第五幕 第二十六話:怒れる部隊長と、波乱の艦長代理就任
月の裏側にひっそりと停泊する、巨大な漆黒の母艦『エインヘリアル』。
その広大なメイン格納庫に、青き星・地球から帰還した四機のマギアナイトが、音もなく着艦した。
シューゥゥゥ……ッ。
冷却ガスの白煙が晴れると同時、先頭の『ルシフェル・リベリオン』のコックピットハッチが開き、一人の少女が意気揚々と飛び出してきた。
「ふははははっ! 大勝利じゃ! 見よ、この輝かしい戦利品の山を!!」
ローゼリア・エーベルヴァインは、両手に抱えきれないほどの巨大な紙袋をいくつも提げ、満面の笑みを浮かべていた。
紙袋の中には、最新の据え置き型ゲーム機本体、携帯ゲーム機、7年分の名作ソフトのパッケージ、さらには深夜アニメのブルーレイボックスから、秋葉原限定のフィギュアに至るまで、オタク文化の結晶がこれでもかと詰め込まれている。
続いて降りてきたアルティナやシエラ、そしてリアンヌの機体からも、次々と段ボール箱やカゴいっぱいのコンビニスイーツ、ジャンクフードの山が降ろされていく。
「いやー、7年ぶりの秋葉原は最高じゃった! 街の景色は少し変わっておったが、あの熱気は健在じゃ! さあ、リアンヌ! 早く妾の私室に最新のモニターをセッティングするのじゃ! 今夜は寝ずにゲーム三昧じゃぞ!!」
「はっ! 我が主の御心のままに! ただちに極上のゲーム空間を構築いたします!!」
リアンヌも、両手に大量のエナジードリンクとポテトチップスを抱えながら、忠犬の顔で歓喜の声を上げた。
地球への潜入(偵察)任務を、完全に「夏休みの買い出し」としてエンジョイし尽くした特異点と、それに付き従う戦乙女たち。
しかし、彼女たちが意気揚々と居住区画へ向かおうとした、その時である。
「…………随分と、楽しそうだな?」
格納庫の出入り口に、地獄の底から響くような、低く、冷たく、そして圧倒的な殺意を孕んだ声が響き渡った。
「ひぃっ!?」
ローゼリアの肩が、ビクゥッ! と大きく跳ねた。
ゆっくりと歩み出てきたのは、母艦エインヘリアルの全指揮権を握る部隊長、ブリュンヒルデであった。
彼女の顔には青筋がくっきりと浮かび上がり、背後には般若の幻影が見えるほどの凄まじいオーラが立ち上っている。その手には、分厚いデータパッドが握られていた。
「だ、団長……。お、お出迎えご苦労じゃ。ほれ、お土産に地球の『大福』という甘味を買ってきてやったぞ……?」
ローゼリアが引きつった笑いを浮かべ、震える手でコンビニの袋を差し出す。
ブリュンヒルデは無言のまま、手元のデータパッドをローゼリアの目の前に突きつけた。
「……現在、地球の主要SNSのトレンド第一位から第十位までを読み上げよう」
ブリュンヒルデが、絶対零度の声で宣告する。
「『赤いノワール現る』、『自衛隊機またも振り切られる』、『謎の赤いUFOの正体』、『宇宙人の侵略か』、『秋葉原に超絶美少女の外国人コスプレイヤー集団出現』……」
「あ、あわわわ……」
「貴様……。降下して5分で軍のスクランブルを受け、ステルスを起動し忘れて派手に逃げ回り、挙句の果てに秋葉原のど真ん中で堂々と買い物をしてパパラッチに写真を撮られまくるとはどういう神経をしているッ!!!」
「ぎゃああああっ!! お、お許しをぉぉっ!!」
ローゼリアは紙袋を放り出し、格納庫の床にスライディング土下座を決めた。
「アルカードの潜伏調査はどうした!? 現地のマナの動きは!? 貴様らが持ち帰ってきたのは、ジャンクフードと遊戯具の山だけではないか!」
ブリュンヒルデの怒声が、広大な格納庫にビリビリと反響する。
「そもそも、私がどれほどの書類仕事に追われていると思っている! 未知の星系での補給物資の計算、艦体のステルス維持のための魔力調整、おまけにお前たちがやらかした地球での騒動の事後予測……! 私はもう、三徹(三日間徹夜)しているんだぞ!!」
ブリュンヒルデの目の下には、タナカ店長よりもさらに深い、漆黒のクマが刻まれていた。エースパイロットの尻拭いと、過酷な管理業務によって、真面目な部隊長の精神と肉体は限界を迎えていたのだ。
「だ、団長……申し訳ない。妾が完全に悪かったのじゃ……。しかし、ゲーム機だけは、これだけは没収しないでくだされ……!」
土下座しながらもゲーム機を庇うローゼリアを見て、ブリュンヒルデの額の青筋がさらに一本増えた。
「……いいだろう。お前がそこまで言うなら、ゲーム機は没収しないでおいてやる」
「ほ、本当か!? さすがは団長、話が分かる!」
ローゼリアがパァッと顔を輝かせて顔を上げた、次の瞬間。
「その代わり。お前には、今回の命令違反と作戦放棄に関する『始末書100枚』の提出を命じる。……さらに」
ブリュンヒルデは、自分の脇に抱えていた、山のような『未処理の書類(データパッドの束)』を、ドサリとローゼリアの前に積み上げた。
「私のデスクに溜まっている、この母艦の管理業務のすべてを、お前が処理しろ」
「…………は?」
ローゼリアの口が、ぽかんと開いた。
「部隊長権限を以て、特命を下す。これより一週間、私、ブリュンヒルデは『特別有給休暇』を取得する。その間、ローゼリア・エーベルヴァイン、ならびにリアンヌ。お前たち二人を『艦長代理』に任命する」
ブリュンヒルデは、清々しいほどのドヤ顔で宣言した。
「な、ななな、なんじゃとーーーっ!?」
ローゼリアが絶叫する。
「か、艦長代理!? 妾が!? 無理じゃ無理じゃ! 妾はただ機体を操縦して敵を撃ち落とすことしかできん、ただのエースパイロットじゃぞ!? あんな複雑な兵站管理や人員配置など、脳みそが爆発してしまうわ!」
「安心しろ。優秀な電子戦システム(シエラ)がいる。分からないことがあれば彼女に聞け。始末書を書き終え、すべての書類に承認印を押し終わるまで、そのゲーム機には一切指を触れるなよ」
ブリュンヒルデは、悪魔のような冷酷な笑みを浮かべた。
一方、一緒に艦長代理に指名されたリアンヌは。
「か、艦長代理……! 我が主と二人で、このエインヘリアルのトップに君臨する……! ああっ! つまりこれは、実質的な夫婦としての共同作業……! 宇宙を統べる玉座に、二人で並び立つということですね!?」
完全に思考がピンク色に染まり、一人で悦に浸って身悶えしていた。
「リアンヌ! 喜んでおる場合か! 妾はゲームがしたいんじゃ! 艦長になどなりたくないんじゃぁぁっ!」
「我が主! ご安心を! 書類仕事など、愛の力ですべて私が片付けてみせ……」
「駄目だ。リアンヌはお前の補佐だ。最終的な決裁と始末書は、ローゼリア、お前自身が必ずやれ。私が戻ってきた時に一枚でも書類が残っていれば……そのゲーム機のディスクを、一枚ずつ私の手で真っ二つに割ってやるからな」
「ひぃぃぃぃっ! 悪魔! ブリュンヒルデの悪魔ぁぁっ!!」
ローゼリアは、愛しのゲームソフトを守るため、涙目で書類の山に抱きついた。
「さて……」
ローゼリアを絶望の淵に突き落としたブリュンヒルデは、くるりと踵を返し、傍らに控えていたウルスラに向き直った。
「ウルスラ。私の『地球観光用』の偽装はできているな?」
「はい、団長。シエラのデータをもとに、現地の『大人の女性の休日』を意識したコーディネートをご用意しております」
ウルスラが端末を操作すると、ブリュンヒルデの着ていた厳格な軍服が、シックな黒のキャミソールワンピースに、薄手の白いカーディガンを羽織った、洗練された美女の装いへと変化した。髪も少し緩くまとめられ、普段の堅物な指揮官の面影はない。
「よし。ステルス輸送艇の準備は?」
「すでに射出カタパルトにて待機中です。もちろん、今回は『ステルス起動ボタン』の横に威嚇用のボタンなど配置しておりませんので、安全に降下可能です」
ウルスラが、床で泣いているローゼリアをチラリと見て皮肉を言う。
「待て、団長! まさかお主、今から地球に行く気か!?」
書類の山から顔を上げたローゼリアが叫ぶ。
「当然だろう。休暇だと言ったはずだ。シエラの調べによれば、この日本という国には『温泉』という素晴らしい文化と、『寿司』という極上の海鮮料理があるそうだな。日頃の激務で凝り固まった肩を癒し、美味いものを食って、ついでにアルカードの痕跡がないか優雅に単独調査してくる」
ブリュンヒルデは、エインヘリアルに着任して以来、初めて見せるような「ウキウキした足取り」で輸送艇のハッチへと向かっていく。
「ずるい! 妾も温泉に行きたい! 寿司を食いたいんじゃぁぁっ!!」
「艦長代理、職務に励め。……では、行ってくる」
シュゥゥゥ……ッ。
無情にも輸送艇のハッチが閉まり、ブリュンヒルデを乗せた小型艇は、完璧なステルス状態で音もなく地球へと降下していってしまった。
数時間後。
エインヘリアルの中枢、艦長専用の執務室。
「ううっ……終わらん……。なんじゃこの『第参格納庫の予備パーツ発注書』とか『ルミナス軌道上のデブリ除去計画の決裁』とか……文字ばかりで目が滑るのじゃ……」
普段はブリュンヒルデが座っている重厚なデスクで、ローゼリアは羽ペン(電子ペン)を握りしめながら、死にそうな顔で書類と格闘していた。
目の前には、まだ半分以上残っているデータパッドの山。そして、横には「始末書(21枚目)」と書かれた反省文の束が置かれている。
『……マスター。計算が間違っています。その予算配分では、次期主砲のメンテナンス費用が三割不足します』
傍らに立つシエラが、容赦のないダメ出しをしてくる。
「ええいっ! もう適当でよいではないか! どうせルミナスには敵などおらんのじゃから!」
「我が主! お疲れのようですね! どうかこのリアンヌの膝枕で、ごゆっくりと……!」
「お主は少し黙っておれ! 補佐ならこの書類を代わりに読んで要約しろ!」
「はっ! 喜んで! ええと、『魔力炉の冷却水循環システムの異常に関する報告』……要約しますと、我が主の美しさに魔力炉も熱を上げているということです!」
「真面目にやれぇぇっ!!」
特異点にして帝国最強のエースパイロット、ローゼリア・エーベルヴァイン。
彼女にとっての真の地獄は、アルカードの巨大魔獣でも、地球の最新鋭戦闘機でもなく……『終わりの見えない行政手続きと書類仕事』であった。
「うわぁぁぁん! 団長のバカァァッ! 早く帰ってきて妾をゲーム機に解放してくれぇぇっ!!」
艦長代理となったローゼリアの悲痛な叫び声が、月面の裏側にある母艦の通路に、虚しく響き渡り続けていた。
一方その頃、休暇をもぎ取ったブリュンヒルデは、地球の老舗旅館で極上の露天風呂に浸かりながら、至福のため息を漏らしているのだが……それはまた、別の話である。




