第四幕 第九話:大浴場での休息と、黒衣の淑女の包容力
「……ふぅ。なんとか逃げ切ったのじゃ……」
ハンガーでのリアンヌとエリーゼによる『お姫様抱っこ争奪戦』から這々の体で抜け出したローゼリアは、エインヘリアル内に設けられた豪奢な大浴場の脱衣所に辿り着いていた。
「まったく、あやつらの体力と愛情はどうなっておるのじゃ。妾の生身は、すでにHPゲージが赤点滅しておるというのに」
ブツブツと文句を言いながら、ローゼリアはパイロットスーツを脱ぎ捨てた。
鏡に映る自分は、相変わらず透き通るような白い肌と、華奢すぎる腰のラインを持つ絶世の美少女である。
中身に前世の「インドア派の青年」の意識が統合された今、自分の裸を見るのは少しばかり不思議な感覚——いや、正直に言えばかなりの羞恥心があるのだが、今はそれ以上に「お湯に浸かって全身の筋肉痛を癒やしたい」という欲求が勝っていた。
「よいしょ、っと……」
重い足取りで浴室の扉を開けると、そこには古代ローマの公衆浴場を思わせる、大理石造りの広々とした湯船が広がっていた。
立ち込める湯気と、微かに香る高級なアロマの匂いに、ローゼリアはほうっと息を吐き出す。
「はぁ〜……。生き返るのじゃ……」
湯船の縁に寄りかかり、首までお湯に浸かって全身の力を抜く。
激しい戦闘での重力加速度(G)と、戦乙女たちからの過剰なスキンシップで限界を迎えていた筋肉が、じわじわと解れていくのを感じる。
「……随分とお疲れのようね、ローゼリア」
「ひゃうっ!?」
静かな浴室に突如として響いた落ち着いた声に、ローゼリアはビクッと肩を震わせて振り返った。
湯気の向こうから、豊かな黒髪を濡らした一人の女性が、ゆっくりとお湯をかき分けて近づいてくる。
「レ、レガリア……! お主、先に入っておったのか」
普段は黒い軍服を隙なく着こなし、落ち着いた大人の色気を漂わせているレガリア。
彼女が豊満な肢体を隠すこともなく、金色の瞳を優しく細めて微笑みかけてきた。
「ええ。作戦のシステム統括が終わったから、少し休ませてもらっていたの。……そこへ、ひどく疲れ切った顔の迷子の子猫が入ってきたから、声をかけたのよ」
「子猫と言うな。妾は銀河最強の死神じゃぞ」
ローゼリアが口を尖らせると、レガリアはクスクスと上品に笑い、ローゼリアの背後に回った。
「その死神様も、今はただの湯上がりの女の子だわ。……さあ、背中を流してあげる。少し前に出なさいな」
「い、いや、自分で洗えるから大丈夫じゃ! お主の手を煩わせるわけには……」
ローゼリアは慌ててお湯の中で身をすくませた。
(中身が男の意識もある今、こんなグラマラスな大人の女性に背中を流してもらうなんて、刺激が強すぎる!)というゲーマー青年の理性が警鐘を鳴らしていたのだ。
だが、レガリアはそんなローゼリアの抵抗を許さなかった。
「いいから。……あなたが記憶を失って男の子の振りをしていた時、私、何もしてあげられなかったから。せめてこれくらいは、甘えさせてちょうだい」
その言葉に含まれた、ほんの少しの寂しさと、深い愛情。
それに気づいてしまうと、ローゼリアはもう逆らうことができなかった。
「……分かったのじゃ。なら、お言葉に甘えさせてもらうとするかの」
ローゼリアが大人しく背中を向けると、レガリアの柔らかい手が、泡立てたスポンジで優しく、丁寧に背中を撫でていく。
その絶妙な力加減と、背中越しに伝わってくるレガリアの温もりに、ローゼリアのゲーマーとしての理性は早々に白旗を上げた。
「……気持ちいいのじゃ。お主、マッサージの才能があるのではないか?」
「ふふっ、光栄だわ。……でも、本当に痩せっぽちね。もう少しエリーゼの手料理を食べて、お肉をつけないと」
「運動能力皆無のもやしボディなんじゃから、これ以上食べたらただ丸くなるだけじゃ。それは死神としての威厳に関わる」
冗談めかして言い合ううちに、ローゼリアの肩の力が完全に抜けていく。
「……本当に、戻ってきてくれてよかった」
背中を流すレガリアの手が止まり、そのまま後ろから、ローゼリアの華奢な体をすっぽりと包み込むように抱きしめられた。
背中に押し当てられる豊かな双丘の感触と、首筋にかかるレガリアの熱い吐息。
リアンヌやエリーゼの激しいハグとは違う、すべてを許容し、溶かしてしまいそうなほどの『大人の包容力』だった。
「レ、レガリア……?」
「記憶喪失になったあなたが、不安そうに強がっているのを見るのが、一番辛かったわ。……でも、あなたはもう迷わないのね。その瞳の奥に、かつての誇り高い『ローゼリア』の光が戻っているのが分かるから」
レガリアの金色の瞳が、湯気越しにローゼリアを見つめている。
その眼差しは、母のように優しく、同時に一人の仲間として絶対の信頼を寄せているものだった。
「……うむ。随分と心配をかけたようじゃな。だが、前世の冴えないゲーマーだった記憶が統合されたことで、妾は以前よりも少しだけ、物事を俯瞰して見られるようになった気がするのじゃ」
ローゼリアは、お湯の中で自分の小さな手を開き、そして強く握り締めた。
「もうゲームオーバーにはならん。妾は、お主らと一緒に、この宇宙を最後まで攻略してやると決めたのじゃ」
「……ええ。私たちも、最後まであなたについていくわ」
レガリアはローゼリアの頭に優しく顎を乗せ、その金髪を愛おしそうに撫でた。
「(……あー、ダメだこれ。完全にダメになるやつだ)」
前世の意識が「こんな美人のお姉さんに抱きしめられてお風呂に入るなんて、前世の俺が見たら嫉妬で狂い死ぬぞ」とツッコミを入れているが、もはや抗う気力もない。
レガリアの圧倒的な包容力と、お湯の温かさ、そして激戦の疲労が合わさり、ローゼリアの意識は心地よい微睡みの中へと溶けていった。
「……ふぁぁ。なんだか、眠くなってきたのじゃ……」
「ふふっ。いいわよ、ここで少し寝ていきなさい。私が支えていてあげるから」
「うむ……。お言葉に、甘える……のじゃ……」
ローゼリアは、完全に脱力してレガリアの腕の中に身を預け、スヤスヤと安らかな寝息を立て始めた。
その無防備で愛らしい寝顔を見つめながら、レガリアは母性溢れる微笑みを浮かべ、そっとその額に口づけを落とした。
「おやすみなさい、私たちの可愛い死神様」
エインヘリアルの大浴場。
そこは今、激戦を潜り抜けた銀河最強のエースが、最高の包容力に包まれて、最も無防備になれる至福の空間となっていた。
ただし、この後、ローゼリアを血眼になって探していたリアンヌとエリーゼが大浴場に突入してきて、レガリアとの間で静かな、しかし恐ろしい火花を散らすことになるのだが……それは、眠りについたローゼリアの知る由もないことであった。




