第三十八話:布切れの皇女と、お忍びの覇王
丘を下り、巨大都市の郊外にたどり着いたローゼリアは、無人の農明小屋のような場所で、ボロボロの麻布の外套を発見した。
「……背に腹は代えられん」
ローゼリアは、海を満喫するための可愛らしいフリル付きの黒いワンピース水着の上から、その薄汚れた布切れをすっぽりと被った。
傍から見れば、布切れを纏った怪しい浮浪者か、没落した巡礼者にしか見えないだろう。
(くそっ……! さっきまでリアンヌ様と一緒に高級リゾートでバカンスを楽しんでいたというのに、なんで俺は六百年前でボロ布を被ってコソコソ歩いているんだ……!)
内心で血の涙を流しながらも、ローゼリアは都市の中心——上空に浮かぶ巨大な白亜の城『天空宮殿アエテルニタス』を目指して歩き出した。
(元の時代に帰る方法を探すなら、この時代の最高権力者……つまり、エーベルヴァインのトップに接触するか、宮殿のデータバンクを探るしかない。……とはいえ、どうやってあの空飛ぶ城に侵入したものか)
都市の内部は、外から見た以上のオーバーテクノロジーに溢れていた。
行き交う人々は豊かな衣服を纏い、空には大小様々な反重力船が飛び交っている。道端の街灯から、屋台の調理器具に至るまで、現代では失われたはずの魔法技術が惜しげもなく使われていた。
ローゼリアは、周囲の魔力センサーや警備の目を掻き潜るため、自身の莫大な魔力を極限まで抑え込み、気配を殺して雑踏を歩いていた。
「——おや。そこのお嬢さん、ちょっといいかい?」
不意に。
背後から、ひどく気さくで、それでいて不思議と耳に残るよく通る声で呼び止められた。
「……ん?」
ローゼリアが警戒しながら振り返ると、そこには一人の若い男が立っていた。
年の頃は二十代半ば。上質な生地だが装飾の少ない、動きやすそうな黒いコートを着崩している。無造作に跳ねた金糸の髪と、自信に満ち溢れた琥珀色の瞳。
手には、屋台で買ったらしい肉の串焼きを持ち、まるでただの気ままな冒険者のような風体だった。
しかし、ローゼリアの直感が即座に警鐘を鳴らした。
(この男……タダ者ではない。魔力の圧は完全に隠しているが、立ち姿に一切の隙がない……!)
「誰じゃ、お主は。妾に気安く話しかけるな」
ローゼリアは、ボロ布を深く被り直し、尊大な態度のまま冷たく言い放った。
「ははっ、すまない。あまりにも『眩しかった』から、つい声をかけちまってね」
男は悪びれる様子もなく、人懐っこい笑みを浮かべたまま距離を詰めてくる。
「眩しいじゃと? 妾はこの通り、目立たぬように薄汚れた布を被っておるが」
「服の話じゃないさ。……あんたの『魔力』だよ」
男の言葉に、ローゼリアはピクリと眉を動かした。
「隠しているつもりだろうが、俺の目は誤魔化せない。……すげぇな、あんた。この都市には腕利きの魔導士やマギアナイトの乗り手が腐るほどいるが、あんたのその内包魔力量は、完全に規格外だ。まるで歩く『超新星』じゃないか」
(な、なんじゃと……!?)
ローゼリアは驚愕した。
現代でも、ローゼリアの魔力は「底なし」と評されるが、この神話の時代には先ほど見たような化け物じみた機体がゴロゴロしている。
自分は完璧に魔力を抑え込んでいたはずだ。それを、通りすがりの男に一目で見抜かれたというのか。
「……ふん。六百年前の基準でも、妾の魔力は規格外というわけか」
「六百年前? なんだい、それは」
「独り言じゃ。……それで、妾の魔力に興味を持って、どうしようというのだ? 辻強盗なら相手を間違えておるぞ」
ローゼリアが指先に魔力を集め、臨戦態勢を取ろうとすると、男は慌てて両手を振った。
「待て待て、物騒な真似はよしてくれ。俺はただの通りすがりだ。……ただ、これからの『大事業』に向けて、あんたみたいなとんでもない逸材が野良で歩いているなら、ぜひともスカウトしたいと思ってね」
「スカウトじゃと?」
「ああ。俺の覇道に、あんたの力を貸してくれないか」
男は、串焼きをゴミ箱に放り投げると、先ほどまでの気さくな態度をスッと消し、王者のような威風堂々とした佇まいで手を差し出した。
「俺はマルクス。……マルクス・エーベルヴァイン。今はちょっと窮屈な城から抜け出して、お忍びで散歩中の身だがね」
「……は?」
ローゼリアの思考が、一瞬完全に停止した。
マルクス・エーベルヴァイン。
それは、これから宇宙全土を恐怖と圧倒的な力で支配し、銀河に絶対的な覇権を打ち立てる『初代エーベルヴァイン皇帝』その人の名だった。
(初代皇帝……!? 宇宙の覇王が、なんで屋台の串焼きを食いながらお忍びで散歩なんかしてるんだよ!!)
目的の人物、しかも銀河の歴史上最大のビッグネームからの突然のスカウト。
ボロ布を被った未来の黒き死神と、まだ宇宙の覇権を握る前の若き覇王の、あまりにも奇妙な邂逅であった。




