第四幕 第二話:重すぎる愛と、美少女の(男の)日常
次元の海からの奇跡的な生還から数日。
銀河最強の女性限定傭兵団『エインヘリアル』の艦内は、かつての活気を取り戻しつつも、かつてない奇妙な混乱に包まれていた。
「……はぁ。何度見ても慣れないな、これ」
個室の洗面台の鏡の前。
記憶を失い、前世である「インドア派の青年」の意識が表面化しているローゼリアは、鏡に映る自分の姿を見て深いため息をついた。
ふわふわと波打つ、輝くような金髪。
宝石のように神秘的で、吸い込まれそうな赤い瞳。
華奢な肩に、細すぎる腰。透き通るような白い肌。
どこをどう見ても、絶世の美少女がそこにいる。しかし、現在の彼女の中身は「しがないインドア派の男」の意識となっていた。
「なんで俺、こんな物語のヒロインみたいな見た目になってるんだ……? 転生? いや、シエラとかいう無表情な子は『次元の波のショックによる妄想』って言ってたけど……」
ローゼリアは自分の頬をむにむにと引っ張ってみるが、夢から覚める気配はない。
どうやら、この美少女の体と「俺」という意識のまま、この屈強な女傭兵だらけの艦で生きていくしかないらしい。
「お姉様ー! 朝食の準備が整いましたわ! 今朝は私が直々に、ベッドまでお運びいたしますわね!」
コンコン、と扉がノックされると同時に、白い制服に可愛らしいエプロンをつけたエリーゼが、ワゴンを押して部屋に入ってきた。
「お、おいエリーゼ。ベッドまでって……俺は病人じゃないんだから、食堂くらい自分で歩いていくぞ」
「いけませんわ! お姉様はただでさえ運動能力が皆無で、少し歩いただけで息が上がるもやしボディなのですから! 廊下で転んでその美しいお顔に傷でもついたら、私は自分を許せません!」
「どんだけひ弱な設定なんだよ俺は!」
エリーゼはローゼリアの抗議など全く聞かず、手際よくベッドの上に簡易テーブルを設置し、湯気を立てる料理を並べていく。
コンソメスープに、ふわふわのオムレツ、そして焼きたてのパン。匂いだけで胃袋が刺激される。
「さあ、お姉様。あーん、ですわ!」
「……いや、手は動くから自分で食べるって」
「ダメですわ! 私が食べさせたいのです! お姉様が『男言葉』を使うようになってしまったのはショックですが……それはそれで、新たな扉が開きそうなギャップがあって大変素晴らしいですわ! さあ、あーん!」
エリーゼの瞳が、何か危険な光を放っている。
この艦のメンバーは、ローゼリアが「自分のことを男だと思い込んでいる」というシエラの説明を真に受け、「彼女の新しい妄想に付き合ってあげよう」という謎の包容力を見せているのだ。
「……あーん」
ローゼリアは諦めて口を開き、オムレツを放り込まれる。
「う、美味い……。なんだこれ、ホテルの朝食かよ」
「ふふっ、お姉様の胃袋を掴むのは正妻の嗜みですわ。もっとたくさん召し上がってくださいね!」
(……美少女に「あーん」されて、美味い飯を食う。……男としては夢のようなシチュエーションのはずなのに、どうしてこう、背筋がゾクゾクするんだろうな……)
エリーゼの愛が重すぎて、少し胃もたれしそうになるローゼリアだった。
朝食後、少しは運動しないと本当に体が鈍る(すでに鈍りきっているが)と思い、ローゼリアは艦内を散策することにした。
当然のように、副団長であるリアンヌがピタリと横に張り付いている。
「ローゼリア。気分はいかがですか? もし頭痛やめまいがしたら、すぐに言ってくださいね」
「ああ、大丈夫だ。……それにしても、この艦、本当に広いな。歩いてるだけで迷子になりそうだ」
白を基調とした清潔な廊下を歩きながら、ローゼリアは感心して周囲を見回した。
すれ違うクルーたちは皆、白の制服を着た女性ばかりだ。彼女たちはローゼリアの姿を見ると、一様にホッとしたような、それでいて少し涙ぐんだような笑顔を向けてくる。
「ローゼリア様、おはようございます!」
「ご無事で何よりです……! いつでも医務室にいらしてくださいね!」
「お、おう。おはよう」
ローゼリアが手を挙げて無骨に返事をすると、クルーたちは「キャッ」と顔を赤らめて小走りで去っていく。
「……なぁ、リアンヌ。俺って、この艦でどういう立ち位置だったんだ?」
「はい。あなたは我がエインヘリアルのエースにして、皆の希望です。……そして、私にとっては、この身を盾にしてでもお守りすべき、たった一人の大切な主です」
リアンヌは、真剣な瞳でローゼリアを見つめ、胸元で拳を握り締めた。
「そ、そうか。……なんか、ごめんな。そんな大事なこと、全部忘れちまってて」
「謝らないでください。あなたがこうして生きて、私と会話をしてくださっている。それだけで、私は十分すぎるほど幸せなのですから」
リアンヌが優しく微笑む。
(……なんていうか、本当に真っ直ぐで良い子だな。この子が副団長なら、この艦も安泰だろう)
そんなことを考えながら歩き続けて……五分後。
「はぁっ……はぁっ……。ちょっと、休憩……」
ローゼリアは廊下の壁に手をつき、肩で激しく息をしていた。
たかだか数百メートル歩いただけで、心臓が早鐘を打ち、足が鉛のように重くなっている。
「ローゼリア! 大丈夫ですか!?」
リアンヌが慌てて駆け寄り、背中をさする。
「お、おう……。なんだこの体、本当に体力がマイナスに振り切れてないか……? 息が……」
「ですから無理はいけませんと言ったのです! さあ、私がおんぶします!」
リアンヌはローゼリアの前にしゃがみ込み、背中を向けた。
「ば、馬鹿言え! 女の子におんぶされるわけには……っ!」
「何を言っているのですか。あなたは男ではなく、可憐な女の子ですよ。さあ、遠慮せずに!」
「わあっ!?」
有無を言わさず、リアンヌの強靭な腕力によって、ローゼリアは彼女の背中にヒョイと担ぎ上げられてしまった。
「よし、このままハンガーまでお連れしますね!」
「……降ろしてくれ。すれ違うクルーの視線が痛い……」
顔を真っ赤にして背中でジタバタと暴れるローゼリアを気にも留めず、リアンヌはご機嫌な鼻歌を交じりに艦内の廊下を進んでいく。
ローゼリアは完全に「守られヒロイン」のポジションに収まってしまっていた。
リアンヌにおんぶされたまま連行された先は、艦の最下層にある広大なハンガー(格納庫)だった。
「おお、大将! 気分はどうだ? って、リアンヌにおぶられてんのかよ」
ツナギを着た整備班長のフィーネが、油まみれの手をタオルで拭きながら笑いかけてくる。
「降ろせって言ったのに、こいつが強制的に……」
ローゼリアがブツブツ文句を言いながらリアンヌの背中から降りると、タブレットを持ったアルティナが小走りでやってきた。
「ちょっとローゼリア、まだ絶対安静の時期でしょ? まあ、ここに来たってことは、やっぱり『あれ』が気になるのね?」
アルティナがニヤリと笑い、ハンガーの奥を指差した。
そこには、巨大なブルーシートが被せられた、全高二十メートル近い人型の機体が置かれていた。
「大将が次元の狭間で大暴れして、跡形もなくなった『ルシフェル』……の、後継機だ。まだフレームと魔力ジェネレーターしか組めてねえがな」
フィーネが誇らしげにシートを引っ張る。
現れたのは、漆黒の金属光沢を放つ、洗練された骨格と、剥き出しの動力パイプの塊だった。
「……っ!!」
それを見た瞬間。
記憶喪失の青年としての意識を持つローゼリアの脳内で、何かが激しくスパークした。
「す、すげぇ……!! なんだこれ、リアルなロボットじゃねえか! この重厚なフレーム、関節のシリンダー、それにこの背中のスラスターユニットの配置……! ロマンの塊じゃねえか!」
ローゼリアは目を輝かせ、無意識のうちに機体の足元まで駆け寄り(息切れは気合で無視した)、装甲をペタペタと触り始めた。
「ここの装甲は最新の複合装甲か? いや、魔力コーティングか? 武装はどうなってる? 近接特化か、それとも重火器マシマシか!? ねえ、これ乗れるの!? コックピット見せてくれ!!」
「お、おおっ?」
ローゼリアの突然のテンションの爆発に、フィーネとアルティナが目を丸くする。
「アルティナ……! ローゼリアの奴、機体を見たらオタクみたいな早口になったぞ!」
「あ、あの口調、完全に昔のローゼリアね! やっぱり、マギアナイトに関することだけは魂レベルで覚えてるんだわ!」
二人が勘違いして喜んでいるが、ローゼリア本人はただ単に「リアルな巨大兵器を目の前にして興奮する青年の性」を爆発させているだけだった。
「いいか大将、こいつはまだ名前も決まってねえが、前のルシフェルを遥かに凌駕する出力を出す予定だ。……だが、それにはお前の『操縦データ』が必要なんだ。今の記憶が飛んだ状態で、動かせるか?」
フィーネが真剣な顔で問うてくる。
「動かせるかって……」
ローゼリアは自身の華奢な両手を見つめた。
走れば一分で息が上がるこの体。
でも、なぜか……この機体のコックピットに座り、操縦桿を握る自分の姿が、脳裏に鮮明に浮かぶのだ。
まるで、呼吸の仕方を体が覚えているように。
「……分からないけど、やれる気がする。俺、機械の操作やシミュレーターには自信があるからな」
「シミュレーター……? まあ、そんなもんか。よし、フレームが組み上がったら、一番にテストに付き合ってもらうぜ!」
「ああ、約束だ!」
ローゼリアはフィーネとガッチリと拳を突き合わせた。
(美少女の姿でむさ苦しい整備士と拳を合わせるのも変な図だが、このワクワク感には勝てない)
その日の夜。
ローゼリアは一人、エインヘリアルの展望室にやってきていた。
分厚いガラスの向こうには、数え切れないほどの星々が輝く、果てしない宇宙の海が広がっている。
「……本当に、宇宙にいるんだな、俺」
ガラスに手を触れ、ぼんやりと呟く。
自分が過去に何者だったのか。本当に「銀河最強」なんて呼ばれるような凄い人間だったのか。
正直、まだ全く実感が湧かない。リアンヌやエリーゼたちの期待が重くて、少し逃げ出したくなる時もある。
「……ここにいたか、ローゼリア」
背後から、静かで威厳のある声が聞こえた。
振り返ると、軍用コートを羽織ったブリュンヒルデ団長が立っていた。
「団長……さん」
「さん、は不要だ。ブリュンヒルデでいい」
彼女はローゼリアの隣に並び、同じように星の海を見つめた。
「不安か。何も思い出せず、自分が自分ではないような感覚に」
「……はい。皆は俺に優しくしてくれますけど……俺が、皆の知ってる『ローゼリア』じゃなかったらって思うと、ちょっと怖くて。俺、ただの体力ゼロのもやしだし」
ローゼリアが自嘲気味に笑うと、ブリュンヒルデはフッと口角を上げた。
「体力ゼロなのは昔からだ。……いいか、ローゼリア。お前が男だと思い込んでいようと、記憶がなかろうと、一つだけ変わらない事実がある」
ブリュンヒルデは、ローゼリアの肩に手を置いた。
その手は、驚くほど力強く、そして温かかった。
「お前は、我らの仲間だ。このエインヘリアルは、お前の帰るべき家だ。……焦る必要はない。少しずつ、ここで新しい自分を見つければいい」
「……団長」
「それに、お前のその『男言葉』、案外皆には好評らしいぞ? エリーゼなど『お姉様の男前な一面が見られて幸せですわ!』と鼻息を荒くしていたからな」
「……あいつのポジティブさは異常だな」
ローゼリアが苦笑すると、ブリュンヒルデも静かに笑い声を立てた。
「お前が笑ってここにいる。それだけで、この艦は救われているのだ」
その言葉に、ローゼリアの胸の奥にあったモヤモヤとした不安が、少しだけ晴れていくのを感じた。
記憶がない。自分が何者かも分からない。
中身は男の意識で、外見はふわふわの金髪に赤い瞳を持つ美少女で、体力は絶望的。
でも、ここには、こんな自分を無条件で受け入れ、愛してくれる仲間たちがいる。
「……分かったよ、団長。俺、もう少しこの場所で頑張ってみる。皆の期待に応えられるかは分からないけど……せめて、自分の機体くらいは自分で動かせるようにな」
「うむ。それでいい。……期待しているぞ、我らがエース」
星の海を前に、ローゼリアは少しだけ覚悟を決めた。
記憶喪失の特異点が歩む、騒がしくて温かい「二周目」の日常は、まだ始まったばかりである。




