第三幕 第四十三話:偽りの銃声と、白亜の街の逃走劇
中立コロニー『エデン』。
連合国宙域の中央に位置し、どの派閥にも属さない絶対中立を掲げるこの巨大な人工天体は、三つ巴の内戦が続く宙域において、唯一の平和と秩序が保たれたオアシスであった。
エインヘリアルがエデンの巨大なメインドックに入港すると、厳重な検疫と身元確認を経て、艦底にドッキングされていた豪華客船『プロメテ』が静かに切り離された。
「おお……! まさか、傭兵団の母艦の真下に隠されてこの宙域を突破するとは。生きた心地がしませんでしたが、お見事な手腕でしたな」
エデンのVIP専用ターミナル。
プロメテから降り立った旧連合国保守派の特使、アーネスト卿は、安堵の笑みを浮かべてローゼリアの手を固く握り締めた。彼は白髪を綺麗に撫でつけた、温厚で理知的な初老の紳士であった。
「フッ、無事に送り届けるのが我々傭兵の仕事じゃからな。……さて、特使殿。ここから先の護衛は、エデンの正規治安部隊に引き継ぐことになっておる。会談の成功を祈っておるぞ」
白を基調とした凛々しい戦乙女の制服に身を包んだローゼリアが、堂々とした態度で応じる。
「ええ、必ずや。この狂った内戦を止めるため、私は統一派の代表と粘り強く対話を行うつもりです。……エインヘリアルの皆様、本当にありがとうございました」
アーネスト特使は深く一礼すると、彼を迎えに来たエデンの治安維持部隊——青い制服を着た武装警備兵たちに囲まれ、会談の行われる中央議事堂へと向けて、防弾仕様の専用車に乗り込んでいった。
「……ふぅ。これで第一の任務は無事に完了じゃな」
ローゼリアは、小さくなっていく車列を見送りながら、大きく背伸びをした。
「お疲れ様でした、ローゼリア。……道中、色々と気苦労が絶えませんでしたからね」
隣に立つリアンヌが、同じく白を基調とした制服の胸元を整えながら、労うように微笑む。
「全くだ。……さて、せっかく平和な中立コロニーに来たのじゃ。艦に戻る前に、少しばかりこの街の空気を吸っていくかのう」
「はいっ! ローゼリアの市街地視察、この私が完璧にエスコートいたします!」
リアンヌは目を輝かせ、ピシッと敬礼をした。
「お主は本当に元気じゃな……。まあ良い、美味いコーヒーでも飲める店を探そう」
ローゼリアとリアンヌは、ターミナルを後にして、エデンの市街区へと足を踏み入れた。
エデンの市街区は、巨大なドーム状の天蓋に覆われ、人工の太陽光が降り注ぐ美しい白亜の街並みが広がっていた。
緑豊かな公園、整備された石畳の道、そして様々な種族が行き交う活気ある大通り。戦火に焼かれた星々とは無縁の、穏やかな日常がそこにはあった。
二人は、大通りから少し外れた、落ち着いた雰囲気のオープンカフェのテラス席に腰を下ろした。
洗練された白い制服姿の美しい少女二人の姿は、街ゆく人々の目を大いに惹きつけていたが、当の本人たちは全く気に留めることなく、運ばれてきた香り高いコーヒーを楽しんでいた。
「……良い街じゃな。人々の顔に、明日への不安がない」
ローゼリアが、カップに口をつけながら目を細める。
「ええ。アーネスト特使がこの会談を成功させれば、連合国宙域の他の星々も、この街のように平和を取り戻せるかもしれませんね」
リアンヌが、街行く子供たちの笑顔を見つめながら優しく微笑む。
「そうじゃな。そのためにも、過激派が掘り起こそうとしておる『古代遺跡』とやらは、早急に破壊せねばならん。特使の護衛が終わったら、今度はそっちの任務が待っておるからな」
「はい。いかなる激戦であろうと、私の純白の盾が——」
リアンヌが力強く頷こうとした、その時である。
ローゼリアの真紅の瞳が、ふと鋭く細められた。
歴戦の傭兵としての直感が、平和な街の空気に混じった、微かな『殺気』と『魔力の駆動音』を捉えたのだ。
「……リアンヌ」
「はい、感じました」
二人の表情から、穏やかな少女の顔が消え去り、凄腕の傭兵の顔へと切り替わった。
音の出どころは、大通りを挟んだ向こう側——アーネスト特使の車列が向かったはずの中央議事堂へと続く、静かな裏路地の方角からだった。
「行くぞ!」
ローゼリアがテーブルに硬貨を置き、白の制服の裾を翻して駆け出す。リアンヌもそれにピタリと追従する。
しかし、マギアナイトの操縦席では銀河最強を誇るローゼリアも、生身の運動神経は完全なる「運動音痴」であった。
「はぁっ、はぁっ……! ま、待つんじゃリアンヌ、少しペースが……!」
「ローゼリア! 息が上がっています! 無理はしないでください!」
肩で息をしながら、どうにか裏路地へと足を踏み入れた二人が見たものは、信じられない光景であった。
「……っ!? なぜ、あんたたちが……!」
路地の奥。
防弾仕様のはずの特使の専用車が、強力な魔力兵器によってエンジンブロックを完全に破壊され、煙を上げて停車していた。
そして、その車の傍らで、アーネスト特使が数人の男たちに銃口を突きつけられ、壁際に追い詰められていたのである。
男たちが着ているのは、先ほどターミナルで特使を迎えに来たはずの、エデン正規治安部隊の『青い制服』であった。
「特使殿!!」
ローゼリアが息を切らしながら叫ぶ。
その声に反応した男たちの一人が、通信機を口元に寄せ、信じられない言葉を大音量で叫んだ。
『——緊急事態発生! 傭兵団エインヘリアルが突如として狂乱し、アーネスト特使を襲撃した! 繰り返す! エインヘリアルの戦乙女が、特使の暗殺を決行した! 直ちに応援を求む!』
「な……っ!?」
リアンヌが驚愕に目を見開く。
「……なるほどな。ぜぇ、ぜぇ……そういうことか」
ローゼリアは、息を整えながら状況を理解し、低く冷たい声で呟いた。
「初めから、特使を護衛する治安部隊の中に『内通者』が紛れ込んでおったというわけか。いや、護衛部隊そのものが丸ごとすり替わっておったのか」
特使を暗殺し、その罪を護衛であった『エインヘリアル』になすりつける。
そうすれば、保守派は頼みの綱である銀河最強の傭兵団を敵に回すことになり、エインヘリアルもまた、連合国全体から賞金首として追われる身となる。
平和を望む会談は決裂し、三つ巴の内戦はさらに激化する。
「戦争を終結させられては困る『秘密組織』……武器商人か、内戦で利益を得る黒幕か。どちらにせよ、下劣極まりない三文芝居じゃな」
「お前ら! そこを動くな! 動けば特使の命はないぞ!」
偽の治安部隊のリーダーが、アーネスト特使の額に銃口を押し当てながら喚き散らす。
「貴様らエインヘリアルは、ここで特使を殺し、我々治安部隊によって討ち取られるんだよ!」
男たちが一斉に、ローゼリアとリアンヌに向けてアサルトライフルの銃口を向け、引き金を引いた。
「ローゼリア!」
「案ずるな!」
銃声が裏路地に響き渡る。
しかし、その凶弾が二人の体を貫くことはなかった。
「私の主を、その薄汚い企みに巻き込むな!!」
リアンヌが、ローゼリアの前に立ちはだかり、左腕のデバイスから瞬時に『小型の絶対守護防壁』を展開した。
黄金の光の盾が、降り注ぐ銃弾をすべて弾き返し、火花を散らす。
そして、盾の背後から、ローゼリアが特使を庇うように飛び出した。
彼女の両手には、戦乙女の制服には似つかわしくない、二つの武骨な装備が握られていた。
左手には、折りたたみ式の分厚い『護身用シールド』。
そして右手には、異常なまでに銃身が太く、無数のエネルギーラインが走る、見るからに凶悪で破壊力抜群の『超大型ハンドキャノン』が構えられていた。
「な、なんだあのバズーカみたいな銃は!?」
偽装部隊の男たちが、その規格外の武器の威圧感に驚愕し、思わず動きを止める。
「動くな! この『魔力圧縮型・超絶殲滅砲』の餌食になりたくなければな!」
ローゼリアが、シールドを構えながらドスの効いた声でハッタリをかます。
実はこの銃、見た目だけは凶悪極まりないが、中身はただの『閃光と大きな音が出るだけの威嚇用ダミー銃』であった。生身での運動神経が絶望的なローゼリアは、本物の重火器など撃てば反動で肩を脱臼しかねないため、フィーネに頼み込んで「絶対に反動がなく、とにかく見栄えのする見掛け倒しの銃」を作ってもらっていたのだ。
さらに、自前のシールドも持参しているという徹底した「運動音痴の自衛スタイル」である。
だが、そんな裏事情を知らない男たちは、そのハッタリの威圧感に完全に呑まれていた。
「い、撃たれる前に殺せェッ!」
男たちの意識と銃口が、完全にローゼリアの「見掛け倒しの銃」へと向けられた。
そのコンマ一秒の隙を、銀河最強の盾は見逃さなかった。
「甘いですわ!!」
リアンヌが防壁を解除するや否や、しなやかな体術で敵陣へと飛び込んだ。
マギアナイトに乗らずとも、彼女たち戦乙女の生身の白兵戦能力は常人を遥かに凌駕している。
流れるような回し蹴りが一人目の銃を弾き飛ばし、続く掌底が二人目の意識を刈り取る。
「ヒィッ!?」
「ば、化け物……!」
「化け物とは失礼な! 銀河最強の盾と呼んでください!」
リアンヌが特使に銃を突きつけていたリーダーの腕を捻り上げ、的確な手刀で昏倒させた。
わずか十数秒。
裏路地にいた偽装部隊の男たちは、リアンヌの鮮やかな体術の前に全滅した。
「ふはははっ! 妾の見掛け倒しのハッタリに引っかかりおって! マギアナイトから降りれば妾はただの運動音痴じゃが、最強の相棒がおるのを忘れるな!」
ローゼリアは、ダミー銃を制服のホルスターに収め、自前のシールドを片手に得意げに胸を張った。
「……お怪我はありませんか、特使殿」
リアンヌが、へたり込んでいたアーネスト特使に手を差し伸べる。
「あ、ああ……。間一髪のところを、またしても助けられました。彼らは、一体何者なのですか……それにしても、見事な連携でしたな」
アーネストが震える手でリアンヌの手を握る。
「さてな。だが、奴らが流した『偽の通信』は、すでにエデンの治安局本部に届いておるじゃろう」
ローゼリアが路地の入り口に視線を向けると、遠くからサイレンの音が急接近してくるのが聞こえた。
「本物の治安部隊がやってきます。……この状況、彼らから見れば、私たちが特使を襲ったようにしか見えませんね」
リアンヌが、周囲に転がる偽の部隊員たちを見下ろしながら険しい顔をする。
「厄介なことになったな。ここで本物の警備隊とやり合えば、それこそ奴らの思う壺じゃ。……アルティナ、聞こえておるか!」
ローゼリアは、襟元の通信デバイスを起動し、母艦エインヘリアルへの直通回線を開いた。
『ええ、聞こえてるわよ、ローゼリア。街の監視カメラへのハッキング、たった今完了したわ』
アルティナの冷静な声が返ってくる。
どうやら、通信から状況を察知し、即座に電子戦を仕掛けてくれていたらしい。
『奴らの手回しは早いわね。特使が襲われた路地の監視カメラ映像が、巧妙に改ざんされているわ。今のままじゃ、本当にあんたたちが特使を襲ったことになってる』
「真実の映像を復元できるか?」
『私とシエラちゃんを誰だと思ってるの? 三十分、いえ、二十分ちょうだい。奴らの偽装データを完全に論破して、エデンの治安局の中枢に真実の映像を叩きつけてやるわ』
「二十分じゃな。上等じゃ」
ローゼリアが不敵に笑う。
『それまで、特使を連れて逃げ切れる? コロニー中の警備隊が、あんたたちをテロリストとして追ってくるわよ。ローゼリア、あんたの体力で大丈夫?』
「誰に物を言っておる。少し息が上がるくらいで音は上げんわい!」
ローゼリアは通信を切ると、自前のシールドを背中に回し、アーネスト特使の肩を支えるようにして立たせた。
「特使殿、少しばかり荒っぽい観光案内になるが、我慢してくれ。……リアンヌ、殿は任せたぞ!」
「はいっ! ローゼリアの背中と特使殿は、私が死守いたします!」
路地の入り口に、重武装した本物のエデン治安部隊が突入してくるのが見えた。
「そこを動くな! テロリスト集団エインヘリアル! 特使を解放し、武器を捨てて投降しろ!」
拡声器の怒声が響き渡る。
「お生憎様。我々は忙しいのでな。……リアンヌ!」
「目眩まし(フラッシュ・バン)、いきます!」
リアンヌが制服のポーチから閃光弾を投げ放ち、路地が強烈な光に包まれる。
治安部隊が目を抑えて怯んだ隙を突き、ローゼリアとリアンヌは特使を抱えたまま、白亜の街の入り組んだ路地裏へと駆け出していった。
「……ぜぇっ、ぜぇっ……! まさか、中立コロニーでこんなマラソンをする羽目になるとは……」
「息を整えてください、ローゼリア! 特使殿、足元に気をつけて!」
エデンの市街区の地下に広がる、旧式の資材搬入通路。
ローゼリアとアーネスト特使は肩で息をしながら、リアンヌの的確な先導によって、警備網の薄いルートを選びながら一時的な身の安全を確保していた。
日頃から運動不足(マギアナイトの操縦席に座りっぱなし)のローゼリアにとって、この逃走劇は戦闘以上に過酷な試練であった。
「申し訳ありません、ローゼリア殿。私のために、あなた方までお尋ね者に……」
アーネスト特使が、地下の壁に背を預けながら深く頭を下げる。
「き、気にするな。ぜぇ……我々は傭兵じゃ。理不尽なトラブルには慣れておる。……それに、依頼人を最後まで守り抜くのが、我々の流儀じゃからな」
ローゼリアは、息も絶え絶えになりながらも、余裕の笑みを浮かべて見せた。
「リアンヌ、追手の様子は?」
「上層の通りを、治安部隊の車両が通り過ぎていきました。こちらのルートにはまだ気づいていないようです。……ですが、コロニーの出入り口は完全に封鎖された模様です」
「だろうな。……さて、戦争を終わらせたくない『秘密組織』とやら。随分と手の込んだ嫌がらせをしてくれたものじゃ」
ローゼリアの真紅の瞳に、静かな怒りの炎が灯る。
「真正面から力で勝てないからと、このような陰湿な盤外戦術を仕掛けてくるとは。……限界まで鍛え上げた我々戦乙女の絆を、舐めるなよ」
ローゼリアが呟いた、その時であった。
襟元の通信デバイスから、ブリュンヒルデ団長の低く、静かな怒りを孕んだ声が響いた。
『——ローゼリア。リアンヌ。無事か』
「ああ、団長。特使も無事じゃ。そっちの進捗はどうじゃ?」
『アルティナとシエラが、今しがた監視カメラのオリジナル映像の復元と、偽装通信の発信源の特定を完了した。……これより、エデンの治安局中枢のネットワークを強行ハッキングし、全世界のモニターに真実を公開する』
「ほう。それは痛快じゃな」
ローゼリアの口角が吊り上がる。
『さらに、レガリアが連合国の裏ネットワークを洗い出し、今回の暗殺を企てた『秘密組織』のアジトが、コロニーの第十三区画の廃工場に偽装されていることを突き止めた』
「迅速な仕事ぶりじゃ。さすがは我らが頭脳班」
『我がエインヘリアルに泥を塗ろうとした愚か者どもには、相応の報いを受けさせねばならない。……ローゼリア、リアンヌ』
ブリュンヒルデの声が、絶対零度の指揮官のそれへと変わる。
『特使の安全が確保され、冤罪が晴れた瞬間……直ちに第十三区画へ向かえ。お前たちのマギアナイトは、現在フィーネが輸送用コンテナに偽装してそちらへ射出中だ』
「了解じゃ、団長。……売られた喧嘩は、倍にして買い返すのが傭兵の作法じゃからのう」
ローゼリアは、ダミーの銃をホルスターに押し込み、自前のシールドを構え直して獰猛な悪魔の笑みを浮かべた。
「行くぞ、リアンヌ! 逃走劇はここまでじゃ。これより、我々エインヘリアルをコケにした阿呆どもに、本物の恐怖を教えに行くぞ!」
「はいっ! ローゼリアの征く道を塞ぐ者は、すべて私の盾で粉砕いたします!」
息を吹き返した銀河最強の少女たちは、反撃の狼煙を上げるべく地下通路を駆け上がっていった。
平和な白亜の街の裏で蠢く陰謀は、激怒した戦乙女たちの圧倒的な武力によって、間もなく完全に粉砕されようとしていた。




