第四十七話:泥塗れの軍師と、神帝機リヴァイアサン
「はぁっ……! ぜぇっ……! ま、待て……少し、休憩を……」
帝都アエテルナの地下深くに張り巡らされた、旧時代の廃棄地下水路。
その暗く湿った石畳の上で、ローゼリアは膝に手をつき、今にも肺から血を吐き出しそうなほどの荒い息を漏らしていた。
「おい、ふざけるな! たった十五分前に休憩したばかりだろうが! 貴様、歩くのが遅すぎるぞ!」
先頭を進んでいたアンネリーゼが、苛立ちも露わに振り返る。
「む、無理じゃ……! この道、苔が生えててツルツル滑るし、傾斜がキツすぎる……! 妾の華奢な足では、もう一歩も……」
「華奢な足だと? 姫様を見ろ! 姫様はドレス姿でも弱音一つ吐かずにお歩きになられているぞ!」
アンネリーゼの言う通り、ローゼリアの隣では、皇女フリージアが泥で裾を汚しながらも、涼しい顔で歩みを進めていた。彼女は皇族として、幼い頃から護身術や馬術、長距離の行軍訓練を積んでいるのだ。対するアンネリーゼは言わずもがな、強靭な肉体を持つ現役の近衛騎士である。
では、ローゼリアはどうか。
魔力量こそ神話の時代のオーパーツを単独起動させるほどの「神」レベルだが、その基礎ステータスは完全に『魔力(INT)』と『精神力(MND)』に極振りされている。前世はインドア派のオタクであり、転生後も移動は基本的にマギアナイトのコックピットの中。生身での長距離移動や過酷な肉体労働の経験など、皆無に等しかった。
(くそっ……! 普段なら魔力で身体強化バフをかけるか、浮遊魔法でスイスイ進めるのに! 魔力が空っぽの生身だと、ただの体力ゼロのひきこもり美少女じゃんか……!)
「だ、駄目じゃ……足が、生まれたての小鹿のように震えて……」
ガクッ、とローゼリアがその場にへたり込むと、アンネリーゼは深大なため息をついた。
「ええい、仕方ない! 追手に見つかるよりはマシだ。ほら、背中に乗れ!」
「え……?」
「お前を背負って進むと言っているんだ! その軽い体なら、私の負担にはならん! ほら、早くしろ!」
アンネリーゼは、剣と盾を腰に固定し、ローゼリアの前にしゃがみ込んだ。
「お、恩に着る……」
ローゼリアは申し訳なさそうに、アンネリーゼの背中にしがみついた。
(おお……アンネリーゼの背中、リアンヌ様と全く同じ匂いがする……。ちょっと筋肉質で硬いけど、安心感がすごい……)
などと役得を感じて内心ニヤニヤしていると、アンネリーゼがズンッ!と勢いよく立ち上がった。
「舌を噛むなよ、軍師殿! ここからは私のペースで一気に進む!」
「ひぃっ!? 揺れる! 揺れるぞアンネリーゼ! もう少し優しく……!」
「文句を言うな! 誰のせいでこんなことになっていると思っている!」
ドタバタと騒がしい二人を見て、フリージアがクスクスと楽しそうに笑う。
過酷な帝都潜入作戦。しかし、軍師であるローゼリアの圧倒的な身体能力の低さ(ポンコツぶり)が、不思議と三人から悲壮感を奪い去っていた。
「……止まれ。着いたぞ」
数時間後。アンネリーゼの背中に揺られながら半分居眠りをしていたローゼリアは、その緊張した声に目を覚ました。
アンネリーゼの背から降り、バハムートのAI端末を開く。
『……現在地、帝都アエテルナ地下、絶対封印区画前。……前方に、多数の熱源反応』
地下水路の終点。そこは、巨大なドーム状の地下空間に繋がっていた。
空間の最奥には、神話の時代の意匠が施された、見上げるほど巨大な『黄金の隔壁』がそびえ立っている。
そして、その隔壁の前には、反乱軍の精鋭部隊——およそ百名ほどの兵士たちが陣取り、魔導爆薬や掘削機を使って、無理やり封印をこじ開けようとしていた。
「チッ……やはり、すでに嗅ぎつけていたか。反乱軍のザルバ将軍直属の親衛隊だ」
岩陰から様子を窺い、アンネリーゼが舌打ちをする。
「あの隔壁の奥に、神帝機『リヴァイアサン』が眠っているのじゃな」
ローゼリアの問いに、フリージアが頷く。
「ええ。だが、あの封印は皇室の血と魔力認証でしか開かない。奴らの物理的な破壊工作では、数ヶ月はかかるはずだ」
「とはいえ、悠長に待っている暇はない。奴らを排除し、機体を強奪するぞ」
ローゼリアは端末を操作し、空間の構造を瞬時に頭に叩き込んだ。
「アンネリーゼ、フリージア。聞け。……敵の数は百。正面から突っ込めば蜂の巣じゃ。だが、この空間には、旧時代の魔力供給パイプが頭上に張り巡らされている」
ローゼリアは、敵の頭上を通る太いパイプの束を指差した。
「アンネリーゼは、あのパイプの支柱を狙って剣を投げよ。パイプが崩落すれば、敵の陣形は真っ二つに分断される。その混乱に乗じて、一気に隔壁の前まで突破するのじゃ」
「わかった。……だが、私一人で百人を相手にしながら姫様を守り切れるか……?」
「妾を誰だと思っておる。お主の盾は、妾の頭脳と合わさることで『無敵』になるのじゃ」
ローゼリアは、不敵な笑みを浮かべた。
「行くぞ! 作戦開始!」
その合図と共に、アンネリーゼが岩陰から飛び出した。
彼女は助走をつけて跳躍し、手にした予備の短剣を、天井の魔力パイプの要となる支柱に向けて全力で投擲した。
ガキィィィンッ!!
ズゴゴゴゴゴゴォォォォッ!!!
金属の支柱が砕け、天井を這っていた巨大なパイプ群が、轟音と共に敵陣の中央へと崩れ落ちる。
「な、なんだ!?」
「落盤だ! 退避しろ!」
「敵襲だ! 皇女フリージアと、護衛の騎士だぞ!」
土煙と瓦礫で反乱軍がパニックに陥る中、アンネリーゼはフリージアを背後に庇いながら、一気に隔壁へと向かって突撃した。
「殺せ! 弓兵、一斉射撃!」
生き残った敵兵たちが、アンネリーゼたちに向けて一斉にクロスボウの矢を放つ。
「アンネリーゼ! 正面からの矢は無視せよ、右斜め前方の三人を盾で弾き飛ばせ!」
後方からローゼリアの的確な指示が飛ぶ。
アンネリーゼは、ローゼリアの言葉を完全に信じ、正面からの矢の雨を最小限の動きで躱しながら(あるいは強固な鎧で弾きながら)、右から接近してきた槍兵三人に強烈なシールドバッシュを叩き込んだ。
「グハァッ!?」
吹き飛んだ敵兵が、他の兵士たちを巻き込んでドミノ倒しになる。
「次! 左へステップ、大剣で薙ぎ払え!」
「ハァァァァッ!!」
アンネリーゼの銀の刃が、敵の防衛線を次々と紙屑のように切り裂いていく。
彼女の鉄壁の防御と、ローゼリアの神がかった戦術眼。それはまさに、百年後に完成する『戦乙女の双璧』のプロトタイプとも言える、完璧な連携だった。
「ひぃっ……! な、なんだこの強さは!」
「陣形を立て直せ! 盾兵を前に出——」
「遅い!」
アンネリーゼが最後の防衛線を突破し、ついに巨大な黄金の隔壁の前へと到達した。
「姫様! 今です!」
「ええ!」
フリージアが隔壁のコンソールに駆け寄り、隠し持っていた短剣で自身の掌を浅く傷つけ、その血を認証パネルに押し当てた。
『生体認証、確認。……マルクス・エーベルヴァイン直系血族、フリージア・エーベルヴァイン。絶対封印区画、ロック解除』
重々しい電子音と共に、数百年間閉ざされていた黄金の扉が、地響きを立てて左右に開いていく。
「い、いかん! 封印が開いたぞ! 止めろォッ!」
反乱軍が殺到してくる。
しかし、アンネリーゼがその前に立ちはだかり、大剣を横に構えた。
「ここは一歩も通さん! 姫様、ローゼリア! 早く中へ!」
ローゼリアとフリージアは、開いた扉の隙間から、封印区画の内部へと滑り込んだ。
「な……なんじゃ、あれは……!」
封印区画の奥。
暗闇の中で、ローゼリアは息を呑んだ。
そこにあったのは、バハムートの漆黒とは対極をなす、息を呑むほどに美しい『深海のような蒼』と『白金』の装甲を持つ巨神だった。
全高はバハムートと同じく百メートル超。
しかし、そのフォルムはより鋭角的で、機体の周囲には常に微弱な魔力の粒子が雪のように舞い散っている。
「これが……神帝機『リヴァイアサン』」
フリージアが、震える声で見上げる。
ローゼリアは、足を踏み出し、空中浮遊リフトを起動させてリヴァイアサンの胸部、メインコアへと急行した。
「バハムート! この機体のシステムを掌握できるか!」
ローゼリアは、玉座のようなコックピットに飛び込むと、バハムートのAI端末をメインコンソールに直接接続した。
『……システム接続。同系統のOSを確認。セキュリティの強制突破を実行します』
『……3、2、1。突破完了。リヴァイアサン、起動シークエンスへ移行します』
「よし! 後は……魔力じゃな!」
ローゼリアは、玉座に深く腰を下ろし、自身のパイロットスーツから伸びたケーブルを機体へと接続した。
空っぽだったローゼリアの魔力回路。しかし、このリヴァイアサンの内部には、神話の時代から蓄積され続けてきた膨大な『予備魔力』が眠っていた。
ローゼリアの生体認証をトリガーとして、その莫大なエネルギーが、ローゼリアの回路を経由して機体全体へと行き渡っていく。
『パイロットの神経系とのシンクロを開始。……完全適合(シンクロ率100%)。主機関、オンライン』
ズゴゴゴゴゴゴォォォォォォォッ!!!
リヴァイアサンの蒼き双眸が、強烈な光を放って点灯した。
「ふはっ……アハハハハハッ!!」
ローゼリアの口から、かつての『黒き死神』としての狂気じみた笑い声が漏れる。
魔力が満ちていく。機体の全能感が、自身の末端にまで行き渡る。
これこそが、彼女の真骨頂。圧倒的な力を振るう、盤上の支配者。
「待たせたな、アンネリーゼ、フリージア! さあ、反撃の時間じゃ!!」
ローゼリアは、リヴァイアサンの操縦桿を握り、真上の岩盤に向けて、機体の腕を突き出した。
「吹き飛べェッ!!」
リヴァイアサンの掌から放たれた蒼き魔力光が、帝都の地下岩盤を豆腐のように蒸発させ、一気に地上までの大穴をぶち抜いた。
帝都アエテルナ。
皇宮を包囲し、勝利の美酒に酔いしれていた十万の反乱軍兵士たちは、突如として地下から突き破ってきた『青と白金の巨神』の姿に、言葉を失い硬直した。
「な、なんだあれは!?」
「地下から化け物が……! まさか、封印区画の古代兵器か!?」
反乱軍の首魁であるザルバ将軍が、旗艦のブリッジで歓喜の声を上げる。
「おお! 我が親衛隊が封印を解いたか! あの神の力さえあれば、帝国は私のものだ!」
しかし。
リヴァイアサンの外部スピーカーから響き渡ったのは、ザルバの親衛隊ではなく、尊大で冷酷な少女の声だった。
『——薄汚い反逆者ども。お主らの安っぽい野心で、この神の機体に触れられるとでも思ったか』
「なっ!? 女の声だと!? 誰だ貴様は!」
『妾か? 妾は、過去と未来を統べる死神。……そして、この国の正当なる皇女の『守護者』じゃ』
リヴァイアサンが、その背部に展開された巨大な白金の光輪を回転させる。
バハムートの時空干渉機関とは異なる、純粋な『破壊』に特化した極大の魔力システム。
『神帝機リヴァイアサン。——概念破壊兵装、起動』
「げ、迎撃しろォォッ!! あの機体を落とせ!!」
ザルバ将軍の悲鳴に近い命令で、十万の反乱軍が一斉にリヴァイアサンに向けて砲火を放った。
無数の魔導レーザー、ミサイル、大口径砲弾が、雨あられのように蒼き巨神へと殺到する。
しかし。
リヴァイアサンが光輪から蒼い波動を放った瞬間、それらの攻撃は機体に触れることすらなく、空間から『消滅』した。
物理的な相殺ではない。攻撃という『概念』そのものを、光輪の領域内で無に帰してしまったのだ。
「ば、馬鹿な……! 全弾命中したはずだぞ! なぜ傷一つない!」
『フハハハハッ! 絶望せよ! これが神話の力じゃ!』
ローゼリアは、コックピットの中で狂笑しながら、反乱軍の密集地帯へとリヴァイアサンの右手を向けた。
『消え失せよ! 塵一つ残さずな!』
掌から放たれた極太の蒼き閃光。
それは、着弾して爆発するような生易しいものではなかった。
閃光が触れた瞬間、戦艦の装甲も、マギアナイトも、兵士たちの肉体も。一切の熱や音を発することなく、まるで最初からこの世界に存在していなかったかのように、静かに、そして完全に空間から『消去』されていく。
「ひぃぃぃっ!!」
「化け物だ! 逃げろ! 逃げ——」
圧倒的、かつ無慈悲な蹂躙。
ザルバ将軍の乗る旗艦も、悲鳴を上げる間もなく蒼い光に包まれ、空間から削り取られるように消滅した。
わずか数分。
たった数分の一方的な攻撃で、帝都を埋め尽くしていた十万の反乱軍は、皇宮や街の建造物には一切の傷をつけることなく、完全に『消去』された。
後に残されたのは、不気味なほどの静寂と、夕日に照らされて輝く蒼き巨神の姿だけであった。
『……ふぅ。お掃除、完了じゃ』
コックピットの中で、ローゼリアは満足げに息を吐き出した。
泥塗れで震えていた脆弱な軍師は、神話の機体を手に入れたことで、再び最強の死神としての力を取り戻したのだ。
「すごい……これが、我が帝国の真の力……」
地下の封印区画から通信モニター越しにその光景を見ていたフリージアが、畏敬の念に打たれて呟く。
「……フン。相変わらず、古代機は出鱈目な強さだな」
アンネリーゼも、呆れたように、しかしどこか誇らしげに口角を上げた。
反乱軍は壊滅し、帝都は守られた。
歴史の闇に葬られるはずだった皇女と騎士の命は、未来から来た少女の手によって、確かに繋ぎ止められたのである。
そしてローゼリアにとって、リヴァイアサンの起動は、愛する騎士の待つ百年後の未来へ帰還するための、最大の『切符』を手に入れたことを意味していた。




