第五幕 第二十二話:星海の散歩と、見覚えのある氷の星
期末試験の重圧と、生身の運動神経ゼロによる日常的な「転倒・激突」のストレスから解放されるため、ローゼリアは週末を利用して密かに母艦エインヘリアルへと帰還していた。
「ふはははっ! やはり宇宙は最高じゃ! 転ぶ心配もないし、息切れすることもない! これぞ真の自由空間じゃな!」
漆黒の宇宙空間。
惑星ルミナスの衛星軌道上を、真紅と漆黒の超高性能マギアナイト『ルシフェル・リベリオン』が、水を得た魚のように滑らかな軌道を描いて舞い踊っていた。
生身の不自由な肉体を離れ、機体と魔力リンクで完全に同期したローゼリアにとって、宇宙は己の四肢を思うままに伸ばせる最高の遊び場であった。
「ああ……なんという優雅で気高い飛翔……! 漆黒の宇宙すらも、我が主を引き立てるための単なる黒いベルベットに過ぎないという事実……! 尊い……尊すぎます……!!」
ルシフェル・リベリオンの斜め後方を、一機の白銀のマギアナイトがピッタリと追従していた。
流線型の美しい装甲に、巨大な光の槍を携えた近衛専用機『ブラン』。搭乗しているのは、普段はブリュンヒルデの補佐として書類の山に埋もれている忠犬、リアンヌである。
今回は、連日のお留守番と書類処理を文句一つ言わずにこなした彼女へのご褒美として、特別にローゼリアと二人きりの「宇宙のお散歩」が許可されたのだ。
『はぁ……はぁ……ローゼリア……私の、ローゼリア……!』
通信回路から、リアンヌのひどく荒い息遣いが聞こえてくる。
「む? どうしたリアンヌ、魔力酔いか?」
『いえ……ずっと、ずっとお側にいられなくて……私の血中の「ローゼリア成分」が著しく欠如し、乾きで死にそうだったのです……! 今、こうして同じ宇宙の真空を共有し、貴女様の放つ魔力の残滓を全身で浴びているだけで、細胞の隅々まで喜びで打ち震えておりますぅぅ……!』
言うが早いか、リアンヌの搭乗する白銀の機体ブランが、信じられないほどの精密起動でルシフェル・リベリオンのすぐ横に寄り添い、装甲同士が触れ合うか触れ合わないかの距離で、スリスリと甘えるように機体を擦り寄せてきた。
「こ、こらリアンヌ! 近い、近すぎるぞ! 宇宙空間で機体同士をぶつけたら姿勢制御が狂うじゃろ!」
『ああ……我が主の機体の熱……伝わってきます……! このまま二人で銀河の果てまで逃避行いたしましょう! ええ、もうあの忌まわしい書類の山にも、野蛮な現地の星にも戻る必要はありません! 私たち二人だけの、愛の星間国家を築くのです!!』
リアンヌのコックピットからは、通信越しにもピンク色の花吹雪が舞っているのが幻視できるほど、限界突破した歓喜といちゃつきのオーラが溢れ出していた。
「こらこら、暴走するでない。妾はあのアランやレイラとの平凡な学園生活(という名の箱庭)も気に入っておるんじゃからな。それに、お主には頼りにしておるんじゃぞ」
ローゼリアが苦笑しながらたしなめると、ブランの動きがピタリと止まった。
『っ……! 「頼りにしている」……ああっ!! なんという至高の褒め言葉! このリアンヌ、我が主のそのお言葉だけで、あと一万年は書類仕事と戦えます!!』
チョロすぎる忠犬を適当にあしらいつつ、ローゼリアは機体の姿勢制御スラスターを軽く吹かした。
「それにしても、この宙域は邪魔な岩石も少なくて飛びやすいのう。……ん?」
ローゼリアが、ルシフェル・リベリオンの広域光学センサーを何気なく星系の外縁部へと向けた時のことだった。
メインモニターの端に、一つの小さな天体が映り込んだ。
それは、太陽(ルミナスの恒星)から遥か遠く離れた、暗く冷たい宙域に浮かぶ氷の小天体だった。
サイズとしては月よりも小さく、大気は薄い。
しかし、ローゼリアの真紅の瞳は、その天体の地表に刻まれた『ある特徴的な模様』に釘付けになった。
「(……なんじゃ、あの星。表面の氷の平原が、巨大な『ハート型』に見えるのう……)」
ローゼリアの脳内に、前世——地球で一人暮らしをしていた頃に、ニュースか何かで見た天体写真の記憶がフラッシュバックした。
「(ハート型の模様がある氷の星……? まさか、いやそんな馬鹿な。ただの偶然の一致じゃろ。ここは剣と魔法の世界ルミナスじゃぞ?)」
しかし、一度気になり始めると、隅々まで探索せずにはいられないのが彼女の気質である。
ローゼリアは通信回路を母艦エインヘリアルへと切り替えた。
『——ブリュンヒルデ団長、おるか? 妾じゃ』
『どうした、ローゼリア。散歩に飽きたのか? それともリアンヌの重すぎる愛に耐えきれず逃げ帰りたくなったか?』
ブリュンヒルデの、疲労の滲む低い声が返ってくる。(リアンヌが抜けたため、現在彼女が一人で書類仕事をしているのだ)
『違うわ! 少し気になる天体を見つけてな。……母艦のメインセンサーで、この星系(ルミナスの属する太陽系)全体の広域スキャンを行ってくれんか? 恒星の波長と、各惑星の配置、それと成分の解析じゃ』
『広域スキャンだと? 構わないが、今更この辺境の星系を調べてどうするつもりだ』
『いいから、頼むのじゃ! シエラ、解析を任せるぞ!』
『……了解しました。マスター・ローゼリア』
ブリュンヒルデに代わり、電子戦のスペシャリストであるシエラの無機質な声が響く。
『母艦エインヘリアルのメインセンサー、最大出力に設定。星系内の全天体データをスキャンし、記録と照合します。……解析終了まで、約三十秒』
ローゼリアは、操縦桿を握る手にじわりと汗をかくのを感じた。
(もし、もし妾の推測が正しかったら……!)
『……スキャン完了。各天体のデータが出揃いました』
三十秒後、シエラの声が通信回路に届く。その声には、彼女にしては珍しく、微かな『戸惑い』のようなものが混じっていた。
『マスター・ローゼリア。……信じがたい結果が出ました。スキャンしたデータを、我々のデータベースの星図アーカイブと照合したところ、一致率が【99・99%】を超えました』
「な、なんじゃと……!?」
『報告します。ルミナスが周回している恒星は、G型主系列星。
そして、この星系には八つの主要な惑星が存在します。
内側から、水星型、金星型の岩石惑星。
そして第三惑星である『ルミナス(現在地)』。
第四惑星に、酸化鉄に覆われた赤い惑星(火星)。
さらに外側に、巨大なガス惑星が二つ(木星・土星)、巨大氷惑星が二つ(天王星・海王星)。
……そして、星系の最外縁部には、マスターが先ほど観測したハート型の地形を持つ準惑星(冥王星)が存在しています』
シエラが淡々と読み上げるデータに、通信を聞いていたブリュンヒルデやロスヴァイセたちも絶句した。
『馬鹿な……。恒星のタイプから惑星の配置、質量の比率まで、完全に一致しているだと?』
ブリュンヒルデが驚愕の声を漏らす。
『では、我々が強制転移で飛ばされてきたこの銀河は……』
「天の川銀河……『地球圏』じゃ!!」
ローゼリアは、コックピットの中で立ち上がりそうになるほど身を乗り出した。
「間違いない、間違いないぞ! あのハート型の星は『冥王星』じゃ! ということは、ルミナスがあるこの場所は……『地球』があった星系ということになるではないか!!」
『ち、地球……? 我が主、それはあの、旧連邦の記録のさらに奥底、おとぎ話として語り継がれている『人類発祥の祖なる星』のことですか!?』
リアンヌも、信じられないというようにブランをルシフェル・リベリオンの横に寄せてきた。
「(そうじゃ! 妾の前世の故郷! 娯楽とネット通販とクーラーの効いた快適な部屋がある、あの至高の楽園じゃ!!)」
ローゼリアの心臓が早鐘のように鳴り響く。
剣と魔法のファンタジー世界だと思っていたルミナスは、なんと地球と同じ太陽系(の第三惑星)だったのである。
『……しかし、マスター。一つ致命的な矛盾があります』
シエラが、冷静にデータを補足した。
『この第三惑星は、現在『ルミナス』と呼ばれており、大陸の形状も、大気の魔力濃度も、我々の知る地球の記録とは全く異なります。……可能性としては二つ。一つは、ここが我々の知る宇宙とは別の『並行世界』の太陽系である可能性。
そしてもう一つは……』
「……地球が、何らかの理由で一度滅び、途方もない年月を経て『ルミナス』という魔法の星として新生した……『超未来の地球』である可能性、か」
ブリュンヒルデが、重々しい声で推測を口にした。
「(な、なんじゃと……!?)」
ローゼリアの歓喜の表情が、ピタリと固まった。
(つまり……妾の愛した娯楽も、深夜アニメも、ネット環境も、すべて何万年も前に滅んだ後かもしれないということか……!? そんな、そんな絶望的な終末設定、聞いておらんぞ!!)
『いずれにせよ、我々が現在いる座標が『地球圏』であることは間違いありません。……アルカードの奴らが、なぜこの辺境の星系に固執し、神殿を築いていたのか。その理由も、この星の『過去』に隠されているのかもしれませんね』
シエラの言葉に、通信回路に重い沈黙が落ちた。
『我が主……! この星がかつての祖なる星であろうとなかろうと、私の貴女への愛と忠誠は永遠に変わりません! 不安な時は、いつでもこのブランの胸に飛び込んで……!』
「リアンヌ、お主は少し黙っておれ」
ローゼリアは、再び擦り寄ってこようとするブランを手で制しつつ、メインモニターに映る青と緑に輝く惑星『ルミナス』を見つめ直した。
剣と魔法、エルフや魔獣が闊歩する世界。
しかし、その星の地下深くには、アルカードという秘密結社が潜み、空には冥王星が浮かんでいる。
「(……単なる剣と魔法の異世界だと思っていたが、どうやら世界の裏側にはとんでもなく重い秘密が隠されていたようじゃな)」
ローゼリアは、深々とため息をついた後、再び凶悪な笑みを浮かべた。
「ふはははっ! 面白いではないか! 並行世界であろうと、超未来であろうと関係ない! この星に隠された世界の秘密を暴き、アルカードの企みを全て粉砕してやる! そして……もし本当に未来の地球なら、古代遺跡からゲーム機の発掘を狙うのじゃ!!」
『……最後の一つがマスターの本音ですね』
『まあ、大将らしくていいんじゃねえか?』
呆れるシエラと、笑うランドグリーズの声が響く。
宇宙の深淵で見つけた、ハート型の氷の星。
それがもたらした真実は、特異点ローゼリアの学園生活に、世界の根幹を揺るがすような壮大なスケールの謎を突きつけることとなった。
「さあ、帰るぞリアンヌ! 散歩は終わりじゃ! これから忙しくなるぞ!!」
『はっ! どこまでも、地の果て宇宙の果てまでも、我が主にお供いたします!!』
漆黒と白銀の二機のマギアナイトは、太陽系の真実を胸に秘め、青き星ルミナスへと再び降下していく。
物語は単なる学園防衛戦を越え、星の記憶と宇宙の理を巡る、新たなる幕開けを迎えようとしていた。




