表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
追放皇女の異世界戦記  作者: 浅井川亘


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
295/315

第五幕 第十九話:深淵の宴と、無慈悲なる虫除け結界

辺境都市ファルガーの空は、その日、見事なまでの秋晴れに恵まれていた。

高く澄み渡る青空の下、ファルガー魔法学院ではいつもと変わらぬ平和な午後の授業が行われており、グラウンドからは魔法実技の訓練に励む生徒たちの声が響いている。

「ふむ……この『古代精霊語のルーン解読』、なかなかに骨が折れるのう。これまでのどんな暗号よりもよほど複雑じゃ」

学院の大図書館の片隅。

ローゼリアは分厚い古文書と格闘しながら、羽ペンをくるくると回していた。

彼女の向かいの席では、アランとレイラが期末試験に向けた魔法史のノートを真剣な表情でまとめている。

「ローゼリアさん、そのルーンの配列、もしかして逆から読む法則じゃないでしょうか? 第三紀の文献だと、そういう暗号化がよくあるって先生が……」

「おお! なるほど、そういうことか! さすがはレイラじゃ、座学の知識もしっかり身についておるな!」

「えへへ……ローゼリアさんに教わった勉強法のおかげです」

レイラが照れくさそうに微笑み、アランも「僕も剣術だけじゃなくて、魔法陣の基礎くらいは覚えないとなぁ」と苦笑する。

ヒュドラ討伐の騒動から数日。彼らは「隠れた英雄」として学院中の注目を浴びるようになったが、こうして三人で集まる時間は以前と何も変わっていなかった。

ローゼリアにとっては、これこそが待ち望んでいた「平穏で楽しい学園生活」そのものである。

しかし、特異点たる彼女の運命は、決してそのような退屈な平穏を長く許してはくれない。

——ジジジジジッ……!!

突如として、窓から差し込んでいた暖かな陽光が遮られ、大図書館の空気が重く、冷たく変質した。

「えっ……? 空が……」

窓の外を見たレイラが、手元の羽ペンを落として息を呑む。

見上げれば、先ほどまで澄み渡っていた青空が、まるで血の池をひっくり返したかのような赤黒い『瘴気』に塗り潰されていた。

太陽の光は完全に遮断され、不気味な薄闇が学院全体を覆い尽くしていく。

カーン! カーン! カーン!

直後、学院の尖塔から、緊急事態を告げる大鐘の音がけたたましく鳴り響いた。

「な、なんだ!? 結界警報……!? 学院に何かが侵入したっていうのか!?」

アランが椅子を蹴立てて立ち上がり、窓際に駆け寄る。

「(……ほう! きたな、きたな! ついに悪の組織の襲撃じゃ!)」

ローゼリアも立ち上がり、真紅の瞳を期待に輝かせて窓の外を見つめた。

グラウンドや校舎から、教師たちに誘導されて生徒たちが続々と避難してくるのが見える。しかし、その彼らの足がグラウンドの中央でピタリと止まっていた。

逃げ場がないのだ。

学院の敷地全体を覆うように、半透明のドス黒い魔力のドーム——『絶対封鎖結界』が展開されており、外との物理的・魔法的な接触を完全に遮断してしまっていたのである。

「グラウンドへ向かうぞ、アラン、レイラ! 何が起きているのか確かめねばならん!」

「う、うん! レイラ、私から離れないで!」

三人は図書館を飛び出し、混乱の渦中にあるグラウンドへと駆けつけた。

そこには、数百人の生徒と数十人の教師陣が、空を覆う絶望的な赤黒い結界を見上げて青ざめていた。Aクラスの特待生であるダリウスたちも、杖を握る手をガタガタと震わせている。

「おい……見ろよ、あれ……学院の外……!」

ダリウスが、結界の外側を指差して絶望的な声を上げた。

ファルガー魔法学院を取り囲む広大な平原と森。そこは今、おぞましい異形の軍勢によって完全に埋め尽くされていた。

骸骨の馬に跨り、錆びた黒鉄の鎧を纏った『不死騎士デスナイト』の軍団。

ライオンの胴体に毒蛇の尾、そして山羊の頭を持つ巨大な『キメラ魔獣群』。

その数は、ざっと見積もっても八千から一万。ルミナス王国の精鋭騎士団ですら、正面からぶつかれば一時間で壊滅するほどの、文字通り「国を滅ぼす」規模の絶望的な大軍勢である。

ズシン、ズシン、ズシン……!

一万の軍勢が一歩を踏み出すたびに、大地が悲鳴を上げ、グラウンドにいる生徒たちの足元を恐怖と共に揺らした。

「そ、そんな……。あんな軍勢、勝てるわけがない……!」

「国が滅ぶぞ……! なんで、こんな辺境の学院に……!」

教師たちでさえも戦意を喪失し、膝から崩れ落ちる者が続出する。

『——恐怖に震えるが良い、矮小なるルミナスの魔道士どもよ』

突如、赤黒い結界の上空に、巨大なホログラムのような幻影が投影された。

漆黒のローブに身を包み、胸元に『茨と蝙蝠の十字架』の紋章を刻んだ男——アルカードの第一使徒、ゼクスである。

『我らは深淵の魔神の使徒、秘密結社アルカード。このファルガー魔法学院は、ただ今を以て我らの完全なる支配下に置かれた』

ゼクスの声は、魔法によって増幅され、学院中の人間の脳髄に直接響き渡った。

「あ、アルカード……? おとぎ話の、魔神の眷属だと!?」

「そんな馬鹿な、伝承の中だけの存在じゃないのか!」

絶望のどん底に突き落とされる生徒たち。

しかし、その中で一人だけ。

「(おおお〜っ! 悪役の長台詞! そして絶望的な大軍勢による包囲! これぞ王道の展開! 目が離せない劇的な場面じゃな!!)」

ローゼリアは一人、胸の前で両手をギュッと握り締め、感動のあまり瞳をウルウルさせていた。彼女にとって、この状況は物語のクライマックス以外の何物でもない。

『我々の目的は一つ。……この学院に隠れ潜んでいる、一匹の「特異点」の魂を刈り取ることだ』

ゼクスが、冷酷な笑みを浮かべて宣告する。

『無駄な抵抗はやめろ。学院の周囲は我々の一万の不死騎士と魔獣によって完全に包囲されている。大人しく降伏し、絶望と恐怖の中で我らが魔神の贄となるが良い。……全軍、進め!! 学院の防壁を打ち砕き、一匹残らず蹂躙しろ!!』

第一使徒ゼクスの号令と共に、一万の異形の軍勢が、地鳴りを上げて学院の防壁へと殺到した。

先陣を切るのは、痛覚を持たず疲労を知らない三千の不死騎士団である。彼らは槍を構え、黒い冷気を纏いながら、学院を覆う薄い外周防壁へと一斉に突撃を仕掛けた。

「ひぃぃぃっ! 来るぞ!!」

「魔法を撃て! 防壁を死守するんだ!!」

教師たちが半狂乱になって迎撃の詠唱を始めようとする。

誰もが、学院の防壁が数秒で紙屑のように踏み破られ、血みどろの虐殺が始まることを覚悟した。

——だが。

『——警告アラート。未登録の広域敵対魔力を多数検知』

『マスター・ローゼリアの特別権限により拡張された、学院全域防衛プログラム(通称:虫除け結界改)が作動します』

自動迎撃オート・インターセプト、完全解放』

グラウンドの中央に立つローゼリアの脳内で、シエラの無機質なシステムボイスが響いた。

「(うむ。野外演習の夜にテントに張った『獣避け』の結界……あまりにも便利じゃったから、寮の部屋の虫除けも兼ねて、こっそり学院の敷地全域に範囲を広げて改良しておいたのじゃ。さあ、どうなるかのう?)」

ローゼリアは、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。

直後。

学院の敷地の境界線、見えない防壁のラインに、不死騎士団の第一陣・約五百騎が一斉に激突した。

ジュッ……。

一切の爆発音も、衝撃音も、悲鳴すらなかった。

ただ、夜露が熱した鉄板に落ちて蒸発するような、極めて小さな音が連続して鳴っただけ。

激突したはずの不死騎士団は、結界の境界線に触れた瞬間、その骸骨の馬も、分厚い黒鉄の鎧も、術者によって込められた強大な呪力すらも——構成する全ての分子の結合を魔力で直接乖離され、文字通り『チリ一つ残さず(デリート)』空間から消滅した。

「…………え?」

上空に投影されていたゼクスの幻影が、間の抜けた声を漏らす。

学院のグラウンドで絶望していた教師や生徒たちも、杖を構えたまま完全に硬直した。

不死騎士団の突撃は止まらない。後続の騎兵たちが、前方の味方が「唐突にこの世から消え去った」ことなど理解できないまま、次々と結界のラインへと突っ込んでいく。

ジュッ、ジュッ、ジュッ、ジュッ、ジュッ……!!

一騎、十騎、百騎、五百騎……。

まるで透明な巨大な裁断機、あるいは底なしの穴に吸い込まれるかのように、アルカードが誇る無敵の不死騎士団が、境界線を越えた端から、音もなく、鮮やかに、原子レベルで消去されていく。

わずか十秒足らずで、三千騎いた不死騎士団は、血の一滴も、錆びた剣の欠片も残すことなく、全滅した。

「な……ななな、何が起きたぁぁぁぁっ!?」

ゼクスの絶叫が上空に響き渡る。

「私の……私の不死騎士団が……一瞬で消えた!? 馬鹿な! いかなる防衛魔法であろうと、三千の突撃を受ければ結界に波紋が生じるはずだ! なぜ、何の魔法的干渉も感知できずに蒸発するのだ!?」

それはもはや「防衛」という次元ではない。

エインヘリアルの対艦防空システム『イージス』の迎撃手順を限界まで圧縮・最適化し、学院全域に常時展開させた『戦術防衛兵器』。

それが、ローゼリアの言う「虫除け結界改」の正体であった。

「……す、すごい……!!」

沈黙していたグラウンドで、アランが震える声で叫んだ。

「消えた……敵が、結界に触れた瞬間に全部消えたぞ!!」

「こ、これが……我が魔法学院に古より伝わるという、伝説の『絶対防衛陣』ですか!?」

教師の一人が、完全に勘違いをして涙を流して歓喜の声を上げる。

「おおおっ! 学院の創設者である大魔道士様は、我々を見捨ててはおられなかったのだ!!」

「おおおおおっ!!」

「勝てる! これなら勝てるぞ!!」

生徒たちが一斉に歓喜の雄叫びを上げ、絶望の空気が一瞬にして希望の熱狂へと反転した。

「(ふははははっ! 実に扱いやすいのう! これで妾が結界を張ったとは誰も気づくまい!)」

ローゼリアは、周囲の生徒たちに紛れて「おおーっ!」と適当に両手を挙げながら、内心でガッツポーズを決めていた。

『——おのれぇぇぇっ! 結界班! 学院の防衛魔法の術式を解析し、外部から強制解除しろ!』

上空のゼクスが、パニックに陥りながらも命令を怒鳴り散らす。

『キメラ魔獣群! 突撃を一時停止しろ! 結界が解除されるまで待機だ!!』

アルカードの魔道士たちが必死に結界の解析を試みるが、ルミナスの原始的な魔法理論で、エインヘリアルの超高度な魔力暗号を解読できるはずもない。彼らの魔法は弾かれ続け、全く手出しができない状態に陥っていた。

『……ふふっ。随分と滑稽なダンスですわね、アルカードの使徒様』

その時、ゼクスの通信回路に、極めて優雅で、そして底冷えするほどに冷酷な女の声が割り込んできた。

『なっ……!? 誰だ! 我々の専用通信に干渉してきたのは!』

ゼクスが驚愕する。

『名乗るほどの者ではありませんわ。ただの……お嬢様の平穏なティータイムを守る、日陰の掃除人ですのよ』

ファルガー魔法学院から少し離れた、アルカードの軍勢の後方。

彼らが本陣を敷いていた森の奥深くに、二つの影が音もなく降り立っていた。

漆黒のドレスを纏ったレガリアと、巨大な戦斧を肩に担いだランドグリーズである。

「ガハハハッ! お前ら、大将の張った結界にビビって足が止まってるじゃねえか。だったら、今度はこっちから行かせてもらうぜ!」

ランドグリーズが、凄まじい魔力を斧に集束させ、大きく振りかぶった。

「吹き飛べやァァァァッ!!」

ズドォォォォォォンッ!!

ランドグリーズが一振りしただけで、アルカードの後方陣地を形成していた地形そのものが抉り取られ、土砂と暴風の津波となってキメラ魔獣群の背後から襲いかかった。

「ギャアアアアッ!?」

数千のキメラ魔獣が、悲鳴を上げる間もなく空の彼方へと吹き飛ばされ、圧死し、あるいはミンチとなって肉片を撒き散らす。

『な、なんだ!? 後方から未知の超高出力魔力反応!? 伏兵だと!?』

ゼクスがホログラムの中で狼狽する。

「あら。あまり騒がしくしては、学院にいらっしゃるお嬢様のご迷惑になりますわ」

レガリアが扇子を広げ、妖しく微笑む。

「……『重圧・絶対領域グラビティ・コフィン』」

彼女が扇子をパチンと閉じた瞬間。

アルカードの魔道士部隊や、空を飛んでいた飛行型の魔獣たちが、上空から何万トンという目に見えない鉄板で叩き潰されたかのように、一斉に地面に激突し、血反吐を吐いて絶命した。

『ば、化け物……! 貴様ら、特異点の眷属かぁぁっ!!』

「さあ、お掃除の時間ですわ。ランドグリーズ、一匹も逃してはなりませんよ」

「言われるまでもねえ! 骨の髄まで叩き潰してやる!」

一方、学院のグラウンドでは。

結界の外で、敵の大軍勢が突如として勝手に吹き飛び、潰れ、壊滅していくという謎の現象を、教師や生徒たちが口をポカンと開けて見つめていた。

「な、なんだ? 外で仲間割れでも起きてるのか……?」

ダリウスが信じられないものを見るように目を擦る。

「(うむうむ。レガリアとランドグリーズが、裏でちゃんと敵の気を引いて処理してくれておるな! さすがは妾の優秀な配下たちじゃ!)」

ローゼリアは、そんな凄惨な大虐殺が裏で行われていることなどおくびにも出さず、アランとレイラの肩をポンと叩いた。

「さあ、我らもただ見ているわけにはいかん! 学院の伝説の結界に護られている今こそ、反撃のチャンスじゃ! 撃ち漏らした敵が結界に近づいてきたら、お主らの魔法と剣で叩き落とすのじゃ! 妾が全力で支援魔法をかけてやるぞ!」

「う、うん! ローゼリアの応援があれば、なんだってできそうな気がするよ!」

アランが剣を抜き、決意に満ちた顔で頷く。

「わ、私も頑張ります! ファルガー魔法学院の生徒として、防衛に貢献します!」

レイラも杖を構え、恐怖を振り払うように叫んだ。

『お、おのれぇぇぇっ! ええい、こうなれば私自らが……!!』

完全にパニックに陥った第一使徒ゼクスが、上空のホログラムを解除し、自らの莫大な魔力を暴走させて結界に特攻を仕掛けようとした、その瞬間。

『——マスターの視界に、不快なノイズを映し出すことは許可しません』

ゼクスの背後に、光学迷彩を解除したアルティナとシエラが音もなく浮遊していた。

『なっ……!?』

『照準固定。対象の脳髄を直接焼き切ります。……さようなら』

シエラが、無機質な声と共に指先から不可視の高圧縮魔力線を放つ。

ゼクスの頭部は小石のように弾け飛び、彼の野望と恐怖は、一瞬にして虚空へと消え去った。

「ふはははっ! 籠城戦、最高じゃー!!」

ローゼリアの高らかな笑い声が、結界に守られた安全なグラウンドに響き渡る。

アルカードが総力を挙げて仕掛けた、ファルガー魔法学院殲滅作戦『深淵の宴』。

それは、特異点たる少女の無自覚な「虫除け結界」と、彼女を溺愛する戦乙女たちの過保護すぎる「裏の掃除」によって、わずか数分で完全に制圧されるという、敵側にとってこれ以上ないほど理不尽で悲惨な結末を迎えたのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ