第四十八話:時を穿つ蒼き巨神と、白銀の待つ未来へ
神帝機『リヴァイアサン』による圧倒的かつ無慈悲な反乱軍主力の消去から、二ヶ月の月日が流れていた。
首魁であるザルバ将軍と十万の兵を一瞬で失った反乱分子たちは、その人知を超えた神話の力の前に完全に戦意を喪失し、雪崩を打つように降伏した。帝都アエテルナは驚くべき早さで平穏を取り戻し、街には再び活気が戻りつつあった。
崩御した先帝の跡を継ぎ、フリージアが正式に『女帝』として即位するための準備が、皇宮では着々と進められている。
そして、その帝都の地下深くに広がる絶対封印区画。
蒼と白金の装甲を美しく輝かせるリヴァイアサンのコックピットで、ローゼリアは静かにその時を待っていた。
『——マスター・ローゼリア。時間座標の逆算演算、および次元の壁を突破するための魔力臨界点の算出、すべて完了しました』
手元の端末から、バハムートのAIの無機質な、しかしどこか誇らしげな音声が響く。
「……ご苦労じゃ、バハムート。これでようやく、妾の時代へ帰れるんじゃな」
ローゼリアは、大きく息を吐き出した。
この二ヶ月間、ローゼリアはリヴァイアサンのコックピットに籠りきりで、バハムートのAIと共に「未来への跳躍」の準備を進めていた。
リヴァイアサンにはバハムートのような『時空干渉機関』は搭載されていない。しかし、その代わりに備わっている『概念破壊兵装』を応用し、**「時間と空間を隔てる壁(概念)そのものを破壊して穴を開け、無理やり未来へ突き進む」**という、力技極まりない理論を構築したのである。
「よし。出発の準備は整った。……挨拶に行ってくる」
ローゼリアはリヴァイアサンから降り、皇宮のバルコニーへと向かった。
そこには、絢爛な皇帝の礼服に身を包んだフリージアと、彼女の背後で直立不動の姿勢をとる、真新しい白銀の近衛騎士服を着たアンネリーゼの姿があった。
「ローゼリア。……いよいよ、発つのだな」
フリージアが、少し寂しそうに微笑みながら振り返る。
「うむ。バハムートの計算が終わった。これ以上長居すれば、歴史の歪みが大きくなりすぎるからな」
ローゼリアは、フリージアの前に進み出た。
「フリージア。お主はこれから、泥沼のような戦後処理と、帝国の再建という重い十字架を背負うことになる。……逃げ出したい時はあるか?」
「ないと言えば嘘になる。だが、私にはそなたが見せてくれた『未来』がある。そなたが生きる時代まで、この国と、民の命を繋ぐ。それが私に与えられた使命だ」
フリージアの赤い瞳には、立派な皇帝としての揺るぎない覚悟が宿っていた。
ローゼリアは満足げに頷き、次にその後ろに立つ銀髪の騎士へと視線を向けた。
「アンネリーゼ。……少しは、笑うようになったか?」
「ふん。軍師殿が相変わらず偉そうにしているのを見ると、笑う気も失せるというものだ」
口では憎まれ口を叩きながらも、アンネリーゼの碧眼は、かつて雪山で向けられていたような刺々しいものではなく、戦友に対する深い敬愛と親愛に満ちていた。
「お前には、感謝してもしきれん。姫様をお救いいただき、この国を守ってくれた。……お前は、私にとって生涯最高の『軍師』であり、友だ」
アンネリーゼはそう言うと、自身の腰に提げていた『白銀の短剣』を取り外し、ローゼリアの手に押し付けた。
「これは、ヴァルター家当主の証。……お前が帰るという未来で、お前が愛する『私にそっくりな騎士』に会ったら、渡してやってくれ。遠い祖先からの、ほんの贈り物だ、とな」
「……アンネリーゼ」
ローゼリアは、その短剣をしっかりと両手で受け取った。
リアンヌの祖先である彼女の、不器用で真っ直ぐな想いが、短剣の柄から確かに伝わってくるようだった。
「うむ。確かに引き継ごう。……お主ら二人の命の輝きがあったからこそ、妾とリアンヌは未来で出会えた。本当に、ありがとう」
ローゼリアは、深々と頭を下げた。
時代を超えた血脈と、騎士の系譜。そのすべてを背負い、黒き死神はついに帰還の途につく。
再び、リヴァイアサンの玉座。
ローゼリアは漆黒のパイロットスーツのケーブルを機体に接続し、大きく深呼吸をした。
『主機関、オンライン。概念破壊兵装、臨界点までチャージを開始します』
「頼むぞ、バハムート。そして、リヴァイアサン。妾を、リアンヌ様の元へ連れて行ってくれ!」
ズゴゴゴゴゴゴォォォォォォォッ!!!
リヴァイアサンの背部に展開された白金の光輪が、かつてないほどの激しい回転を始める。
周囲の空間が蒼い魔力の粒子で満たされ、地下区画の物理的な法則が軋みを上げて悲鳴を上げた。
「吹き飛べ……! **『時の壁』を、打ち砕けェェェッ!!**」
ローゼリアの絶叫と共に、リヴァイアサンの光輪から放たれた極太の蒼き閃光が、何もない虚空を撃ち抜いた。
バリィィィィンッ!! という、ガラスが割れるような非現実的な音と共に、次元の壁が『破壊』され、光のトンネルがこじ開けられる。
『次元突破、成功。目標時間座標(六百年後の現代)、跳躍を開始します』
リヴァイアサンの巨体が、光のトンネルへと突入する。
時空の摩擦が機体を揺さぶるが、前回のような暴走による強制跳躍ではない。バハムートの完璧な演算と、リヴァイアサンの絶対的な装甲が、ローゼリアを安全に未来へと運んでいく。
(待っていてくれ、リアンヌ様……! 今度こそ、今度こそ真っ直ぐに帰るからな!)
虹色の光の奔流の中で、ローゼリアは握りしめた白銀の短剣を胸に抱き、ただひたすらに祈り続けた。
現代。暗礁宙域。
エインヘリアル母艦『ヴァルハラ』のブリッジは、重苦しい沈黙と絶望に包まれていた。
ローゼリアがアズール・コーストの地下遺跡で光の渦に飲み込まれて消失してから、すでに**二週間**が経過していた。
エインヘリアルは全戦力を挙げて銀河中を捜索し、遺跡の深部まで徹底的に発掘したが、ローゼリアの痕跡は欠片すら見つかっていなかった。
「……団長。スローネの推進剤が、限界です。これ以上は……」
オペレーターが、沈痛な面持ちでブリッジの円卓に座るブリュンヒルデに報告する。
モニターには、真っ暗な宇宙空間を、ただ一機で彷徨い続ける純白の騎士『スローネ』の姿が映し出されていた。
リアンヌは、ローゼリアが消えたあの日から、ほとんど眠ることもなく、補給の時以外は常に宇宙に出てローゼリアを探し続けていた。その機体は細かなデブリで傷つき、純白の装甲は煤け、彼女自身の精神も限界を超えていることは誰の目にも明らかだった。
『……まだです。まだ、探します。私の姫君は……こんな所で、消えたりしない……!』
通信機から聞こえるリアンヌの声は、痛ましいほどに掠れ、震えていた。
ブリュンヒルデが苦渋の決断を下し、強制帰還命令を出そうと口を開きかけた、その時だった。
**『——緊急警報! スローネの近傍宙域に、超特大の時空震を探知! 空間が……割れます!』**
「なんだと!?」
スローネの眼前。
何もない宇宙空間に、突如として巨大な『蒼い亀裂』が走った。
空間そのものがガラスのように砕け散り、その亀裂の奥から、凄まじい魔力の奔流と共に**全高18メートルの『青と白金の巨神』**が姿を現したのだ。
『な……なんだ、あの機体は……!?』
リアンヌがスローネの盾を構え、警戒態勢を取る。
エインヘリアルのブリッジも、突如現れた神話の悪魔のような巨神にパニックに陥った。
ノワールを遥かに凌駕するその圧倒的なプレッシャーは、敵対すればエインヘリアルなど一瞬で消し飛ばされることを本能で理解させた。
しかし、その巨神の外部スピーカーから響き渡った声は、誰もが知る、そして誰もが待ち望んでいた、あの傲慢で愛おしい少女の声だった。
**『——待たせたな、エインヘリアルの皆の者! そして……妾の、たった一人の騎士よ!』**
「え……?」
リアンヌの動きが、完全に停止した。
『ローゼリア……? 嘘……ローゼリアなの……!?』
「ああ、妾じゃ! 六百年前から、ちょっと寄り道をして帰ってきたぞ!」
リヴァイアサンの胸部装甲が展開し、そこからローゼリアが操縦する『コアブロック(小型ポッド)』が分離して、ゆっくりとスローネの前へと進み出た。
ポッドのキャノピーが開き、漆黒のパイロットスーツを着たローゼリアが身を乗り出す。
「リアンヌ……ッ!」
ローゼリアは、二週間分の寂しさと安堵で顔をくしゃくしゃにして叫んだ。
「ローゼリアァァァッ!!」
リアンヌはスローネの武器を虚空へ放り捨て、巨大な純白の腕で、ローゼリアの乗るポッドを、壊れないように、しかし絶対に二度と離さないという強い意志を込めて、優しく、強く抱きしめた。
コックピットの中で、リアンヌは大粒の涙を流しながら、通信機越しに声を上げて泣き崩れた。
『よかった……本当によかった……! あなたがいない世界なんて、私には息をする意味すらなかった……っ!』
「ごめん、ごめんな……! 寂しい思いをさせて……! 妾も、ずっとお主の匂いが恋しかったんじゃ……っ!」
二人の泣き声が、エインヘリアルの全通信回路に響き渡る。
ブリッジでは、オルトリンデが眼鏡を外して涙を拭い、フィーネが歓喜の雄叫びを上げ、ブリュンヒルデが深く安堵の息を吐き出していた。
ローゼリアは、ポッドの中でリアンヌの温もりを仮想的に感じながら、胸元に抱いた『白銀の短剣』をそっと撫でた。
(アンネリーゼ……フリージア。妾は、帰ってきたぞ。お主らが繋いでくれた歴史の果てにある、この愛しい居場所にな)
神話の時代と、百年前の雪原。
壮大な歴史の裏側で過酷な戦いを繰り広げた黒き死神は、蒼き神帝機という途方もない土産と共に、ついに愛する白銀の騎士の腕の中へと帰還を果たしたのであった。




