第三幕 第三十四話:幻の補給廠と、指揮官からの絶対命令
特異空間の深淵に浮かぶ、巨大な人工天体。
かつて旧帝国が『世界再建計画』の拠点として建造し、その後システムから完全に切り離された幻の無人補給廠『アイテール』。
エインヘリアルがその巨大なドックに接舷すると、施設は数百年の沈黙を破り、主の帰還を歓迎するかのように自動的に稼働を開始した。
ハンガーでは、無数の自動修復ドローンたちが無音で飛び回り、フィーネとシエラの的確な指示の下、戦乙女たちの機体の修復作業が急ピッチで進められていた。
旧帝国の正規プラントに眠っていた手付かずの装甲板や、純度の高い魔力結晶が惜しげもなく搬入され、ルシフェルやブラン・ゼファーの傷ついたフレームが次々と新品同様に蘇っていく。
一方、居住区画にある展望ラウンジ。
ローゼリア・エーベルヴァインは、ふかふかのソファに深く身を沈め、至福の吐息を漏らしていた。
「……はぁぁ。生き返るわい。エリーゼの特製ポトフは、相変わらず五臓六腑に染み渡るのう」
テーブルの上には、すっかり空になったスープ皿が置かれている。
連戦による生身の極度な筋肉痛と魔力枯渇で悲鳴を上げていた身体も、温かい食事と数時間の仮眠のおかげで、随分と軽くなっていた。
「(さて、機体のオーバーホールが終わるまで、もう少しだけ目を閉じさせてもらうかのう……)」
ローゼリアが再びうとうとし始めた、その時である。
プシュッ、と自動扉が開き、一人の女性がラウンジに足を踏み入れた。
「……邪魔するぞ、ローゼリア。少し休めているか?」
エインヘリアルの真の主にして、銀河最強の傭兵団を束ねる指揮官、ブリュンヒルデであった。
彼女もまた、艦の指揮と撤退の判断という重圧から解放され、一区切りついたことで休息を取りにきたのだろう。いつもは隙のない軍服の襟元が少しだけ緩められていた。
「おお、団長か。うむ、おかげさまで身体の軋みもだいぶ抜けたわ。……そっちこそ、休まなくて良いのか?」
「私も今から休むところだ。……ほら、アルティナから少し分けてもらった特製コーヒーだ。付き合え」
ブリュンヒルデは、二つのマグカップをテーブルに置き、ローゼリアの向かい側のソファに腰を下ろした。
深く焙煎されたコーヒーの香りが、ラウンジに漂う。
「ありがたくいただくぞ。……それにしても、この『アイテール』とやらは凄まじいな。フィーネが泣いて喜ぶほどの設備と物資が、丸ごと残っておるではないか」
ローゼリアがマグカップに口をつけながら言うと、ブリュンヒルデも頷いた。
「ああ。レガリアの案内がなければ、我々は今頃、ボロボロの機体で特異空間を彷徨っていただろう。撤退の判断は間違っていなかった」
ブリュンヒルデはコーヒーを一口飲み、ふう、と息を吐いた。
そして、彼女はマグカップをテーブルに置き、それまでの穏やかな表情を一変させ、指揮官としての……いや、ローゼリアという一人の少女を預かる「保護者」としての、鋭く真剣な眼差しを向けた。
「ローゼリア。お前が英気を養っているところに申し訳ないが……これからの最終決戦に向けて、一つ、お前にきつく釘を刺しておかねばならないことがある」
ブリュンヒルデの低く通る声に、ローゼリアは背筋をスッと伸ばした。
「……なんじゃ、改まって。戦術の変更か?」
「いや。戦術ではない。お前の『戦い方』そのものについてだ」
ブリュンヒルデは、腕を組み、ローゼリアの真紅の瞳を真っ直ぐに射抜いた。
「お前は、確かに銀河最強のパイロットだ。お前の反射神経、空間把握能力、そして魔力の扱いは、我々戦乙女全員が束になっても敵わない次元にある。……だがな、ローゼリア。お前は最近、自分の命を天秤にかけるような『特攻紛いの突撃』が多すぎる」
その指摘に、ローゼリアはピクリと肩を震わせた。
「あの十万のレギオン部隊との防衛戦でもそうだ。お前はたった一人で敵の総指揮官機に突っ込み、危うく相打ちになりかけた。先ほどの神機ゼウスとの戦いでも、リアンヌが盾にならなければ、お前は防壁を展開する暇もなく、あの回避不能の神雷を己の身で受け止めようとしていたはずだ」
図星であった。
ローゼリアの中身は、かつて数々の修羅場を「プレイヤー」として一人でくぐり抜けてきた男である。
誰かを頼るよりも、自分がすべてのリスクを背負い、自分が前に出て敵の攻撃をすべて引き受ける。それが、最も効率的で確実な勝利への道だと、心のどこかで思い込んでいたのだ。
「……それは。妾が一番前で敵の注意を引きつけた方が、皆が安全に戦えるからじゃ。妾はそう簡単には落ちんし、あの時はそれが最善の手じゃと……」
「それは『兵器』の考え方だ、ローゼリア」
ブリュンヒルデの厳しい声が、ローゼリアの言い訳をピシャリと遮った。
「お前はもう、孤独に戦場を彷徨っていた名もなき傭兵ではない。このエインヘリアルの筆頭パイロットであり、我々にとってかけがえのない『家族』だ。……お前が己を犠牲にして勝利を拾ったとして、残された者たちがどうなるか、想像したことがあるか?」
ブリュンヒルデの青い瞳に、微かな、しかし確かな痛みの色が浮かんだ。
「お前を失えば、リアンヌは盾としての誇りを失い、生きる意味を見失うだろう。エリーゼは狂乱し、アルティナは己のアイデンティティを保てなくなる。ウルスラも、ロスヴァイセも、ランドグリーズも……そして新たに加わったシエラやレガリアでさえ、深い絶望に沈むことになる」
ブリュンヒルデは、身を乗り出し、ローゼリアの小さな肩を両手でしっかりと掴んだ。
「お前の命は、もうお前一人だけのものではないのだ。誰かを守るために、自分を捨てるような真似は二度とするな。……敵と刺し違えてでも勝とうとするな。全員で生き残り、全員で勝つ。それ以外の結末を、私は指揮官として絶対に許可しない」
肩を掴むブリュンヒルデの手は、力強く、そして微かに震えていた。
傭兵団の長として、これまで数え切れないほどの部下を戦場で失ってきた彼女だからこそ、これ以上の喪失を恐れているのだ。
特に、ローゼリアという、太陽のように皆を惹きつける破天荒なエースを。
「(……そうじゃな。妾は、思い上がっておったのかもしれん)」
ローゼリアは、静かに目を伏せた。
自分がいなければ皆が死ぬ、自分が全部背負わなければならない。それは一見すると仲間思いのようでいて、実は仲間たちの「自分を守ろうとする力」を信じ切れていないことの裏返しであった。
リアンヌは「私の盾を信じてください」と泣きそうな顔で訴えた。
エリーゼもアルティナも、背中を預けろと言ってくれた。
彼女たちは、守られるだけの存在ではない。共に死線を越え、神々さえも討ち果たす力を持つ、銀河最強の『翼』なのだ。
ローゼリアは、顔を上げ、ブリュンヒルデの真剣な瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「……すまん、団長。お前の言う通りじゃ。妾は少しばかり、一人で突っ走る癖が抜けきっておらんかったようじゃ」
ローゼリアは、ブリュンヒルデの手に自らの小さな手を重ねた。
「約束する。もう二度と、命を安売りするような特攻はせん。……リアンヌの盾を信じ、アルティナの眼を信じ、エリーゼたちの火力を信じる。妾は、皆の真ん中で剣を振るう『エース』として……必ず、誰一人欠けることなく、生きてお主の元へ帰ってくる」
その言葉には、かつての孤独な死神の響きはなかった。
仲間を信頼し、共に未来を掴み取ろうとする、真のパイロットとしての揺るぎない覚悟が込められていた。
ローゼリアの瞳に宿る力強い光を見て、ブリュンヒルデはふっと肩の力を抜き、ようやくいつもの余裕のある美しい微笑みを取り戻した。
「……その言葉が聞きたかった。銀河最強のパイロットが、最強の仲間を信頼したのだ。これで、あの引きこもりの神様どもに負ける要素は完全に無くなったな」
ブリュンヒルデは手を離し、冷めかけたコーヒーを美味しそうに飲み干した。
「しっかり休んでおけ、ローゼリア。機体の修復が終わり次第、特異空間への侵攻を再開する。残る四柱の管理者を、お前たちの手で跡形もなく消し去ってこい」
「応! 任せておけ。我々エインヘリアルの恐ろしさを、宇宙の果てまで骨の髄まで刻み込んでやるわい!」
ローゼリアが不敵に笑って親指を立てると、ブリュンヒルデも満足そうに頷き、ラウンジを後にした。
再び静寂が戻ったラウンジで、ローゼリアは残っていたコーヒーを飲み干す。
カフェインの苦味と共に、熱い闘志が全身を駆け巡るのを感じた。
「(……さあ、万全の態勢で挑む最終決戦じゃ。待っておれよ、四柱の阿呆ども。今度は妾一人じゃない。最高のパーティーで、お主らの理不尽な盤面ごと完全に粉砕してやる!)」
疲労は抜け、機体は蘇る。
そして何より、心には絶対に揺るがない「生きて帰る」という誓いが刻まれた。
銀河最強の傭兵団は、幻の補給廠『アイテール』での休息を経て、ついに宇宙の命運を懸けた最後の戦場へと向けて、その極彩色の翼を大きく広げるのであった。




