第三幕 第二十七話:神機ゼウスと、絆の臨界点
「ここは私の領域。あなたがたの武器など、存在しないのと同じこと」
黄金色の粒子が舞う高次元領域『円卓』の中央で、第1柱たる管理者レガリアが静かに告げた。
彼女が白魚のような掌を天へと掲げた瞬間、空間そのものが共鳴し、眩い閃光が円卓全体を包み込んだ。
光の奔流の中から姿を現したのは、純白と黄金の装甲に身を包んだ超次元マギアナイトであった。
全長は五十メートルを超え、背部には神々しい光の輪を背負い、機体の各所から迸る黄金の雷鳴が空間を震わせている。それは、先ほどまで戦っていた古代マギアナイト群や神帝機すらも児戯に思えるほどの、絶対的な神威を放っていた。
『——神機ゼウス。三次元宇宙の因果律そのものを操作し、万物を統べる王座の剣。来なさい、反逆の特異点とその翼たち。神の力の前に、己の無力さを悟りなさい』
レガリアの肉体が光の粒子となってゼウスの中枢へと吸い込まれ、黄金の巨兵がその双眸を赤く輝かせた。
「……因果律を操作する、じゃと? 大層な御託を並べおって!」
漆黒のルシフェルのコックピットで、ローゼリアは操縦桿を強く握りしめた。
彼女の両脇と後方には、リアンヌ、アルティナ、ウルスラ、エリーゼ、ロスヴァイセ、ランドグリーズ、そしてシエラの七機が完璧な包囲陣を敷いている。
相手はたった一機。こちらには頼もしい七機の仲間がいる。
1対7という圧倒的な数の有利がある状況にも関わらず、ローゼリアの背筋には、かつてないほどの冷たい汗が伝っていた。
ゼウスが放つプレッシャーは、戦術や機体性能といった次元を遥かに超越し、空間そのものが「お前たちは敗北する」と語りかけてきているかのような、根源的な絶望感を孕んでいたからだ。
「総員、攻撃開始! 一斉射撃で蜂の巣にしてやれ!」
ローゼリアの号令とともに、戦乙女たちが一斉に火蓋を切った。
「私の狙撃から逃れられると思わないで!」
後方から、アルティナのハルファス・イクリプスとオルトリンデのジークルーネが放つ超長距離マナ・スナイパーの光条が、ゼウスの頭部を正確に撃ち抜く——はずだった。
だが、光条がゼウスに直撃するコンマ数秒前。黄金の機体の周囲の空間がぐにゃりと歪み、ビームの軌道が「初めからそこには撃たれなかった」かのように、何もない虚空へと逸れて消滅した。
「嘘でしょ!? 私の狙撃が……空間ごと書き換えられた!?」
アルティナが驚愕の声を上げる。
『ただの物理攻撃は無意味よ。因果の理を束ねるゼウスには、結果から逆算して「当たらなかった」という事象を固定できる』
ゼウスの冷徹な声が響く。
「なら、そのふざけたシステムごと、私が書き換えてあげるわ!」
アルティナは即座に機体の全エネルギーを電子戦に切り替え、ゼウスの因果律操作機構に対してダイレクトハッキングを試みた。
だが、それが致命的な隙となった。
『下位次元の電子戦で、神の演算に干渉しようなどと。……愚かな』
ゼウスの背部の光の輪が回転し、アルティナのハッキング経路を逆に辿って、莫大な情報処理の負荷をハルファスへと逆流させた。
「きゃあああああっ!?」
「アルティナ!」
ハルファスのコックピット内に警報が鳴り響き、電子回路が次々と焼き切れる。各部の装甲の隙間から激しい火花を吹き上げたハルファスは、完全に機体制御を失い、機能停止状態となって宇宙空間を漂い始めた。
「よくもアルティナを……! お姉様に近づく前に、私がチリにして差し上げますわ!!」
親友を撃破された怒りに燃えるエリーゼが、ベルフェゴールを前に進める。
背部の六基の次元断裂砲と、機体の全砲門を全開にし、限界出力を超えた黄金の極太レーザーのフルバーストを放った。
「これなら、書き換える隙など与えませんわ!! 消えなさい!!」
空間そのものを抉り取るエネルギーの奔流が、ゼウスの因果律防壁と正面から激突する。
円卓の空間に亀裂が走り、凄まじい衝撃波が吹き荒れる。数十秒にも及ぶ、執念の連続照射。
だが、光の嵐が収まった後、そこに立ち尽くしていたゼウスは、装甲に焦げ目一つついていなかった。
「そんな……私の最大火力が……」
プスン、と鈍い音を立てて、ベルフェゴールが完全に沈黙する。過剰なまでの出力を強引に絞り出した結果、魔力とジェネレーターのエネルギーを完全に使い果たしてしまったのだ。
「くっ……お姉様、あとは……お任せ、しますわ……」
エリーゼの機体もまた、漆黒の宇宙へと力なく沈んでいく。
「殿下の道は私が開く! であぁぁぁっ!」
ウルスラのミネルヴァ・アサルトが、仲間の犠牲を無駄にすまいと吶喊する。
因果律の書き換えが追いつかないほどの超至近距離。ウルスラは重装甲を活かし、機体そのものを巨大な質量兵器としてゼウスの懐へと飛び込んだ。
ドゴォォォンッ!
凄まじい物理的衝撃がゼウスを捉え、黄金の巨兵の姿勢がわずかに崩れる。
『……鬱陶しい羽虫が』
しかし、ゼウスは崩れた姿勢のまま、巨大な掌をミネルヴァに向けた。
そこから放たれたのは、空間を焦がすほどの超高圧の神罰の雷。
「ぐぅぅっ!」
ミネルヴァは至近距離から雷撃の直撃を受け、強固な重装甲の右半身を大きく吹き飛ばされた。小破した機体はスピンしながら弾き飛ばされ、前線からの離脱を余儀なくされる。
「……なんという絶望的な戦力差じゃ」
ローゼリアは、次々と仲間たちが戦闘不能に追い込まれていく光景に、血が滲むほど唇を噛み締めた。
ロスヴァイセとランドグリーズが後方から必死の弾幕と防壁を展開しているが、ゼウスの前には時間稼ぎにもならない。
1対7という圧倒的多数の状況で挑んだにも関わらず、ただの一筋の傷すらつけられない。これが、世界の因果律を握る「管理者」の真の力なのか。
『終わりよ、特異点。あなたのその無力な翼たちと共に、宇宙の塵となりなさい』
ゼウスが右腕を天に掲げる。
円卓の空間全体に黄金の雷が収束し、逃げ場のない、回避不可能な極大の神雷が、ローゼリアのルシフェルへと狙いを定めた。
「やらせるか!!」
ルシフェルの前方に、純白の機体が猛スピードで割り込んだ。
リアンヌの『ブラン・ゼファー』である。
「リアンヌ! 駄目じゃ、退け! その雷は防げん!」
「退きません! ローゼリアには……私の主にだけは、指一本触れさせない!!」
リアンヌは機体のリミッターを完全に解除し、自らの全魔力を前面の専用シールドへと集中させた。
極限まで圧縮された極大の暴風防壁が展開される。
直後、ゼウスの神雷が直撃した。
「ああああああぁぁぁぁっ!!」
凄まじい閃光と轟音が空間を支配する。
純白の機体から、装甲が軋み、内部フレームが悲鳴を上げる音が響く。
数秒の拮抗の末、リアンヌの構えていた専用シールドは限界を超えて完全に砕け散り、右腕の兵装ごと爆散した。
「リアンヌ!!」
「私は……平気です! 今です……ローゼリア!」
盾としての役目を完遂し、大破した兵装を引きずりながら後退していくリアンヌ。
その献身的な防衛により、ゼウスの放った致命的な一撃は完全に相殺された。
そして、仲間たちの連続した猛攻と犠牲は、決して無駄ではなかった。
『……分析完了。対象の因果律書き換え処理に、3秒の遅延を確認しました』
通信回線に、シエラの静かで、しかし熱を帯びた声が響き渡る。
「シエラ!」
白銀の専用機『アリス・レギオン』が、ルシフェルの横をすり抜けて前衛へと躍り出た。
「アルティナの電子戦、エリーゼの火力、ウルスラの質量攻撃、そしてリアンヌの防衛。……そのすべての事象を処理しきれず、あなたのシステムには決定的な『綻び』が生じている」
シエラは、感情を持たないはずだった己の魔力回路を限界まで酷使し、オーバーヒートによる警告音を無視して、ゼウスのシステムへとダイレクトハッキングを仕掛けた。
『ホムンクルスごときが……! 無駄よ、私のシステムは……』
「無駄ではありません。私は、私を拾ってくれた仲間のために……あなたのシステムを破壊します!!」
アリス・レギオンの背部に展開された六基のビットが、ゼウスの周囲に配置される。
それは、アルティナが命懸けで解析したデータと、シエラ自身が持つ古代の知識を完全に融合させた、因果律バリアの『物理的・電子的飽和攻撃』であった。
バチィィィィッ!!
ゼウスの背部に浮かんでいた黄金の光の輪に、強烈なノイズが走る。
シエラの演算能力が、ゼウスの因果律制御ユニットの脆弱性を完全に突いたのだ。
『なっ……!? 私の、因果律の盾が……!?』
レガリアの驚愕の声と共に、ゼウスの黄金の輪が砕け散り、絶対無敵を誇っていたバリアが完全に消失した。
「今です、ローゼリア!!」
シエラの叫びが響く。
「よくやった、シエラ! 決めるぞ、ルシフェル!!」
ローゼリアは、新生ルシフェルのスラスターを限界まで全開にした。
一切の因果律操作ができなくなり、ただの巨大なマギアナイトへと成り下がったゼウスの懐へと、漆黒の悪魔が神速で肉薄する。
「させないわ!」
ゼウスが巨大な腕を振り下ろそうとするが、ローゼリアの反射神経がそれを完全に上回っていた。
「これで……終わりじゃあああっ!!」
ルシフェルの右腕に内蔵された高密度対艦ブレードが展開され、同時に背部の次元断裂砲がゼウスの胸部中枢を寸分違わずにロックオンする。
物理的な斬撃と、空間を抉り取る次元の奔流。
二つの絶対的な破壊の力が、全く同時にゼウスの分厚い白亜の装甲へと突き刺さった。
ズバァァァァァァァァァァッ!!!
音のない宇宙空間で、黄金の巨兵の胸部中枢が斜めに両断される。
内部のジェネレーターが破壊され、ゼウスの機体各所から凄まじい爆発が連鎖的に巻き起こった。
「ああああぁぁぁぁっ……!!」
神機ゼウスは爆発四散することなく、黄金の光の粒子を大量に噴き出しながら、円卓の中央へとゆっくりと崩れ落ちた。
巨躯が床に激突し、沈黙が訪れる。
大破したゼウスの胸部ハッチが開き、中から一人の女性が転がり落ちた。
第1柱の管理者、レガリアである。
彼女の美しい白のドレスは煤で汚れ、背中の光の羽は失われていた。
もはや、神としての威厳はどこにもない。
ローゼリアはルシフェルをゼウスの前に降着させ、コックピットから降り立った。
手には護身用の魔力銃を握り、ゆっくりとレガリアを見下ろす。
背後からは、満身創痍になりながらも、リアンヌ、シエラ、ウルスラ、そして後方から駆けつけたロスヴァイセ、ランドグリーズとオルトリンデが、武器を構えてローゼリアを守るように立ち並んだ。
「……勝負あったな、レガリア」
ローゼリアの静かな声が、円卓に響く。
レガリアは、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、もはや敵意はなく、ただ深い疲労と、諦観の色だけが浮かんでいた。
「……ええ。私の……いえ、システムの完全なる敗北ね。あのゼウスを、そして因果の理を、あなたたちの『絆』という非論理的な力が上回った」
レガリアは、血の滲む唇で微かに微笑み、そしてその場に静かに両膝を突いた。
「降伏するわ、ローゼリア・エーベルヴァイン。……あなたたち戦乙女の、勝利よ」
その宣言は、高次元の管理者たちが、三次元の住人に対して完全に屈服した歴史的な瞬間であった。
エインヘリアルのブリッジでその光景を見届けていたブリュンヒルデ、そして機能停止した機体の中で息を呑んでいたアルティナとエリーゼからも、歓喜の安堵の息が漏れる。
「……ふぅ。まったく、とんでもないボス戦じゃったわ」
ローゼリアは魔力銃を下ろし、大きく背伸びをした。
全身の筋肉が悲鳴を上げ、極度の緊張から解放された反動で、その場にへたり込みそうになる。
「ローゼリア!」
リアンヌが慌てて駆け寄り、その小さな身体をしっかりと抱き止めた。
「大儀であった、リアンヌ。お主が盾となってくれたおかげじゃ。……皆も、よく耐え抜いてくれた」
「はい……! 私たちは、誰一人欠けることなく、あなたを守り抜きました」
リアンヌの瞳から、安堵の涙が溢れ落ちる。
神々の玉座は、完全に沈黙した。
宇宙の理を弄んでいた絶対者は地に堕ち、銀河最強の傭兵団はその悪意を完全に断ち切ったのである。
死闘の果てに勝ち取った平穏の光が、八つの翼を温かく包み込んでいた。




