイルのロックオンが外れた!? 誘導が効かないわ!」
ロスヴァイセが悲鳴を上げる。
放たれた36発のミサイルは、ローゼリアの機体ではなく、彼女が魔力パルスで作った『幻影の熱源』——すなわち、先ほどランドグリーズが突っ込んで土煙を上げているビルの方へと吸い込まれていった。
「ちょっと! ロスヴァイセ、何やってるのよ! 私のところにミサイルが——ぎゃあああっ!!」
「ご、ごめんなさいランドグリーズ!」
ペイント弾とはいえ、大量のミサイルを至近距離で浴びたランドグリーズの機体は、システムが『大破判定』を下し、機能停止状態に陥った。
開始わずか数分で、早くも一人が脱落する。
「……信じられません。あの量産機から、あれほどの高密度のジャミングが放たれるなんて。しかし、止まっているなら的です!」
遠く離れたビルの屋上。
オルトリンデの『ジークルーネ』が、長大なスナイパーライフルの引き金を引いた。
光の速度で放たれるペイント・ビーム。
しかし、その射線上に、ローゼリアの姿は既になかった。
「……なっ!? 消え、た……?」
オルトリンデがセンサーを最大出力にするが、ローゼリアの機影はどこにも見当たらない。
『……狙撃手の最大の弱点は、スコープを覗き込んでいる時の「視野の狭さ」じゃ』
通信機から、オルトリンデの真後ろで、死神の冷酷な囁きが響いた。
「……ッ!!」
オルトリンデが機体を振り返らせようとした瞬間。
彼女のジークルーネの背中には、既にローゼリアの量産機がピタリと張り付き、その首筋にビームサーベル(出力最低設定)の刃を突きつけていた。
ミサイルの爆発による土煙とジャミングを利用し、量産機のスラスターを一切使わずに、建物の壁を蹴って立体的に移動するという、人間離れした機動で背後を取ったのだ。
「チェックメイトじゃ、オルトリンデ」
「……降参、です。完全に裏をかかれました」
オルトリンデが両手を上げるジェスチャーをして、機体の動力を切った。
残るは、ロスヴァイセ唯ひとり。
彼女は、自身の姉妹が手も足も出ずに沈められた光景を見て、冷や汗を流しながら機体を後退させていた。
「嘘でしょ……。魔力によるゴリ押しじゃない。あの量産機の性能の限界を完璧に引き出して、私たちの思考を完全に先読みしている……! まるで、何十年も戦場を生き抜いてきた『百戦錬磨の軍師』みたいじゃない……!」
「その通りじゃ。妾は、一ヶ月寝ていただけでなはい。……時空を超えて、お主らが想像も絶するような修羅場を潜り抜けてきたのじゃからな」
ローゼリアの機体が、廃墟のビル群の影からゆっくりと姿を現す。
その立ち姿には、ただの皇女ではない、幾多の命を背負い、盤面を支配する絶対的な『王』の風格が漂っていた。
「さあ、ロスヴァイセ。お主の番じゃ。……どこからでもかかってこい」
「……くっ! なめないで!!」
ロスヴァイセが全スラスターを吹かし、ありったけの武装を解放して特攻を仕掛ける。
しかし、その結末は火を見るよりも明らかだった。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
模擬戦終了後。
格納庫に帰還した三機の戦乙女たちの専用機は、見事なまでに全身を真っ赤なペイント弾で染め上げられ、文字通り『完膚なきまでに』叩き潰されていた。
機体から降りてきたランドグリーズ、ロスヴァイセ、オルトリンデの三人は、床にへたり込み、疲労と絶望で虚ろな目をしている。
「……化け物よ。あんなの、人間が操縦してる動きじゃないわ」
ランドグリーズが、恨めしそうに呟く。
「ええ。魔力の使い方から、機体の重心移動、心理戦に至るまで……すべてが別次元でした」
オルトリンデも、眼鏡を拭きながら深い溜息をついた。
シューッ、という排気音と共に、一切の被弾痕を持たないローゼリアの量産機がハッチを開いた。
中から、少しだけ汗をかいたローゼリアが、満足げな笑みを浮かべてタラップを降りてくる。
「ふははは! 良いリハビリになったぞ! お主ら、一ヶ月前よりも随分と動きが単調になっておるのではないか? 連携に頼りすぎて、個々の『不測の事態への対応力』が落ちておる。後で妾が直々に、戦術の基礎から叩き直してやろう」
偉そうにふんぞり返るローゼリア。
その圧倒的な実力を前に、戦乙女たちはもはや反論する気力すら残っていなかった。
「ローゼリアァァァッ!!」
その時、観覧デッキから弾かれたように飛び出してきた純白の騎士が、猛烈な勢いでローゼリアの元へと駆け寄ってきた。
リアンヌである。
彼女の透き通るような金髪が揺れ、その美しい碧眼には、安堵と、愛する主君の圧倒的な強さに対する熱烈な陶酔が入り混じっていた。
「素晴らしいです、ローゼリア! あの三人を相手に、量産機で一発の被弾も許さないなんて……! やはりあなたは、私の……この銀河で最も気高く、最強の姫君です!!」
リアンヌは、ローゼリアの小さな身体をギュッと強く抱きしめ、頬ずりをした。
汗をかいているにも関わらず、リアンヌの過剰なスキンシップは全く止まる気配がない。
「わ、わかった! わかったから離せリアンヌ! 皆が見ておるじゃろうが!」
顔を真っ赤にしてジタバタと暴れるローゼリアだったが、リアンヌの強靭な腕力から逃れられるはずもない。
「いいえ、離しません! 一ヶ月間、あなたの看病で我慢に我慢を重ねてきた私の愛が、今のあなたの雄姿を見て爆発してしまったのです! さあ、シャワーを浴びに行きましょう! もちろん、私が背中を流して差し上げます!!」
「ひぃぃぃっ!! だから風呂は一人で入れると言っておるじゃろうがぁぁっ!!」
(……でも、リアンヌ様に洗ってもらうお風呂、最高に気持ちいいんじゃよなぁ……! くそっ、俺の理性が敗北していく!!)
心の中で限界オタクとしての歓喜の悲鳴を上げながら、ローゼリアはリアンヌに抱き抱えられたまま、格納庫を後にした。
「……やれやれ。あのお姫様、本当に病み上がりかよ」
その様子を呆れたように見ていたフィーネが、肩を竦めて笑う。
床にへたり込んでいたランドグリーズたちも、その騒がしくも温かい光景を見て、自然と口元に笑みを浮かべていた。
「……でも、よかったわね。私たちの『死神』が、無事に帰ってきてくれて」
ロスヴァイセの優しい呟きに、全員が深く頷く。
神話の時代と過去の雪山を越え、圧倒的な戦術と力を手に入れて帰還した黒き死神。
彼女の完全復活により、母艦エインヘリアルは再び、活気と騒がしさに満ちた日常を取り戻したのであった。




