第三幕 第十八話:絶対包囲網と、王の首を落とす一撃
宇宙空間が、文字通り「金属の壁」によって埋め尽くされようとしていた。
帝国の百五十の防衛拠点から進路を反転させた十万の『レギオン』部隊。感情も恐怖も持たない彼らは、ただ一つの目標——七機の戦乙女を圧殺するためだけに、己の命を一切顧みない密集陣形を構築し、巨大な球体状の『絶対包囲網』を形成しつつあった。
「……チッ。空の星々が全く見えんほどの数じゃな。まるで宇宙全体が敵の装甲で塗りつぶされたようじゃ」
ハリボテの悪魔『ルシフェル』のコックピットで、ローゼリアは全方位モニターを埋め尽くす無数の赤い光点を見据え、ギリッと奥歯を噛み締めた。
敵は統率を失った烏合の衆とはいえ、数が十万ともなれば、それはもはや一つの「災害」である。四方八方から無差別に放たれるビームの雨が、暗黒の宇宙を真昼のように照らし出していた。
『マスター。敵の砲火密度が論理的限界値を超過しています。このままでは三〇秒後に回避空間が完全に消滅します』
バハムートの合成音声が、無機質に死のカウントダウンを告げる。
装甲が一切なく、一発でも被弾すれば即座に空中分解する未完成のルシフェル。
物理的な安全装置を外したことによる凄まじい加速Gが、ローゼリアの華奢な肉体を容赦なく痛めつけている。鼻筋からは一筋の血が流れ落ち、呼吸をするたびに肺が軋むような痛みを上げていた。
だが、彼女の真紅の瞳は決して死んでいない。
絶望的な盤面であればあるほど、彼女の闘争心は冷たく、そして鋭く研ぎ澄まされていく。
「回避空間が消滅するなら、こじ開けるまでじゃ! エリーゼ! アルティナ!」
『はいませ、お姉様!』
『まったく、人使いが荒い指揮官ね!』
ローゼリアの号令に即座に呼応し、後方に位置していた二機の戦乙女が動く。
アルティナの『ハルファス・イクリプス』が、機体の全エネルギーを電子戦システムへと回し、前方の一点に向けて指向性の極大ジャミング波を放射した。
「そこよ! 敵のセンサー同期が〇・五秒だけズレるわ!」
その僅かな綻びを、狂信的な愛と過剰火力の権化が逃すはずがない。
「お姉様の御前を塞ぐ無礼者ども! 宇宙の塵すら残さず消え去りなさい!!」
エリーゼの真新しい漆黒の重装機『ベルフェゴール』が、背部の六基の自律式大型ビーム砲門を前方に集中させる。
黄金に輝く極太の破壊の奔流が、数千のレギオンを瞬時に蒸発させ、分厚い金属の壁に直径数キロに及ぶ「風穴」をぶち空けた。
「見事じゃ! ウルスラ、ランドグリーズ、ロスヴァイセ! その風穴が塞がる前に、強行突破の道を作れ!」
「承知いたしました! 殿下の御心のままに!」
ウルスラの群青の『ミネルヴァ・アサルト』が、機体そのものを巨大な質量弾と化して突撃し、風穴の縁に群がる敵機を次々と粉砕していく。
「あははっ! 弾幕なら任せなさいっての!」
「重力波、最大展開。……おどきなさいませ」
ランドグリーズの紅蓮の機体が無数の実弾をばら撒き、ロスヴァイセの重力防壁が周囲の敵機をまとめて押し潰す。
七つの翼が完璧な連携で紡ぎ出す、一筋の活路。
ローゼリアは、その活路の奥——敵軍の最深部に鎮座する、他よりも一回り巨大な『熱源』をハッキリと捉えていた。
「(見つけたぞ……! この十万の軍勢を束ねる、真の総大将の首!)」
ローゼリアはルシフェルのスロットルを限界まで押し込み、開かれた風穴へと一直線に突入した。
だが、敵もただの案山子ではない。
十万の軍勢を束ねる『総指揮官』のホムンクルスは、自らの懐に飛び込んでくる漆黒の悪魔に対し、冷徹な迎撃行動に出た。
「……イレギュラーの接近を確認。親衛隊、対象を完全に包囲・殲滅せよ」
総指揮官の周囲を固めていた、通常のレギオンとは明らかに異なる高機動型の親衛隊機体が数百機、一斉にローゼリアのルシフェルへと殺到する。
「チッ、まだこれほどの伏兵が……!」
ローゼリアが対艦ブレードを展開しようとした、その刹那。
「ローゼリアには、指一本触れさせません!!」
純白の閃光が、ルシフェルの斜め前方に割り込んだ。
リアンヌの『ブラン・ゼファー』である。
これまでの神速の戦闘で、主の横に並ぶことすらできず、盾としての役割を果たせなかった彼女のフラストレーションは、ここで完全に爆発していた。
リアンヌは機体のリミッターを限界まで解除し、スラスターが焼き切れるのも構わずにルシフェルの前面へと躍り出たのだ。
「そこをどきなさい!! 私の主の道を、これ以上塞ぐなァァッ!!」
リアンヌは両手のツイン・ハルバードを打ち捨て、機体の全魔力を前面に集中させた『極大の暴風防壁』を展開した。
殺到する数百機の親衛隊が放つビームや実弾が、すべて純白の暴風に弾かれ、あるいは飲み込まれていく。
リアンヌの機体の各部から装甲が軋む悲鳴が上がり、警告アラートが鳴り響くが、彼女は決して退かなかった。
「リアンヌ……!」
「行ってください、ローゼリア! あなたの剣が届く距離まで、私が必ず送り届けます!」
盾としての誇りを懸けた、決死の防衛。
ローゼリアはその背中に深い信頼の眼差しを向け、フッと獰猛に笑った。
「……大儀じゃ、妾の誇り高き盾よ! あとは任せておけ!」
ルシフェルは、リアンヌの防壁の影から、凄まじい加速で飛び出した。
目標はただ一つ。親衛隊の奥に鎮座する、重装甲の総指揮官機のみ。
『……対象の接近を許可。これより、単独での物理的排除に移行する』
総指揮官のホムンクルスは、自らの巨大な専用機を前進させた。
四本の巨大な腕にそれぞれ異なる重火器と実体剣を備えた、まさに動く要塞。
「我々は完璧な兵士。貴様の過去の戦闘データ、機動の癖、そしてその機体の脆弱性。すべて完全に解析済みだ」
無機質な通信音声が響くと同時に、総指揮官機は四本の腕を巧みに操り、ルシフェルの『回避不可能な全方位予測射撃』を展開した。
弾幕の隙間を完全に計算し尽くし、ローゼリアがどこへ避けようとも必ず一発は被弾する、物理的・数学的な『必殺の陣』。
『マスター! 回避ルートが存在しません! 予測被弾率一〇〇パーセント!』
バハムートが警告を発する。
装甲のペラペラな未完成ルシフェルにとって、かすり傷すら致命傷となる。
だが。
「……だからなんじゃ。計算通りに動くボットの思考など、底が知れておるわ!」
ローゼリアの瞳孔が開き、彼女の脳内演算速度が人間の限界を遥かに突破した。
彼女が選択したのは、回避ではなく「機体の強制的な姿勢崩し」であった。
ルシフェルのメインスラスターを、あえて一瞬だけ完全に『停止』させる。
宇宙空間の慣性に従って突っ込んでいた機体は、突然の推力喪失により、物理法則を無視したような不規則なスピン状態へと陥った。
計算された弾幕が、ルシフェルのコックピットを数ミリの差で掠めていく。
「なっ……推力の意図的な遮断による予測軌道の破棄……!? そのような機動、機体の制御システムが自壊するはず……!」
総指揮官の感情のない声に、初めて「驚愕」の色が混じる。
「はははっ! だから言うたじゃろう! この機体には安全装置など一切付いておらんのじゃ!」
ケーブルの繋がりすらない純粋な脳波操作だからこそ可能な、機体の限界を無視した変態機動。
ローゼリアはスピン状態のまま、再びスラスターに点火。遠心力を利用して一気に加速し、総指揮官機の懐へと潜り込んだ。
「……目標、捕捉」
総指揮官もまた、常人離れした反射神経で対応する。四本のうちの二本の腕で構えた巨大な実体剣を、ルシフェルに向けて振り下ろした。
だが、その動きすらも、限界ゲーマーの目には「スローモーション」のように見えていた。
ガシャッ!!
ルシフェルの右腕にマウントされた、唯一の武装。
折りたたみ式の対艦ブレードが、スプリングの弾ける音と共に展開される。
「チェックメイトじゃ、ポンコツ人形!!」
ズバァァァァァァァァァッ!!!
すれ違いざまの、神速の一閃。
未完成の悪魔に込められた全魔力と全推力を乗せた物理刃が、総指揮官機の分厚い重装甲を、四本の腕ごと斜めに真っ二つに両断した。
音のない宇宙空間で、巨大な指揮官機がゆっくりとズレ、そして圧倒的な閃光と共に大爆発を起こす。
『総指揮官機……シグナル、ロスト……。指揮系統……完全崩壊……』
通信回線に、ホムンクルスの最期の機械的な音声が虚しく響き渡り、やがて途絶えた。
十万の軍勢を束ねていた「真の核」が破壊された瞬間。
周囲を埋め尽くしていた無数のレギオンたちの動きが、まるで電源を切られたようにピタリと停止した。
彼らは指揮官の統制下にあって初めて機能する兵器群であり、その大本を失った今、ただ宇宙空間に浮かぶ鉄屑へと成り下がったのである。
「……ふぅ。これで、百五十の盤面はすべてクリアじゃな」
ローゼリアは、緊張の糸が切れた瞬間に襲いかかってきた猛烈な吐き気と全身の痛みに顔をしかめながらも、満足げに息を吐き出した。
直後、空間の彼方から無数の光点が現れる。
フェイト女帝の命を受け、各地から集結してきた帝国軍の正規艦隊であった。
『ローゼリア殿下! および戦乙女の皆様! 大規模な敵軍の無力化を確認しました! これより、残存する敵機の掃討および制圧に入ります!』
帝国軍の司令官から、興奮に満ちた通信が入る。
「うむ。後の掃除は頼んだぞ、帝国軍。……妾たちは、少しばかり休息をもらうとしよう」
ローゼリアは、全身が悲鳴を上げる未完成のルシフェルをゆっくりと反転させ、リアンヌたち戦乙女が待つ宙域へと帰還の途についた。
母艦エインヘリアルが、激戦の宙域から安全な宙域へと離脱し、静かな航行状態に入った頃。
ハンガーでは、ボロボロになった機体から降りてきた戦乙女たちが、互いの無事を喜び合っていた。
ローゼリアもまた、鼻血を拭いながらウルスラとリアンヌに肩を貸してもらい、何とか自力で歩いていた。
「ローゼリアお姉様! 本当にご無事で……! ああ、でもお顔が真っ青ですわ!」
エリーゼが泣きつきそうになるのを、ロスヴァイセがおっとりと止める。
「エリーゼ殿、今は殿下を休ませてあげましょう。あれだけのGに生身で耐えたのです、内臓が相当なダメージを受けているはずですわ」
「うむ……しばらくは、豪華な病室のベッドとメロンで絶対安静じゃな……」
ローゼリアが力なく笑った、その時であった。
「……全員、喜ぶのはまだ早いぞ」
ブリッジから降りてきたブリュンヒルデ団長が、片手にデータタブレットを握りしめ、険しい表情でローゼリアたちの前に立った。
「団長? まだどこかに残党が残っておったのか?」
「いや、帝国軍の掃討作戦は完璧だ。百五十の拠点はすべて守り切った。……問題は、そこではない」
ブリュンヒルデは、タブレットの画面をホログラムで空間に投影した。
「アルティナに命じて、ローゼリアが斬り捨てた『総指揮官機』のコアから、残存するデータを引き揚げさせた。巨大犯罪組織が、どうやってこれほどの大軍を複製し、統率していたのかを調べるためにな」
「……それで、何が分かったのじゃ?」
「連中を動かしていたのは、犯罪組織のプログラムではない」
ブリュンヒルデの青い瞳が、重苦しい真実を告げる。
「総指揮官のコアに刻まれていたのは……以前、お前が高次元空間で接触したという、あの理不尽な『管理者』たちのシステムコードと完全に一致する暗号言語だ」
その言葉に、ハンガーの空気が凍りついた。
「なっ……!?」
ローゼリアの真紅の瞳が、驚愕に見開かれる。
「つまり、今回の十万のホムンクルス暴走は、犯罪組織の残党による意趣返しなどではない。……あの高次元の神々が、帝国に封印されていた過去の兵器をコピーし、直接我々に差し向けてきた『次なる手』だったということだ」
「……引きこもりの神々が、ついに盤面を荒らしにきおったというのか」
ローゼリアは、ギリッと拳を握り締めた。
中枢コアを一つ潰した程度では、奴らは止まっていなかったのだ。
むしろ、ローゼリアという『特異点』を排除するためならば、宇宙の全土を火の海にすることも厭わないという、明確で冷酷な殺意。
「……上等じゃ。奴らが本気でこの宇宙のルールを壊しに来るというのなら」
全身の疲労と痛みを忘れ、ローゼリアの眼光に再び限界ゲーマーとしての底知れぬ闘志が宿る。
「妾が、この手で完全に『ゲームオーバー』にしてやる。……システムの中枢ごと、叩き斬ってな」
見えざる神々との、真の全面戦争。
その避けられない運命の足音が、静寂の宇宙に確かに響き始めていた。




