第三幕 第二十八話:堕ちた第一柱と、終わらぬ神々の狂気
黄金の粒子が静かに舞い散る、高次元領域『円卓』。
かつて全宇宙の因果律を管理していた絶対の空間は、今や激しい戦闘の爪痕が深く刻まれた廃墟と化していた。
「……アルティナ! エリーゼ! 返事をしろ、無事か!?」
ローゼリアの緊迫した声が、通信回線に響き渡る。
ゼウスとの死闘の末、アルティナの『ハルファス・イクリプス』は電子回路を焼き切られて機能停止し、エリーゼの『ベルフェゴール』はエネルギーを完全に使い果たして宇宙空間を漂っていた。
『……ん、うぅ……ローゼリア?』
ノイズ混じりの回線から、アルティナの微弱な声が返ってくる。
「アルティナ! 怪我はないか!」
『……なんとかね。機体は完全にショートしてウンともスンとも言わないけど、生命維持装置は生きてるわ。……それより、勝ったのね?』
「うむ、妾たちの完全勝利じゃ!」
『……お姉様……』
続いて、別の回線から涙声のエリーゼが聞こえてきた。
『お姉様ぁっ! 申し訳ありません、お姉様の盾となるべき私が、早々にエネルギー切れで倒れてしまうなんて……! 腹を切ってお詫びを……』
「馬鹿者! お前たちの決死の猛攻があったからこそ、あのゼウスの因果律バリアに綻びが生じたんじゃ。誰一人欠けても、この勝利はあり得なかった。……今はゆっくり休め」
ローゼリアの優しい言葉に、エリーゼは通信越しに声を上げて泣きじゃくった。
「ウルスラ、リアンヌ。それにランドグリーズ、ロスヴァイセ、オルトリンデも。お主らも本当によく耐えてくれたな」
右半身の装甲が大きくひしゃげ、火花を散らしているウルスラのミネルヴァ・アサルト。
ゼウスの放った回避不能の神雷を正面から受け止め、専用シールドと右腕の兵装を完全に失ったリアンヌのブラン・ゼファー。
そして、絶望的な戦力差の中でも決して諦めず、後方からの分厚い弾幕と魔力防壁、精密な狙撃でローゼリアたちを限界まで援護し続けた三機も、機体の各所から白煙を上げていた。
「……殿下の御前を塞ぐ障害を排除できたのなら、これしきの損傷、かすり傷に過ぎません」
ウルスラが、息を荒らげながらも誇り高く応える。
「ローゼリアが無事で……本当に、よかった……」
リアンヌは、極度の魔力消費による疲労からか、コックピットの中で意識を朦朧とさせながらも、安堵の笑みを浮かべていた。
『マジで死ぬかと思ったけどね! でも、最後まで撃ち抜いてやったわよ!』
ランドグリーズが豪快に笑う。
『ええ、無茶苦茶な相手でしたけれど……私たちの絆の勝利ですわね』
ロスヴァイセがおっとりと、しかし確かな疲労を滲ませて微笑む。
『……私の狙撃も、少しはお役に立てたのなら光栄です』
オルトリンデも静かに、誇らしげに頷いた。
『——総員、よくやった。これより、本艦はエインヘリアルよりトラクタービームを照射し、損傷した機体の回収作業に入る。警戒を怠るな』
母艦エインヘリアルのブリッジから、ブリュンヒルデ団長の威厳ある声が届く。
「団長、こっちの制圧も完了じゃ。……捕虜を一名、連れて帰るぞ」
ローゼリアは、ゼウスの残骸の前で膝を突いている管理者の長・レガリアへと視線を向けた。
神の代行者としての威厳を失い、純白のドレスを煤で汚した彼女は、抵抗する気力すら失ったように、静かにその場に俯いていた。
数時間後。
母艦エインヘリアルの特別尋問室。
尋問室といっても、拷問器具などがあるわけではなく、柔らかなソファとテーブルが置かれた、応接室のような空間である。
そこには、手首に魔力封じの特殊な手錠をかけられたレガリアが座っていた。
彼女の向かいには、ローゼリアとブリュンヒルデ。そして、壁際にはリアンヌとシエラが静かに立っている。
テーブルの上には、ロスヴァイセが淹れた温かいハーブティーが置かれていたが、レガリアはそれに口をつけることなく、ただジッと自らの手錠を見つめていた。
「……飲まないのか? 毒など入っておらんぞ。もっとも、高次元の存在である貴様に毒が効くのかどうかは知らんがな」
ローゼリアが、自らのカップに口をつけながら尋ねる。
「……私は、システムの一部。食事や水分の摂取は必要ないわ」
レガリアが、感情の起伏のない冷ややかな声で答えた。
「そうか。まあ、気が向いたら飲むが良い。……さて、レガリアとやら」
ローゼリアは、カップを置き、真紅の瞳で真っ直ぐに彼女を見据えた。
「お主らが何を企み、どうやってこの三次元宇宙を管理していたかは、ある程度シエラから聞いている。……だが、腑に落ちないことがある」
ローゼリアの言葉に、ブリュンヒルデも頷く。
「ああ。ゼウスとやらの性能は、確かに規格外だった。だが、お前たち六柱が全員で力を合わせてあの空間を防衛していれば、我々にも勝機はなかったかもしれない。なぜ、他の連中はあそこを放棄して逃げたのだ?」
レガリアは、ゆっくりと顔を上げ、ローゼリアたちを静かに見つめ返した。
「……恐怖よ」
「恐怖?」
「ええ。あなたたち三次元の生命体には理解できないかもしれないけれど……私たち管理者は、絶対的な『論理』と『計算』によって存在しているの。すべての事象は予測可能であり、管理可能な箱庭のはずだった」
レガリアの瞳に、微かな揺らぎが生じる。
「けれど、あなたは違った。特異点ローゼリア・エーベルヴァイン。あなたの存在は、私たちの計算をことごとく覆した。絶対に回避不可能なはずの攻撃を、直感と反応速度だけで躱し、絶対に突破不可能な防壁を、仲間との『絆』という数値化できない力で打ち破ってきた」
レガリアは、かつてローゼリアによって中枢コアを破壊された仲間のことを口にした。
「……以前、あなたが第四区画に干渉した際、私たちの一柱である第4柱は、完全に消去されたわ。絶対安全圏にいるはずの私たちが、下位次元の存在によって『殺された』。その事実は、システム全体に致命的な価値観の崩壊を引き起こしたの」
「ふん。自業自得じゃな。安全な場所から一方的に攻撃を仕掛けておいて、反撃されたら怯えるなど、虫が良すぎるわい」
ローゼリアが鼻を鳴らす。
「あなたの言う通りね。だからこそ……彼らは逃げた。このまま『円卓』に留まり、あなたと正面から衝突すれば、自分たちも第4柱と同じように消去されると、システムが弾き出したから」
「では、なぜお前だけが残った?」
ブリュンヒルデが鋭く問い詰める。
レガリアは、少しだけ自嘲気味に微笑んだ。
「私は第1柱。システムの基幹となる存在。……他の五柱が逃亡するための時間を稼ぎ、空間座標の痕跡を完全に消去するためには、私がゼウスと同化して、あなたたちを足止めするしかなかったのよ。……結果として、私はこうして生き恥を晒しているけれど」
「……トカゲの尻尾切り、というわけか。神様とやらも、随分と人間臭い真似をするもんじゃな」
ローゼリアは呆れたように肩をすくめた。
「……ローゼリア。あなたたちに降伏した身で、こんなことを言うのは筋違いかもしれないけれど」
レガリアは、それまでの冷ややかな態度を崩し、初めてその顔に「焦燥」の色を浮かべた。
「警告しておくわ。彼らの排除行動は、まだ終わっていない」
「何?」
ローゼリアの瞳が細められる。
「逃亡した残りの五柱……第2、第3、第5、第6、第7柱。彼らは、あなたという存在を排除することを、決して諦めてはいないわ。むしろ、円卓という拠点を失い、世界再建のための『レギオン』という手足を失ったことで……彼らの論理回路は、もはや正常な判断基準を失い、完全に『狂気』に囚われている」
レガリアの言葉に、部屋の空気が一気に冷え込んだ。
「狂気、だと? 管理するシステムが狂ってどうする」
ブリュンヒルデが眉根を寄せる。
「管理するべき対象である三次元宇宙そのものが、彼らにとっては『恐怖の源』に変わってしまったのよ。……彼らは今、この宇宙の物理法則のさらに外側……次元の狭間に存在する『特異空間』へと身を隠したわ」
レガリアは、手錠をかけられた両手をギュッと握り締めた。
「彼らは、あなたを排除するためなら、三次元宇宙そのものがどうなってもいいと考えている。……もはや、文明の再建などという悠長な計画ではない。彼らが実行しようとしているのは、宇宙の法則そのものを書き換え、全てを『無』へと帰す最終プロトコルよ」
「宇宙の法則を書き換える……!? そんなことが可能なのか!?」
リアンヌが驚愕の声を上げる。
「ええ。彼らが全リソースを暴走させ、上位次元から『強制初期化』のエネルギーを流し込めば……この宇宙は、星も、生命も、時間すらも、全てが原子の塵へと還元される。……あなたというたった一つのイレギュラーを、物理的・空間的に完全に消去するためにね」
その恐るべき警告に、尋問室は重苦しい沈黙に包まれた。
十万のレギオン部隊や、古代マギアナイトの群れなど、比較にならない。
残る五柱の神々は、自分たちの命を脅かすローゼリアを殺すためだけに、この宇宙そのものを丸ごと「削除」しようとしているのだ。
「……馬鹿げている」
沈黙を破ったのは、ローゼリアだった。
彼女は、恐怖するどころか、静かな、しかし確かな怒りの炎をその真紅の瞳に宿していた。
「盤面で勝てないからといって、盤面ごとひっくり返して台無しにするなど……最もやってはならない最低の行為じゃ。そんな三流以下の連中に、この妾が負けるわけにはいかんな」
ローゼリアは立ち上がり、レガリアを見下ろした。
「奴らが逃げ込んだという『特異空間』とやら。座標は分かるか?」
「……ええ。私の内部システムには、彼らと接続していた履歴が残っている。解析すれば、次元の狭間への経路を割り出すことは可能よ。……でも、行くつもり? 相手は、理性を失った五柱のシステムよ。ゼウスのような強力な防衛機構を、今度は手段を選ばずに展開してくるわ」
「行くに決まっておろう。売られた喧嘩から逃げる趣味はないし、この妾の愛する日常を、勝手に消去されてたまるものか」
ローゼリアが不敵に笑う。
「それに、手段を選ばないのはこちらも同じじゃ。奴らがどんな理不尽な罠を張ろうと、妾たち戦乙女の絆と執念で、真っ向から食い破ってやるわい!」
「……本当に、非論理的で……無茶苦茶な人」
レガリアは、ローゼリアの揺るぎない自信と闘志を前に、毒気を抜かれたように小さくため息をついた。
システムとして計算にのみ生きてきた彼女にとって、絶望的な状況を前にしてなお不敵に笑うこの少女の存在は、理解不能でありながらも、どこか眩しく感じられた。
その時、ずっと壁際で控えていた銀髪の少女、シエラが一歩前に出た。
「……シエラ。あるいは、個体番号シグマ・セブン」
レガリアが、彼女を見て目を細める。
「はい。私は、あなた方管理者の手によって、世界再建の道具として製造されたホムンクルスです」
シエラは、かつての創造主であるレガリアに対し、微かな敵意も恐れもなく、ただ淡々と告げた。
「私が……私たちが、あなたたちを使い捨ての駒として扱ったことを、恨んでいる?」
レガリアの問いかけに、シエラは静かに首を横に振った。
「いいえ。私は兵器として生み出された存在。当初は、そこに感情などありませんでした。……ですが、私は彼らに拾われ、名前を与えられ、共に戦う中で……『心』を獲得しました」
シエラは、自らの胸に手を当て、柔らかな眼差しでローゼリアたちを見た。
「私は今、彼らの仲間として、この船で生きることに喜びを感じています。……レガリア。あなたも、計算と論理だけの存在ではないはずです。私たちに『心』が芽生える余地を残して設計したのは、あなたたち自身なのですから」
その言葉に、レガリアはハッと息を呑んだ。
完璧なシステムであるはずの彼らが、なぜホムンクルスに、不確実な『心』が生じる可能性を排除しきれなかったのか。
それは、彼ら自身の中にも、無意識のうちに「生命の進化」を望む、感情の欠片が残っていたからではないのか。
「……心、か」
レガリアは、テーブルの上に置かれていた、すでに少し冷めてしまったハーブティーのカップを見つめた。
そして、震える手でそれを持ち上げ、ゆっくりと口に運んだ。
「……温かいのね。ただのデータではなく……これが、あなたたちが守ろうとしているものの温度」
レガリアの頬に、彼女自身も理解できない、一筋の涙が伝い落ちた。
「レガリア。お前も、私たちの船に乗っている以上、ただの捕虜ではない。……お前のその知識と力、残る五柱を止めるために貸してもらうぞ」
ブリュンヒルデが、静かに、しかし力強く告げる。
「……ええ。私を捨てた彼らを止めることが、今の私にできる唯一の論理的帰結よ。……案内するわ。五柱が潜む、宇宙の深淵へと」
レガリアが静かに頷いたことで、新たな戦いの道標が示された。
宇宙の消去を目論む、狂気に囚われた五柱の神々。
彼らが潜伏する次元の狭間への扉をこじ開けるため、母艦エインヘリアルは、急ピッチで機体の修復と補給を開始する。
戦乙女たちの機体は満身創痍であり、戦力は万全とは程遠い。
だが、彼女たちの心に宿る炎は、決して消えることはない。
かつての敵をも仲間に引き入れ、その絆をより強固なものとした銀河最強の傭兵団は、宇宙の命運を懸けた真の最終決戦へと向けて、静かにその刃を研ぎ澄ましていくのであった。




