第五幕 第二十話:絶望の古龍と、星を駆ける鋼の戦乙女たち
アルカードの第一使徒ゼクスの野望は、あまりにもあっけなく、そして無慈悲に粉砕された。
上空に投影されていたホログラムの幻影が、シエラの放った不可視の高圧縮魔力線によって弾け飛び、ノイズと共に完全に消失する。それを合図とするかのように、学院の周囲を取り囲んでいた赤黒い結界の外の軍勢も、次々とその動きを止めていった。
グラウンドで絶望に打ちひしがれていた生徒や教師たちは、結界の向こう側で起きている信じがたい光景に、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
無敵を誇った不死騎士団は、見えない防壁に触れた端から音もなく塵となり消え去り、後方に控えていた数千のキメラ魔獣群は、森の奥から突如として発生した正体不明の暴風と超重力によって、ミンチのごとくひしゃげて大地に沈んでいく。
「終わった……のか?」
ダリウスが、手にした杖を震わせながらポツリと呟いた。
「俺たちは、助かったのか……? 伝説の絶対防衛陣が、アルカードの軍勢を退けた……!」
「おおおおおっ!!」
「勝った! 我がファルガー魔法学院の勝利だぁぁっ!!」
誰かが上げた歓喜の叫びを皮切りに、グラウンドは爆発的な熱狂に包まれた。
生徒たちは抱き合い、教師たちは涙を流して天を仰ぐ。迫り来る圧倒的な死の恐怖から解放された安堵感が、学院全体を震わせていた。
「(ふははははっ! 実に愉快、痛快じゃな! これぞ正義が勝つという王道の展開! 妾の張った結界と、レガリアたちの完璧な裏工作が合わされば、一万の軍勢など赤子をひねるようなものじゃ!)」
ローゼリアは、歓喜に沸く生徒たちの集団の中に紛れ込みながら、一人得意げに腕を組んで内心で高笑いを上げていた。
自らは一切手を下さず(自動迎撃ではあるが)、ただ後方に控えているだけで、すべてが己の思い通りに動いていく。これこそが、彼女の理想とする「裏で糸を引く実力者」の立ち回りであった。
「ローゼリア! よかった、君も無事で……!」
アランが、安堵の笑みを浮かべて駆け寄ってくる。
「本当に、奇跡が起きたみたいだ。僕たちの学院が、あんな大軍勢を退けるなんて!」
「はい! これできっと、また明日から普通の授業に戻れますね!」
レイラも、恐怖から解放されたのか、ポロポロと安堵の涙をこぼしながら微笑んだ。
「うむ! 全くもってその通りじゃ! 妾たちの輝かしい学園生活は、誰にも邪魔させるわけにはいかんからな!」
ローゼリアは、アランとレイラの肩をバンバンと叩いて笑い合った。
——しかし。
特異点たる彼女が望む「平穏な学園生活」は、どこまでも彼女の手からすり抜けていく運命にあったらしい。
ピキッ……。
歓声に包まれるグラウンドの真ん中で、ローゼリアの耳だけが、その不吉な音を捉えた。
それは、空気を伝う音ではない。次元の境目が、何らかの巨大な力によって内側からヒビ割れるような、物理法則が悲鳴を上げる音だった。
「……む?」
ローゼリアが眉をひそめ、空を見上げる。
ゼクスが消滅したにもかかわらず、学院の上空を覆う赤黒い瘴気の雲は、晴れるどころか、さらにその濃度を増していたのだ。
いや、違う。瘴気が一点に向かって、凄まじい速度で収束していく。まるで、天に巨大なすり鉢が開いたかのように、周囲の魔力が一つの点へと飲み込まれていく。
『——マスター・ローゼリア。状況に極めて重大な変化が発生しました』
ローゼリアの脳内に、再びシエラの冷徹なシステムボイスが響いた。
『第一使徒ゼクスの生命活動停止をトリガーとして、上空の瘴気の中心部より、ルミナスの魔法体系を凌駕する規格外の魔力質量反応が急激に膨張しています。……これは』
シエラが言葉を区切るよりも早く、空が『割れた』。
バリィィィィンッ!!
何千もの雷が同時に落ちたような凄まじい轟音と共に、赤黒い雲の中心に巨大な次元の亀裂が走った。
そこから溢れ出したのは、純粋な『死』と『絶望』そのものと言える、濃密すぎる瘴気の奔流であった。
「な、なんだ!? 今度は何が起きるんだ!?」
歓喜に沸いていた生徒たちの声が、一瞬にして凍りつく。
次元の亀裂をこじ開けるようにして、中から二つの巨大な『腕』が突き出された。
黒曜石のように硬質で黒光りする鱗に覆われ、先端には山すらも容易く抉り取るであろう鋭い爪が伸びている。
そして、その腕が亀裂を左右に引き裂いた直後——『それ』は、重々しい羽ばたきの音と共に、ゆっくりとファルガー魔法学院の上空へと姿を現した。
「あ……ああ……」
教師の一人が、持っていた杖を地面に取り落とし、白目を剥いてその場にへたり込んだ。
アランは剣を握る手をガクガクと震わせ、レイラは悲鳴を上げることもできず、ただ両手で口を覆って空を見上げた。
全長、百メートルを優に超える威容。
山羊のようにねじれた漆黒の巨大な角、六つの燃え盛る赤い複眼、そして空を覆い尽くすほどの六枚の禍々しい翼。
全身から滝のように赤黒い瘴気を滴らせるその姿は、ルミナス王国の神話や歴史書にすら『世界を終わらせる厄災』として記される伝説の存在。
秘密結社アルカードが、絶望の氷原の地下深くで何百年もの歳月をかけて封印し、深淵の瘴気を注ぎ込み続けてきた究極の生体兵器——『深淵の魔竜』であった。
『GYYYYRRROOOOOOOOOOOOOOッ!!』
魔竜が、天に向かって咆哮を上げた。
ただの鳴き声ではない。魔力を伴った物理的な衝撃波が、嵐のように学院へと降り注ぐ。
グラウンドの砂が巻き上げられ、周囲の木々が根元からへし折れ、校舎の窓ガラスが一斉に粉々に砕け散った。
「うわああああっ!?」
「きゃあああっ!!」
生徒たちは耳を塞ぎ、地面に伏せて衝撃に耐えるのが精一杯だった。その圧倒的な存在感と威圧感だけで、多くの者の意識が遠のきそうになる。
「(な、なんじゃあれは……! 完全にラスボスの第二形態ではないか! ゼクスの奴め、自分が死んだ時のためにあんなとんでもない隠し玉を用意しておったのか!)」
ローゼリアは、凄まじい強風の中でローブをはためかせながら、目を丸くして上空の魔竜を見上げた。
魔竜の六つの赤い複眼が、眼下のファルガー魔法学院を——否、その中心に立つローゼリアを正確に捉えていた。
その巨体が、ゆっくりと空中で鎌首をもたげる。
魔竜の大きく開かれた顎の奥で、周囲の空間を歪ませるほどの莫大な魔力が、赤黒い光の球となって圧縮されていく。
「(いかん、あれはブレスじゃ! まずいぞ、あの魔力密度は……!)」
ローゼリアが危険を察知した瞬間。
魔竜の口から、極太の破壊の奔流——『絶望の吐息』が、一直線に学院のグラウンドに向けて放たれた。
ズガァァァァァァァンッ!!
学院の敷地を覆っていた、ローゼリアの『虫除け結界改(絶対防衛陣)』が、凄まじい閃光と共にブレスを受け止める。
結界の表面に、防御を担う六角形の光のパネルが無数に浮かび上がり、ブレスの熱量と物理的破壊力を拡散・分子分解しようと激しく明滅した。
バチバチバチッ!! ギギギギギィィッ!!
結界とブレスがぶつかり合う接点から、空間を削り取るような不快な摩擦音が響き渡る。
「おおっ! 防御陣が、あの化け物の攻撃を防いでいるぞ!!」
ダリウスが、地面に這いつくばりながらも希望の声を上げた。
しかし、ローゼリアの表情は険しかった。
「(くっ……! 演算処理が追いつかん! そもそもあの結界のベースは、森の獣を避けるための原始的な術式じゃ。それに無理やり迎撃プログラムを詰め込んだだけゆえ、受け止められる魔力質量には限界がある!)」
魔竜は、ブレスの出力をさらに一段階引き上げた。
結界の表面に、ピキッ、と致命的な亀裂が走る。
「(耐えきれんか……!)」
パリンッ!!
という、ガラスが割れるような甲高い音と共に。
学院を絶対の安全圏として守っていた光のドームが、無数の魔力の破片となって四散した。
「結界が……破られたぁっ!?」
教師たちの絶望の叫びが響く。
結界を突破したブレスの余波が、グラウンドの端を直撃した。
それだけで、大理石でできた時計塔が根元から吹き飛び、大地がマグマのように赤熱して溶け落ちた。
学院は今、完全に丸裸の状態となった。
上空の魔竜が、ゆっくりと高度を下げ、その巨大な影でグラウンド全体を覆い隠す。
「撃てぇぇぇっ! 魔法を撃ちまくれ! 何としてもあの化け物を食い止めるんだ!!」
ダリウスが、顔を真っ赤にして血を吐くような声で叫んだ。
彼に呼応するように、Aクラスの上級生たち、そして教師陣が一斉に杖を天に掲げる。
「炎の精霊よ、灰燼と化せ! 『極炎の嵐』!」
「氷の刃よ、敵を貫け! 『氷雪の槍』!」
数百人規模の魔法使いたちが、己の命と学院を守るため、持てる全ての魔力を振り絞って大魔法の数々を空の魔竜へと叩きつけた。
空を覆い尽くすほどの炎と氷、そして雷撃の嵐が、魔竜の漆黒の巨体を包み込む。
轟音と共に上空で幾度も爆発が起こり、煙が魔竜の姿を覆い隠した。
「やったか……!?」
息を荒げながら、アランが煙の向こうを凝視する。
しかし。
煙が風に流されて晴れた後、そこに現れた光景は、彼らの心を根元からへし折るのに十分すぎるものだった。
『GYURRRUUU……』
魔竜は、何事もなかったかのように空中に留まっていた。
数百発の魔法の直撃を受けたはずの漆黒の鱗には、傷一つ、煤一つの汚れすら付いていない。ルミナス王国が誇る魔道士たちの渾身の攻撃は、あの古龍にとっては、文字通り「そよ風」程度の意味しか持たなかったのだ。
「そんな……嘘だろ……」
ダリウスの杖が、カランと音を立てて地面に落ちた。
「人間の魔法じゃ……傷一つ付けられないっていうのか……」
「アラン君……私、怖い……」
レイラが、ガタガタと震えながらアランの背中にしがみつく。
「大丈夫だレイラ、僕が絶対に守る……!」
アランは必死に声を振り絞り、折れそうな心に鞭打って安物の鉄剣を構えた。しかし、彼自身の足も、恐怖で微かに震えていた。
魔竜が、鬱陶しい虫を払うかのように、巨大な前足をゆっくりと振り上げる。
その矛先は、アランやレイラたちが集まっているグラウンドの中央であった。
「(……ここまでじゃな)」
その時。
彼らの背後で、全く恐怖の欠片も感じさせない、冷たく、そして凛とした声が響いた。
「ローゼリア……?」
アランが振り返る。
そこには、普段の「運動神経皆無のポンコツ少女」の面影は微塵もなかった。
真紅の瞳に銀河の星々のような冷徹な光を宿し、纏う空気そのものが、ただの学生から『絶対的な超越者』へと変貌しているローゼリアが立っていた。
「(妾は、この学園でアランやレイラと共に、平凡だが楽しい青春を過ごすつもりじゃった。……それを、あのような無粋なトカゲ風情に踏みにじられるなど、断じて許さん!)」
ローゼリアは、空の魔竜を鋭く睨み据えながら、脳内のローカル通信網を全開にした。
繋がる先は、遥か衛星軌道上に待機する、巨大なる鋼の城——母艦エインヘリアル。
『——ブリュンヒルデ団長! リアンヌ! 聞こえておるか!』
『……ああ、聞こえているぞ、ローゼリア』
通信の向こう側で、ブリュンヒルデの低く落ち着いた声が返ってきた。
『地上の惨状は、光学センサーで全て把握している。……お前の大切にしていた箱庭が、随分と荒らされているようだな』
『うむ! 激オコじゃ! あのような規格外の質量兵器を相手に、生身で戦えば妾の「普通の学生」という完璧な偽装が崩れてしまう!』
『結界が破られた時点で、もう十分に偽装は崩れていると思うが……まあ良い』
ブリュンヒルデが、ふっと笑う気配がした。
『——リアンヌ! 妾の愛機を、今すぐこのグラウンドへ射出せよ!』
『はっ……! お待ちしておりました、我が主!!』
通信回路から、歓喜と興奮で声が裏返ったリアンヌの叫びが響き渡った。
『アルカードの汚らわしいトカゲが我が主の尊き御前に平伏さぬのであれば、物理的に叩き潰すまで! 第一から第三カタパルト、展開! 射出経路の空間座標、固定完了!』
宇宙空間。
母艦エインヘリアルの巨大な艦首装甲がスライドし、漆黒の宇宙へ向けて三つの巨大なカタパルトが姿を現した。
『お嬢様、優雅なる反撃の準備が整いましたわ。大気圏突入時の耐熱フィールド、異常なし。いつでもいけます』
ロスヴァイセの、メイドらしからぬ完璧な管制オペレーションが続く。
『よし! いけぇっ、リアンヌ!』
『特異点ローゼリア専用機・ルシフェル・リベリオン、並びにアルティナ機、シエラ機! 全機、射出!!』
閃光。
エインヘリアルのカタパルトから、三つの鋼の巨人が凄まじい推進力と共に撃ち出された。
赤、紫、青の魔力光の尾を曳きながら、三機のマギアナイトは弾丸のような速度で大気圏へ突入し、大気との摩擦で全身を火球のように赤熱させながら、ルミナスの空へと落下していく。
——地上、ファルガー魔法学院。
魔竜が、その巨大な足をグラウンドの生徒たちへと振り下ろそうとした、まさにその瞬間であった。
「……あれは?」
ダリウスが、空を指差して声を上げた。
真っ昼間の空から、三つの『流星』が降ってきたのだ。
それは見る見るうちに大きくなり、魔竜の巨体と、生徒たちがいるグラウンドの間へと向かって一直線に落下してくる。
ズドガァァァァァァァンッッ!!!
天地を揺るがす凄まじい衝撃音と共に、三つの隕石がグラウンドの大地に突き刺さった。
あまりの衝撃に周囲の地面がクレーター状に陥没し、もうもうと立ち込める土砂と粉塵の煙が、魔竜の姿を完全に遮る。
「な、なんだ!? 隕石が落ちたのか!?」
アランが、腕で顔を庇いながら叫ぶ。
「アラン! レイラ! 妾は少し、お花摘みに行ってくるのじゃ!」
「えっ!?」
振り返ると、そこにはローゼリアの姿があった。
彼女は、魔竜の襲撃というこの絶望的な状況下で、なぜか満面の笑みを浮かべ、スカートの裾を翻して土煙のど真ん中へと駆け出していくところだった。
「ロ、ローゼリアさん!? どこへ行くんですか! そっちは危険です、逃げてください!!」
レイラが涙声で叫んで手を伸ばすが、ローゼリアの足は見た目とは裏腹に異常に速く、あっという間に濃密な土煙の中へと消えてしまった。
「ローゼリア!! くそっ、待ってろ、今助けに……!」
アランが剣を構えて後を追おうとしたが、その足はピタリと止まった。
土煙の向こう側から。
何か、とてつもなく巨大な『金属の駆動音』が響いてきたからだ。
ギュィィィィン……! ガションッ!!
魔竜が放つ瘴気とは全く異なる、洗練され、研ぎ澄まされた純粋な魔力の光が、土煙を内側から吹き飛ばした。
「あ……」
ダリウスが、アランが、レイラが。
そしてグラウンドにいた全ての人間が、言葉を失ってその光景を見上げた。
土砂の煙が晴れた後に大地に立っていたのは。
全長十数メートルに及ぶ、漆黒と真紅の装甲に包まれた、恐ろしくも美しい『鋼の巨人』であった。
その背には悪魔のような鋭い機械翼を展開し、両腕には、竜の首すらも一刀両断するであろう巨大な魔導大剣が握られている。
巨人の頭部に刻まれた真紅のメインカメラが、不気味な光を放って点灯した。
「……て、鉄のゴーレム……!?」
教師の一人が、腰を抜かしたまま震える声で呟く。
漆黒の巨人の両脇には、紫色のスマートな装甲を持つ電子戦機『ハルファス』と、青と白の重装甲を纏う『アリス・レギオン』が、完璧な陣形で付き従うように立っていた。
『——マスター・ローゼリア、ルシフェル・リベリオンのコックピットへの転送、完了しました』
漆黒の巨人の胸部、完全密閉されたコックピットの中で。
魔力リンクによって機体と直結したローゼリアが、操縦桿を握り締め、凶悪な笑みを浮かべた。
「ふはははっ! 待たせたな、アルティナ、シエラ! これより、我が学園の平和を脅かす不届きなトカゲの駆除作業を開始する!」
『了解。……全く、あなたはロボットに乗ると本当に活き活きするわね』
右に立つハルファスの中から、アルティナの呆れたような声が響く。
『対象、深淵の魔竜。……マスター、あのサイズであれば、解体して素材にすれば良い値で売れるかもしれません』
左に立つアリス・レギオンの中で、シエラが淡々と計算を始める。
「うむ! ならば傷をつけすぎんように、綺麗に三枚おろしにしてやるのじゃ!」
『GYURRRRUUUUUUッッ!!』
突然現れた自分と対等な(あるいはそれ以上の)力を持つ鋼の巨人たちを前に、魔竜が明確な敵意と警戒を露わにして、再び咆哮を上げた。
「さあ、いくぞお主ら! 伝説の古龍とやらがどれほどのものか、この銀河最強の戦乙女の力で、とくと味わわせてやるのじゃ!!」
ローゼリアの思考と完全に同期したルシフェル・リベリオンの背部のスラスターが、爆発的な真紅の炎を噴き上げた。
鋼の巨人は、重力を無視したかのような異常な速度で大地を蹴り、巨大な大剣を振りかざして、空を覆う魔竜の懐へと一直線に飛び込んでいく。
未知の星ルミナスの歴史上、誰も見たことのない神話の怪獣と超科学の鋼の巨人による、規格外の死闘の幕が、今ここに切って落とされたのである。




