第四幕 第三話:戦乙女の休日と、もやしゲーマーの試練
エインヘリアルが次なる作戦準備と補給のため、巨大商業コロニー『バビロン』に寄港して二日目のこと。
母艦エインヘリアルの静かな艦長室で、ブリュンヒルデは通信用モニターの前に座っていた。
画面の向こうに映っているのは、豪奢な玉座に腰掛け、蠱惑的な微笑を浮かべる絶世の美女——ローゼリアの実の姉であり、強大なエーベルヴァイン帝国を統べる女帝『フェイト』であった。
『——なるほど。時空震の爆心地から無事にサルベージできたと思ったら、すべての記憶を失い、あまつさえ「自分をインドア派の男だと思い込んでいる」と。……くふっ、あははははっ!』
フェイトは、手にしたワイングラスを揺らしながら、腹を抱えて上品に、しかし大いに笑い声を上げた。
「笑い事ではありません、フェイト陛下。本人は至って真剣に、己を男だと言い張っているのです。口調もすっかり粗野なものになってしまって」
ブリュンヒルデが腕を組み、やれやれとため息をつく。
『いいじゃない。私の可愛い妹にして、銀河最強の死神が、中身はゲーマーの男の子になっているなんて。最高に愉快なバグだわ。……でも、魂の形や操縦技術は本物なんでしょう?』
「ええ。シミュレーターでの動きは、以前と遜色ない……いや、迷いがない分、より鋭く洗練されているようにすら見えました」
『なら、問題ないわね。記憶なんてものは、生きていればそのうち戻るか、新しく作られるものよ。……それにしても、あの子の「絶対の盾」であるリアンヌや、過保護なエリーゼたちは、さぞかし大パニックでしょうね』
フェイトが、面白そうに金色の瞳を細める。
「パニックどころの騒ぎではありません。今は少し落ち着きましたが、ローゼリアの記憶を取り戻すために必死になっています。……かく言う私も、あの生意気でひ弱なエースが帰ってきたことに、心底安堵しているのですが」
ブリュンヒルデは、フッと口角を緩めた。
『ふふっ。あなたたちエインヘリアルは、本当にあの子を中心に回っているのね。……引き続き、帝国側からも連合国の動向と過激派の残党の動きは探っておくわ。ゆっくりと「私の妹(男の子)」のお守りを楽しむことね』
通信が切れ、モニターが暗転する。
ブリュンヒルデは、デスクの上の端末を操作しながら、艦のメンバーたちの現在の配置を確認した。
「リアンヌとアルティナは、コロニー外縁部での偵察および物資調達任務。……エリーゼとウルスラは、ローゼリアの記憶に関する医学・魔力学的なデータ収集か。となると、今日のローゼリアの護衛は……」
ブリュンヒルデの視線が、モニターの『市街地区画』を指し示している光点に止まり、小さく苦笑を漏らした。
「はぁっ……はぁっ……。お、おい、ちょっと待ってくれ。……休憩、五分休憩させてくれ……っ」
巨大商業コロニー『バビロン』の、眩いネオンとホログラム広告が飛び交うメインストリート。
私服姿のローゼリアは、近くにあった噴水の縁にへたり込み、肩で激しく息をしていた。
「ガハハッ! なんだよお姫様、まだ二区画しか歩いてねえぞ! 相変わらず、生まれたての小鹿みてえな体力だな!」
豪快に笑いながらローゼリアの背中をバシバシと叩くのは、ショートヘアにレザージャケットを着崩した、男勝りな戦乙女ランドグリーズだ。
「ゴホッ! 叩くな、肺が潰れる……! 俺はインドア派なんだよ。そもそも、なんで休日にわざわざ人混みの中を歩き回らなきゃならないんだ……。艦の自室で、最新のVRゲームでもやってたかったのに……」
ローゼリアは、ふわふわの金髪を乱しながら、恨めしそうに真紅の瞳で周囲の戦乙女たちを睨んだ。
今日、彼女(彼)の護衛兼お目付け役として同行しているのは、ランドグリーズ、ロスヴァイセ、オルトリンデの三人である。
過保護なリアンヌとエリーゼが別任務と調査で艦を離れている隙を突き、「たまにはお姫様を外の空気に触れさせよう」というランドグリーズの提案で、強制的に連れ出されたのだ。
「ふふっ。そうおっしゃらずに、お嬢様。気分転換は大切ですわ。ずっと艦内に引きこもっていては、せっかくの美しいお肌が台無しになってしまいます」
ロスヴァイセが、優雅な微笑みを浮かべてローゼリアに冷たいミネラルウォーターを差し出す。彼女は落ち着いた色合いのワンピースを完璧に着こなし、周囲の通行人の視線を釘付けにしていた。
「ありがと……。いや、だから俺は中身が男でだな……肌の手入れとかどうでもいいんだよ。欲しいのは新作のゲームソフトと、ジャンクフードくらいで……」
「……ローゼリア。事前調査に基づき、最適な『衣服』の販売店舗を十七件リストアップしました。すべて回りましょう」
無口で冷静沈着なオルトリンデが、タブレットに大量のアパレルショップのマップを表示させながら、淡々と恐ろしいことを言い放つ。
「じゅ、十七件!? 無理だ! 死ぬ! 五件目で俺の足の筋肉は完全に崩壊する!」
ローゼリアが悲鳴を上げる。
「まあまあ、そうビビんなって! ほら、行くぞお姫様!」
ランドグリーズが、へたり込んでいるローゼリアの腕を掴み、軽々と立たせる。
「うわぁぁっ! 待て、引っ張るな! 歩く、自分の足で歩くから!」
抵抗も虚しく、運動能力皆無の「元青年」は、屈強で美しい戦乙女たちに引きずられるようにして、ショッピングモールの中心部へと連行されていった。
「……なあ。本当に、これを俺が着るのか?」
一時間後。
コロニー内でも高級なブティックの試着室の前で、ローゼリアは鏡に映る自分の姿を見て、顔を真っ赤にして震えていた。
「おお! 似合ってるじゃねえかお姫様!」
「ええ、とても可憐ですわ。赤と黒を基調としたフリルが、金糸のような髪と真紅の瞳に完璧に調和しています」
「……素晴らしいです。カメラのシャッターが止まりません」
ランドグリーズが口笛を吹き、ロスヴァイセが満足げに頷き、オルトリンデが無表情のまま恐ろしい連写速度で写真を撮りまくっている。
ローゼリアが着せられているのは、ゴシック調のフリルがふんだんにあしらわれた、ひざ丈の可愛らしいワンピースドレスだった。
「(……確かに、鏡に映ってるのは文句のつけようがない絶世の美少女だ。客観的に見れば、最高に可愛い。……だが、中身は俺だぞ!? 男の意識でフリフリのスカートを穿くこの羞恥心、分かるか!?)」
ローゼリアは、スカートの裾をギュッと握り締め、居心地の悪さに身悶えした。
「い、いや、やっぱり俺にはこういうのは似合わないっていうか……もっとこう、動きやすいスウェットとか、パーカーとか……」
「ダメですわ。お嬢様は我がエインヘリアルの象徴。常に美しく、気高くあっていただかなくては」
ロスヴァイセが、ローゼリアの抗議を優雅な笑顔で一刀両断する。
「それに、リアンヌやエリーゼがいない今がチャンスなんだよ! あいつらがいたら『お姉様には私が見立てた服しか着せません!』とか言って、絶対アタシらに遊ばせてくれねえからな!」
ランドグリーズが本音を漏らす。
「遊ばせてって言ったな今! 俺は着せ替え人形か!」
「……次はこちらを。猫耳のオプションパーツも推奨します」
オルトリンデが、さらにフリフリのメイド服のような衣装を差し出してくる。
「断る!!」
結局、ローゼリアは体力の限界(主に精神的な疲労と羞恥心)に達するまで、三人の戦乙女たちによって様々な服を着せ替えられ、大量の衣服を購入される羽目になった。
(なお、支払いはすべてロスヴァイセがエインヘリアルの経費から華麗にカードを切っていた)
「……死ぬかと思った。もう一歩も動けん……」
買い物を終えた四人は、モールの中庭に面した落ち着いた雰囲気のオープンカフェのテラス席に腰を下ろしていた。
テーブルの上には、戦乙女たちが頼んだ紅茶や軽食と共に、ローゼリアの前に置かれた巨大な『特製チョコレートパフェ』がそびえ立っている。
「ほらお姫様、糖分補給だ。これ食って元気出せよ」
「……おう。サンキュ」
ローゼリアは、スプーンでパフェの上のアイスをすくい、口に運ぶ。
(……美味い。疲れた体に甘いものが染み渡る……。男だった頃はこんな巨大なパフェ、一人で店に入って頼む勇気なんてなかったけど、今の外見なら全く違和感がないな。……複雑だ)
「……ローゼリア。美味しいですか?」
オルトリンデが、パフェを頬張るローゼリアをじっと見つめている。
「ん? ああ、美味いぞ。……食べるか?」
ローゼリアがスプーンを差し出すと、オルトリンデは少しだけ頬を染め、こくりと頷いてそのスプーンから一口食べた。
「……甘いです。記録に保存します」
「大げさだな」
その様子を見て、ランドグリーズとロスヴァイセが微笑ましそうに笑う。
「でも、よかったぜ。記憶がすっ飛んで、自分のこと男だなんて言い出した時はどうなるかと思ったけどよ。……お姫様は、お姫様のままだな」
ランドグリーズが、アイスコーヒーをストローで啜りながら言う。
「……そうか?」
ローゼリアは、パフェを食べる手を止めた。
「ええ。記憶を失う前も、あなたはそうしていつも、過保護な私たちに文句を言いながらも付き合ってくださっていました。……強くて、恐ろしくて、でも誰よりも不器用で優しい。それが、私たちの主ですわ」
ロスヴァイセが、優しく目を細める。
その言葉に、ローゼリアの胸の奥がじんわりと温かくなる。
自分は「インドア派の男」の記憶しかない。彼女たちの知る「銀河最強のローゼリア」ではないかもしれないという不安が、常に心のどこかにあった。
しかし、彼女たちは「今の俺」を、そのままの形で受け入れ、慕ってくれているのだ。
服を着せ替えて遊んだり、パフェを分け合ったり……そんな他愛のない日常のやり取りが、記憶喪失という壁を簡単に越えていく。
「……そっか。なんか、少し安心したよ」
ローゼリアは、ふわふわの金髪を揺らし、真紅の瞳を和らげて笑った。
「俺は、あんたたちの知ってる昔のことは思い出せない。……でも、今ここにいるあんたたちのことは、間違いなく『仲間』だって思える。だから……これからも、よろしくな」
男としての無骨な言葉回し。しかし、絶世の美少女の姿で向けられたその屈託のない笑顔は、戦乙女たちの心を撃ち抜くには十分すぎるほどの破壊力を持っていた。
「っ……!!」
ランドグリーズが顔を赤らめてそっぽを向き、ロスヴァイセが口元を扇で隠し、オルトリンデが再び無言でカメラのシャッターを切りまくる。
「な、なんだよ。俺、なんか変なこと言ったか?」
「い、いえ! なんでもありませんわ! ああ、やはりお嬢様は最高です……!」
平和なコロニーの昼下がり。
記憶を失った特異点と、彼女を溺愛する戦乙女たちの休日は、賑やかに、そして温かく過ぎていくのだった。
だが、この直後、任務から帰還して「自分を差し置いてお姉様を着せ替え人形にしてカフェでお茶をしていた」事実を知ったエリーゼとリアンヌが激怒し、艦内でちょっとした修羅場が展開されることになるのだが……それはまた別の話である。




