第三幕 第二十一話:星海の迷い子と、銀髪の残党
最高級リゾート惑星『アクア・エデン』での、文字通り「眼福」に満ちたバカンスから数日後。
母艦エインヘリアルは、帝都アエテルガルドへと帰還するための長大な星間航行の途上にあった。
「……いたたたっ。腕も足も、鉛のように重いわい……」
エインヘリアルの居住区画、私室のベッドの上で、ローゼリア・エーベルヴァインは湿布の匂いに包まれながら小さくうめき声を上げていた。
原因は明白である。常夏の砂浜で調子に乗り、生身の限界を超えたビーチバレーのスパイクを放とうとした結果、空中で盛大に足をもつれさせて顔面から砂浜にダイブしたことによる、全身の激しい筋肉痛であった。
「(……機体の補助がなければ、妾の身体能力などスライム以下じゃという現実を改めて痛感したわ。じゃが、まあ……)」
ローゼリアは、痛む体をベッドに沈めながらも、その口元はだらしなく緩んでいた。
脳裏に蘇るのは、リアンヌ、アルティナ、ウルスラ、ロスヴァイセ、ランドグリーズ、そしてエリーゼたちの、色とりどりの眩しすぎる水着姿である。
前世は平凡な青年であった彼女(彼)にとって、あの光景はまさに人生最高のイベントであった。痛む筋肉の代償としては、十分すぎるほどのお釣りである。
「ローゼリアお姉様! 筋肉痛の特効薬と、私が愛を込めて絞ったフレッシュジュースをお持ちしましたわ!」
「エリーゼ、抜け駆けは許しません! 筆頭パイロットたるローゼリアの筋肉を揉みほぐすのは私の役目です!」
扉の向こうから、今日も今日とて過保護な仲間たちの騒がしい声が聞こえてくる。
「(……まったく、騒がしい日常じゃ。じゃが、これが妾の帰るべき場所じゃな)」
ローゼリアが微笑ましく思いながら起き上がろうとした、その時であった。
『——総員に告ぐ。ローゼリア、至急ブリッジへ上がれ。厄介事だ』
艦内放送から、傭兵団の真の主にしてトップであるブリュンヒルデ団長の、低く厳しい声が響き渡った。
「どうした、団長。宇宙海賊の待ち伏せか?」
ローゼリアが制服姿でブリッジに足を踏み入れると、すでにリアンヌたち戦乙女の面々が集結し、メインモニターを険しい顔で見つめていた。
そこには、無数の小惑星や金属の残骸が漂う、暗く冷たいデブリ帯の映像が映し出されている。
「先日の十万の軍勢との防衛戦で、激しい戦闘が行われた宙域の近くだ。……アルティナ、説明を」
ブリュンヒルデに促され、アルティナがコンソールを叩く。
「三十分ほど前から、この先のデブリ帯より微弱な救難信号をキャッチしたの。通常のアクティブソナーじゃ見逃すくらい弱い波長だったんだけど……問題は、その信号の暗号化フォーマットよ」
アルティナがホログラムで波形を展開する。
「解析した結果、この信号を出しているのは帝国軍の艦船でも、民間の商船でもないわ。……数日前、私たちに牙を剥いた、あの『レギオン』部隊……つまり、犯罪組織が複製したホムンクルスたちの専用機から発信されたものよ」
その言葉に、ブリッジの空気が一瞬で張り詰めた。
「敵の生き残り……ですの? ですが、あの戦いで指揮官機を失った敵部隊は、完全に統制を失い、帝国軍によって全滅させられたはずでは……」
ロスヴァイセがおっとりとした口調の中に、微かな警戒を滲ませる。
「指揮系統が崩壊した混乱の中で、偶然撃破を免れ、そのまま宇宙空間を漂流していた個体がいるのかもしれません」
ウルスラが冷静に分析する。
「罠かもしれないわよ。こちらをおびき寄せるための、偽装の救難信号ってことも……」
ランドグリーズが、腰のホルスターに手を当てながら言った。
彼女たちの言う通りである。
あの十万の軍勢は、すべてが帝国に牙を剥いた殺戮兵器だ。感情を持たず、ただ破壊の命令のみに従う存在。それが発する救難信号など、信用に値するはずがない。
「どうする、団長。無視してこのまま帝都へ向かうか?」
ローゼリアが、決断を委ねるようにブリュンヒルデを見た。
傭兵団の長であるブリュンヒルデは、腕を組み、モニターに映る暗いデブリ帯を真っ直ぐに見据えた。
敵の残党。放置すれば、いずれエネルギーが尽きて宇宙の塵となる運命にある駒の一つ。
だが、先日の戦いで、総指揮官機のコアから『管理者』のコードが見つかっている。彼らは単なる犯罪組織の兵器ではなく、あの理不尽な神々に利用され、捨てられた存在なのだ。
ローゼリアはブリュンヒルデの心情を察しつつ、自らの考えを口にした。
「……バハムート。その信号の発信源に、生命反応はあるか?」
『——微弱ですが、一つの生体反応を確認。極端な低体温状態と魔力枯渇により、生命維持の限界まであと三〇分と推測されます』
その報告を聞き、ローゼリアは短くため息をつき、そしてブリュンヒルデに向かってニヤリと笑った。
「団長。罠かもしれんし、助けたところで感謝などされんじゃろう。……じゃがな、見捨てて後味の悪い思いを引きずるくらいなら、拾い上げてから考えるのがこの戦乙女のやり方じゃろ? それに、管理者どもに繋がる重要な手がかりになるやもしれん」
「……お前の言う通りだ。私も同じことを考えていた」
ブリュンヒルデはフッと口角を上げ、力強く頷いた。
「……ふふっ。まったく、あなたという人は。どこまでも甘く、そして頼もしいエースですね」
リアンヌが、呆れたように、だがどこか誇らしげに微笑んだ。
「進路変更! その救難信号の発信源へ向かうぞ! 総員、警戒態勢のままデブリ帯へ接近しろ! トラクタービームの準備を急げ!」
ブリュンヒルデの号令の下、エインヘリアルは巨体を翻し、冷たい残骸の海へと進路を取った。
エインヘリアルのメインハンガー。
巨大なトラクタービームによってデブリ帯から引き揚げられたのは、両腕と下半身が完全に吹き飛び、コックピットブロックだけが辛うじて原形を留めている、大破した『レギオン』の残骸であった。
「……酷い有様ね。よくこれで救難信号なんて出せたものだわ」
アルティナが、タブレットで残骸のスキャンを行いながら顔をしかめる。
武装した戦乙女たちと、医療班が警戒して囲む中、フィーネがバーナーと大型工具を使って、歪んだコックピットのハッチをこじ開けた。
プシュゥゥゥッ……!
残留していた冷却ガスが白煙となってハンガーの床を這う。
「……っ」
薄暗いコックピットの中から転がり落ちてきたのは、小柄な身体だった。
銀色の長い髪。透き通るような白い肌。そして、生命の光が消えかかっている、うつろな真紅の瞳。
帝国全土を襲った十万のホムンクルスの一人。外見年齢は、ローゼリアたちと同じか、少し下くらいに見える少女であった。
ボロボロになったパイロットスーツの隙間からは、彼女の体に刻まれた魔力回路が、エラーを示すように赤く明滅している。
「……生きて、いるのか?」
ローゼリアが一歩前に出ようとした時。
少女のうつろな赤い瞳が、ローゼリアたちを捉えた。
「……敵対、対象、確認。特異点および、戦乙女……」
少女の口から紡がれたのは、ひどく掠れ、感情の欠片もない機械的な音声だった。
彼女は、自らの体が限界であることを悟りながらも、残された最後の力を振り絞るように、震える右手を自らの首筋——魔力回路の中枢部へと伸ばした。
「……部隊の全滅を確認。個体番号シグマ・セブン。任務遂行不能。……これより、規定プロトコルに従い、機密保持のための自立的廃棄を実行、し……」
「なっ……! 自爆する気か!」
リアンヌが咄嗟にローゼリアの前に立ちはだかろうとする。
だが、それよりも早く動いたのは、ローゼリア自身だった。
「団長の船で勝手にスクラップになるな、阿呆!!」
ローゼリアは、周囲の制止を振り切り、自死のスイッチを押そうとする少女に向かって猛烈なダッシュを見せた。
彼女の脳内では、完璧なタイミングで少女の手首を掴み、その行動を封じ込めるという鮮やかなイメージが出来上がっていた。
——しかし、彼女の生身の身体能力は「極限の運動音痴」である。
加えて、ビーチバレーでの顔面ダイブによる筋肉痛が、彼女の足に決定的な遅れをもたらした。
「あ、もつれ……ひゃうっ!?」
ローゼリアは、少女に辿り着く一歩手前で無様に足を絡ませ、そのまま前方に大きくバランスを崩した。
「お姉様!?」
「ローゼリア!」
だが、転びながらも、限界ゲーマーの執念だけは生きていた。
ローゼリアは、ハンガーの固い床に顔面から激突しながらも、両腕を限界まで伸ばし、少女が首筋に当てようとしていたその細い手首を、ガシィッ! と力強く掴み取ったのだ。
「ぐへぇっ……! い、痛い……」
「……?」
床に這いつくばりながら自分の腕を握りしめるローゼリアを、銀髪の少女は理解不能なものを見るような、うつろな目で見下ろしていた。
「な、何を見とるんじゃ……。自爆など、させんぞ……。せっかく拾ってやったのに、妾の目の前で勝手にゲームオーバーになることは、この傭兵団の筆頭パイロットとして許可せん……っ」
鼻を赤くして涙目になりながらも、ローゼリアの握る手は決して少女を離さなかった。
感情を持たないはずのホムンクルスの少女の瞳に、その時、初めてエラーのような「戸惑い」の色が微かに浮かんだ。
「……理解、不能。敵対個体が、なぜ私の廃棄を、妨害、する……?」
少女の口から漏れた疑問。しかし、その声は途中で途切れ、彼女の意識は完全に闇へと沈み、その場に崩れ落ちた。
「医療班! 早くこの娘を医療ポッドへ! フィーネ、ハッキングしてこいつの自死プログラムを完全に物理遮断しろ!」
「……まったく、いつもいつも心臓に悪いヤツだ。医療班、急げ!」
ブリュンヒルデの指示のもと、ローゼリアの無茶苦茶な行動に振り回されながらも、エインヘリアルのクルーたちは迅速に動き、意識を失った少女を急ぎ医療室へと搬送していった。
数時間後。
エインヘリアルの特別医療室。
「……バイタル、安定しました。魔力回路の修復も完了です。自死のプログラムはバハムートが完全に書き換え、無効化しました」
医療班の報告を受け、ローゼリアは深く安堵の息を吐いた。
ベッドの上には、清潔な医療用の服に着替えさせられた銀髪の少女が、静かな寝息を立てている。
その周囲には、ローゼリア、ブリュンヒルデ、そしてリアンヌやアルティナたち戦乙女の面々が立ち会っていた。
「……よく助けたな、ローゼリア。この娘は、敵の戦術や、管理者とやらへの繋がりを示す貴重な情報源になるかもしれない」
ブリュンヒルデが腕を組みながら言う。
「うむ。じゃが、情報を引き出すだけ引き出してポイ捨て、というわけにはいかんじゃろう。それに……こやつもまた、あの理不尽な神々に利用され、無残に捨てられた駒の一つに過ぎんのじゃからな」
ローゼリアは、少女の透き通るような白い髪を優しく撫でた。
その時、少女の長いまつ毛が震え、真紅の瞳がゆっくりと見開かれた。
「……起動。システムチェック……異常なし。自立的廃棄プロトコル……アクセス拒否」
少女は、感情のない瞳でローゼリアたちを見上げ、状況を分析するように周囲を見渡した。
「……個体番号シグマ・セブン。敵対勢力に捕獲されたことを確認。……私からは、いかなる戦術情報も提供しません。拷問、および破壊を要求します」
淡々と、まるでマニュアルを読み上げるかのような声。
自らの命に対する執着が、彼女には一欠片も存在しなかった。
「破壊などせん。お主はもう、戦う必要はないのじゃ」
ローゼリアが静かに語りかける。
「理解不能。私は兵器です。戦う目的を失った兵器は、廃棄されるのが論理的帰結です。なぜ、私を修理したのですか」
「そんなもの、妾たちの勝手な我儘じゃよ」
ローゼリアは不敵に笑い、ベッドの脇に腰を下ろした。
「この船に拾われた以上、お主の命は我々のルールに従ってもらう。神様や犯罪組織がプログラムした『廃棄』のルールなど、団長が率いるこのエインヘリアルでは通用せん!」
少女は、ローゼリアの言葉の意図を処理しきれないように、首を微かに傾げた。
「……私の存在意義は、戦闘のみに設定されています。それ以外に、私に何を与えようというのですか」
「そうじゃな……まずは、『名前』じゃ。お主らのようなホムンクルスが個体番号でしか呼ばれていないことは、あらかじめ予測がついておったからな」
「名前……?」
「うむ! だから、お主が医療ポッドで目覚めるまでの間、妾たち戦乙女のメンバー総出で新しい名前の候補を出し合い、厳正なる投票を行っておいたのじゃ!」
ローゼリアは、自慢げに胸を張った。
「ちなみに妾は、可愛らしくて甘い響きの『プリン』という名前を提案したのじゃが……」
「ペットじゃないんですから! と、全員一致で秒殺で却下されましたね」
リアンヌがすかさずツッコミを入れる。
「そうよ。だいたい、自分の好きなデザートの名前を付けるなんて安直すぎるわ」
アルティナも呆れたように肩をすくめた。
「むぅ……良い名前じゃと思ったのに。まあよい! 数ある候補の中で、見事トップの座に輝いたのは、我らが団長が提案した名前じゃ」
ローゼリアの視線を受け、腕を組んでいたブリュンヒルデが一歩前に出た。
「……雪のように白く、気高い山脈を意味する言葉だ。お前のその美しく銀色に輝く髪に合うと思ってな」
ブリュンヒルデは、普段の厳しい表情を少しだけ和らげ、少女の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「うむ! というわけで、お主の名前は今日から『シエラ』じゃ!」
「シエラ……」
少女は、初めて与えられた「個体番号ではない響き」を、口の中で確かめるように呟いた。
「良い名前じゃろう! さあ、シエラ。これからは、兵器としてではなく、一人の人間として、この船で生きる方法を少しずつ学んでいくのじゃ!」
そこへ、医療室の扉が勢いよく開いた。
「お姉様! シエラさんのお目覚めと聞いて、私が特別に栄養満点のお粥を作ってまいりましたわ!」
「エリーゼ、抜け駆けは許しません! 彼女の食事のサポートは私が!」
「あらあら、新しい女の子ですわね。私がお風呂に入れて綺麗にして差し上げますわ」
エプロン姿のエリーゼとリアンヌ、そしておっとりと微笑むロスヴァイセが、大量の着替えや食事を持って雪崩れ込んでくる。
「……また、過保護な連中の餌食になる哀れな犠牲者が増えてしまったな」
ローゼリアは呆れたように肩をすくめ、ブリュンヒルデも胃の辺りを押さえて苦笑した。
「……理解、不能。これは、どのような拷問の手法ですか……?」
シエラは、突然押し寄せてきた戦乙女たちの熱烈すぎる歓迎に、かつてないエラーを脳内で引き起こし、完全に硬直していた。
「拷問ではないわい。まあ、少しばかり愛が重いが、悪い奴らではない。……ゆっくりと、慣れていくが良いのじゃ」
ローゼリアは、戸惑う銀髪の少女に、優しく微笑みかけた。
理不尽な神々に捨てられ、宇宙を漂流していた感情なき兵器。
彼女がエインヘリアルの騒がしくも温かい日常の中で、どのように『心』を獲得していくのか。
見えざる神々への反撃の糸口となるかもしれない少女との出会いは、銀河最強の傭兵団に、また新たな騒動と絆をもたらそうとしていた。




