第五幕 第十八話:暗躍する秘密結社と、迫り来る魔の手
大陸の最北端。ルミナス王国の版図から遥か遠く離れ、人間の生存を頑なに拒む極寒の地が存在する。
一年を通して吹き荒れる猛吹雪が視界を白く染め上げ、分厚い万年雪と永久凍土が地表を覆い尽くすその場所は、古より『絶望の氷原』と呼ばれていた。
大気を凍らせるような強風が吹きすさぶ中、氷原の中央部にポッカリと開いた巨大な亀裂がある。
それは自然にできたクレバスなどではなく、何者かの手によって人為的に、かつ魔法的な力で穿たれた奈落への入り口であった。
亀裂の奥底、地中深くへと何層も潜った先。そこには、地上の極寒とは打って変わって、地熱と赤黒い瘴気が充満する広大な空間が広がっていた。
岩肌をくり抜いて建造された、古代の遺跡を思わせる途方もなく巨大な神殿。無骨な黒曜石で築かれた太い柱が立ち並び、壁面には『茨の絡みついた蝙蝠の十字架』を象った冒涜的なレリーフが至る所に刻まれている。
神殿の至る所に配置された青白い炎を灯す篝火が、絶えず蠢く影を壁に投射していた。
ここは秘密結社『アルカード』の本拠地。自らを『深淵の魔神の使徒』と名乗る狂信者たちが、星の歴史の裏側で密かに力を蓄え続けてきた、呪われた聖域である。
神殿の最奥。
重厚な黒鉄の扉の向こうにある『円卓の間』では、蝋燭の仄暗い炎に照らされた漆黒の円卓を囲むように、数人の者たちが座していた。
彼らはいずれも、顔の半分を隠すような深いフードのついた漆黒のローブに身を包んでおり、その胸元にはアルカードの紋章が血のように赤い糸で刺繍されている。結社の頂点に君臨する幹部たち——『使徒』と呼ばれる存在であった。
「——報告します。ルミナス王国辺境、ファルガーの森に放った実験体四十二号の魔力反応が、完全に消失いたしました」
円卓の末席に座る下位の使徒が、乾いた機械的な声で静寂を破った。
実験体四十二号。それは彼らが深淵の瘴気を注ぎ込み、理性を破壊して純粋な殺戮兵器へと改造したAランク魔獣『ヒュドラ』のコードネームである。
「消失だと? 馬鹿なことを言うな。我らが深淵の瘴気を帯びたヒュドラが、あの程度の田舎の魔法使いどもに討伐されたというのか?」
円卓の右手に座る、痩せぎすの使徒が苛立たしげに声を荒げた。
「あのヒュドラは、単なるAランク魔獣ではない。物理的な斬撃を無効化するほどの硬質な鱗を与え、さらには首を刎ねられても瞬時に再生する呪術を何重にも施していたはずだ。ルミナスの魔法学院の教師どもが束になってかかったところで、足止めすらできまい」
「ええ、その通りです。ですから『討伐』という生易しいものではありません」
報告者の使徒は、一切の感情を交えずに手元の宝珠を起動した。
「実験体四十二号の眼球に組み込まれていた観測魔法の記録です。映像が途切れる直前の、最後の数秒間をご覧ください」
円卓の中央に置かれた巨大な水晶球が、淡い光を放ち始めた。
そこに映し出されたのは、鬱蒼とした森の広場。ヒュドラの視点から見下ろすように、三人の幼い学生たちの姿が映っている。
安物の鉄剣を構える亜麻色の髪の少年。震えながら杖を握る丸眼鏡の少女。そして、その後方で、一歩も動かずに杖を無意味にクルクルと回している金髪の少女。
「なんだ、これは? 学生の演習に紛れ込んだというのか? このような子供どもに、あのヒュドラが倒されたとでも……」
痩せぎすの使徒が鼻で笑いかけた、その瞬間である。
水晶球の映像の中で、信じられない現象が起きた。
丸眼鏡の少女が放った、お粗末な『火の粉』レベルの炎の矢。それが空中で突如として三つに分裂し、あり得ない軌道を描いて急旋回したのだ。
さらに、ただの炎だったはずのそれは、一瞬にして太陽のように眩い純白のプラズマ球体へと変貌を遂げた。
映像には音声がない。しかし、その純白の光がヒュドラの三つの首に直撃した直後、映像はノイズにまみれ、完全にブラックアウトした。
「…………な、なんだ、今の光は?」
円卓を囲む使徒たちが、一斉に息を呑んだ。
「観測魔法のログを解析した結果、あの純白の炎が着弾した瞬間、実験体四十二号の身体を構成する細胞は、再生の余地すら残さずに原子レベルで完全に消滅したことが判明しました」
報告者の声が、微かに震えていた。
「……ルミナスの魔法体系には、あのような術式は存在しません。マナの運用、空間の歪曲、熱量の変換効率、その全てが既存の魔法理論を根底から覆す、規格外の演算魔法の痕跡です。さらに恐ろしいことに、あの炎を放った少女自身には、あれほどの魔力を行使した形跡が全く見られませんでした」
「馬鹿な……! では、あの魔法は一体どこから放たれたというのだ!? 魔法陣の展開も、詠唱による大気中のマナの集束もなしに、あのような超絶な現象が起きるはずが……!」
使徒たちが動揺し、円卓の間が騒然となる中。
円卓の最奥に座る、一際装飾の豪華なローブを着た男が、静かに喉の奥で笑い声を漏らした。
「くくく……ふははははっ!」
「大司教、様……?」
使徒たちの視線が、一斉に結社の最高指導者であるその男へと集まる。
ヴォルギス。そう呼ばれる大司教は、深いフードをゆっくりと後ろに払い、青白い顔と、狂気に満ちた金色の双眸を露わにした。
彼の顔には、顔の右半分を斜めに切り裂くような、醜く古い火傷の痕が残っている。
「……見つけた。見つけたぞ。やはり、我々の網に掛かったか」
ヴォルギスは立ち上がり、愛おしそうに水晶球を撫でた。
「貴様らは気づかなかったようだが、映像の最後に、あの少年少女の後ろに立っていた金髪の娘……。あの娘の指先が、ほんの僅かに動いていたのを、私の眼は逃さなかったぞ」
「あの、後方にいた娘が……原因だと?」
「ああ。間違いない。この宇宙の理を無視し、大気中のマナを『ハッキング』して物理法則を直接書き換える、神をも恐れぬその暴虐の演算能力。……まさか、次元の狭間に落としてやったにも関わらず、しぶとく生き延びていたとはな」
ヴォルギスの脳裏に、かつての屈辱と恐怖の記憶が蘇る。
彼らアルカードの真の故郷は、このルミナスという星ではない。遥か彼方の銀河、星々を股にかける巨大な宇宙艦隊の司令官こそが、ヴォルギスのかつての姿であった。
しかし、彼らの艦隊は、たった一隻の母艦と、そこに所属する数名の『戦乙女』によって、文字通りチリも残さず殲滅されたのだ。
漆黒と真紅の機体を駆り、宇宙空間を舞うように艦隊を沈めていった、美しくも恐ろしい死神。
ヴォルギスは艦を捨て、次元の狭間を開く禁忌の兵器を起動させることで、辛くも死神たちを異次元へと追放することに成功した。そして自らも次元の渦に巻き込まれ、この未知の魔法の星『ルミナス』へと漂着したのである。
「あの忌まわしき光の残滓……大いなる世界法則の綻びたる特異点、ローゼリア・エーベルヴァインとその眷属たちが、我々と同じこの星にいる!」
ヴォルギスの声には、底知れぬ悪意と、身の毛もよだつような狂気じみた歓喜が混じっていた。
「大司教様。それは、誠ですか……。あの『特異点』が、この星に……?」
使徒の一人が、恐怖に顔を引き攣らせる。宇宙規模の災害とも呼べる彼女たちの恐ろしさを、彼ら幹部は身を以て知っていたからだ。
しかし、ヴォルギスは両腕を天高く掲げ、狂喜の笑みを深めた。
「恐れることはない! むしろ喜べ、同胞たちよ! 我らが神、深淵の魔神を完全なる姿でこの星に復活させるためには、膨大で純粋な『特異点としての魂』が不可欠なのだ! 彼女の無限の魔力こそが、魔神の器を満たす最高の贄となる!」
ヴォルギスの言葉に、恐怖に震えていた使徒たちの瞳にも、次第に狂信的な光が宿り始める。
「奴らは我々がこの星にいることに気づき、ファルガー魔法学院の生徒として潜伏しているのだろう。馬鹿め、己の強さを過信し、身分を偽って学生ごっこに興じるとは。……だが、その隙こそが我々の好機だ」
ヴォルギスは水晶球を力強く叩き割るように指差した。
「これより、作戦名『深淵の宴』を発動する。結社の全戦力を辺境都市ファルガーへ集中させよ。……儀式の舞台は、魔法学院そのものだ!」
「全戦力、でございますか」
「そうだ。出し惜しみは一切不要。地下神殿で培養している『不死騎士団』三千機、そして深淵の瘴気を取り込ませた『キメラ魔獣群』五千頭を全て解き放て。第一使徒から第五使徒までの精鋭の暗黒魔道士たちも、全員ファルガーへ向かわせる」
「た、田舎の魔法学院一つを落とすには、あまりにも過剰な戦力では……? 王国軍の精鋭部隊すら正面から粉砕できる規模ですぞ」
「黙れ! 相手が誰だか忘れたか! 特異点ローゼリアとその眷属だぞ! これでもまだ足りぬくらいだ!」
ヴォルギスが激昂して卓を叩く。
「学院を丸ごと絶対封鎖結界で覆い尽くし、生徒や教師どもを人質に取るのだ! あの特異点どもは、無駄に甘い感情を持っている。一般人の命を盾に取れば、奴らは満足に力を振るえなくなるはずだ。そこを数で押し潰し、疲弊させたところを私が直接、魔神の贄として魂を刈り取る!」
完璧な論理。圧倒的な物量。そして、人質という冷酷無比な戦術。
ルミナス王国の歴史上でも類を見ないほどの大規模な軍勢が、たった一人の少女を捕らえるためだけに動員されようとしていた。
『『『我らが深淵の魔神に、栄光あれ!!』』』
円卓の使徒たちが一斉に立ち上がり、胸の前で腕を交差させて狂信の祈りを捧げる。
その声は円卓の間を抜け、広大な地下神殿全体へと響き渡り、何万という狂信者たちによる不気味な合唱となって、絶望の氷原の地下を揺るがした。
「待っているが良い、特異点ローゼリア。この星を貴様の墓標とし、我らが深淵の魔神の産声で銀河を恐怖に陥れてやろう……!!」
ヴォルギスの金色に濁った瞳が、邪悪な野望に燃え盛る。
彼らはまだ知らない。
自分たちが人質に取ろうとしている学院が、すでにローゼリアの張った『絶対迎撃結界(戦術防衛兵器)』によって守護された難攻不落の要塞と化している事実を。
そして、自分たちが「過剰」だと信じて疑わないその軍勢が、特異点を護る過保護な戦乙女たちにとっては、「準備運動にも満たない単なる的の群れ」でしかないという残酷な現実を。
手段を選ばない秘密結社の総力戦。
未知の星ルミナスを揺るがす最大の波乱が、大いなる勘違いと悲劇的(敵側にとっての)な結末に向かって、今、静かに動き出していた。




