第三幕 第四十六話:喪失の星海と、残された黒い欠片
——閃光。
そして、絶対的な静寂。
連合国宙域の辺境に存在した旧帝国遺跡『タルタロス』は、次元干渉ジェネレーターの臨界エネルギーと、それを相殺するために引き起こされた『ルシフェル』の超新星爆発規模の自爆により、その質量の大部分を宇宙の彼方へと吹き飛ばされた。
宇宙の半分を飲み込むはずだった時空震の発生は、一人の少女の狂気的な、そして尊い自己犠牲によって完全に阻止されたのである。
暴走していた暗赤色の魔力嵐は嘘のように掻き消え、後には抉り取られた小惑星の残骸と、無数のデブリが漂うだけの静かな宙域が残されていた。
「……空間の崩壊、停止。次元の歪みは急速に修復され、正常な物理法則へと回帰しています。……時空震の脅威は、完全に去りました」
母艦エインヘリアルのブリッジ。
シエラの無機質な報告が、重苦しい沈黙の中に響いた。
普段なら、絶望的な危機を乗り越えた歓声が湧き上がるはずのその場所には、ただ冷たい虚無感だけが横たわっていた。
「……シエラ。ローゼリアとバハムートのシグナルは」
ブリュンヒルデが、かつてないほど低く、掠れた声で問う。
「……」
シエラは数秒間、コンソールを叩く手を止め、そして、静かに首を横に振った。
「ルシフェルの識別信号、ロスト。バハムートのAIリンク、完全途絶。……及び、マスター・ローゼリアの生体反応……全宙域において、検知不能です」
その言葉が引き金となった。
『嫌ァァァァァァァァァッ!!』
通信回線越しに、リアンヌの鼓膜を劈くような絶叫が響き渡った。
『ローゼリア! ローゼリアァァッ! どこですか! お返事をして! いつものように、無茶をして疲れたと、私に寄りかかってください! ローゼリア!!』
強制退避のオートパイロットが解除されるや否や、リアンヌの『ブラン』はスラスターを全開にし、爆心地であった遺跡の残骸の中心へと狂ったように飛んでいった。
『お姉様! 嫌です、嫌ですわ! 私を置いていかないで! あんなにも、あんなにも温かかったお姉様が、消えてしまうなんて……っ! 嘘ですわ、嘘だと言ってください!!』
エリーゼの『ベルフェゴール』もまた、主を失った悲しみに身を震わせながら、ブランの後を追う。
『殿下……。ああ、我らが至高の主よ……! 己の無力が恨めしい! 私の質量が、盾が、殿下をお守りできなかったなど……!』
ウルスラの『ミネルヴァ』が、デブリの海の中で巨大なメイスを取り落とし、天を仰ぐようにして慟哭する。
ブリッジでは、アルティナがタブレットを床に落とし、両手で顔を覆って泣き崩れていた。
「バカ……ローゼリアの、大バカ……っ。生身じゃ、数分走っただけで息切れするくせに……誰よりもカッコつけるんだから……っ」
「……」
ブリュンヒルデは、指揮杖を握る拳から血が滲むほどに強く握り締め、目を閉じて痛みを堪えていた。
かつて共に神々を討ち果たし、数々の修羅場を笑って乗り越えてきた最高の相棒。彼女の喪失は、エインヘリアルという強固な城の「心臓」を抉り取られたに等しかった。
「……泣いている暇はないぞ、お前たち」
ブリュンヒルデは、血の滲む拳をゆっくりと開き、血の気を失った戦乙女たちに向けて、指揮官としての冷徹な声を振り絞った。
「総員、直ちに生存者の捜索を開始しろ。母艦のセンサーを最大出力に設定せよ。デブリの影、次元の狭間、チリ一つ見逃すな。……我らのエースは、あのような旧時代のスクラップと共に消え去るようなタマではない」
「……了解!」
涙を拭い、アルティナとシエラが再びコンソールに向かう。
「全機、索敵フォーメーションを展開。……ローゼリアを見つけ出すぞ!」
ロスヴァイセやランドグリーズ、オルトリンデたちもまた、悲しみを奥歯で噛み殺し、愛機を駆って爆心地へと散開していった。
捜索は、文字通り不眠不休で行われた。
エインヘリアルの持つあらゆる探査機能、シエラとアルティナの極限の電子走査、そしてレガリアの高次元からの観測。
戦乙女たちは、母艦の補給と休息すらも拒み、宇宙空間に漂う無数の岩塊と残骸を一つ一つ、手作業でひっくり返すようにして探し続けた。
数時間後。
リアンヌのブランが、爆心地の近くを漂っていた一つの残骸を、そのマニピュレーターで拾い上げた。
「……団長。見つかり、ました……」
通信越しに聞こえるリアンヌの声は、抜け殻のように虚ろであった。
『ローゼリアか!?』
ブリュンヒルデが身を乗り出す。
「いいえ……。ルシフェルの、残骸です」
ブランのカメラが捉えたその映像に、ブリッジの全員が息を呑んだ。
それは、かつて銀河を震え上がらせた漆黒の悪魔の、見るも無残な姿であった。
紅蓮の魔力を放っていた高密度対艦ブレードは、根元から無残にへし折られ、ただの焦げた鉄の板と化していた。
次元断裂砲の砲身は溶け落ち、漆黒の装甲は原型を留めないほどにひしゃげている。
そして、他の戦乙女たちからも、次々と報告が上がった。
『ルシフェルの背部スラスターの一部を回収……。完全に焼き切れています』
『右腕の装甲片を発見。……バハムートのメモリーコアらしき部品が癒着していますが、データは完全に初期化(サルベージ不能)されています』
『機体の胸部ブロック……コックピットのハッチ部分の残骸を回収。……ですが』
コックピットのハッチ。
その言葉に、全員の緊張が走る。
「中は……どうなっている」
ブリュンヒルデが問う。
『……何も、ありません』
ランドグリーズの震える声が響く。
『焦げ跡も、血痕も、白い制服の切れ端さえも……何も。ただ、空っぽの空間が残されているだけです』
その報告は、あまりにも残酷な事実を物語っていた。
極限まで圧縮されたジェネレーターの爆発の中心にいたのだ。生身の人間など、原子の塵すら残さずに完全に「消滅」してしまったのではないか。
「そんな……。嘘です、ローゼリアが……あんなに私たちに笑いかけてくれたローゼリアが、何も残さずに消えてしまうなんて……!」
リアンヌが、操縦席で顔を覆って号泣する。
エインヘリアルのハンガーでは、ルシフェルの残骸が運び込まれるたびに、整備班長のフィーネが油まみれの拳で床を叩き、無念の涙を流していた。
「アタシが……もっと頑丈に、もっと出力のある機体を作ってやれれば……! あいつに、あんな見掛け倒しの銃なんかじゃなく、神様もぶっ殺せるような機体を持たせてやれれば……!」
艦内は、深い喪失感と悲しみに包まれた。
銀河最強の死神は、世界の半分を救い、その代償として文字通り「宇宙から消え去ってしまった」のだ。
誰しもが、その絶望的な状況を前に、心の底で諦めかけようとしていた。
ただ一人、黒い軍服を着た元女神を除いては。
「……泣くのはやめなさい。あなたたちともあろう者が、みっともないわよ」
静まり返ったブリッジに、レガリアの凜とした、そして確信に満ちた声が響き渡った。
「レガリアさん……。私たちを慰めようとしているのなら、今は……」
アルティナが、涙声で反論しようとする。
「慰めじゃないわ。論理的な事実を言っているのよ」
レガリアは、メインモニターに、爆発の瞬間に観測された魔力波長のグラフを映し出した。
「いい? ルシフェルが引き起こしたオーバーロードの爆発は、確かに凄まじかった。でも、それがぶつかったのは『空間を別の次元へと捻じ曲げる』次元干渉ジェネレーターのコアよ」
レガリアの金色の瞳が、鋭い光を放つ。
「爆発の瞬間、空間の位相は完全に崩壊し、一時的に『次元の穴』が開いたはず。……そして、ルシフェルのコックピットブロックの残骸には、生体組織が燃え尽きた痕跡が一切検出されなかった。バハムートのコアが初期化されていたのも、物理的な破壊ではなく、次元の壁を越えた際の『情報のリセット』の影響と考える方が自然だわ」
「な……! レガリア、それはつまり!」
ブリュンヒルデが、ハッとして立ち上がる。
「ええ」
レガリアは、力強く頷いた。
「ローゼリアは、死んでいない。……肉体ごと、ルシフェルのコアパーツと共に、別の空間——あるいは、別の次元へと『弾き飛ばされた』可能性が極めて高いわ」
その言葉に、絶望の淵に沈んでいた戦乙女たちの顔が、一斉に上がった。
「ローゼリアが……生きている!?」
リアンヌの瞳に、光が戻る。
「別の次元……! そうですわ、お姉様があの程度の爆発で私たちを置いていくはずがありません!」
エリーゼが、祈るように両手を組む。
「……生存確率、再計算。……レガリアの推論をパラメーターに加味した場合、マスター・ローゼリアの生存確率は……三八・七パーセントまで上昇」
シエラの無機質な声にも、僅かな熱が帯びていた。
「(……ああ。そうだ。あいつは、絶対にゲームオーバーを受け入れない『限界ゲーマー』だったな)」
ブリュンヒルデは、ふっと笑みをこぼした。
悲しみは消え去り、かつての不敵な傭兵団長の顔が完全に戻っていた。
「……よく聞け、エインヘリアルの全戦乙女!!」
ブリュンヒルデの号令が、全艦、そして全機体の通信回線に轟き渡った。
「我らがエース、ローゼリアは死んではいない! 彼女は、この宇宙のどこか、あるいは次元の果てで、必ず我々の迎えを待っているはずだ!」
『『『オオオオォォォッ!!』』』
戦乙女たちが、一斉に歓喜と闘志の入り混じった雄叫びを上げる。
「特使の護衛は終わった! 世界の崩壊も防いだ! だが、我々の最大の任務はまだ終わっていない! たとえ銀河の果てだろうと、名もなき星の裏側だろうと、神々の住まう高次元だろうと……必ず探し出し、あの運動音痴の阿呆を、再びこの母艦へと連れ戻すぞ!!」
「了解!!」
リアンヌが、涙を拭い、純白の騎士の操縦桿を力強く握り直す。
「待っていてください、ローゼリア。あなたがどこに飛ばされようとも、私の盾が必ずあなたを見つけ出し、今度こそ永遠にお守りいたします!」
残骸の海に漂っていたエインヘリアルは、再びその巨大な推進器に火を灯した。
失われた漆黒の欠片を胸に抱き。
極彩色の八つの翼は、まだ見ぬ次元の空へと向けて、希望の光の尾を長く引きながら飛び立っていった。
銀河最強の傭兵団の戦いは、終わらない。
彼女たちの最愛の「特異点」を、その手で取り戻す日まで——。




