第五十話:退屈すぎる絶対安静と、過保護な白銀
「はぁぁぁぁぁ…………」
母艦『エインヘリアル』の特別医務室。
清潔な白いシーツに包まれたベッドの上で、ローゼリアは今日だけで何度目かわからない、特大の深いため息を吐き出した。
神話の時代と百年前の過去を巡る、孤独で過酷な時間旅行から帰還して数日。
医療チーフから「全魔力回路のオーバーヒートと極度の疲労による絶対安静」を言い渡されたローゼリアは、文字通りベッドから一歩も降りることを許されない軟禁生活を送っていた。
「……ローゼリア。ため息をつくと、幸せが逃げてしまいますよ。はい、あーん」
「あ、あーん……もぐもぐ」
ベッドのすぐ横にパイプ椅子を置き、付きっきりで看病をしているリアンヌが、見事なウサギ型に剥かれたリンゴをフォークに刺し、ローゼリアの口へと運ぶ。
(うおおおおおっ!! リアンヌ様に「あーん」して食べさせてもらうリンゴ、世界一美味い!! なにこれ最高!! 一生このままでいたい!!)
内心では限界オタクとして歓喜のサンバを踊り狂っているローゼリアだったが、表面上はあくまで『気高き皇女』であり、同時に『暇を持て余した子供』のような不満げな顔を作っていた。
「……リアンヌ。リンゴは美味しいが、妾はもう丸三日もこのベッドの上じゃぞ。そろそろ身体が鈍って腐ってしまいそうじゃ。せめてカフェテリアまで歩くくらいは……」
「駄目です」
リアンヌは、有無を言わさぬ絶対零度の笑顔で即答した。
「チーフは『一ヶ月の絶対安静』と言いました。トイレやお風呂の介助はすべて私が責任を持って行っていますし、あなたがベッドから降りる理由はありません。歩行訓練など以ての外です」
「し、しかしじゃな! ずっと寝転がっていると腰が痛くなるし……」
「では、私がマッサージをしましょう。どこが痛みますか?」
スッ、とリアンヌの美しくしなやかな手がローゼリアの腰に伸びてくる。
「ひぃっ!? い、いや、大丈夫じゃ! 今治った! 完全に治ったから!」
(リアンヌ様にマッサージなんてされたら、色んな意味で俺の理性が爆発して死んでしまう!!)
顔を真っ赤にして首を横に振るローゼリアを見て、リアンヌはクスリと微笑んだ。
ローゼリアが二週間(体感では数ヶ月)も行方不明になっていた間、リアンヌは正気を失う一歩手前まで追い詰められていた。だからこそ、今こうして手の届く場所でローゼリアが文句を言い、顔を赤くしている姿を見られるだけで、彼女は胸が締め付けられるほど幸せだったのだ。
「……はぁ。お主が心配してくれているのは分かるが、暇なのは事実じゃ。データパッドで最近のニュースでも読ませてくれ」
「駄目です。目を酷使すると魔力回路の修復に悪影響が出るとチーフが言っていました」
「なら、せめて音楽くらい……」
「イヤホンの電磁波が脳に……」
「過保護すぎるじゃろ!! 妾は硝子細工か何かか!」
ローゼリアが耐えきれずにツッコミを入れた、その時だった。
「おい、お姫様! 生きてるか!」
バァンッ!と勢いよく医務室のドアが開き、顔をオイルで真っ黒に汚したエインヘリアルの整備班長、フィーネが、目を輝かせながら飛び込んできた。
彼女の手には、ローゼリアが持ち帰った『バハムートのAI端末』が握られている。
「おお、フィーネ! ちょうどいいところに来た! 妾はもう退屈で死にそうでな……!」
救世主の登場に、ローゼリアがパッと顔を輝かせる。
「それどころじゃねぇんだよ! あんたが持ち帰った『レヴィアタン』って機体、一体どうなってんだ!? ノワールと同じ神話の時代のオーパーツだって聞いてたが、装甲の材質も魔力伝導率も、現代の物理法則をガン無視してやがる! 解析しようとしたら、うちの最新スキャナーが三台もショートして吹き飛んだぜ!」
フィーネは血走った目を輝かせながら、ベッドに身を乗り出して捲し立てた。彼女は血の繋がりこそないものの、その卓越した技術力と姉御肌な性格でエインヘリアルの屋台骨を支える天才肌の整備士である。未知のオーバーテクノロジーを前に、その探究心が完全に暴走していた。
「ふははは! 凄まじいじゃろ! 空間そのものを捻じ曲げる巨大なバハムートとは違い、レヴィアタンは元から十八メートルという標準サイズで設計されておる。その限られた体積の中に、神話の技術が限界まで凝縮されている究極の神帝機じゃからな!」
ローゼリアも、自分の持ち帰ったお土産を絶賛されて自慢げに胸を張る。
「しかも、このタブレットに入ってるAI! こいつマジで何様だ!? アタシが少しでも機体のOSにアクセスしようとすると、すげぇ上から目線で煽ってきやがるんだよ!」
フィーネが端末を指差して抗議すると、端末の画面に赤い眼のアイコンが浮かび上がり、合成音声が響いた。
『……当然の処置です。現代の原始的なサル(技術者)に、我が主の機体を不用意に触らせるわけにはいきません。貴女の理解力では、神帝機のシステムに干渉するなど、百万年早いです』
「チッ……! 腹立つぜ、このポンコツAI! 分解してメモリーを初期化してやろうか!!」
「や、やめろフィーネ! バハムートを苛めるな! そいつは妾の可愛い相棒なんじゃ!」
医務室が一気に騒がしくなる。
退屈していたローゼリアにとっては、この賑やかなやり取りこそが、待ち望んでいた『母艦エインヘリアルの日常』だった。
「でな、お姫様! あのレヴィアタンの背中にある光輪の構造なんだが——」
「おお! あれはな、概念破壊兵装と言って——」
二人が特有の早口でメカ談義に花を咲かせようとした、その瞬間。
「…………フィーネ?」
地を這うような、恐ろしく冷たい声が医務室に響いた。
「へ?」
フィーネが振り返ると、そこには、背後に般若のようなオーラを背負い、絶対に逆らってはいけない『過保護な白銀の騎士』が、無表情で立っていた。
「あ……いや、あの、リアンヌ副団長……?」
普段は強気な姉御肌のフィーネも、これにはさすがに顔を引き攣らせて一歩後ずさる。
「ローゼリアは、チーフから『絶対安静』を申し付けられていると言いましたよね? 興奮させたり、頭を使わせたりしてはいけないと、整備班にも通達がいっているはずですが」
ゴゴゴゴゴ……と、リアンヌから放たれる殺気が医務室の温度を数度下げる。
「ひぃっ!? す、すまねぇ! あまりにもあの機体がヤバすぎて、ついお姫様に報告を……!」
「出ていきなさい。次にローゼリアの安静を妨げたら、あなたを格納庫の天井に宙吊りにしますよ」
「イ、イエッサー!! 悪かったな、お姫様! ゆっくり休めよ!!」
フィーネは脱兎のごとく医務室から逃げ出し、バタンッ!と扉が閉まった。
後に残されたのは、再び完全な静寂と、冷や汗を流すローゼリア、そしてニコニコと極上の笑顔を浮かべるリアンヌだけ。
「……さて、ローゼリア。興奮して少し汗をかいてしまったようですね。身体を拭きましょうか」
「あ、いや……妾は自分でも拭けるから……」
「駄目です。私が隅々まで、綺麗に拭いて差し上げます」
「ひぃぃぃっ……!(歓喜)」
(くそっ……! 退屈だけど、退屈だけどやっぱりエインヘリアルは最高じゃ! リアンヌ様、大好き!!)
絶対安静のベッドの上。
黒き死神は、退屈と過剰な愛情(ご褒美)の板挟みになりながら、平和な日常のありがたみを全身で噛み締めるのであった。




