第三十六話:遺跡の暴走と、時を穿つ光
冷たい、石の感触。
そして、古いカビと、埃の匂い。
「……んん……」
ローゼリアが重い瞼を開けると、そこは薄暗い石造りの巨大な空間だった。
壁には見たこともない幾何学模様が彫り込まれており、天井からは奇妙な発光ゴケが緑色の淡い光を放っている。
「目が覚めましたか、ローゼリア様」
「……バルディア、か」
ローゼリアは上体を起こそうとして、手首と足首に重い金属の枷がはめられていることに気がついた。
枷の表面には、遺跡の壁と同じような古代の文様が刻まれており、そこから微弱な干渉波のようなものが放たれている。そのせいで、体内の無尽蔵の魔力が押さえ込まれ、指先一つ光らせることができない。
「ここは……どこじゃ。ただの地下室ではあるまい」
「ご名答。ここは、アズール・コーストの地下深く、未だ連合の調査も及んでいない『古代遺跡』の最深部です」
バルディアは、仰々しい制服の襟を正しながら、勝ち誇ったように笑った。
「その枷も、この遺跡から発掘された『魔力封じの拘束具』。いかにあなたの魔力が底なしであろうと、古代の叡智の前では無力というわけです」
ローゼリアは、自身の愛機である『ノワール』が古代遺跡からの出土品であったことを思い出した。
(なるほど。この遺跡そのものが、強大な魔力を制御、あるいは封じ込めるための『檻』として機能しているわけか)
「何のつもりじゃ、バルディア。妾をこんな所に縛り付けて、首を縦に振るとでも思っておるのか?」
「ええ。あなたは、我々『新帝国解放戦線』の旗印として、共に帝都へ進軍していただきます。もし拒否されるなら……この遺跡の奥底で、一生を過ごしていただくことになりますがね」
バルディアは、狂信的な野心に目を濁らせながらローゼリアを見下ろした。
しかし、ローゼリアの赤い瞳は、彼を嘲蔑するように細められていた。
「……愚か者が。お前たちのような三流のチンピラが、この古代遺跡の存在や、魔力阻害ガスなんて代物を用意できるはずがないじゃろうが」
「な、何を言うか!」
「お主らは、暗躍する他の組織にいいように踊らされておるだけじゃ。妾という『戦乙女の双璧』の片割れを封じ込めるための、ただの使い捨ての駒にな」
図星を突かれたのか、バルディアの顔が一瞬引き攣った。
「だ、黙れ! 誰の支援を受けようと、我々が帝国を再興するという大義に変わりはない! ここで大人しく、我々の操り人形となる覚悟を決めることですな!」
バルディアが叫んだ、その時だった。
「……操り人形じゃと? 舐めるなァッ!!」
ローゼリアの底知れぬ怒りが、押さえ込まれていた魔力回路を強制的に再起動させた。
(ふざけるな! 妾のせっかくのバカンスを、リアンヌ様へのプレゼントを買う時間を台無しにして! おまけにこんな薄汚い野心のために妾を利用しようなどと……絶対に許さん!!)
ゴゴゴゴゴゴォォォォォ……ッ!!!
「な、なんだ!?」
バルディアたちが怯んだ。
魔力封じの枷が、限界を超えたローゼリアの莫大な魔力出力に耐えきれず、ミシミシと悲鳴を上げ始めたのだ。
しかし、それは単なる破壊では終わらなかった。
枷を通じて溢れ出したローゼリアの魔力が、古代遺跡の床や壁に刻まれた幾何学模様へと流れ込み、遺跡全体を眩い黄金色の光で満たし始めたのだ。
(な……なんじゃ!? 魔力が、遺跡に吸い込まれていく……!?)
ローゼリアは驚愕した。ノワールと繋がった時のような、強烈なシンクロ感覚。
古代のシステムが、規格外の魔力を『動力源』として認識し、数千年の眠りから強制的に目覚めてしまったのだ。
空間が、グニャリと歪む。
「い、遺跡が動いている!? どういうことだ、スポンサーの連中からはこんな話は聞いていないぞ!」
バルディアがパニックに陥り、部下たちと逃げ惑う。
空間の歪みは、拘束されたローゼリアを中心にして、巨大な光の渦を形成し始めた。
凄まじい重力異常が発生し、周囲の瓦礫が宙に浮き上がる。
その時だった。
ドゴォォォォォォォォォォンッ!!!!!
古代遺跡の分厚い天井が、文字通り『爆発』して吹き飛んだ。
崩れ落ちる巨大な石の破片と土煙の中から、ズシンッ!と重々しい音を立てて降り立ったのは、一機のマギアナイト。
全身を純白の装甲で覆い、巨大な突撃重槍を構えた、怒れる騎士。
『スローネ』である。
「り、リアンヌ!?」
ローゼリアが叫ぶ。
リアンヌは、遺跡の迷路など無視して、地表から数百メートルの岩盤を一直線に『ぶち抜いて』助けに来たのだ。
『ローゼリア!!』
スローネのハッチが開き、リアンヌが飛び降りてくる。
しかし、彼女の目に映ったのは、時空の歪みを生み出す巨大な光の渦に飲み込まれようとしているローゼリアの姿だった。
「リアンヌ! 近づくな! この光は——」
「ローゼリアァァァッ!!」
リアンヌは、自身の危険など一切顧みず、光の渦に向かって必死に手を伸ばした。
ローゼリアもまた、拘束されたままの手を、リアンヌへ向けて懸命に伸ばす。
しかし、無情にも。
指先が触れ合うほんの一瞬前、遺跡のシステムは臨界点に達した。
カッ————!!!!
視界を完全に白く染め上げる、極大の閃光。
「————!」
音すらも奪われるような衝撃の後、光の渦はフッと掻き消え、遺跡には静寂だけが残された。
重い金属の枷だけが床に転がり、そこにいたはずの黒き死神の姿は、跡形もなく消え去っていた。
「……う、うう……」
頬を撫でる、柔らかな風。
そして、澄み切った大気の匂い。
ローゼリアは、草の感触に目を覚ました。
(ここは……?)
手首と足首の枷は外れている。水着姿のままで、どこかの小高い丘の上に倒れていたようだ。
ゆっくりと身を起こし、周囲を見渡す。
そこは、見渡す限りの美しい大草原だった。そして、丘の下には、見たこともないほど巨大で、輝かしい大都市が広がっている。
「……なんじゃ、あれは」
ローゼリアは、その都市の中心にそびえ立つ『巨大な浮遊城』を見て、息を呑んだ。
白亜の城壁と、天を貫くような尖塔。その周囲を、無数の美しい飛行船が優雅に行き交っている。
彼女は、その城を知っていた。
いや、正確には『歴史の教科書』で見たことがあった。
「……古代エーベルヴァイン帝国、初代皇帝の居城『天空宮殿アエテルニタス』……?」
ローゼリアは、震える声で呟いた。
その宮殿は、今から六百年も前、帝国の内戦と大厄災によって墜落し、完全に失われたはずの『伝説の遺物』である。それが今、信じられないほど美しく、完全な姿で空に浮かんでいる。
(遺跡の暴走……空間の歪み……そして、失われたはずの景色)
ローゼリアは、自分が立っているのが『現在』ではないことを、圧倒的な現実として突きつけられていた。
古代遺跡の未知の力は、膨大な魔力と引き換えに、彼女ただ一人を——六百年前の過去へと飛ばしてしまったのである。




