第五幕 第二十一話:絶望の古龍と、星を駆ける鋼の戦乙女たち(後編)
ファルガー魔法学院の上空、赤黒い瘴気の雲が渦巻く空に、三筋の鮮烈な光が走った。
ルミナス王国の神話にすら「世界を終わらせる厄災」として恐れられる全長百メートル超の『深淵の魔竜』。
その眼前に立ち塞がったのは、天空より飛来した三機の鋼の巨人——母艦エインヘリアルが誇る超高性能機体、戦乙女であった。
『GYURRRRUUUUUUッッ!!』
突如現れた未知の敵に対し、魔竜が六つの赤い複眼をぎらつかせ、大気を震わせる咆哮を上げた。
空を覆うほどの六枚の禍々しい翼が羽ばたき、突風がグラウンドの砂を巻き上げる。魔竜は、その巨大な右腕——山をも容易く抉り取る漆黒の爪を、先頭を駆ける真紅と漆黒の巨人『ルシフェル・リベリオン』に向けて無造作に振り下ろした。
ただの物理的な一撃ではない。爪の先端には、触れるものすべてを腐らせる高濃度の瘴気が纏わりついている。ルミナスの歴史上、この一撃を正面から受けて生き延びた生き物は存在しない。
——しかし。
「ふはははっ! 遅い、遅すぎるのじゃ! そのような大振りな攻撃、止まって見えるわ!」
ルシフェル・リベリオンの完全密閉されたコックピットの中で、ローゼリア・エーベルヴァインは歓喜の声を上げた。
彼女は、決して「か弱き生徒」を演じていたわけではない。素の状態からして絶望的な運動音痴であり、生身では何もない平坦な廊下で自分の足に絡まって転倒し、実技の授業のランニングでは数十メートル走っただけで息切れして文字通り死にそうになっていた。あの脆弱な肉体のひ弱さは、全くの事実なのである。
だが、機体と魔力リンクで完全に接続された瞬間、その肉体的な制約は一切消え去る。彼女の超絶的な思考速度に、機体の各スラスターがコンマ一ミリの遅れもなく連動するのだ。
ルシフェル・リベリオンの背部スラスターが、真紅の炎を爆発的に噴き上げた。
鋼の巨人は、重力の概念を完全に無視したような鋭角的な軌道で、魔竜の巨大な爪を紙一重で回避する。
ズバァァァァァァァンッ!!
回避と同時。ルシフェル・リベリオンの右腕に握られた巨大な魔導大剣が、魔竜の死角から閃いた。
鈍い音と共に、空中に黒々とした血の雨(瘴気)が舞う。
『GYIIIIIIIIIIIIッ!?』
魔竜が、信じられないものを見るかのように自身の右腕に視線を向けた。
ルミナスの魔法使いたちが数百人がかりで魔法を叩き込んでも傷一つ付かなかった、強固な黒曜石の鱗。それが、ルシフェル・リベリオンの魔導大剣によって、豆腐のようにいとも容易く、肩の付け根からスッパリと斬り落とされていたのである。
「す……凄い……」
グラウンドでその光景を見上げていたアランが、握りしめていた剣を取り落とし、呆然と呟いた。
「なんだ、あの鉄のゴーレムは……。僕たちの魔法が全く効かなかったヒュドラ……いや、魔竜の腕を、たった一振りで……!」
「あんなゴーレム、魔法史の授業でも見たことがありません……。神様が、私たちを助けるために遣わしてくださった御使いなのでしょうか……」
レイラが、両手を胸の前で組みながら祈るように空を見上げる。
「あり得ない……。あんなデカ物が、どうしてあんな鳥みたいな速度で空を飛べるんだ……? 物理法則が狂ってる……!」
Aクラスのダリウスも、腰を抜かしたまま空の惨劇(魔竜にとっての)から目を離せずにいた。
空の彼方では、ローゼリアの蹂躙がなおも続いていた。
「さあ、お主の自慢の硬い鱗、どこまで耐えられるか試してやろうではないか!」
ルシフェル・リベリオンが空中で急旋回し、魔竜の背後へと回り込む。
魔竜は激痛と怒りに狂い、残った左腕と巨大な尾を振り回して反撃を試みるが、その攻撃はことごとく虚空を切るだけだった。
『アルティナ、シエラ! 援護は頼んだぞ!』
『了解よ。……いくら素材として売るとはいえ、あまり細切れにしないでよね』
紫の装甲を持つ電子戦機『ハルファス』のコックピットで、アルティナが優雅にコンソールを叩く。
魔竜が怒りに任せて口から広範囲の暗黒雷撃魔法を放とうとした瞬間、ハルファスから放たれた目に見えない魔力干渉波が、魔竜の周囲の空間マナを強制的に乱した。
『GY、GUUUUッ!?』
口内に圧縮されていたはずの雷撃が、術式の崩壊により口の中で不発に終わり、魔竜は自らの魔法の暴発で咽せ返る。
『——照準固定。全火器、解放』
その隙を逃さず、青と白の重装甲機『アリス・レギオン』が、機体の各部から無数の砲門を展開した。
シエラの無機質な声と共に、数百発の魔力弾と高圧縮魔力線が雨霰と降り注ぎ、魔竜の背中から生える六枚の翼を正確に撃ち抜いた。
ドガガガガガガガガガガッ!!!
『GYAAAAAAAAAAAッ!!』
翼を蜂の巣にされ、揚力を失った魔竜の巨体が、バランスを崩して高度を下げていく。
もはや、それは神話の厄災などではない。ただ一方的にサンドバッグにされる、図体の大きな哀れな蜥蜴でしかなかった。
「(ふはははっ! 我らの完璧な連携じゃ! この機動力、この圧倒的な破壊力! これぞ妾の真骨頂!)」
コックピットの中で、ローゼリアの血が沸き立っていた。
日頃、素の運動音痴ゆえに何もないところで転び、体力測定や実技試験のたびに本気で命の危機を感じていた彼女にとって、このマギアナイトの圧倒的な力と機動力は、不自由な肉体からの完全なる解放を意味していた。
「トドメじゃ! 綺麗に三枚おろしにして、エインヘリアルの食堂の食材に追加してやるわ!」
ルシフェル・リベリオンが、魔導大剣を両手で構え、スラスターの推力を最大まで引き上げた。
真紅の彗星と化した機体が、落下していく魔竜の巨体に向かって垂直にダイブする。
『G、GYYYYYOOOOOOOOOOッ!!』
迫り来る死神の刃を前に、魔竜の六つの複眼に初めて『明確な恐怖』が浮かんだ。
己が捕食者ではなく、狩られる側の獲物に過ぎないという事実を、絶対的な力を前にして本能で悟ったのだ。
魔竜は最後の足掻きとばかりに、残されたすべての生命力と瘴気を口元に集中させ、最大出力の『絶望の吐息』を放った。
グラウンドの結界を粉砕した、あの圧倒的な破壊の奔流が、ルシフェル・リベリオンを飲み込もうと迫る。
「危ないっ!! ゴーレムが焼き尽くされる!!」
下で見守っていた教師が絶叫する。
しかし、ローゼリアは微塵も恐れることなく、むしろ凶悪な笑みを深めた。
「その程度の光線で、妾の愛機を止められると思うな!」
ルシフェル・リベリオンの魔導大剣の刀身が、真紅の魔力を帯びて数倍の長さに膨張した。
機体は一切減速することなく、迫り来るアビス・ブレスの濁流の真正面から突っ込んでいく。
ズバァァァァァァァンッッ!!!
信じられない光景だった。
直径十メートルを超える高密度の瘴気のブレスが、ルシフェル・リベリオンの大剣によって、まるで水を切るように左右に真っ二つに切り裂かれたのだ。
切り裂かれたブレスは機体の両脇をすり抜け、遠くの山を二つほど消し飛ばしたが、中心を突き進む鋼の巨人には傷一つ付けることができない。
『G、GIIIIッ!?』
魔竜の絶望の悲鳴と共に。
ブレスの奔流を突破したルシフェル・リベリオンの魔導大剣が、魔竜の脳天から尾の先まで、一直線に振り下ろされた。
ドシュゥゥゥゥンッ……!!
一瞬の静寂。
空中で交差した鋼の巨人と魔竜の巨体。
次の瞬間、魔竜の巨大な身体の中心から、眩い真紅の光が漏れ出し——。
ズガァァァァァァァァァァァンッ!!!
ルミナス王国の歴史を揺るがす大爆発が、上空で花開いた。
神話の厄災と恐れられた深淵の魔竜は、その強靭な鱗も、膨大な瘴気も、何もかもを真っ二つに両断され、断末魔の叫びを上げる暇すらなく完全に沈黙した。
真っ二つに割れた魔竜の死骸が、地響きを立てて学院の敷地の外の森へと墜落していく。
ドズゥゥゥンッ! という重い振動が、討伐の完了をルミナスの大地に告げていた。
空には、瘴気の雲を切り裂くように差し込む午後の陽光。
その光を背に受けて、大剣を静かに下ろす漆黒と真紅の巨人、ルシフェル・リベリオンの姿があった。
「…………」
グラウンドにいたファルガー魔法学院の全員が、その神々しくも恐ろしい姿に息を呑み、沈黙した。
「勝った……。あの鉄の巨人が、たった一機で、魔竜を倒した……」
ダリウスが、信じられないものを見たように震える手で顔を覆う。
「凄い……! 凄すぎるよ、レイラ! 私たち、助かったんだ!」
アランが歓喜の声を上げ、レイラの手を強く握る。
「……でも、ローゼリアはどこだ!? 隕石が落ちた時、お花摘みに行くって言って土煙の中に走っていったけど……まさか、巻き込まれて……!」
アランが青ざめた顔で周囲を見回した、その時である。
『——マスター・ローゼリア。見事な剣捌きでした。これなら、ドラゴンの素材の買取価格も下がることはないでしょう』
上空のハルファスから、シエラの通信が届く。
『残骸の回収は、後ほどエインヘリアルの回収班に任せます。……それよりもマスター、これ以上目立つ前に、早く撤収して「お花摘み」から戻ったことにしないと、あなたの学友たちが本気で泣き出しますよ』
「おおっと! そうじゃった! 妾の運動神経では、あの土煙の中で迷子になっていてもおかしくないからのう! 早く戻らねば!」
ローゼリアは慌ててルシフェル・リベリオンの操縦桿を引き、機体を上空へと反転させた。
『全機、光学迷彩展開。母艦へ帰還するわよ』
アルティナの合図と共に、上空に滞空していた三機のマギアナイトが、空間に溶け込むようにフッと姿を消した。
「あ……消えた……?」
アランが目を丸くする。
「やっぱり、神様の遣いだったのかな……。ピンチの時に現れて、魔竜を倒して、空に帰っていった……」
生徒や教師たちが、姿を消した鋼の巨人たちに向かって、畏敬の念を込めて深く頭を下げ始めた。
彼らの中で、「謎の鉄のゴーレムは、学院の危機に現れる伝説の守護神である」という、壮大な勘違いの神話が、今まさに誕生した瞬間であった。
それから数分後。
「いやー、えらい目に遭ったのう! 妾、森の陰でお花を摘んで戻ろうとしたんじゃが、木の根っこに盛大につまずいて転んでしまってな! しかも空からピカッと光る鉄のゴーレムが降りてきて、あの大きなトカゲをスパッと斬るところを見て、腰を抜かしておったんじゃよ!」
グラウンドの端っこから、衣服に本物の泥と擦り傷を付けたローゼリアが、息を切りながら走ってきた。
実際に急いで走って戻ってくる途中で、素の運動音痴が災いして本当に木の根につまずき、顔面から派手に転倒してしまったのだ。
「ローゼリア!!」
アランとレイラが、涙ぐみながらローゼリアの元へと駆け寄る。
「よかった……! 無事だったんだね! 隕石の煙の中に消えていったから、僕、君が死んじゃったかと思って……! 泥だらけじゃないか、怪我はない!?」
アランが、安堵のあまりローゼリアの肩をガシッと掴む。
「無事で何よりです……! 本当に、神様に感謝しなければ……!」
レイラも、ハンカチで目元を拭いながら微笑んだ。
「ふ、ふはははっ! 心配をかけたな! しかし、妾は運だけは良いからな。ゴーレム様々じゃ!」
ローゼリアは、痛む鼻の頭をさすりながら、二人の肩を軽く叩いた。
(ふぅ、危ないところじゃった! 走って戻ってくる途中で盛大に転んでしまったが、おかげで良い言い訳ができたわい。これで妾がゴーレムのパイロットだとは誰も夢にも思うまい!)
彼女の脳内では、素の運動音痴によるガチの転倒が、結果的に完璧なアリバイ工作になったことに安堵の息を漏らしていた。
「でも、本当にあのゴーレムは何だったんだろうな……。魔法陣も詠唱もなしで空を飛んで、あんな巨大な剣を振り回すなんて。ルミナスの技術じゃないみたいだった」
アランが、まだ興奮冷めやらぬ様子で空を見上げる。
「きっと、遥か昔の神代の時代に作られた、伝説の魔導兵器ですよ。私たちが諦めずに結界を守ろうとしたから、力を貸してくれたんだと思います」
レイラが、両手を胸の前で合わせてロマンチックな解釈を語る。
「うむ! その通りじゃな! 伝説の魔導兵器! 良い響きじゃ!」
ローゼリアは、自分の愛機が神格化されていることに満更でもない様子で、大きく頷いた。
その頃、離れた場所では。
「おのれ、アルカードめ……。こんな恐ろしい魔竜を学院に放つなど、断じて許されることではない。……しかし、あの鉄の巨神の力、なんという美しさだ」
ダリウスが、先ほどの絶望をすっかり忘れ、鋼の巨人の圧倒的な力に魅了されたような顔で呟いていた。彼の中で、何か新しい価値観が芽生えつつあるようだった。
かくして。
秘密結社アルカードが総力を挙げて仕掛けた、ファルガー魔法学院殲滅作戦『深淵の宴』。
彼らが何百年もかけて育て上げた究極の生体兵器『深淵の魔竜』は、特異点たる少女の圧倒的な武力によって、文字通り塵芥のごとく粉砕されたのである。
敵の幹部を音もなく消し去り、一万の軍勢を結界で蒸発させ、最後は規格外の鋼の巨人で古龍を三枚おろしにする。
もはやどちらが「世界を終わらせる厄災」なのか分からないほどの無慈悲な蹂躙劇であったが、当のローゼリア本人は、ただ「派手な防衛戦が終わった」程度にしか感じていなかった。
「さて! 邪魔者もいなくなったことじゃし、図書館に戻って魔法史のノートの続きをやるかの!」
「えっ!? ローゼリア、こんな大騒ぎの直後にまだ勉強する気なの!?」
「当たり前じゃ! 来週は期末試験じゃぞ! 学生たる者、赤点を取るわけにはいかんからな!」
傾きかけた夕陽の下。
未だ混乱と歓喜に包まれるグラウンドを背に、銀河最強の死神は、親友たちを引き連れて呑気に図書館へと戻っていく。
未知の星ルミナスにおける、特異点ローゼリアの無自覚な無双と勘違いに満ちたスクールライフは、この日を境にさらなる混沌の渦へと加速していくことになるのだが……それはまた、別の話である。




