第三幕 第二十六話:神々の座、空っぽの王座
バベルの中枢を貫き、時空の歪みをこじ開けた先に広がっていたのは、黄金色の粒子が舞う、静寂に満ちた異空間であった。
高次元領域へ続く『円卓』。
かつては管理者たちが万物を見下ろし、この世界の因果律を書き換えていた特権的な場所。
しかし、そこに君臨していたはずの「神々」の姿は、影も形もなかった。
「……誰も、おらん?」
漆黒のルシフェルから降り立ったローゼリアは、周囲を慎重に見回した。
円卓を囲むように設置されていたはずの六本の光の柱は、激しい過負荷によって機能停止し、無残にも明滅を繰り返している。
「嘘……。管理者の反応が、一つもありません。それどころか、ここの環境データが極端に不安定ですわ」
アルティナが端末を操作し、顔を青ざめる。
「まるで、我々が突入してくる直前まで、誰かがここにいたような……それも、かなりの慌てようで逃げ出したような痕跡です」
シエラが足元の床を指差す。そこには、高次元の存在が物理的干渉を急いだ際に生じる、空間の亀裂が数多く刻まれていた。
「何ということだ……。奴ら、あれほどの神罰機構を我々にぶつけておきながら、自分たちはその裏で脱出の準備を進めていたというのか?」
ブリュンヒルデ団長が、ブリッジから投影される映像を見て舌打ちをする。
「卑怯者め! 偉そうに管理者などと名乗っておきながら、自分たちの城を捨てて逃げるとは!」
エリーゼが憤慨し、真紅のビーム砲を空に向けて突き上げる。
まさに、敵前逃亡であった。
あれだけの兵器を犠牲にし、三次元宇宙の物理リソースの殆どを使い果たしてまで、ローゼリアたちという「バグ」を消去しようとした。その執念の裏側で、彼らはすでにこの場所を捨て、より安全な高次元の彼方へと逃げ出す算段を整えていたのだ。
「……待て。一人だけ残っているようだぞ」
ブリュンヒルデの冷静な声に、全員が視線を中央の玉座へと向ける。
消えかけていた六本の光の柱の中で、ただ一本だけ、最後の一柱が、かろうじてその黄金の光を保っていた。
その柱の前に、一人の女性が立っている。
燃えるような金色の長い髪に、意志の強さを感じさせる切れ長の瞳。白を基調とした、神々しさを湛えたドレスを纏い、背中には透明な光の羽を従えた、息を呑むほどの美女であった。
彼女は、突入してきた戦乙女たちを恐れる様子もなく、ただ冷ややかに、玉座の前でこちらを見下ろしていた。
「……よくここまで辿り着いたものね。特異点、ローゼリア・エーベルヴァイン。そして、あなたの翼たち」
その声は、鈴を転がすように美しく、しかし同時に冬の海のように冷徹だった。
「妾が誰か知っているようじゃな。随分と余裕そうに見えるが……逃げ遅れたのか? それとも、捨て駒としてここに残されたのか?」
ローゼリアは対艦ブレードを構え、一歩前に出る。
美女は、フッと儚げに微笑んだ。
「捨て駒……そうね、他の管理者たちは、自分たちの保身のために私をここに置いていったわ。彼らは怯えているのよ。あなたのその、道理も論理も通じない、理不尽なまでの破壊力にね」
「妾は破壊などせん。ただ、邪魔をする者を排除しておるだけじゃよ」
「言い訳は不要よ。私は第1柱、管理者の長——レガリア」
美女……レガリアは、ゆっくりと玉座から歩み出た。彼女が足を踏み出すたびに、足元の床に幾何学模様が浮かび上がり、周囲の空気が重く圧迫されるような魔力的な圧力——『神威』を放つ。
「彼らは逃げたけれど、私は逃げない。この宇宙の管理者が、ただの『特異点』一人に屈して背中を見せるわけにはいかないから」
レガリアの瞳から、金色に輝く神々しい光が溢れ出す。
その威圧感は、先ほどまでの古代マギアナイトのAI制御などとは比べ物にならない、本物の「管理者」の力であった。
「ローゼリア。あなたをここで終わらせるわ。どんなに理不尽な技を使おうとも、因果の理そのものを操作する私の前では、あなたの戦法は通用しない」
「因果の理……ふん、また小難しいことを言うてくれる。妾には、因果などという面倒なものよりも、今ここで貴様を叩き斬るという『現実』の方がずっと大事なんじゃよ!」
ローゼリアは、ルシフェルのスラスターを全開にした。
漆黒の悪魔が、黄金の光を纏った神の代行者へと、一気に肉薄する。
「お姉様、加勢しますわ!」
エリーゼのレーザーがレガリアを狙うが、レガリアは指先を動かしただけで、レーザーを空間ごと『消滅』させた。
「無駄よ。ここは私の領域。あなたがたの武器など、存在しないのと同じこと」
レガリアが掌をかざす。
その瞬間、戦乙女たちの周囲の空間が歪み、彼女たちを締め上げるような重圧が襲いかかる。
逃げ遅れたのか、それとも最初から最強の門番として残ったのか。
管理者の長、レガリアとの決戦が、今、神の座にて幕を開けようとしていた。




