第五幕 第十六話:演習中止と、忠犬からの恐ろしすぎる提案
Aランク魔獣ヒュドラの出現という異常事態を受け、ファルガー魔法学院の『秋の野外合同演習』は即座に中止となった。
騒ぎを聞きつけた教師陣が慌てて現場に駆けつけた時には、ヒュドラの巨体はすでに光の粒子となって消え去った後であった。
残されていたのは、腰を抜かして震え上がるダリウスたちAクラスの生徒と、安物の鉄剣と杖を手にしたまま呆然としているアランとレイラ。そして、その後方で全く汗一つかいていないローゼリアだけだった。
『Fクラスの落ちこぼれ二人が、たった数秒でヒュドラを討伐した』。
その信じがたい報告は、教師陣を大いに困惑させた。しかし、ダリウスたち自身が「あいつらが、一瞬で首を吹っ飛ばしたんだ……!」と涙目で証言したため、学院側も認めざるを得なかった。
アランとレイラは「隠れた才能の原石」として一躍学園中の注目の的となり、ダリウスたちはヒュドラの恐怖とFクラスの逆転劇を目の当たりにしたショックで、すっかり意気消沈してしまったのである。
——そして、演習中止から数時間後。
学院の寮にあるローゼリアの個室。
「ふぁぁ……。一歩も動いておらんのに、野営の後は無性に疲れるのう」
ローゼリアは制服のローブを脱ぎ捨て、ベッドの上に大の字になってダイブしていた。
アランとレイラが教師たちから質問攻めに遭っている間、彼女は「妾は後ろで応援していただけじゃから!」と華麗に追及を躱し、早々に自室へと逃げ帰ってきたのだ。
「さて、今日のお楽しみの軽食でも食べるかの……」
ローゼリアがサイドテーブルに置いてあったクッキーに手を伸ばそうとした、その時。
『——我が主、ローゼリア。応答願います』
脳内のエインヘリアル・ローカル通信網に、切羽詰まった、しかしどこか歓喜と殺意の入り混じった冷ややかな声が響いた。
母艦で絶賛お留守番(書類仕事)中のリアンヌである。
「む? リアンヌか。どうした、書類仕事は終わったのか?」
『はい。我が主がご帰還されるまでには、連邦の百年分の未処理データも全て終わらせてみせます。……ですが、今はそれよりも重要な急ぎの報告と、決裁の許可をいただきたくご連絡いたしました』
「決裁?」
『ええ。我が主を森の中で襲撃し、あまつさえ「靴を舐めろ」などと万死に値する暴言を吐いた羽虫……ダリウス・フォン・グランツとその取り巻きどもへの、処遇についてです』
リアンヌの声の温度が、物理的に氷点下まで下がったのが通信越しでもわかった。
母艦でモニタリングしていたシエラたちから、戦闘の録画データが転送されたに違いない。
『シエラからのデータを受信した瞬間、私は怒りで母艦の補助モニターを三枚ほど素手で粉砕してしまいました。……あの薄汚い豚どもが、ローゼリアの尊き御前に立ち塞がったこと、断じて許すわけにはいきません』
「あー、いや、あれはもう終わったことじゃし……」
『すでに、ダリウスの実家であるグランツ商会、及び取り巻きの実家の貴族領についての資産データ、流通ルート、裏帳簿の掌握は完了しております』
「……は?」
ローゼリアの顔が引きつる。
『我が主の許可さえ下りれば、明日の朝までにグランツ商会が所有する全商船の航行システムに電子攻撃を仕掛けて沈没させ、裏帳簿を王国の監査局へ匿名で転送し、商会を物理的・経済的に完全な焦土と化す準備が整っております。取り巻きの貴族の領地に対しても、天候制御衛星による三ヶ月連続の集中豪雨(水害)を降らせる手筈が……』
「待つんじゃ! ストップ!! 絶対にストップじゃ!!」
ローゼリアはベッドから跳ね起き、脳内通信に向かって大声で叫んだ。
『なぜですか、ローゼリア。あのような羽虫ども、我が主が慈悲をかける価値すら……』
「慈悲とかそういう問題ではない! ただの学生同士のケンカ(しかも未遂)で、実家を物理的・経済的に焦土にするなど、完全にやりすぎじゃ! 悪事のスケールがおかしいじゃろ!」
ローゼリアは冷や汗を拭いながら必死に説得を試みる。
「よいかリアンヌ! ダリウスの奴は、アランたちのあり得ない力(妾の支援魔法のおかげじゃが)を目の当たりにして、完全に恐怖を植え付けられておった。もう二度と妾たちに絡んでくることはない! むしろ、少し可哀想なくらい震えておったわ!」
『……我が主に恐怖を抱かず、他の者に怯えたと? それはそれで腹立たしいですが……』
「とにかく! 妾はこの学園で『平凡な落ちこぼれが実力を見せつける』という学生らしい展開を楽しんでおるのじゃ。ここで急に同級生の実家が次々と破滅したら、学園生活どころではなくなってしまう!」
『……我が主が、そう仰るのであれば』
リアンヌの声が、シュンと落ち込む。
『ローゼリアの学園生活のお戯れの妨げになるというのであれば、グランツ商会への攻撃と領地への水害工作は中止いたします。……ですが、もし奴らが再び我が主に無礼を働くようなことがあれば、その時は迷わず神罰を下す許可を』
「う、うむ。その時は考える。……とにかく、今は待機じゃ! お主は真面目に書類仕事をこなしておれ!」
『はっ! この命に代えましても、残りの書類の山を駆逐してみせます! ローゼリア、どうかご無事で……!』
通信が切れ、ローゼリアは深々とため息をついた。
「……まったく。妾の配下たちは、どいつもこいつも過保護すぎるのじゃ。少し目を離すと、すぐに国の一つや二つを滅ぼそうとしおって……」
しかし、リアンヌの重すぎる忠誠心に呆れつつも、ローゼリアの顔にはどこか嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
自分を絶対の主と慕い、守ろうとしてくれる頼もしい(そして物騒な)仲間たちがいるからこそ、彼女はこの未知の星で、余裕を持って「目立たない平凡な生徒」を演じることができるのだ。
「さて、明日からアランとレイラは学園の英雄扱いじゃな。妾はその後ろで、引き続き『ただの座学が得意な友達』として、美味しいところだけ見物させてもらうとするかのう!」
ベッドに再び倒れ込みながら、ローゼリアはこれからの学園生活に思いを馳せ、楽しげにクッキーを齧るのであった。




