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追放皇女の異世界戦記  作者: 浅井川亘


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第五幕 第二十八話:決裁の重圧と、崩壊する特異点のキャラ作り

月の裏側に停泊する、漆黒の巨大母艦『エインヘリアル』。

その中枢に位置する艦長専用の執務室は、現在、未曾有の危機パニックに直面していた。

「ううっ……。なんじゃこの書類の山は……。減るどころか、時間が経つごとに増えておるではないか……」

広大なマホガニーのデスクの奥で、特異点たるローゼリア・エーベルヴァインは、自身の身長よりも高く積み上げられた電子データパッドと羊皮紙の束に埋もれながら、血走った目で唸り声を上げていた。

休暇をもぎ取ったブリュンヒルデから「艦長代理」に任命されて早三日。

ローゼリアは当初、自身のチート級の頭脳とエインヘリアルの演算機能をリンクさせれば、こんな事務作業など数時間で終わらせて自室のゲームに復帰できると高を括っていた。

事実、彼女は「補佐」という立場であれば、恐ろしいほどの有能さを発揮した。

各部署から上がってくる報告書の問題点を瞬時に洗い出し、予算の無駄を指摘し、最適な人員配置を再計算する。その処理速度は、並の事務官数百人分にも匹敵する。

しかし、彼女には決定的な弱点があった。

それは、彼女が根っからの『現場の兵士エースパイロット』であり、軍隊という巨大な組織を動かす『最終決裁者トップ』の器ではなかったということだ。

「ええと……『第三魔力炉の出力調整に伴う、周辺隔壁の耐熱強化工事の承認』……。計算上はこれで問題ないはずじゃ。完璧じゃ。……じゃが、もし妾がここでサインをして、万が一計算外の事態が起きて魔力炉がメルトダウンしたら……? 妾のせいで、エインヘリアルが月ごと宇宙の塵に……?」

ローゼリアの手の中で、羽ペン(電子サインペン)がガクガクと震え始める。

「ひぃぃっ! 責任が重い! 重すぎるのじゃ! 妾は敵の戦艦を落とすのは得意じゃが、味方の命と船の全責任を背負うなど無理じゃぁぁっ!」

「我が主! なんと慈悲深く、慎重なお姿……!」

そんなローゼリアの横で、紅茶の入ったティーカップを捧げ持ちながら、近衛のリアンヌがデレデレに溶けた顔でうっとりと呟いた。

「我が主がそこまで思い悩まれるのでしたら、いっそ適当にサインしてしまっても構いません! 万が一母艦が爆発したとしても、私と我が主が生き残れば、宇宙のどこででも愛の巣を築けますから!」

「お主は本当に補佐する気があるのか!? 全く励ましになっておらんぞ!」

ローゼリアが涙目でツッコミを入れる。

『——マスター。無駄口を叩いている暇はありませんよ』

執務室のメインモニターに、冷徹なAIのような表情を浮かべたシエラが映し出された。彼女は現在、自身の管制ルームから艦全体のシステムを監視しながらローゼリアの事務作業をチェックしている。

『先ほどマスターが提出した「第二格納庫の冷却材追加発注書」ですが、数量の桁が二つ間違っています。このまま発注が通れば、エインヘリアルの内部が絶対零度で凍りつき、全員が冬眠状態になります』

「ひっ!? し、しまった! ゼロを付けすぎたのじゃ! すぐに修正する!」

『さらに、「ルミナス軌道上の監視衛星の配置転換計画」も、軌道計算に0.03パーセントのズレがあります。これでは三ヶ月後に衛星同士が衝突します。やり直しです』

「うわぁぁん! シエラが厳しい! 団長より細かいのじゃ!」

ローゼリアは頭を抱えて机に突っ伏した。シエラの容赦ない(しかし正確な)指摘が、決裁権限の重圧に押し潰されそうなローゼリアの精神をさらに削っていく。

その時、執務室の重厚な自動ドアが、乱暴な音を立てて開いた。

「よォ、艦長代理サマ。お仕事の調子はどうだい?」

油に塗れた作業用ツナギをラフに着崩し、肩に巨大なスパナを担いだ女性が入ってきた。

赤茶色の髪を無造作に後ろで束ね、ゴーグルをおでこに引っ掛けた彼女は、エインヘリアルの心臓部とも言える整備班を束ねる班長、フィーネである。

職人気質で口は悪いが、戦乙女たちの機体を常に完璧な状態に保つ、凄腕のメカニックだ。

「フ、フィーネ……。お疲れ様じゃ……。今、お主のところの予算書を見ておったところで……」

ローゼリアが引きつった笑顔を向ける。

「見てるだけじゃ仕事は進まねえんだよ、大将」

フィーネは、ドカッとローゼリアの机の前に立ち、油で黒くなった手で机をバンと叩いた。

「あんたの愛機ルシフェル・リベリオン、先日の地球での大立ち回りのせいで、スラスターのノズルがイカれかけてんだよ! すぐに予備パーツを組み上げねえといけねえのに、あんたが『交換部品の決裁書』にサインを渋ってるせいで、ウチの班の作業が完全にストップしてんだ!」

「うっ……。そ、それは……! じゃが、そのスラスターの特注パーツ、あまりにも高額すぎて……。こんな予算を妾の一存で通して、後で団長に怒られんじゃろうかと思って……」

「馬鹿野郎! あんたが地球で派手に逃げ回ったせいだろうが! 自分のケツくらい自分で拭きな! これにサインが降りるまで、アタシはここを動かねえからな!」

フィーネは腕を組み、仁王立ちになってローゼリアを睨み下ろした。

「わ、分かった! 分かったから怒らないでくれ! 今すぐサインするから!」

ローゼリアが震える手で羽ペンを走らせようとした、その瞬間。

「あら、ずいぶんと賑やかね。私の申請も早く通してほしいのだけれど」

今度は、優雅な足音と共にアルティナが執務室に入ってきた。

手には、これまた分厚いデータパッドの束が抱えられている。

「ア、アルティナ……。お主のところはハルファスのアップデート申請じゃったな。それも今確認して……」

「それはもちろんだけど、もっと優先度が高いものがあるわ」

アルティナは、一番上の書類をローゼリアの目の前に突きつけた。

「地球で休暇中のブリュンヒルデ団長たちから、『追加の経費請求』が送られてきたわ。大間のマグロの追加注文、高級日本酒の飲み比べセット、さらには東京に戻ってからの銀座の高級寿司店での貸し切り費用。……しめて日本円で約三千万円の経費計上よ。シエラが裏金を作っているとはいえ、エインヘリアルの予備資金から落とすには艦長代理の決裁が必要なの。早く承認印を押してちょうだい」

「さ、三千万!? たった数日の旅行でどんな豪遊をしておるんじゃあいつらは!!」

ローゼリアは目をひん剥いて絶叫した。

「仕方ないじゃない。ランドグリーズが一人で牛を何頭も食べる勢いなんだから。さあ、早くサインして」

アルティナが冷たく催促する。

「おいおいアルティナ、順番待ちしろよ! こっちは機体の修理が先だ!」

フィーネが横から口を挟む。

「大体、そんな地球での観光費用なんて後回しでいいだろうが! 大将、まずはアタシのパーツ承認だ!」

「団長の経費が降りないと、地球で無銭飲食になって国際問題になるわよ。マスター、こちらが先です」

「いやいや、機体が動かなくなったらどうすんだ! 早く印を押しな!」

フィーネとアルティナが、ローゼリアの机を挟んで火花を散らし始めた。

『——マスター。第一・第二カタパルトの定期メンテナンスのスケジュールも期限切れです。今すぐ承認しないと、明日のシステムがダウンします』

さらに、モニター越しにシエラが追い打ちをかけてくる。

「我が主! 決断の時です! どちらを優先されても、私は我が主のすべてを肯定しますぅぅっ!」

リアンヌが横で熱い吐息を漏らしながらポンポン(どこから出したのか)を振って応援している。

「あわわ……あわわわわ……」

四方八方から降り注ぐ「早く決めろ」「責任を取れ」「承認しろ」のプレッシャー。

ただでさえ三日間の事務作業で限界を迎えていたローゼリアの脳のキャパシティ(決裁者としての)が、ついにパリンッと音を立てて限界を突破した。

「ええいっ! ちょっと待って!! みんな一気に喋んないで!!」

突然、ローゼリアの口から、いつもの「妾」や「のじゃ」という尊大な口調が綺麗さっぱり消え失せた。

「あのさぁ! 私……いや、俺はただのパイロットなんだよ!? 現場で戦うのが仕事の兵士に、なんで艦全体の責任者トップをやらせてんの!? おかしいでしょ、なんで全員して私ばっかりに詰め寄ってくるの!?」

極度のパニックとストレスにより、ローゼリアは「素のポンコツ少女」と「前世の素」の口調が完全に混ざった状態へと陥ってしまったのである。

「え……?」

フィーネが、突然のローゼリアの豹変にポカンと口を開ける。

「ちょ、ちょっと、ローゼリア……? あなた、口調が……」

アルティナも、いつも余裕ぶっている特異点があまりにも俗っぽい(現代の地球人っぽい)言葉でキレ始めたことに、目を丸くして戸惑った。

「だいたいさぁ! なんでスラスターの修理にこんな何百万もかかってんの!? 予備の部品集めて自作すれば素材の代金だけで済むじゃん! フィーネ、あんた整備の腕は超一流なんだから気合で手作りしろよ!」

「はぁ!? お前、精密機械の特注ノズルを手作りしろってか!? 無茶苦茶言うな!」

フィーネが反論するが、テンパり切ったローゼリアは止まらない。

「アルティナもだよ! 三千万の経費ってなんだよ! どんだけ贅沢してんだあの団長は!! 却下だよ却下! そんな予算あるなら私の部屋に最新のパソコンとゲームソフトを山ほど買うわ! 寿司なんかコンビニで買ってろって伝えといて!!」

「む、無茶苦茶ね……。ブリュンヒルデ団長にそんなこと言えるわけないじゃない」

『マスター。言葉遣いが完全に地球の若者のそれに戻っています。それに、第一カタパルトの承認がまだ……』

「シエラもうるさい! 桁が二つくらい違ったって後で魔法で何とかすればいいだろ! だいたいお前ら、普段私をポンコツ扱いしてんのに、なんでこういう時だけ『マスター、サインをお願いします』って大人しく指示待ってんだよ! 自主性を持て! 自分で考えて動けぇぇっ!!」

ローゼリアは半狂乱になって、机の上の書類の束をバサァァッ! と空中に放り投げた。

羊皮紙とデータパッドが、吹雪のように執務室を舞う。

「あーもう分かんない! 私もうサインしない! 責任とか取らない! 死神エースの私がなんで書類と睨めっこしてなきゃいけないんだよ! 私はゲームがしたいの! 温泉に入りたいのぉぉぉっ!!」

ドサッ、と。

ローゼリアは机の上に突っ伏し、ついに手足をバタバタとさせて駄々をこね始めた。

完全に、無理なタスクを押し付けられてパンクした現代の若手社員(あるいは子供)の姿であった。

「……………………」

そのあまりにも情けなく、しかし悲痛なエースパイロットの崩壊っぷりに、執務室にいたフィーネも、アルティナも、モニター越しのシエラも、完全にドン引きして沈黙してしまった。

「お、おい……大将。悪かったよ、急かして。スラスターの件は、アタシの権限で予備のジャンクパーツ組み合わせて何とかしておくからよ……」

職人気質のフィーネも、さすがに可哀想になったのか、少し気まずそうに頭を掻いた。

「そ、そうね……。経費の件は、とりあえずシエラに何とか地球の裏金口座から直接振り込ませるようにするわ。……だから、泣かないでちょうだい」

アルティナも、ローゼリアの背中をポンポンと軽く叩いて慰める。

「我が主……! 普段の威厳ある『妾』という一人称も最高ですが、テンパって完全に素が出ている『俺』や『私』も、ギャップがあって控えめに言って最高に尊いですぅぅっ! ああ、もっと私を理不尽に罵ってください!」

「リアンヌ! お前はいい加減にしろ! ちょっとは仕事手伝えよぉぉっ!!」

ローゼリアは、泣きながらリアンヌに丸めた書類を投げつけた。

その後。

エインヘリアルの執務室では、フィーネとアルティナ、そしてシエラが総出でローゼリアの事務作業を「サポート(という名の実質的な代行)」するという、奇妙な光景が繰り広げられることとなった。

「ほらローゼリア、ここはこうすれば予算内に収まるわ。だからここに印を」

「ううっ……アルティナ、お前優しいな……。おっぱいまな板とか言ってごめんな……」

「今その話は関係ないでしょ。次言ったら物理的にデリートするわよ」

「はい……」

「よォし、ここの決裁はアタシの方で全部書き直しておいたぜ。大将はハンコ押すだけでいいからな」

「フィーネ……ありがとう……。お前、ほんと有能なサブリーダーだよ……」

『マスター。軌道計算の修正プログラムはこちらで組んでおきました。承認ボタンだけ押してください』

「シエラ……お前がいなかったら船が爆発してたよ……」

優秀な(そして呆れ果てた)部下たちに完全におんぶに抱っこの状態になりながら、ローゼリアはどうにかこうにか、最低限の艦長代理業務をこなしていくのであった。

「(……団長。ブリュンヒルデ団長……。お主、毎日こんな地獄のようなタスクを、一人でさばきながら部隊の指揮を執っておったんじゃな……)」

ローゼリアは、決裁印を押す右手をプルプルと震わせながら、遥か彼方の地球で寿司を食っているであろう上官の偉大さを、身を以て痛感していた。

(早く……早く帰ってきてくれぇぇっ!! 妾には、トップの器なんて一ミリもないんじゃぁぁっ!!)

特異点にして銀河最強のエースパイロット。

彼女の無敵の伝説は、数枚の決裁書と膨大な行政事務の前に、いとも容易く完全敗北を喫したのであった。

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