第三幕 第三十三話:限界の軋みと、英断の帰投
巨大な正八面体——管理者の第2柱が宇宙の塵となって消え去り、歪んだ特異空間に一時的な静寂が訪れた。
強敵を鮮やかな罠で葬り去った戦乙女たちの通信回線には、歓喜の声が飛び交っていた。
「やりましたわ! これで厄介な神様がまた一柱、消滅しましたのね!」
「シエラちゃんと私の電子戦、そして団長のえげつない罠の完全勝利ね!」
「……皆、見事な連携だった。これで残るは四柱だ」
エリーゼ、アルティナ、ウルスラたちが口々に勝利の余韻を噛み締める中、漆黒の悪魔『ルシフェル』のコックピットで、ローゼリアもまた興奮冷めやらぬ様子で操縦桿を握り直していた。
「(ふはははっ! 最高じゃ! どんな理不尽な力を持った強敵だろうと、仲間の連携さえ極めれば確実に仕留められる! この調子で、残りの四柱も一気に……!)」
「よし、お前たち! このままの勢いで次の目標を捕捉し、一網打尽に……」
ローゼリアが次なる突撃の号令をかけようとした、まさにその時である。
『——ピーーーッ! 警告。機体各部の魔力伝導回路に深刻なオーバーヒートを確認。装甲の分子結合率、危険域に低下。ジェネレーター出力、残存一八パーセント』
ルシフェルの全周囲モニターに、血のような赤い警告ウィンドウが次々とポップアップした。
それと同時に、これまでの連戦で蓄積されていた疲労が、ローゼリアの生身の肉体にも鉛のように重くのしかかってきた。
「な、なんじゃ!? 急にシステムが悲鳴を上げ始めたぞ!」
『限界です、マスター』
脳内に直接響くバハムートの声は、どこか呆れたような、しかし確かな危機感を孕んでいた。
『ゼウスとの死闘から、まともな休息も補給もなしに特異空間へと突入し、さらには先ほどの最大出力による次元断裂砲の連続使用。……本機体は、物理的にも魔力的にも、文字通り「限界」を迎えています』
バハムートの警告を裏付けるように、通信回線越しに整備班長フィーネの怒声がエインヘリアルから飛んできた。
『……てめェら! アタシのかわいい機体をスクラップにする気か!!』
「ひゃうっ!? ふ、フィーネ!?」
『テレメトリーのデータを見てみろ! エリーゼのベルフェゴールは魔力切れ寸前でスラスターが焼き付きかけてるし、リアンヌのブラン・ゼファーに至っては、ゼウス戦で失ったシールドと右腕のバランス異常を無理やり姿勢制御でカバーしてやがるせいで、メインフレームが歪み始めてんだぞ!』
フィーネの言う通りであった。
アドレナリンと勝利の興奮で麻痺していたが、戦乙女たちの機体は、すでに満身創痍という言葉すら生ぬるい状態だったのだ。
特に、物理法則が狂い、常に空間が歪み続けているこの『特異空間』での活動は、機体の姿勢制御システムとパイロットの精神に、通常宙域の数倍の負荷を強いていた。
「……くっ。確かに、少しスラスターの反応が鈍いとは思っていましたが……」
リアンヌが、己の不甲斐なさを恥じるように呟く。
「私のアリス・レギオンも、電子戦リソースを過剰に回しすぎたため、冷却液が完全に枯渇しました。これ以上の戦闘は、機体の自壊を招きます」
シエラも、極めて冷静に絶望的な状況を報告した。
『さらに言えば、本艦エインヘリアルも無事ではない』
ブリッジから、ブリュンヒルデ団長の低く厳しい声が響いた。
『特異空間のノイズを弾きながらの次元跳躍、および防壁の最大展開により、艦の予備エネルギーも底をつきかけている。……弾薬、推進剤、そしてパイロットの体力。すべてにおいて、我々は今、赤いランプが点滅している状態だ』
「……じゃが、団長!」
ローゼリアは、食い下がるようにモニター越しのブリュンヒルデを見つめた。
「奴らは今、第2柱を失って指揮系統が混乱しておるはずじゃ! この好機を逃せば、残る四柱はさらに強固な防衛陣地を築き、宇宙初期化の準備を整えてしまうかもしれんぞ! 傭兵としては、ここは少しばかり無理をしてでも、敵を追い詰めるべき場面じゃ!」
歴戦の勘が、「今が最大のチャンス」だと告げていた。
実際、敵が浮き足立っている今ならば、多少の無理を押してでも奇襲が成功する確率はある。
しかし、ブリュンヒルデは腕を組み、冷徹な青い瞳でローゼリアを真っ直ぐに見据え返した。
「焦る気持ちは分かる。だが、これは現実だ、ローゼリア」
ブリュンヒルデの言葉は、氷のように冷たく、そして母のように温かかった。
「お前が死ねば、終わりだ。リアンヌが、アルティナが、エリーゼが……誰か一人でも欠ければ、お前は二度と立ち直れまい。……私は、銀河最強のパイロットを雇う傭兵団の長として、部下たちに『死を前提とした玉砕』を命じるつもりは毛頭ない」
「……団長」
「死んだ兵士は、世界を救えない。弾のない銃では、神は殺せないのだ。……総員に告ぐ。我々はこれより、残存する四柱への追跡を一時中止する」
ブリュンヒルデの明確な撤退命令。
それは、感情や勢いに流されず、部下の命と大局を見極める、指揮官としての英断であった。
「……そうじゃな。お前の言う通りじゃ」
ローゼリアは、ふっと肩の力を抜き、操縦桿から手を離した。
「(手負いの状態で、休息もなしに連戦を挑むなど、ただの無謀じゃ。……それに、妾の背中を守ってくれる大事な盾たちを、これ以上ボロボロにするわけにはいかん)」
「了解じゃ、団長。……で? 追跡を中止して、どこへ向かうのじゃ? この特異空間の真っただ中に、都合の良い補給拠点があるわけでもなかろう?」
ローゼリアの問いに、ブリュンヒルデの傍らに控えていたレガリアが静かに口を開いた。
「……一つだけ、心当たりがあるわ」
「レガリア? 心当たりとは?」
アルティナが尋ねる。
「ええ。この次元の狭間には、かつて旧帝国が『世界再建計画』の準備段階として密かに建造し、その後システムによって放棄された、巨大な無人補給廠が存在しているの。……名称は『アイテール』。私たちの管理ネットワークからも完全に切り離された、いわばデッドゾーンよ」
レガリアは、ブリッジのコンソールを操作し、特異空間の深淵にある特定の座標をモニターに表示した。
「そこなら、古代マギアナイトの予備パーツも、高純度の魔力結晶も、手付かずのまま大量に眠っているはず。……残る四柱も、私たちがそこに立ち寄ることまでは計算できないわ」
「ほう! それはまさに『秘密の拠点』にして『宝物庫』ではないか!」
ローゼリアの真紅の瞳が、再びキラキラと輝き始めた。
「レガリア。その補給廠の設備を使えば、機体の修復は可能か?」
ブリュンヒルデが、通信回線越しにフィーネに確認を取る。
『ああ! 旧帝国の正規プラントが丸ごと残ってんなら、ルシフェルやアリス・レギオンの古代フレームのオーバーホールも、リアンヌのシールドの再構築も、数時間でやってのけてやるよ!』
フィーネの頼もしい声が返ってくる。
「決まりだな。……総員、直ちに艦へ帰投しろ。我々はこれより、旧帝国の補給廠『アイテール』へと進路を取る!」
『『『了解!!』』』
戦乙女たちの力強い返事が、通信回線に響き渡った。
エインヘリアルのメインハッチが開き、満身創痍の戦乙女たちが次々とハンガーへと帰投していく。
ルシフェルを所定のデッキに降着させたローゼリアは、ハッチを開け、重い身体を引きずるようにしてコックピットから降り立った。
「あいたた……。筋肉痛のレベルを超えておるわ。身体中がバキバキじゃ」
「ローゼリア! お疲れ様でした!」
タラップを降りた先で待っていたのは、自機を降りたリアンヌであった。
彼女もまた疲労困憊のはずだが、その顔には、無事に主を連れ帰ることができた安堵の笑みが浮かんでいた。
「おお、リアンヌ。お主も無事で何よりじゃ。……機体が歪むまで無理をさせおって、すまんかったな」
「何を仰いますか! 私の機体がいくら歪もうとも、ローゼリアの御身に傷一つ付かなかったのですから、盾としては完璧な仕事です!」
胸を張るリアンヌに、ローゼリアは苦笑しながらその頭をポンポンと撫でた。
「お主は本当に、妾のこととなると限界を知らんからな。……じゃが、団長の言う通りじゃ。休むことも、また戦いの一部。しっかり補給して、機体を直して、万全の状態で最後の決戦に挑むぞ」
「はいっ!」
そこへ、エリーゼとアルティナ、そしてシエラも合流してきた。
「お姉様! 補給廠に着いたら、まずはゆっくりと仮眠を取りましょう! 私が腕によりをかけて、疲労回復に効く特製ポトフを作っておきますわ!」
「私はシエラちゃんと一緒に、新しい電子戦のアルゴリズムを組んでおくわ。第2柱のデータが手に入ったから、残りの連中へのハッキングも少しは楽になるはずよ」
「……私は、フィーネ班長の手伝いをします。皆さんの機体の整備、私が完璧に仕上げてみせます」
シエラが、静かに、しかし確かな仲間意識を込めて頷いた。
「うむ! 頼もしい限りじゃ! ……よし、ならば補給が終わるまでの間は、完全なる休息時間とする! 食って、寝て、万全の態勢を整えるぞ!」
ローゼリアの号令に、戦乙女たちは笑顔で頷き合った。
特異空間のノイズを切り裂きながら、エインヘリアルは幻の補給廠『アイテール』へと向かって進んでいく。
狂気に囚われた神々との最終決戦を前に、銀河最強の傭兵団は、その刃を極限まで研ぎ澄ますため、静かなる休息の地へと身を寄せるのであった。




