第五幕 第三十一話:特異点の退学届と、終幕へ向かう学生生活
ファルガー魔法学院の裏山。
秋の気配が深まり、赤や黄色に色づき始めた木漏れ日が差し込む静かな林の中で、銀河最強の女傭兵団『エインヘリアル』に所属する三人の少女——ローゼリア、アルティナ、シエラは、人目を避けるように集まっていた。
「……シエラ。元の宇宙域(エーベルヴァイン帝国)の次元座標の特定計算、ついに終わったんじゃな?」
ローゼリアが、いつもの尊大な口調ながらも、どこか安堵したような声で尋ねる。
「はい。木星圏に展開していたウルスラの探査データと、母艦エインヘリアルの中枢システムであるユグドラシルの演算を統合した結果、我々がルミナス圏に迷い込む原因となった次元断層の逆算ルートが完全に確立されました。エインヘリアルの主機がフルチャージされ次第、いつでも元の宇宙へと帰還可能です」
シエラが、ホログラムモニターを展開しながら淡々と報告する。
「そう。じゃあ、この原始的で退屈な星での潜入調査も、いよいよおしまいというわけね」
アルティナが、学院のAクラスの制服の裾を優雅に払いながら、微かに口角を上げた。
「ルミナスにおける秘密結社アルカードの動向調査も、粗方は済んだわ。連中の狙いが古代の遺産と次元ゲートであることは明確になったし、これ以上私たちがこの魔法学院に留まって、学生のフリを続ける意味もない」
「うむ! 全くその通りじゃ! 毎日毎日、退屈な座学と小難しい魔法理論の授業に耐える日々とも、今日でおさらばじゃ!!」
ローゼリアは、解放感から両手を高々と突き上げた。
先日の艦長代理のトラウマから完全に立ち直った(あるいは現実逃避した)彼女の表情は、晴れやかそのものであった。
「すでに、別行動でルミナスの別大陸の調査に当たっていたランドグリーズと、母艦のシステム統括を行っていたレガリアは、一足先に月の裏側にあるエインヘリアルへと帰還しています。ブリュンヒルデ団長からの命令は一つ。『速やかにルミナスから撤収し、帰還準備に入れ』とのことです」
シエラが端末を閉じる。
「よし! ならば善は急げじゃ。さっさと教官室に行って、『自主退学』の手続きを済ませてこようぞ!」
学院の教官室。
昼休みの終わりの静かな時間帯、ローゼリアたち三人は、担任である初老の魔道士のデスクの前に立っていた。
「……自主退学、だと? しかも三人揃ってか?」
担任の教官は、目を丸くしてローゼリアたちを見上げた。
「ローゼリア君。君はつい先日、実戦演習で演習場を更地にするという大問題を起こしたばかりだが……まさか、あの莫大な修繕費と始末書から逃げ出すわけではあるまいな?」
「ち、違うわい! 始末書なら、あの後泣きながらアルティナに手伝ってもらってちゃんと提出したじゃろ! これには深く、そしてやむにやまれぬ事情があるのじゃ!」
ローゼリアが慌てて否定する。
「事情、ねえ……」
教官は、胡散臭そうな目を向けた。
「アルティナ君もシエラ君も、Aクラスの特待生として将来を嘱望されているというのに。我がファルガー魔法学院を中途で辞めるということは、魔道士としての輝かしいキャリアを捨てるということだぞ? 後悔はしないのか?」
「ええ、全く。私の知的好奇心を満たすものは、この学院にはもう残されていませんから」
アルティナが、一切の未練もない冷ややかな笑顔で答える。
「……私の実家の管理業務が逼迫しており、早急な帰省が求められています」
シエラも、息を吐くように無機質な嘘をついた。
「(こ、こいつら、教官相手に一歩も引かぬ……。さすがはエインヘリアルのエリートじゃ)」
ローゼリアは心の中で二人に感心しつつ、あらかじめシエラに偽造させておいた『完璧な法的効力を持つ退学届』を、教官のデスクにバンッ! と叩きつけた。
「とにかく、そういうことじゃ! 短い間じゃったが、世話になったな! さらばじゃ!!」
ローゼリアは教官が何か言い返す前に、強引に踵を返し、アルティナとシエラを引き連れて足早に教官室を後にした。
あまりにも呆気なく、そして嵐のような退学手続きであった。
「ふぅ……。これで面倒な手続きはすべて完了じゃな。あとは荷物をまとめて、エインヘリアルに転送するだけじゃ」
渡り廊下を歩きながら、ローゼリアが大きく伸びをする。
「荷物と言っても、ローゼリアが買い込んだ地球の食料や娯楽品は、すでにリアンスが母艦に運び込んでいますが」
シエラが指摘する。
「おお、そうじゃった。リアンスの奴、そういう裏方の仕事だけは本当に早いのう」
ローゼリアが苦笑した、その時。
「——ローゼリア!!」
廊下の向こうから、切羽詰まった声が響いた。
見ると、息を切らしたアランとレイラが、猛ダッシュでこちらに向かって走ってくる。どうやら、教官室での騒ぎ(退学の話)をどこかで聞きつけたらしい。
「アラン……レイラ……」
ローゼリアは、少しだけ気まずそうに足を止めた。
「はぁ……はぁ……。嘘だろ、ローゼリア! 自主退学するって、本当なのか!?」
アランが、ローゼリアの両肩を掴んで問い詰める。
「ローゼリアさん……急にどうして……。私たち、これからもずっと一緒に魔法の勉強をして、立派な魔道士になるって……」
レイラも、今にも泣き出しそうな瞳でローゼリアを見つめている。
ファルガー魔法学院に編入してからの数ヶ月。
彼ら二人は、特異点であり異邦人であるローゼリアに対し、何の偏見もなく接し、共に笑い、共に補習を受け(主にローゼリアが教える側だったが)、親友として過ごしてくれた、かけがえのない存在だった。
銀河最強の傭兵団のエースという正体を隠し、ただの「Fクラスのポンコツ魔法少女」として振る舞っていたローゼリアにとって、彼らと過ごした時間は、決して不快なものではなかった。
「……すまぬ、アラン、レイラ」
ローゼリアは、小さく息を吐き、静かに首を横に振った。
「実はな、妾の『故郷』から、どうしても帰ってこいという急報が入ってな。……もう、この星には戻ってこられないかもしれんのじゃ」
「故郷って……そんなに急に……?」
「ああ。妾は元々、お主らのような普通の魔道士とは住む世界が違うのじゃ。……今まで隠しておってすまなかったが、妾は『戦うこと』を本業とする、傭兵なんじゃよ」
ローゼリアは、いつものおどけた態度を消し、真剣な眼差しで二人を見つめた。
「傭兵……?」
アランとレイラは、ローゼリアの口から出た予想外の言葉に戸惑う。
「ふふっ。驚いたじゃろ? でも、お主らとこの学院で過ごした時間は、妾にとって最高の休息じゃった。……ありがとうな」
ローゼリアは、スッと右手を差し出した。
アランは少し躊躇った後、力強くその手を握り返した。
「……そっか。ローゼリアが自分で決めた道なら、俺は止めない。でも、絶対にお前のことは忘れないからな! 史上最悪の演習場爆破事件の犯人として、伝説になること間違いなしだしな!」
アランが、寂しさを誤魔化すように笑う。
「アランったら、もう……。ローゼリアさん、向こうに行っても、お元気で。絶対に、怪我とかしないでくださいね」
レイラが、ポロポロと涙をこぼしながらローゼリアを抱きしめた。
「うむ。お主らも、立派な魔道士になるのじゃぞ。……赤点ばかり取っておったら、宇宙の果てから妾が補習しに飛んでくるからな!」
ローゼリアは、レイラの背中を優しくポンポンと叩いた。
「……ローゼリア。そろそろ時間よ」
少し離れた場所から、アルティナが静かに声をかける。
「分かっておる。……それじゃあな、アラン、レイラ。元気でな!」
ローゼリアは二人から離れ、アルティナとシエラと共に、振り返ることなく歩き出した。
夕暮れが迫る学院の廊下に、三人の長い影が伸びる。
誰もいない学院の裏山にたどり着いた三人は、空を見上げた。
「……さて。白と金の我が家へ帰るとしようか」
「ええ。ブリュンヒルデ団長が、次の任務のブリーフィングを用意して待っているわ」
アルティナが答える。
「シエラ、転送座標の固定を頼む」
「了解しました。エインヘリアル母艦、転送シークエンス開始します」
三人の足元に、青白い魔力陣が展開される。
惑星ルミナスという辺境の星での、短くも賑やかだった学生生活。
それは、銀河を駆ける戦乙女たちにとって、ほんの束の間の『日常』という名の休息であった。
光の粒子が三人の身体を包み込み、そして——。
フッ、と音もなく、特異点と二人の戦乙女は、ルミナスの大地から完全に姿を消した。
数瞬後。
地球の衛星である月の裏側に停泊する、白と金を基調とした優美かつ神々しいデザインの母艦、エインヘリアル。
その転送室に、ローゼリアたちが実体化した。
「お帰りなさいませ、ローゼリア。アルティナ、シエラも、長期間の潜入任務ご苦労様でした」
転送室の扉の前で出迎えたのは、作戦システム統括を務める黒い制服を着た美女、レガリアだった。
彼女をはじめとして、銀河最強の女傭兵団であるエインヘリアルのメンバーは、完全なオフ(休暇や自室での休息)の時を除き、艦内では基本的にこの黒を基調とした特注の制服か、戦闘用のパイロットスーツを着用することが規則となっている。レガリアの隙のない凛とした姿は、ここがすでに学園ではなく、最前線の軍事拠点であることを無言で告げていた。
「うむ、ただいま戻ったぞレガリア! ランドグリーズももう戻っておるのじゃな?」
ローゼリアが尋ねる。
「はい。ランドグリーズ様は現在、食堂で地球のカップ麺を全種類制覇すると豪語して暴れております。……それよりもローゼリア、ブリュンヒルデ団長がブリッジでお待ちです。すぐに上がるようにと」
レガリアが、涼しい顔で告げる。
「げっ……。帰って早々、また小言か書類仕事じゃあるまいな……」
ローゼリアの顔が、あからさまに引きつる。
「安心しなさい。今回は書類仕事じゃないわ。……傭兵団としての、正式な『本業』の依頼よ」
後方からアルティナが、クスリと笑いながらローゼリアの背中を押した。
「本業……! つまり、戦闘任務じゃな!?」
ローゼリアの真紅の瞳が、パァァッ! と輝きを取り戻す。
「ふははははっ! ならば話は早い! 事務仕事で鈍った妾の腕を、ルシフェル・リベリオンの操縦桿で存分に解きほぐしてやろうぞ! 行くぞ、皆の者!」
特異点にして、エインヘリアルが誇る最強のエースアタッカー。
ローゼリア・エーベルヴァインは、愛用していた魔法学院の制服を脱ぎ捨て、黒を基調とした漆黒の軍服へとその身を包み直した。
学生という仮面を捨て、銀河最強の女傭兵団のエースとして。
新たな戦いの予感を胸に、ローゼリアは足取りも軽く、母艦のブリッジへと向かっていくのであった。




