第三幕 第二十二話:重すぎる愛の洗礼と、神々への道標
「……警告。未確認の甘味物質が口腔内に侵入。味覚センサーに異常な数値。……理解不能。これは、いかなる化学兵器ですか?」
「化学兵器じゃありませんわ! 私が真心を込めて作った、特製イチゴパフェですのよ! さあ、遠慮せずに一口、あーん、ですわ!」
「……拒絶。過剰な糖分摂取は、生体ユニットの活動効率を低下させる恐れが……むぐっ」
母艦エインヘリアルのラウンジ。
かつて帝国全土を恐怖に陥れた十万の殺戮兵器『レギオン』部隊。その生き残りであり、感情を持たないはずのホムンクルスの少女シエラは、現在、彼女の短い人生(製造されてからの稼働時間)の中で最大の「危機」に直面していた。
「エリーゼ、抜け駆けは許しませんと言ったはずです! シエラの髪を梳かし、この可愛らしいフリルのワンピースを着せるのは私の役目です! ほらシエラ、腕を上げて!」
「……身体的拘束を確認。副団長個体による強制的な被服の交換。……抵抗を試みますが、関節技が完璧で抜け出せません」
「あらあら、二人ともはしたないですわよ。シエラちゃんが困っているじゃありませんか。……シエラちゃん、お風呂の温度はこれくらいでよろしくて? アロマオイルはラベンダーとローズ、どちらがお好みかしら?」
エプロン姿のエリーゼが巨大なパフェの匙を口に突っ込み、リアンヌが手際よくシエラにフリルの衣服を着せつけ、ロスヴァイセがおっとりとした笑顔で背後から彼女を抱きしめている。
銀髪に真紅の瞳を持つ無表情な少女は、三人の戦乙女による「重すぎる愛の波状攻撃」の前に、完全に思考停止を起こしていた。
その様子を、少し離れたソファから、ローゼリア・エーベルヴァインは携帯端末をいじりながら、呆れたように、しかし大いに楽しげに眺めていた。
「(……ふははっ。見事なまでの可愛がりっぷりじゃな。新入りの仲間に対する手厚い歓迎の儀式が始まっておるわ。……それにしても)」
ローゼリアの視線は、リアンヌによって着せ替え人形にされているシエラの、雪のように白い肌と華奢な肢体に向けられていた。
「(……眼福じゃ。無機質な銀髪美少女に、フリルのついた衣服。そしてそれを世話する金髪巨乳とプラチナブロンドのお嬢様。……前世の妾がこの光景を見たら、感動のあまり拝み倒しておるじゃろうな。この傭兵団の筆頭パイロットで、本当に良かったわい)」
内心でガッツポーズを決めながら、男のロマン(美少女たちのイチャイチャ)を堪能していたローゼリアだったが、シエラの瞳の光が徐々に消え、魔力回路がショート寸前になっているのに気づき、端末を置いて立ち上がった。
「よし、お主ら、その辺にしておけ。シエラの処理能力が限界を超えて、知恵熱で倒れてしまうぞ」
「おや、ローゼリア。もうよろしいのですか? 私はまだ、彼女にこの可愛いリボンを……」
「ダメじゃダメじゃ。シエラ、こっちへ来い。少し風に当たるぞ」
ローゼリアが手招きすると、シエラは「任務完了」の命令を受けた機械のようにすっと立ち上がり、逃げるようにローゼリアの背後に隠れた。
「……筆頭パイロット・ローゼリアによる救出行動を確認。感謝を表明します。……先ほどの三体は、敵対勢力に対する特殊な精神的拷問プログラムを実行していたものと推測されます」
シエラが、ローゼリアの背中に張り付きながら、淡々と報告する。
「拷問ではないわい。あれが奴らなりの『歓迎』なんじゃよ。……まあ、妾も最初はかなり面食らったがな。慣れれば悪くないもんじゃぞ」
ローゼリアは苦笑しながら、シエラの頭をポンポンと撫でた。
シエラは不思議そうに、自らの頭に乗せられたローゼリアの手を見上げた。痛みはない。ただ、微かな熱だけがそこにあった。
エインヘリアルの後方展望デッキ。
巨大な防弾ガラスの向こうには、星間航行中の流れるような星の海が広がっていた。
ローゼリアは、展望デッキのベンチにシエラを座らせると、自らの空間収納ポケットから小さなプラスチックの容器を取り出し、彼女に手渡した。
「……これは?」
シエラが、容器と、それに添えられた小さなスプーンを交互に見つめる。
「『プリン』じゃ。……お主の名前の候補として妾が真っ先に提案して、光の速さで全員から却下された悲しきデザートじゃよ」
ローゼリアは隣に座り、足をブラブラと揺らした。
「名前にはしてやれんかったが、どうしてもお主に食べさせたくてな。食堂の冷蔵庫からこっそりくすねてきたんじゃ。さあ、食ってみろ」
「……命令を受領。対象物の成分分析を開始……」
「阿呆。食べ物は分析するもんじゃない、味わうもんじゃ。騙されたと思って口に入れてみい」
シエラはローゼリアに促されるまま、不器用な手つきでスプーンを握り、黄金色に輝くプリンを掬って口に運んだ。
「…………」
シエラの真紅の瞳が、微かに見開かれた。
「どうじゃ?」
「……糖分と、動物性タンパク質の結合。それに、カラメルと呼ばれる焦がした糖の苦味が……いえ」
シエラは、途中で機械的な分析の言葉を止め、自らの胸元に手を当てた。
「……不思議な、感覚です。先ほどのパフェのような過剰な刺激ではなく……穏やかで、柔らかな……。これが、『美味しい』というデータ……ですか?」
「そうじゃ。それが美味しいという感情じゃよ。お主のシステムには初めから組み込まれていなかったかもしれんが、お主は生身の人間なんじゃから、舌で感じたものを素直に喜んで良いんじゃ」
シエラは、もう一口、今度は自らの意志でプリンを掬って食べた。
無表情なはずの彼女の口角が、ほんの数ミリだけ、微かに上がったように見えた。
「……ローゼリア。質問があります」
「ん? なんじゃ」
「なぜ、私を助けたのですか。私は、あなた方を殺すために作られた兵器です。あのまま宇宙の塵となるのが、最も合理的で、あなた方にとっても安全な選択だったはずです」
シエラは、空になったプリンの容器を両手で包み込むように持ちながら、ローゼリアの横顔を見つめた。
ローゼリアは、星の海を見つめたまま、フッと不敵な笑みを浮かべた。
「合理的か。確かにそうかもしれんな。じゃが、妾はどうにも好奇心に抗えない性分でな。目の前に新たな仲間になるかもしれない可能性が転がっておったら、それを見過ごして素通りするなど、傭兵としての矜持が許さんのじゃ」
「……きょうじ?」
シエラが首を傾げる。
「まあ、つまりじゃ。お主は敵のただの兵(駒)だったかもしれんが、今は我々の大事な仲間になったということじゃ。……誰かに『廃棄』を命じられるためではなく、お主自身が『美味しい』と感じるために、この世界を生きてみろ。妾たちが、その手伝いをしてやる」
ローゼリアの言葉は、感情を持たないはずのシエラの魔力回路の奥深くに、これまでにない温かなノイズを走らせた。
「……仲間。生きる……」
シエラは、その言葉を反芻するように呟き、そしてローゼリアに向かって、不器用ながらも深々と頭を下げた。
「……了解しました。個体番号シグマ・セブン……いえ、シエラは、これよりあなた方の仲間として、新たな行動規範を構築します」
「うむ! その意気じゃ! ……よし、じゃあ良い雰囲気になったところで、お前をいじめていたあのクソ忌々しい『管理者』どもについて、知っていることを全部吐いてもらおうか!」
ローゼリアがニヤリと悪い顔で笑うと、シエラはコクリと頷いた。
その後、ローゼリアはシエラを連れてブリッジへと向かった。
そこには、ブリュンヒルデ団長と、油まみれの作業着を着た整備班長のフィーネが待ち構えていた。
「シエラ。お前がホムンクルスとして組み込まれていた『指揮系統』について教えてくれ。あの十万の軍勢は、誰の、どこからの命令で動いていた?」
ブリュンヒルデが、腕を組みながら単刀直入に尋ねる。
シエラは、少しだけ目を閉じ、自らの深層データにアクセスした。
「……私たち『レギオン』部隊は、旧帝国の封印施設で目覚めた瞬間から、外部からの『不可視の強制オーバーライド信号』を受信していました。信号は、三次元宇宙の物理的な通信網を経由していません。より高位の次元……空間そのものの歪みから直接脳内に届けられていました」
「やはりな。あの高次元の『管理者』どもが、直接お前たちを操っていたというわけだ」
ブリュンヒルデが険しい顔で頷く。
「フィーネ。お前が解析したシエラの機体のログと一致するか?」
ローゼリアが背後のフィーネに視線を向ける。
「ああ、ドンピシャだ」
フィーネが咥えていたキャンディをガリッと噛み砕き、ホログラムモニターに複雑な星系図と、奇妙な空間の歪みを示すデータを展開した。
「この嬢ちゃんのぶっ壊れた機体の受信ログを逆探知して、バハムートの演算能力をフル稼働させて割り出した。……連中の命令信号は、高次元から三次元へと降りてくるための『中継地点』を経由している」
「中継地点?」
「ああ。第八象限のデブリ帯のさらに奥深く、通常空間からは完全に隠蔽された座標だ。そこに、連中が三次元宇宙に干渉するための巨大なアンテナ……『絶対監視塔』とでも呼ぶべき施設が存在しているはずだ」
フィーネの言葉に、ブリッジの空気が一気に熱を帯びた。
「なるほど! つまり、その『絶対監視塔』とやらが、引きこもりの神々がふんぞり返っている高次元空間へと繋がる『門』として機能しているというわけじゃな!」
ローゼリアが、パンッと手を叩いて歓喜の声を上げる。
「ええ。そこを物理的に破壊、あるいはシステムをハッキングできれば、管理者たちの高次元領域へ直接殴り込むルートが開けるかもしれないわ!」
アルティナも、コンソールを叩きながら目を輝かせる。
「……じゃが、そんな重要な施設じゃ。間違いなく、あの十万の軍勢の生き残りや、さらなる理不尽な防衛システムが待ち構えておるじゃろうな」
ローゼリアが顎に手を当てる。
「……はい。私のデータ領域には、その監視塔を守護するための『神罰機構』と呼ばれる古代兵器群のデータが存在します。……十万のレギオンなど比較にならない、純粋な殲滅兵器です」
シエラが、淡々とした口調の中に、微かな警告の色を混ぜて告げた。
「上等じゃ! 神々の本拠地に乗り込む前の、最大の関門というわけじゃな! 腕が鳴るわい!」
ローゼリアの瞳に、極限の闘いを楽しむ闘志の炎が宿る。
「……ローゼリア」
シエラが、ローゼリアの服の袖をチョコンと引っ張った。
「ん? どうした、シエラ」
「私も、行きます」
シエラの真紅の瞳には、かつての「兵器としての虚無」ではなく、明確な「意志」が宿っていた。
「私の記憶領域には、その監視塔のセキュリティコードと内部構造のデータがあります。私が同行すれば、突破の成功率は飛躍的に上昇します。……それに、私はあなたの仲間ですから。あなたの役に、立ちたいです」
感情を持たなかったはずの少女の、初めての明確な「自己主張」。
その言葉に、ローゼリアだけでなく、ブリュンヒルデやリアンヌたちも、優しく微笑んだ。
「……ふふっ。よく言った、シエラ。お主のその心意気、確かに受け取ったぞ!」
ローゼリアが、シエラの背中をバシッと叩く。(シエラは少しだけむせそうになった)
「じゃがな。お主の乗っていた『レギオン』は、先の戦いで完全に大破してスクラップになっておる。生身で宇宙空間に出るわけにはいかんじゃろ?」
「それは……」
シエラが俯きかけた、その時であった。
「……てめェら、この天才整備班長様を舐めてんのか?」
フィーネが、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべ、メインモニターの映像を切り替えた。
そこに映し出されたのは、エインヘリアルのハンガーの奥で組み立てられている、真新しい機体の設計図であった。
「シエラから回収した『レギオン』のコアと、ウチの予備パーツ、さらに古代フレームの技術をぶち込んで、一から再構築してやってる最中だ。……名付けて、特務電子戦用マギアナイト『アリス・レギオン』。お前専用の、新しい魂の器だ」
「……私の、新しい機体」
シエラの瞳が、驚きに見開かれる。
「フィーネ! お主、いつの間にそんなものを!」
ローゼリアも驚嘆の声を上げた。
「拾ったもんをタダで遊ばせておくほど、団長の台所事情は甘くねェんだよ。……まあ、あと三日もあれば実戦配備できる。楽しみに待ってな、お嬢ちゃん」
フィーネが親指を突き立てる。
「……はい。ありがとうございます、フィーネ班長」
シエラは、ペコリと深く頭を下げた。
「よし! 新しい仲間の機体も手配できたことじゃし、目標は定まったな!」
ローゼリアが、制服の襟を正し、ブリッジの全員を見渡した。
「我らが向かうは、第八象限『絶対監視塔』! 高みから石を投げてくる陰湿な神様どもに、我々戦乙女の怒りの鉄槌を下してやるのじゃ!」
『『『——応!!!』』』
銀河最強の傭兵団の声が、ブリッジに力強く響き渡る。
かつての敵を仲間に加え、七つの極彩色の翼は、八つの翼へと進化した。
見えざる神々が支配する因果律を完全に破壊するため、ローゼリアたちはついに、神の領域へと繋がる最後の関門へとその歩みを進めるのであった。




