第四十九話:戦乙女の帰還と、白銀の過保護
母艦エインヘリアルの巨大な格納庫。
そこに、突如として次元の裂け目から現れた蒼と白金の機体——神帝機『リヴァイアサン』が静かに着艦した。
全高十八メートル。現代の標準的なマギアナイトと同等のサイズでありながら、その装甲から放たれる神々しいまでの魔力の残滓は、周囲の空気を震わせるほどの圧倒的なプレッシャーを放っていた。
プシューッ、と排気音を立てて胸部のハッチが開く。
「ふぅ……。ようやく、空調の効いた我が家に……」
漆黒のパイロットスーツに身を包んだローゼリアが、タラップに足をかけた。
しかし、重力が身体にのしかかった瞬間、膝の力が完全に抜け、彼女の小柄な身体は前へと崩れ落ちそうになった。
「ローゼリア!」
即座に駆け寄ってきた純白の影——パイロットスーツ姿のリアンヌが、その細い身体をしっかりと腕の中に受け止める。
「……すまん、リアンヌ。どうやら、少しばかり魔力を使いすぎたようじゃ」
ローゼリアは、リアンヌの胸に顔を埋めたまま、力なく笑った。
「馬鹿なことを言わないでください。……こんなに身体が冷え切って、それにこの服の破れや血の跡は一体……!」
リアンヌの声が震えている。彼女の碧眼には、愛する者を失いかけた恐怖と、傷だらけで帰ってきたことへの痛ましい思いが入り混じっていた。
「ローゼリアァァァッ!!」
「無事だったんスね!!」
その時、格納庫の入り口から、二人の戦乙女が弾かれたように駆け込んできた。
ローゼリアの捜索任務に出ていた、エインヘリアルの長女ランドグリーズと、次女ロスヴァイセである。彼女たちもまた、ボロボロのパイロットスーツ姿のまま、息を切らして駆け寄ってきた。
「ランドグリーズ……ロスヴァイセ」
「どこを探してもいないから、もうダメかと思ったじゃないか……! 本当に、本当によかった……!」
普段は勇ましいランドグリーズが、大粒の涙をこぼしながらローゼリアの手を強く握りしめる。
「私たち、デブリ帯から小惑星の裏側まで全部探したんスよ……? 心配させて……!」
冷静沈着なロスヴァイセも、顔をくしゃくしゃにして泣き崩れた。二人はリアンヌと共に不眠不休で宇宙を飛び回り、ローゼリアの行方を捜し続けてくれていたのだ。
「すまん……お主らにも、心配をかけたな」
ローゼリアが申し訳なさそうに微笑むと、周囲を取り囲んでいたブリュンヒルデやオルトリンデ、フィーネたちからも、安堵の涙と歓声が上がった。
「医療班! 早くストレッチャーを! 姫君を医務室へ運びます!」
リアンヌの鋭い指示により、ローゼリアはそのままストレッチャーに乗せられ、医務室へと直行することになった。
エインヘリアルの特別医務室。
最新鋭のバイタルスキャナーのベッドに寝かされたローゼリアの周りを、医療チーフと、心配そうに駆けつけたブリュンヒルデ、そしてリアンヌが取り囲んでいた。
「……信じられない。生きているのが不思議なレベルですよ、これは」
スキャナーのホログラムデータを見た医療チーフが、眼鏡の奥で目を丸くして息を呑んだ。
「どういうことだ、チーフ。ローゼリアの容体は」
ブリュンヒルデが腕を組んで尋ねる。
「まず、魔力回路です。完全に空っぽなのはもちろんですが、限界の数倍の出力を強引に引き出した痕跡があり、全身の回路が焼き切れ寸前のボロボロ状態です。さらに、重度の栄養失調、極度の睡眠不足、凍傷の治りかけの痕。……それに、細胞レベルで『時空の摩擦』のような未知の負荷を受けた形跡があります」
チーフの報告を聞くたびに、リアンヌの顔から血の気が引いていくのがわかった。
「じ、時空の摩擦……? 栄養失調……? ローゼリア、あなたは消えていた二週間の間、一体どこで何を……!」
リアンヌが、ベッドの傍らに膝をつき、ローゼリアの小さな手を両手で包み込んだ。
(うっ……リアンヌ様の顔が近くて良い匂いがする……! いや、違う、心配させすぎたな)
ローゼリアは、弱々しく微笑みながら答えた。
「……二週間どころの話ではないのじゃ。妾の主観では、約三ヶ月間ほど、過去の世界を旅しておったからな」
「過去の、世界……?」
「うむ。六百年前の神話の時代に飛ばされて大厄災の引き金を引いてみたり、百年前の雪山で反乱軍に追われたり……まあ、色々とあったのじゃ」
冗談のようなトーンで言ったが、ローゼリアの眼差しが本気であることを、彼女と長く付き合ってきたエインヘリアルの面々はすぐに察した。
「六百年前に、百年前にだと……? お前、本当に歴史の教科書の中を歩いてきたのか……?」
ブリュンヒルデが、呆れたように額を押さえる。
「そ、そんな過酷な時代で、たった一人で戦っていたのですか……!」
リアンヌの目から、再び大粒の涙が溢れ落ちた。
自身が守れなかったばかりに、ローゼリアがどれほど孤独で過酷な戦いを強いられたのか。その想像だけで、リアンヌの心は張り裂けそうだった。
「泣くな、リアンヌ。妾はこうして、無事に帰ってきたじゃろう?」
ローゼリアは、もう片方の手を伸ばし、リアンヌの頬の涙をそっと拭った。
「……ええ。生きて、私の元へ帰ってきてくれた。……ですが!」
リアンヌは、涙を拭いながらも、ふいにキリッとした表情に変わった。
その眼差しには、過保護な騎士としての『絶対の使命感』が燃え上がっていた。
「チーフ! ローゼリアの完治にはどれくらいかかりますか!」
「え、ええと……魔力回路の修復と肉体の疲労回復を合わせると、最低でも一ヶ月は絶対安静が必要ですね」
「聞きましたね、ローゼリア」
リアンヌは、ベッドに寝そべるローゼリアを上から覗き込み、極上の笑みを浮かべた。ただし、目は一切笑っていない。
「今日から一ヶ月間、あなたはベッドから降りることを禁じます。食事、着替え、入浴、トイレに至るまで、すべてこの私が付きっきりで介助します。……よろしいですね?」
「なっ!? い、入浴やトイレまで!? さすがにそれは恥ずかしいぞ!」
「駄目です。あなたがまた突然消えてしまわないように、二十四時間体制で私が監視・保護します。これは騎士としての至上命題です」
反論を一切許さない、鉄の意志。
(————ッッッ!! リアンヌ様に一ヶ月間付きっきりでお世話してもらえる!? しかもお風呂まで!? なにそれご褒美すぎる!! 天国か!!)
表面上は「むぅ、仕方ないのう」とツンとした態度を装いながら、ローゼリアの内心は限界オタクとしての歓喜の舞を踊り狂っていた。
「やれやれ……。まあ、しばらくの間、ローゼリアのことはお前に任せるよ、リアンヌ。外にある十八メートルの神帝機とやらの解析はフィーネたちにやらせておく」
ブリュンヒルデが苦笑しながら、医療チーフを連れて医務室から退出していった。
部屋に、二人きりになる。
静寂の中、リアンヌはローゼリアの手を自身の額に押し当て、愛おしむように深く息を吐いた。
「……リアンヌ」
「はい」
「お主に、渡したいものがあるのじゃ。そこの、妾のスーツのポケットを開けてみてくれ」
リアンヌは不思議そうに立ち上がり、椅子に置かれていたローゼリアの漆黒のパイロットスーツを探った。
そして、そこから一本の美しい『短剣』を取り出した。
「これは……?」
純銀で打たれた刃と、見事な装飾が施された柄。古いものだが、手入れが行き届いている。
それを見た瞬間、リアンヌの碧眼が見開かれた。
「嘘……。この紋章は、かつて我が一族が使っていた……。なぜ、ローゼリアがこれを?」
「百年前の雪山でな。妾は、お主の先祖である『アンネリーゼ・ヴァルター』と共に、帝都奪還のために戦ったのじゃ」
ローゼリアは、ベッドの上で優しく微笑んだ。
「顔も、剣の腕前も、不器用なところも、お主にそっくりな騎士じゃった。……お主によろしくと言っておったぞ。未来の騎士への、贈り物じゃと」
リアンヌは、その白銀の短剣を両手で大切に握りしめ、震える唇を噛み締めた。
自分の血脈が、百年前の過去で、愛する姫君を守り抜いてくれた。そして今、時を超えて自分の手元へとその証がやってきたのだ。
「……ありがとうございます、ローゼリア。アンネリーゼ殿の忠義に恥じぬよう、私はこれからも、命の限りあなたをお守りします」
「うむ。頼りにしているぞ、妾のたった一人の騎士よ」
病室の窓の外には、暗礁宙域の星々が瞬いている。
歴史の闇を駆け抜けた黒き死神は、時を超えて受け継がれた白銀の愛に包まれながら、久しぶりの深く穏やかな眠りへと落ちていくのであった。




