第四十二話:大厄災と、時空を穿つ黒き流星
空中浮遊リフトが、微かな駆動音と共に静かに停止した。
ローゼリアが降り立った先は、全高百メートルを超える漆黒の悪魔『絶帝機バハムート』の胸部に位置する、メインコアの入り口であった。
足を踏み入れると、内部は完全な暗闇に包まれていた。
現代のエインヘリアルで運用されているマギアナイトのコックピットのような、無数のモニターや複雑な操縦桿、計器類は一切存在しない。ただ中央に、まるで神殿の祭壇のようにポツンと置かれた、漆黒の『玉座』があるだけだった。
その玉座の背もたれやアームレストからは、生き物の血管のように無数の魔力伝導ケーブルが垂れ下がっており、主の到来を待ちわびるかのように微かに明滅している。
「……まるで、化け物の胎内じゃな」
ローゼリアは、小さく息を吐き出しながら玉座へと歩み寄った。
神話の時代の最高技術の結晶。この狂気じみた兵器のコアに座ることは、己の魂を鋼鉄の巨人と同化させることを意味する。
「……やってやる。待っていてくれ、リアンヌ様」
愛する白銀の騎士の名を口の中で反芻し、ローゼリアは意を決して玉座に深く腰を下ろした。
その瞬間。
漆黒の操縦服の背中や首筋、四肢の関節部に設けられたインターフェースと、玉座から伸びた無数のケーブルが、まるで意思を持っているかのように自動的に接続された。
カシュッ、カシュッという冷たい金属音と共に、物理的かつ魔力的な完全リンクが確立される。
『メインシステム、起動。魔力回路、直結。……生体認証、ローゼリア。パイロットの神経系とのシンクロを開始します』
無機質なシステム音声が脳内に直接響いた直後。
「————ッッッ!!?」
ローゼリアの視界が、いや、世界そのものが爆発的に『拡張』された。
眼球を通してモニターを見るのではない。百メートルという巨大な機体が備える無数の外部センサーが捉える情報——周囲の空間の広がり、大気の微細な流れ、重力の歪み、そのすべてが、自身の『触覚』や『視覚』として脳の髄に直接流れ込んでくる。
自分がちっぽけな人間の少女から、鋼鉄と魔力で構成された百メートルの巨人へと変貌したかのような、圧倒的な全能感。背部に浮遊する巨大な円環デバイス『時空干渉機関』が、自身の魔力を貪欲に吸い上げ、ドクン、ドクンと巨大な心臓のように脈打つ感覚が、はっきりと理解できた。
『聞こえるか、ローゼリア! すげぇ……メインモニター越しにデータを見ているが、まるで機体が産声を上げたみたいだ!』
脳内の通信回路から、ブリッジで指揮を執るマルクスの、震えるような歓喜の声が聞こえてくる。
『シンクロ率、100%……いや、測定不能域まで上昇している! バハムートの全回路が、お前の魔力を完全に受け入れたぞ!』
「当然じゃ。妾の魔力は底なしじゃからな。……マルクス、いつでも行けるぞ。妾の力、とくとその目に焼き付けるが良い!」
ローゼリアは、玉座の上で尊大に笑い、体内の魔力リミッターを完全に解除した。
ゴゴゴゴゴゴゴゴォォォォォォォォッ!!!!!
バハムートの漆黒の装甲の隙間から、黄金色の極大魔力がオーラとなって間欠泉のように噴き出す。
格納庫の空気がビリビリと震え、背部のハローが高速回転を始めると同時に、周囲の空間がまるでガラスのようにミシミシとひび割れ始めた。
『目標宙域にて、反帝国連合の超質量兵器の臨界点突破を確認! 発射まで残り三分を切った!』
『空間跳躍、カウントダウン開始! 座標、アズール宙域! 3、2、1……跳べェッ、ローゼリア!!』
マルクスの咆哮と共に、ローゼリアは自身の莫大な魔力を時空干渉機関へと一気に流し込んだ。
カッ————!!!!
音もなく、格納庫の巨大な空間が丸く抉り取られた。
絶帝機バハムートは、天空宮殿アエテルニタスから一瞬にして姿を消し、光年単位の絶望的な距離を文字通り『ゼロ(・)』にして、十万の敵艦隊が待ち受けるアズール宙域のド真ん中へと『出現』した。
「な、なんだあのバカデカい機体は!?」
「空間が歪んだぞ! どこから現れた!?」
アズール宙域。
反帝国連合が誇る十万隻の前代未聞の大艦隊は、突如として虚空から現れた漆黒の巨人に大パニックに陥っていた。
彼らの旗艦の眼前にそびえ立つ、全高百メートルを超える悪魔のような機体。その背後で回転する巨大な円環からは、星の寿命を縮めるような禍々しい赤黒い光が漏れ出している。
「か、構わん! あの巨大機体ごと、アエテルニタスへ向けて超質量兵器を撃てェッ!」
反乱軍の司令官が絶叫し、無数の戦艦が砲門を開こうとした。
しかし、彼らが迎撃の砲火を上げるよりも早く。
「……消え失せよ。神話の時代の亡霊ども」
玉座に座るローゼリアの、絶対零度の声が宇宙空間の全周波数帯域に響き渡った。
同時に、バハムートのハローが、周囲の光すらも吸い込むような漆黒の闇を放つ。
『重力崩壊・起動』
ズンッ……!!
宇宙空間に、絶対に存在してはならない『極大の質量』が生まれた。
バハムートのハローを中心に発生した超重力場が、周囲の空間を文字通り『すり鉢状』に引きずり込み始めたのだ。
「ひぃぃっ!? 艦が……艦が吸い寄せられる!」
「エンジン全開だ! 逆噴射しろ! 逃げろ、逃げろォォッ!」
十万隻の大艦隊が、必死にスラスターを吹かしてその絶望的な引力から逃れようとする。
しかし、無駄だった。
光すらも逃れられない絶対の重力場は、戦艦の重厚な装甲も、マギアナイトも、放たれたビームの軌道すらも飴細工のように捻じ曲げ、中心の特異点へと情け容赦なく圧縮していく。
メキメキメキィッ! という金属の断末魔すらも重力に飲み込まれ、宇宙空間には完全な無音が広がった。
無音の中で繰り広げられる、圧倒的で無慈悲な破壊劇。
わずか数十秒の間に、反帝国連合の十万隻の艦隊は、塵一つ、悲鳴一つ残さずブラックホールに飲み込まれ、完全に『消滅』したのである。
『……凄まじいな。本当に、一瞬で十万の艦隊が消えやがった。これで宇宙の勢力図が完全にひっくり返っちまった』
通信機越しのマルクスの声には、歓喜よりも、自身が造り上げた兵器のあまりの恐ろしさに対する戦慄が混じっていた。
「終わったぞ、マルクス。……これで、約束通りこの機体のシステムは妾が使わせてもらう! 妾を、未来へ帰せ!」
ローゼリアは、残存する莫大な魔力を、今度は『時間跳躍』の演算へと回そうとシステムのモードを切り替えた。
これで、リアンヌの元へ帰れる。
そう確信した、その時だった。
『……警告。時空干渉機関、出力低下せず。重力崩壊の連鎖反応、制御不能』
「な……んじゃと?」
ローゼリアの脳内に、システムからの冷たく無機質な警告音が鳴り響いた。
敵艦隊を消滅させたはずのブラックホールが、消えるどころか、さらに周囲の空間を喰らいながら急速に『膨張』を始めたのだ。
バハムートの強靭な装甲が、自身の生み出した超重力に耐えきれずにミシミシと悲鳴を上げ始める。
『おい、ローゼリア! どうなっている!? アズール宙域の重力異常が、こっちの天空宮殿にまで干渉してきているぞ! このままじゃ、星ごと飲み込まれる!』
マルクスの焦燥に満ちた絶叫が通信機から響く。
「妾が聞きたいわ! 魔力の供給は切ったはずなのに、機関が暴走しておるのじゃ!」
ローゼリアは必死にシステムに強制停止のコマンドを送り込んだが、バハムートはもはや彼女の命令を一切受け付けていなかった。
規格外すぎるローゼリアの魔力を注ぎ込まれた時空干渉機関は、十万隻の艦隊を圧縮した反動と熱量に耐えきれず、次元の壁を突き破るほどの『時空震』を引き起こしてしまったのだ。
(そうか……!)
ローゼリアの脳裏に、すべての点と線が繋がる、絶望的な閃きが走った。
(『大厄災』の正体……! それは、敵の質量兵器の攻撃なんかじゃない。バハムートの重力崩壊による空間の暴走だったんだ!)
歴史書に記された、神話の時代のオーバーテクノロジーの完全なる喪失と、天空宮殿アエテルニタスの墜落。
それは、マルクスが造り上げたこの絶帝機が、強大すぎるが故に引き起こした『自壊』だったのだ。
そして、その暴走の引き金を引いてしまったのは——他ならぬ、未来からやってきた規格外の魔力を持つ『自分自身』。
「……わ、妾が、大厄災の元凶……!」
ズゴゴゴゴゴゴォォォォォォォッ!!!
バハムートの周囲で空間が弾け、凄まじい時空の嵐が吹き荒れる。
その影響は、遠く離れた都市の上空に浮かぶ天空宮殿にも及び、巨大な白亜の城が重力異常に引かれて、徐々に、しかし確実に高度を落としていくのが、センサー越しにローゼリアにもはっきりと見えた。
『くそっ……! 動力炉が重力干渉で沈黙した! このままじゃ、宮殿は都市に墜落する! ローゼリア、機関を止めろォォッ!』
マルクスの血を吐くような怒号。
このままでは、歴史の通りに宮殿は墜落し、大厄災によって何億という命が失われる。
そして、ここでマルクスが死ねば、初代皇帝の血筋は途絶え、遠い未来に存在するはずのローゼリア自身の存在すらも、タイムパラドックスによって消滅してしまうかもしれない。
それを止める方法は、ただ一つしかない。
「……マルクス! 応答せよ!」
ローゼリアは、玉座の上でギリリと奥歯を噛み締め、通信機に向かって叫んだ。
『ローゼリア!? お前、何をする気だ!』
「この暴走した時空干渉機関ごと……妾が、六百年後の未来へ飛ぶ!!」
このアズール宙域の中心で暴走し、拡大し続ける重力場。それを消滅させるには、特異点そのものであるバハムートを、別の時間軸(未来)へ強制的に隔離するしかない。
それが、過去を救い、そして自分の未来を守るための唯一の手段だった。
『馬鹿な! 暴走状態のまま時間跳躍などすれば、計算が狂うどころか、お前の肉体が時空の摩擦に耐えきれず消滅するかもしれんのだぞ!』
マルクスの声には、初めて、他者を本気で案じるような焦りが混じっていた。
「やらねば、お主の星が滅ぶじゃろうが! 初代皇帝がこんな所で死んで歴史が途絶えては、妾の存在も消えてしまうわ!」
ローゼリアは、玉座の手すりを強く握り締め、残された自身の『生命力』そのものを魔力に変換し、バハムートのコアへと強引に叩き込んだ。
パイロットスーツの魔力伝導ラインが、限界を超えた負荷によって赤熱し、ローゼリアの肌をジリジリと焼く。
「マルクス! お主の覇道、しかと見届けたぞ! ……あとは、自分の足で這い上がって、その玉座を確かなものにしてみせよ!!」
『ローゼリアァァァァッ!!』
マルクスの悲痛な叫びが通信からノイズに飲まれて途切れるのと同時に。
ローゼリアは、暴走する巨大なブラックホールを、バハムートのハローに向けて全魔力をもって『逆圧縮』し、時空の壁に向けて全エネルギーを解放した。
メシャァァァァッ!! と、バハムートの強靭な装甲が時空の歪みに耐えきれずにひび割れ、機体内部に無数の火花が散る。
「……待っていてくれ、リアンヌ様……! 妾は必ず、お主の元へ……!」
ローゼリアは、血の滲む唇で愛する騎士の名を叫んだ。
直後。
宇宙空間に、星の爆発にも似た極大の虹色の閃光が弾けた。
絶帝機バハムートと、それに乗る黒き死神は、暴走する重力の特異点ごと空間から完全に消滅した。
後に残されたのは、時空が削り取られたことによって生まれた、永遠に消えない『次元の傷跡』——すなわち、六百年後にローゼリアが囚われることになる、魔力を封じるための巨大な地下空間(古代遺跡)の原型だけであった。
神話の時代の終焉という『大厄災』の爪痕を残し。
黒き死神は、光の渦の彼方——六百年の絶望的な時空の旅へと、たった一人で飛び立っていったのである。




