第四十話:神話の遺物と、星を喰らう玉座
マルクスの後を歩き、天空宮殿『アエテルニタス』の最深部へと向かう道中、ローゼリアは自身の目を疑うような光景を何度も目にしていた。
滑るように動く純白の床。壁面には、現在では完全に製造不可能とされている『魔力増幅クリスタル』が単なる間接照明として埋め込まれており、宮殿内の魔力濃度は、外の大都市の数倍にも達している。
六百年後の未来において、エインヘリアルが血眼になって発掘し、フィーネが歓喜の涙を流しながら整備しているような古代の遺物が、この時代ではただの「日用品」として消費されているのだ。
「……信じられん。これが六百年前の、魔法技術の絶頂期……」
「ん? どうしたローゼリア。歩きにくいか? まあ、俺のコートはあんたには少しデカすぎるからな。裾を踏んで転ばないように気をつけろよ」
「だ、誰が転ぶか! 余計なお世話じゃ!」
ぶかぶかの黒い軍服コートの袖をバサリと振り、ローゼリアは精一杯の威嚇をして見せるが身体能力が低いせいで大してバサリともならなかった。
それに、内側は水着一枚である。冷房の効いた宮殿内では少し肌寒く、どうしてもコートをギュッと掻き合わせてしまうため、威厳もへったくれもなかった。
(くそっ……! リアンヌ様がここにいれば、妾を優しく抱きしめて温めてくれる上に、運んでくれる上に、この無礼な初代皇帝を槍で串刺しにしてくれるというのに……!)
心の中で愛しの騎士の名前を呼びながら、ローゼリアはふと、先ほど上空で見た光景について切り出した。
「なあ、マルクス。一つ聞きたいのじゃが」
「なんだ?」
「この都市の上空を飛んでおった、真っ黒いマギアナイト……あれは、なんじゃ?」
現代において『黒き死神』と恐れられる自身の愛機、ノワール。
それがなぜ量産機のように飛び回っていたのか、どうしても確かめたかったのだ。
マルクスは歩みを止めず、肩越しに答えた。
「ああ、あれか。あれは俺の軍が開発した次世代型の汎用護衛機、『タイプ・M』だ。機動力と魔力伝導率のバランスが良くてな、量産性が高いから、今は宮殿の近衛兵や中隊長クラスに配備している」
「りょ、量産性……中隊長クラス……」
ローゼリアは膝から崩れ落ちそうになった。
未来で「古代遺跡から発掘された唯一無二の超絶機体」として扱われ、自分自身も「ふはは! 妾のノワールは最強じゃ!」とドヤ顔で乗り回していたあの機体が。
この時代では、ただの『ちょっと優秀な量産型』程度の扱いだったのである。
「……ショックじゃ」
「どうした? 急にこの世の終わりみたいな顔をして」
「なんでもない。妾の誇りが一つ、歴史の闇に葬られただけじゃ……」
(フィーネには絶対に言えない。あんたが徹夜で整備してるウチのオーパーツ、六百年前じゃその辺の近衛兵が乗ってる量産機だよ、なんて……!)
ローゼリアが内心で血の涙を流していると、やがて二人は巨大な隔壁の前にたどり着いた。
表面には複雑な魔力紋様が幾重にも刻まれ、現代のどんな物理的破壊兵器をもっても傷一つつけられないであろう、絶対的な防御機構。
マルクスが隔壁のコンソールに手を触れると、彼の体内から膨大な魔力が放たれ、認証システムが起動した。
ズゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
重々しい音を立てて、数十メートルはある巨大な隔壁が左右に開いていく。
「さあ、入れ。俺が信頼する一部の技術将校しか立ち入ることを許されていない、絶対秘匿領域だ」
隔壁の先は、宮殿の地下深くへと続く、とてつもなく巨大な円筒形の格納庫だった。
そのスケールの大きさは、未来の巨大ステーションのドックすらも小箱に見えるほどだ。見上げれば霞むほどの高天井、壁面には無数の魔力供給ケーブルが這い回り、まるで巨大な機械の胎内のようである。
そして、その中央。
幾重もの拘束具と、極太の魔力供給ケーブルに縛り付けられるようにして『それ』は鎮座していた。
「な、なんじゃ……あれは……」
ローゼリアは、息を呑んで立ち尽くした。
マギアナイト、という枠組みには到底収まらない。全高は優に百メートルを超え、禍々しい漆黒の装甲には、星の瞬きのように無数の魔力回路が赤黒い光を放って明滅している。
背部には、空間そのものを歪めるような巨大な円環状のデバイスが浮遊しており、機体全体から発せられるプレッシャーは、ただそこに存在しているだけでローゼリアの肌をヒリヒリと焼き切らんばかりだった。
「圧倒的だろう? これが、俺がこの無益な戦乱の時代を終わらせ、絶対の覇権を握るために造り上げた『力』そのもの」
マルクスは、その巨大な悪魔のような機体を見上げ、狂気にも似た熱を孕んだ瞳で告げた。
「戦略級・時空制圧機動城塞——『絶帝機バハムート』だ」
「バハ、ムート……時空制圧、じゃと?」
「ああ」
マルクスは頷き、手すりに寄りかかりながら説明を始めた。
「今の時代、どこの勢力も星を吹き飛ばすだけの火力は持っている。だからこそ、互いに手が出せない。そんな状況を打破するには、単なる『火力』では足りないんだ。必要なのは、相手の火力を無に帰し、逃げる間も与えず、宇宙のいかなる場所であろうと瞬時に蹂躙できる『絶対的な神の力』だ」
マルクスは、バハムートの背後に浮かぶ円環デバイスを指差した。
「バハムートの真価は、その背部の『重力・時空干渉機関』にある。空間の座標を直接書き換え、光年単位の距離をゼロにする超・空間跳躍。さらには、周囲の重力場を完全に支配し、敵の艦隊ごと空間を圧縮・崩壊させるブラックホール兵器。……これ一機で、一つの星系を数秒で制圧できる」
(空間の座標を書き換え、時空に干渉する……!)
ローゼリアの心臓が、大きく跳ねた。
自分がこの時代に飛ばされてきた理由。それは、遺跡の地下に封じられていた魔力と自身の魔力が共鳴し、空間が暴走したからだ。
もし、この『絶帝機バハムート』の時空干渉機関を完全に掌握し、意図的に空間の座標と時間を設定して起動することができれば——。
(未来へ……リアンヌ様が待つ、六百年後の世界へ帰れるかもしれない!)
ローゼリアは、希望の光を見出し、興奮で身を震わせた。
しかし、マルクスはふうっと重いため息をつき、首を振った。
「だが、こいつには一つだけ、致命的な欠陥があってな」
「欠陥、じゃと?」
「ああ。あまりにも強大すぎる時空干渉機関を駆動させるための『魔力』だ。宮殿のメイン魔力炉を直結しても、起動プロセスだけでショートしちまう。もちろん、優秀な魔導士をテストパイロットに乗せて魔力を注がせてみたが……全員、数秒で干からびて灰になったよ」
マルクスは、自嘲気味に笑った。
「最強の機体を造り上げたはいいが、それを動かせるだけの魔力タンクが存在しなかった。俺自身の魔力を使っても、せいぜい一発撃てば俺の命が尽きるだろうな。……だから、計画は頓挫しかけていたんだ。今日、街で『歩く超新星』であるあんたを見つけるまではな」
マルクスは、ローゼリアに向き直り、その両肩をガシッと掴んだ。
琥珀色の瞳が、ローゼリアの赤い瞳を真っ直ぐに射抜く。
「ローゼリア。あんたのそのデタラメな魔力量なら、このバハムートの時空干渉機関を完全に起動させ、制御できるかもしれない。……どうだ? 俺と一緒に、この機体で銀河を平定し、新しい歴史を創る神にならないか?」
熱烈なスカウト。
六百年前の覇王からの、銀河を統一しようという提案。
だが、ローゼリアの答えは最初から決まっていた。
「……断る」
ローゼリアは、マルクスの手を冷たく振り払った。
「な、なんだと?」
マルクスが意外そうに目を丸くする。
「勘違いするな、マルクス。妾はお主の『宇宙統一』だの『新しい歴史』だのという泥臭い覇道には、一切の興味はない。妾の居場所はここではないし、妾が隣に並び立つことを許した人間は、この広い宇宙にただ一人だけじゃ」
ローゼリアの脳裏に、どんな時でも自分を信じ、盾となって守ってくれた純白の騎士の姿が浮かぶ。
歴史に名を残す神になることよりも、リアンヌの淹れた紅茶を飲みながら、同じベッドでまどろむ平和な時間の方が、ローゼリアにとっては数万倍も価値があるのだ。
「だが」
ローゼリアは、漆黒の巨大機体バハムートを見上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「お主のその『おもちゃ』は気に入った。……妾がその時空干渉機関を動かしてやる。ただし、妾のために、妾の望む座標へ飛ぶためにな」
「あんたのために……? どういう意味だ?」
「お主に説明する義理はない。だが、取引じゃ。妾がこのバハムートの起動実験に協力し、必要な魔力を提供してやる。その代わり、この機体のシステムへのアクセス権と、妾が『帰る』ための演算をお主の技術班に手伝わせろ」
マルクスは、しばらくの間、目を細めてローゼリアを観察していた。
底知れぬ魔力を持つ、謎だらけの女。そして、初代皇帝である自分を前にしても一切物怖じせず、己の目的だけを冷徹に見据えるその態度。
「……アハハハハッ!」
突如、マルクスは格納庫に響き渡るような大笑いを上げた。
「面白い! 最高に面白い女だな、あんた! 痴女だの浮浪者だのと思って舐めていたが、その瞳に宿る覇気は、そこら辺の将軍どもよりよっぽど王の器だ!」
マルクスは笑い涙を拭いながら、右手を差し出した。
「いいだろう、取引成立だ! あんたがどこへ帰りたいのかは知らんが、俺の技術班を好きに使え。その代わり、バハムートが完成した暁には、少しだけ俺のためにその極大魔力をぶっ放してもらうぜ!」
「……ふん。少しだけなら、妾の気分次第で撃ってやってもよいぞ」
ローゼリアは、ぶかぶかのコートの袖から小さな手を出し、マルクスの手を取り返した。
(待っていてくれ、リアンヌ様。必ず……必ず、この六百年の時を超えて、お主の元へ帰るからな!)
過去の覇王と、未来の死神。
決して交わるはずのなかった二人の怪物が、それぞれの目的のために手を組んだ瞬間だった。
しかしローゼリアはまだ知らない。この『バハムート』の起動が、六百年後の未来の歴史に、どれほどの残酷な真実をもたらすことになるのかを——。




