第四十六話:焚き火を囲む夜と、神話の記憶
洞窟の中は、パチパチと爆ぜる焚き火の音だけが響いていた。
外では依然として猛吹雪が吹き荒れており、風の咆哮が時折、岩肌を震わせる。しかし、炎の温もりと、追手の脅威から一時的に逃れられたという安堵感が、三人の少女たちの間にささやかな平穏をもたらしていた。
「……それにしても、不思議な道具だな。まるで、それ自体が生きているようだ」
フリージアが、ローゼリアの膝の上に置かれた情報端末を興味深そうに覗き込んだ。
画面には、バハムートの赤い眼を模したアイコンが静かに点滅し、周囲の気温や気圧、警戒レーダーの波形などをリアルタイムで表示し続けている。
「うむ。こいつはただの機械ではない。かつてこの宇宙を統べるために造り上げられた、最強の『脳』じゃからな」
ローゼリアは、焚き火で炙っていた携帯食料の干し肉をかじりながら、自慢げに胸を張った。
「最強の脳、か。確かに、先ほどの戦闘での索敵能力と演算速度は、我が帝国の最新鋭の魔導レーダーすらも遥かに凌駕していた。……ローゼリア、そなたは一体、どこでこのような『神話の遺物』を手に入れたのだ?」
フリージアの赤い瞳が、真槍な光を帯びてローゼリアを射抜く。
「神話の遺物……か」
ローゼリアは少し言い淀んだ。
この端末のAIは、他でもない初代皇帝マルクスが造り上げた絶帝機『バハムート』のものだ。それを正直に話せば、「六百年後の未来から、大厄災を引き起こして時間を逆行してきた」という、信じ難い真実を説明せねばならなくなる。
だが、共に死線を潜り抜けた彼女たちに、今さら安っぽい嘘を吐く気にもなれなかった。
「……フリージア。お主は、初代皇帝マルクスの伝承に詳しいと言っておったな」
「ああ。帝国の皇室にのみ口伝で受け継がれる、真実の歴史。……かつてこの星系には、今よりも遥かに高度な魔法技術が存在し、それが未知の『大厄災』によって失われたという、あの神話だ」
「その通りじゃ。……このAIは、そのマルクス帝が造り上げた最高傑作。星を喰らい、時空すらも捻じ曲げる悪魔の機体、『バハムート』の頭脳そのものじゃよ」
「なっ……! ば、バハムートだと!?」
アンネリーゼが、弾かれたように顔を上げた。
「姫様、危険です! バハムートといえば、お伽話に登場する滅びの竜! そんなものの頭脳を積んだ道具など、呪われているに決まっています!」
「落ち着け、アンネリーゼ。これはただのAIじゃ。機体そのものは、時空の彼方に置いてきた」
ローゼリアが呆れたように言うと、フリージアは顎に手を当て、深い思索に沈んだ。
「……バハムート。時空を捻じ曲げる、悪魔の機体」
フリージアは、炎を見つめながら、ぽつりぽつりと呟いた。
「皇室の地下書庫、もっとも深い場所に封印されている『神話期文書』。そこに、確かにその名は記されていた。……マルクス帝は、終わらぬ戦乱を鎮めるため、すべてを無に帰す力を持つ『絶帝機バハムート』を建造した。しかし、それは強大すぎるが故に暴走し、神話の時代を終わらせる大厄災を引き起こした、と」
(……その暴走の引き金を引いたのは、未来から来た妾なんじゃけどな)
ローゼリアは、心の中で冷や汗を流しながら、気まずそうに目を逸らした。
「だが、私が気になったのは、その続きの記述だ」
フリージアが、ハッと顔を上げてローゼリアを見た。
「伝承によれば、マルクス帝はバハムートの暴走という最悪の事態を予期しており……『バハムートと同系統の力を持つ、もう一機の巨神』を、帝都の地下深くに封印したと記されていた」
「なんじゃと!?」
今度はローゼリアが、目を丸くして身を乗り出した。
「バハムートと同系統の機体じゃと!? マルクスの奴、あんなヤバい化け物を、もう一機造っておったのか!?」
(あの初代様、どんだけ兵器開発に執念燃やしてるんだよ! 一歩間違えれば宇宙が二回滅んでたぞ!)
「詳しいことはわからない。だが、その機体はバハムートのような『時空干渉』ではなく、純粋な『概念破壊』に特化した兵器だとされている。……その名を、神帝機『リヴァイアサン』」
フリージアは、青ざめた顔で言葉を紡いだ。
「リヴァイアサンは、帝都アエテルナの地下、皇室の血を引く者にしか開くことのできない『絶対封印区画』に眠っているはずだ。……私と父上が、反乱軍の奇襲を受けて帝都を追われたあの日。反乱軍の首魁であるザルバ将軍は、皇宮の制圧よりも先に、地下の封印区画へと軍を差し向けていた」
「……なるほどな」
ローゼリアは、すべての合点がいったように頷いた。
「反乱軍の真の狙いは、単なる皇位の簒奪ではない。その神帝機リヴァイアサンとやらを起動させ、圧倒的な武力で帝国全土……いや、周辺の星系をも武力制圧することじゃな」
「おそらくは。……だからこそ、彼らは血眼になって私を追っているのだろう。リヴァイアサンの封印を解くには、皇室の直系の血、あるいはその命が必要になるはずだからだ」
フリージアは自身の細い腕を抱きしめ、唇を噛んだ。
「父上は、私を逃がすために盾となり……殺された。私がここで逃げ続ければ、ザルバ将軍はいずれ別の手段で封印を破り、あの恐ろしい古代兵器を復活させてしまうだろう。そうなれば、この銀河は再び血の海に沈む」
「姫様……」
アンネリーゼが、痛ましそうにフリージアの背中を見つめた。
彼女もまた、この逃避行の中で多くの仲間を失ってきた。その絶望感は、計り知れない。
しかし。
ローゼリアの赤い瞳は、炎の光を反射して、ギラギラと野心的な輝きを放ち始めていた。
(バハムートと同系統の機体。……つまり、神話の時代の最高峰の魔力駆動システムと、演算コアを積んでいるということか)
ローゼリアの脳内に、一つの『逆転への道筋』が雷のように閃いた。
もし、その『リヴァイアサン』を奪取することができれば。
枯渇した魔力を補い、再び絶大な力を振るうことができるかもしれない。
そして何より、リヴァイアサンのシステムとバハムートのAIを連動させれば、再び『時空跳躍』の演算を行い、リアンヌの待つ百年後の未来へと帰還できるかもしれないのだ。
「……フリージア」
ローゼリアは、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
「逃げるのは、ここまでじゃ」
「え……?」
「お主は、帝国の正当なる後継者じゃろう? ならば、こんな雪山でコソコソと怯えているのは似合わん。……帝都へ戻るぞ」
ローゼリアの唐突な提案に、アンネリーゼが目を剥いた。
「正気か、貴様! 帝都は反乱軍十万の兵に完全に制圧されているのだぞ! 我々三人で乗り込むなど、自殺行為だ!」
「自殺ではない、奪還じゃ」
ローゼリアは、バハムートのAI端末を片手に掲げた。
「奴らの狙いが『リヴァイアサン』の起動なら、好都合じゃ。奴らが封印を解く前に、妾たちが先に地下へ潜入し、その機体を奪う。……神話の巨神の力があれば、十万の反乱軍など、文字通り一捻りじゃよ」
「機体を奪うだと……? しかし、そんな古代兵器、どうやって動かすのだ! 神話の魔力技術など、今の帝国には残っていない!」
アンネリーゼが反論する。
「ここにおるじゃろうが」
ローゼリアは、自身の胸を親指でトンと叩いた。
「妾の魔力は、神話の時代のバハムートを完全起動させた。リヴァイアサンとやらも、妾の魔力なら間違いなく動かせる。……それに、システムの掌握は、このバハムートのAIがやってくれる」
ローゼリアの自信に満ちた宣言。
それは、あまりにも無謀で、荒唐無稽な計画だった。
しかし、先ほどの雪原での戦闘で見せた彼女の完璧な戦術眼と、そこから放たれる絶対的な覇気は、フリージアとアンネリーゼの心に、抗い難い『希望』の火を灯していた。
「……ローゼリア。そなたは、本当に……」
フリージアは、立ち上がり、ローゼリアの赤い瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「未来の騎士の守護者であると同時に、我が帝国の守護者でもあるのだな」
「まあ、お主の血筋には色々と世話になっておるからな。……それに、反乱軍の薄汚い野心のために、神話の遺物が使われるのは気に入らん」
フリージアは、覚悟を決めたように深く頷いた。
「わかった。……そなたの軍略に乗ろう。逃げ続けて死ぬくらいなら、帝国の誇りを胸に、皇宮へ攻め入って見せる」
「姫様がそう仰るなら、私も命の限りお供します。……ローゼリア、私の盾は、今からお前の指示に従おう」
アンネリーゼもまた、槍の柄を握り締め、ローゼリアに深く頭を下げた。
顔はリアンヌとそっくりでも、その忠誠の対象はフリージアだ。しかし、今の彼女はローゼリアを『軍師』として完全に認め、その指示に命を預ける覚悟を決めていた。
「うむ。良い返事じゃ」
ローゼリアは満足げに頷き、端末を開いた。
「バハムート。現在地から帝都アエテルナまでの最短ルートを割り出せ。追手の警戒網を潜り抜けられる、最も安全で、かつ最速のルートじゃ」
『……了解。地形データおよび敵の通信傍受データを統合中。……北へ十キロ進んだ先にある、旧時代の廃棄地下水路を利用すれば、帝都の城壁内部まで探知されずに侵入可能です』
「よし。少し休んだら、夜明けと同時に出発する。……反乱軍どもに、本物の『絶望』というものを教えてやるわ!」
吹雪が吹き荒れる極寒の雪山。
しかし、洞窟の中の焚き火は、三人の少女たちの闘志を反映するかのように、力強く、赤々と燃え盛っていた。
時空を超えた黒き死神、国を追われた皇女、そして忠義の白銀の騎士。
歴史の陰に隠された、たった三人による『帝都奪還作戦』が、今、静かに動き出そうとしていた。




