第三幕 第十九話:束の間の休息と、重すぎる愛のフルコース
高次元の管理者たちが差し向けた十万の軍勢との激戦から、数日が経過した。
帝国全土を揺るがした未曾有の危機は、七機の『戦乙女』の神速の介入によって未然に防がれ、宇宙は再び束の間の平穏を取り戻していた。
母艦エインヘリアルも、次なる戦いに備えて帝都アエテルガルドの専用宇宙港に停泊し、徹底的なオーバーホールと補給の真っ最中である。
「……ふぅ。ようやく医療ポッドから解放されたわい」
エインヘリアルの居住区画、広々としたラウンジ。
ローゼリア・エーベルヴァインは、心地よい肌触りのルームウェアに身を包み、ふかふかの巨大なソファに深く身を沈めていた。
未完成のハリボテ機体で極限のGに耐え抜いた彼女の肉体は、戦闘直後はボロボロであったが、帝国の最新鋭医療技術と数日間の絶対安静により、無事に完全回復を果たしていた。
ブリュンヒルデ団長からは「次の指令が出るまで、絶対に部屋から出るな。出たら縛り付けてでも休ませる」という厳命が下っており、現在ローゼリアは完全なる休暇モードに突入している。
「怪我が治ったのは良いが……相変わらず暇じゃのう」
ローゼリアはソファでゴロゴロと寝返りを打ちながら、ぽつりと呟いた。
普段であれば訓練やデータ解析に時間を費やすところだが、今は「休息」という名の任務中である。
ガチャリ。
その時、ラウンジの自動扉が開き、純白のエプロン姿——なぜか戦乙女の制服の上にフリルのついたエプロンを着用したリアンヌが、ワゴンを押して入ってきた。
「ローゼリア! 目覚められましたか! お身体の具合はいかがですか!?」
リアンヌはワゴンを猛スピードで横付けすると、ローゼリアの顔を両手で包み込み、心配そうに真紅の瞳を覗き込んできた。
「おお、リアンヌ。案ずるな、もう痛みもだるさも微塵もない。妾の回復力は銀河一じゃからな」
「ああ、よかったです……! あの無茶な機動を見た時は、私の寿命が十年は縮みましたよ。……もう、あんな無茶はしないでくださいね」
リアンヌの瞳が微かに潤んでいるのを見て、ローゼリアは少しだけ申し訳なくなり、彼女の頭を優しく撫でた。
「すまなかったな。……じゃが、お主が盾となって前を開いてくれたからこそ、妾は無事に敵将の首を落とせたのじゃ。大儀であったぞ」
「……っ! ローゼリア……!」
主からの直接の労いと撫で撫でに、リアンヌの背筋がピンと伸び、その頬がみるみるうちに歓喜の朱に染まっていく。
彼女の背後に、見えない犬の尻尾が千切れるほどの勢いで振られているのが見えるようだった。
「主のお褒めの言葉、このリアンヌ、生涯忘れません! さあ、ローゼリア! 本日は絶対安静のあなたのために、私が腕によりをかけて『疲労回復・滋養強壮特製ランチフルコース』をご用意いたしました!」
リアンヌがワゴンの上のクロッシュ(銀の蓋)を次々と開けていく。
そこには、帝国の高級食材をふんだんに使った美しい料理の数々が並んでいた。
黄金色に輝くコンソメスープ、絶妙な火入れの星間牛のステーキ、そして色鮮やかなサラダ。
「おおっ、これは美味そうじゃ! さすがはリアンヌ、戦いだけでなく料理の腕も一流じゃな!」
「ふふっ、ありがとうございます。さあ、ローゼリア。お口を開けてください」
リアンヌはフォークでステーキを一口大に切り分けると、自らローゼリアの口元へと運んできた。
「……ん? いや、妾は手も無事じゃから自分で食べられるぞ?」
「いけません! 団長から『ローゼリアには指一本動かさせるな』と厳命されております! さあ、あーん、です!」
「いや、指一本動かすなというのは比喩じゃろう……むぐっ」
有無を言わさぬリアンヌの気迫に押し切られ、ローゼリアは素直に口を開けた。
肉の旨味が口いっぱいに広がり、思わず頬が緩む。
「……美味い」
「ああ……! 私の作った料理を、ローゼリアが咀嚼してくださっている……! なんという至福……!」
リアンヌは胸に手を当て、感極まったように天を仰いでいる。
フェイト姉上といい、リアンヌといい、なぜ妾の周囲の人間は妾が食事をするだけで謎の感動に包まれるのか。ローゼリアは内心で首を傾げながらも、次々と口に運ばれる料理を平らげていった。
「——ずるいですわ、副団長! 私もローゼリアお姉様を甘やかしたいですのに!」
ラウンジの扉が再び勢いよく開き、プラチナブロンドの縦ロールを揺らしながら、エリーゼがフリルのついたエプロン姿で乱入してきた。
彼女の手には、巨大なケーキ箱が抱えられている。
「エリーゼ! あなたは自分の機体のメンテナンスがあったはずでしょう!」
リアンヌが、ローゼリアの口元をナプキンで優しく拭きながら鋭く咎める。
「フィーネ班長にお願いして、光の速さで終わらせてきましたわ! それよりお姉様! 食後のデザートは、このエリーゼ特製の『お姉様絶対回復・超絶甘々ショートケーキ』をお召し上がりください!」
エリーゼがテーブルに箱を置き、蓋を開ける。
現れたのは、通常の五倍はあろうかという巨大なイチゴのショートケーキだった。しかも、その頂点には、精巧な飴細工で作られた『未完成のルシフェルに乗るローゼリアの雄姿』が飾られている。
「……相変わらず、無駄に芸術点が高いのう。食べるのが勿体ないくらいじゃ」
ローゼリアが目を丸くする。
「お姉様にそう言っていただけるのが何よりの報酬ですわ! さあ、お姉様、私が食べさせて差し上げます! あーんですわ!」
「いや、だから妾は自分で……」
「エリーゼ! ローゼリアの食事の世話は私が担当しています! あなたは引っ込んでいなさい!」
リアンヌがフォークを構えて立ちはだかる。
「副団長こそ、メインディッシュが終わったなら席をお譲りなさいな! ここからはデザートの、つまり私のターンですわ!」
エリーゼもケーキナイフを構え、火花を散らす。
「お主ら、ラウンジで武器(食器)を構えるでない……」
ローゼリアが呆れたようにため息をついた時、さらに三人の影がラウンジに現れた。
「あらあら、また二人でローゼリア殿下の取り合いですか。困った方々ですわね」
おっとりと微笑みながら、ハーブティーのティーセットを持ったロスヴァイセが入ってくる。
「ほんと、元気ねアンタたち。ローゼリアが疲れちゃうわよ」
アルティナが、呆れたような顔でタブレットを操作しながら後に続く。
「殿下、食後の消化を助ける特製胃薬を調合してまいりました。さあ、こちらを」
ウルスラが、相変わらず怪しげな青緑色の液体が入った小瓶を真面目な顔で差し出してくる。
「ウルスラ、それは絶対に薬の色をしておらんから下げるのじゃ……。ロスヴァイセ、紅茶を頼む」
「はい、殿下。カモミールと星間ミントのブレンドですわ。リラックス効果が抜群ですのよ」
ロスヴァイセが優雅な手つきでティーカップに紅茶を注ぐと、ラウンジに爽やかな香りが広がった。
「さて、お腹も満たされたことじゃし、少しゆっくりするとしよう」
ローゼリアが紅茶を一口飲み、再びソファに身を預けようとした、その瞬間。
「ローゼリア! 食後は私が特製マッサージを施します! さあ、遠慮なく私のこの膝を枕にしてください!」
リアンヌが、ソファの隣に素早く座り込み、自らの太ももをポンポンと叩いた。
「いや、さすがにそれは……」
「いいえ! お姉様のお御足を揉みほぐすのは私の役目ですわ!」
エリーゼが、ローゼリアの足元に滑り込み、勝手に足を抱え込む。
「ちょっと、二人とも……わ、わわっ!?」
抵抗する間もなく、ローゼリアはリアンヌの柔らかい太ももに頭を乗せられ、足はエリーゼに優しく揉みほぐされるという、完全な「サンドイッチ状態」にされてしまった。
「……ふふっ。殿下、とても気持ちよさそうですわね」
ロスヴァイセがクスクスと笑う。
「まあ、実際に限界まで体酷使してたんだから、これくらい甘やかされてもバチは当たらないんじゃない?」
アルティナが、ソファの背もたれに寄りかかりながら肩をすくめる。
「(……まあ、確かに悪くはない、か)」
最初は照れくささから抵抗しようとしたローゼリアだったが、リアンヌの絶妙な力加減のヘッドスパと、エリーゼの丁寧なフットマッサージに、徐々に抗う気力を失っていった。
戦場の極度の緊張感から解放された反動もあり、仲間の温もりがじんわりと心と身体を溶かしていく。
「そういえば、ローゼリアお姉様。退院のお祝いに、私から特別なプレゼントがありますの!」
マッサージを続けながら、エリーゼが嬉しそうに声を上げた。
「プレゼント? ケーキの他にもまだあるのか?」
「もちろんですわ! じゃじゃーん!」
エリーゼが空間収納ポケットから取り出したのは、ローゼリアの背丈と全く同じサイズの、巨大な『ローゼリア等身大ぬいぐるみ』であった。
「……なんじゃそれは」
ローゼリアの目が点になる。
「お姉様が戦場に行かれている間、お留守番をしている私たちが寂しくないようにと、特注で作らせた『抱き枕兼用・ローゼリアお姉様ぬいぐるみ』ですわ! 肌触りは最高級の星間シルク! 香りもお姉様のシャンプーの匂いを完全に再現しております!」
エリーゼがぬいぐるみに頬擦りをして、うっとりとした表情を浮かべる。
「……エリーゼ、お主の愛は時々狂気を孕んでおるから怖いのじゃが。というか、妾のシャンプーの匂いをどうやって再現したのじゃ……」
「ふふん、それは乙女の秘密ですわ! ちなみに、副団長の分も一つ作ってありますのよ」
「なっ……! エリーゼ、あなたという人は……! あ、後で私の部屋にこっそり運んでおきなさい」
リアンヌが顔を真っ赤にして小声で指示を出す。
「お主ら、妾を偶像化するのはやめるのじゃ……」
ローゼリアは呆れ果てて天井を仰いだが、その口元は微かに緩んでいた。
騒がしくて、過保護で、少しばかり愛が重い仲間たち。
でも、これが自分の帰るべき「日常」なのだと、改めて実感する。
「……なあ、お前たち」
ローゼリアは、リアンヌの膝枕から天井を見上げたまま、静かに口を開いた。
「はい、何でしょう、ローゼリア」
リアンヌが、マッサージの手を止めずに優しい声で応える。
「先日の戦いで、敵の正体が分かったじゃろう。あれは犯罪組織の残党などではない。あの陰湿な『管理者』というシステムそのものが、直接妾たちを排除しにきたんじゃ」
その言葉に、ラウンジの空気が少しだけ引き締まる。
「奴らは、妾という存在を宇宙のバグだと断定し、本気で消しにきている。……これから先、奴らがどんな理不尽な罠を仕掛けてくるか、想像もつかん。もしかしたら、今回のように世界全体を巻き込むような、絶望的な状況が続くかもしれん」
ローゼリアの真紅の瞳に、静かな、しかし確かな憂いの色が浮かぶ。
「妾は、お前たちをそんな神々の盤面の裏側の争いに巻き込んでしまっている。……本当なら、ただの傭兵として、もっと平和な星で気楽な任務だけをこなして生きていくこともできたはずなのに」
それは、かつて高次元空間で一人きりになった時に感じた、指揮官としての重圧と後悔の欠片だった。
「——何を仰っているんですか、お姉様」
真っ先に沈黙を破ったのは、ローゼリアの足を揉んでいたエリーゼだった。
「私たちは、誰に強制されたわけでもなく、自らの意志でこの『戦乙女』に集い、お姉様の翼となることを選んだのですわ。神様が相手だろうと、悪魔が相手だろうと、お姉様がいる場所が私たちの戦場です!」
「エリーゼの言う通りです」
リアンヌが、ローゼリアの銀糸の髪を優しく撫でながら微笑む。
「ローゼリア。あなたは一人で背負い込みすぎです。神々が盤面を荒らすというのなら、私たちが一緒にその盤面をひっくり返します。あなたが剣を振るうなら、私が絶対に盾となります。……だから、そんな悲しい顔はしないでください」
「殿下、私たちは七人で一つです。どのような強大な敵が現れようとも、決して退くことはありません」
ウルスラが力強く頷く。
「そうそう。それに、相手が宇宙の管理者だろうがなんだろうが、私たちが負けるわけないじゃない。だって、私たちの指揮官は銀河最強の死神なんだから」
アルティナがウィンクをして見せる。
「美味しいお茶とケーキがあって、殿下の笑顔がある。この幸せな時間を奪おうとする輩には、重力の底でお仕置きをして差し上げませんとね」
ロスヴァイセがおっとりと、しかし底知れぬ凄みを滲ませて笑う。
その言葉の一つ一つが、ローゼリアの心の中にあった微かな迷いを、温かく溶かしていく。
「……ふふっ。そうじゃな。お主らの言う通りじゃ」
ローゼリアは、リアンヌの膝からゆっくりと身を起こした。
そして、周囲を囲む大切な仲間たちの顔を一人一人見渡し、いつもの不敵で、最高に魅力的な笑みを浮かべた。
「神だろうがシステムだろうが関係ない。妾のこの騒がしくて愛おしい日常を脅かすクソイベントは、全部まとめて完全攻略してやる! 妾の翼たちよ、これからも妾の無茶にしっかりとついてこい!」
『『『——応!!!』』』
ラウンジに、戦乙女たちの明るく力強い声が響き渡る。
「よし! 決意も新たにしたところで、エリーゼ! そのケーキを切り分けよ! 全員で食うぞ!」
「はいませ、お姉様! たっぷりと切り分けますわ!」
「ローゼリア、まだお身体が冷えてはいけません。こちらのブランケットを……」
「リアンヌ、妾は病人ではないと言っておろう!」
束の間の休息。
次に訪れる戦いがどれほど過酷なものであろうとも、彼女たちの間にあるこの強固な絆が揺らぐことはない。
今はただ、この甘く温かい時間に身を委ね、次なる嵐へと立ち向かうための英気を養う。
銀河最強の死神と、彼女を溺愛する六つの翼の物語は、絆という名の最大の武器を手に、神の領域すらも踏み越えていくのであった。




