第三幕 第十三話:退院明けの死神と、退屈すぎる母艦の日常
帝都アエテルガルドの皇立第一病院での、フェイト女帝による「24時間監視付き・超絶過保護・絶対安静生活」から解放された日。
ローゼリア・エーベルヴァインは、母艦エインヘリアルの居住区画へと帰還し、戦乙女の面々から盛大な歓迎を受けていた。
「ローゼリアお姉様、退院おめでとうございますわーっ!! さあ、私が三日三晩徹夜で編み上げた、この『お姉様万歳』の特大タペストリーをご覧ください!」
ラウンジの壁一面に、エリーゼが展開した巨大な布が垂れ下がる。そこには神々しい光を背負ったローゼリアの肖像が、無駄に高い画力で描かれていた。
「殿下、退院後の栄養補給は完璧に計算してあります。さあ、まずはこの特製プロテイン配合・星間スッポンエキスをどうぞ!」
ウルスラが、相変わらず怪しげな色をしたドリンクを真面目な顔で差し出す。
「ローゼリア! 病院のベッドは硬かったでしょう! さあ、私のこの鍛え抜かれた、かつ柔らかな太ももで、心ゆくまでお休みください!」
リアンヌが純白のエプロン姿でソファに座り、自分の太ももを熱烈にアピールする。
「お主ら……相変わらず騒がしい奴らじゃのう。じゃが、まあ……悪くない」
ローゼリアは、三人の過剰な愛の押し売りを適当に躱しながら、ラウンジを見渡した。
カウンターではロスヴァイセがおっとりと微笑みながら紅茶を淹れ、ランドグリーズがクラッカーを鳴らし、オルトリンデとアルティナが呆れ半分、嬉しさ半分といった顔でこちらを見ている。
そして、部屋の隅には「無茶しやがって」と笑うフィーネや、腕を組んで頷くブリュンヒルデ団長の姿もあった。
病院での生活は快適を極めたが、やはり自分にとって一番落ち着く「帰るべき場所」は、この騒がしくも温かい母艦なのだと、ローゼリアは改めて実感していた。
「よし! 傷もすっかり癒えたことじゃし、さっそく次の任務のブリーフィングに入ろうではないか! 暴れたくてウズウズしておるんじゃ!」
ローゼリアが気合を入れて拳を突き上げた、その時であった。
「……アホか」
フィーネが、持っていたスパナでローゼリアの頭を軽く小突いた。
「痛っ! な、なんじゃフィーネ! 妾はもう完全復活じゃぞ!」
「てめェの体はな。だが、てめェの『手足』はどこにあるんだよ?」
フィーネの呆れたような言葉に、ローゼリアはハッと息を呑んだ。
「お前のルシフェルは、あの高次元空間で完全にロストした。今、アタシの班が総出で新しいフレームを基礎から組み直してる最中だが……完成度で言えばまだ三割ってところだ」
「さ、三割……!?」
「当たり前だ。世界に一つしかねェ古代フレームを一から造り直すんだぞ? それに、アルティナが持ち帰った高次元領域の戦闘データも組み込んで、前のルシフェル以上の『化け物』に仕上げる予定だからな。……最低でもあと一ヶ月はかかると思え」
「い、一ヶ月……じゃと……?」
ローゼリアの顔から、スッと血の気が引いた。
「というわけだ、ローゼリア」
ブリュンヒルデが、静かに宣告を下す。
「お前は機体がない以上、戦場には出られない。よって、新しいルシフェルが完成するまでの間、お前は部隊の『自宅待機組』だ。……大人しく、母艦で留守番をしているんだな」
「そ、そんな殺生なあああああっ!!」
銀河最強の死神の絶望に満ちた叫びが、平和なエインヘリアルのラウンジに虚しく響き渡った。
それから数日後。
ローゼリアの予想通り、いや予想以上に、母艦での留守番生活は『暇』の極みであった。
帝国軍の再編に伴い、戦乙女への出撃依頼は引きも切らず舞い込んでくる。
辺境宙域に出没する宇宙海賊の討伐、星喰い(ヴォイド・スウォーム)の残党狩り、さらには他国の傭兵団との模擬戦など、リアンヌたち六人の戦乙女は毎日元気にカタパルトから出撃していく。
「いってまいります、ローゼリア! あなたの分まで、私が敵を蹴散らしてきますからね!」
「お土産を楽しみにしていてくださいませ、お姉様!」
そんな頼もしい部下たちを「うむ、気をつけてな」と見送り、エインヘリアルに残されるのは、整備班とブリッジクルー、そして機体を持たないローゼリアだけであった。
「……暇じゃ。暇すぎる……」
自室のソファに寝転がり、ローゼリアは携帯端末をピコピコと弄りながら深いため息をついた。
この数日で、アルティナから借りた最新のRPGを三本クリアし、オンラインのFPSゲームでは世界ランキングの一桁にまで食い込んだ。
前世の限界ゲーマーとしての腕前は健在だが、高次元の神を相手にヒリヒリするような死闘を繰り広げた後では、画面の中の戦闘など、どうしても「刺激不足」に感じてしまうのだ。
『——マスター。脳内のドーパミン分泌量が著しく低下しています。所謂「退屈」によるストレス兆候です』
腕の端末から、バハムートAIの合成音声が響く。ルシフェルの喪失と共にこの小さな端末に引っ越してきた相棒は、今やすっかりローゼリアの健康管理アプリと化していた。
「分かっておるわ。じゃが、他にやることがないんじゃ。……なあバハムート、少しだけフィーネのドックに忍び込んで、新しいルシフェルの様子を見に行かんか?」
『警告。フィーネ整備班長より「あのクソガキがドックに近づいたらスパナで弾き出せ」との厳命が下されています。接近は推奨しません』
「チッ……。サプライズ感を大事にしたいのか、単に妾が邪魔なだけなのか。……よし、ならばシミュレータールームじゃ! 訓練用の量産型機体のデータなら、今の妾でも動かせるじゃろう!」
ローゼリアはソファから跳ね起き、一縷の望みをかけて訓練区画へと向かった。
エインヘリアルのVRシミュレータールーム。
ローゼリアは、汎用型の訓練用マギアナイトのプログラムを立ち上げ、仮想空間での戦闘訓練を開始した。
「ふははっ! 久々の操縦感覚じゃ! 仮想空間とはいえ、動けるというのは素晴らしいのう!」
仮想の宇宙空間。ローゼリアは量産型機体のスロットルを押し込み、出現した仮想の海賊艦隊へと突撃を仕掛けた。
彼女の脳内では、すでに敵の射線を読み切り、完璧な軌道で回避しながら主砲を叩き込む「最適解」が組み上がっている。
「そこじゃ! 躱して、撃つ!」
ローゼリアは、操縦桿を限界まで倒し込み、トリガーを引いた。
——しかし。
『……エラー。機体の駆動系が操縦者の入力速度に追いつけません。姿勢制御に失敗しました』
「あ、あれっ!?」
画面の中の量産型機体は、ローゼリアの神がかった反応速度と複雑な入力コマンドにハードウェアが全くついていけず、自らの足をもつれさせて宇宙空間で盛大にスピンし、そのまま敵のレーザーの的となって爆散した。
『ミッション・フェイルド』の赤い文字が、虚しく視界を覆う。
「……クソゲーじゃっ!! なんなんじゃこのモッサリした機体は! 入力遅延が酷すぎるわ!」
ローゼリアはシミュレーターのシートを蹴り飛ばし、頭を抱えた。
『マスターの反応速度は、ルシフェルのような最高峰の古代フレームと直結して初めて成立するものです。量産機のシステムでは、あなたのAPM(一分間の操作回数)を処理しきれません』
バハムートが冷徹な事実を告げる。
「(……あの神の領域で、生身で転んだ時と全く同じ現象じゃな。妾のプレイヤースキルが高すぎるせいで、並の機体では体がついてこんとは……)」
ゲームも駄目、シミュレーターも駄目。
完全にやることがなくなったローゼリアは、ゾンビのように廊下を徘徊し、気がつけばブリュンヒルデ団長のいる執務室へと足を踏み入れていた。
「……ローゼリアか。どうした、幽鬼のような顔をして」
執務机の奥で、山のような書類とデータ端末に囲まれたブリュンヒルデが、胃薬を水で流し込みながら怪訝な顔を向ける。
「団長……妾、暇すぎて死にそうじゃ。何でもいいから、仕事を与えてくれ。弾薬磨きでも、トイレ掃除でも構わん……」
「そうか。ならば、これをやれ」
ブリュンヒルデは、ニヤリと悪い笑みを浮かべ、机の上にあった分厚いデータタブレットの束をローゼリアに押し付けた。
「先日の演習中止に伴う帝国軍との予算折衝、およびルシフェル大破による経費申請のデータ入力だ。オルトリンデが戦闘に出ている間、事務仕事が完全に滞っていたのだ。お前のその有り余るエネルギー、事務処理で発散させてみろ」
「……じ、事務処理……?」
ローゼリアはタブレットを受け取り、画面に並ぶ膨大なエクセルのような表計算ソフトと、複雑な経費項目のリストを呆然と見つめた。
通常なら、見るだけで頭が痛くなるような退屈な作業である。
だが、今のローゼリアは「極度の刺激に飢えた限界ゲーマー」であった。
「……なるほど。この数値を、指定されたフォーマットに完璧に、かつ最速で打ち込んでいく『タイピングゲーム』というわけじゃな?」
ローゼリアの真紅の瞳に、奇妙な光が宿る。
「バハムート、入力フォーマットの規則性を解析せよ。妾は手動で入力の限界速度に挑む!」
『——了解。視覚情報の最適化アシストを実行します』
カタカタカタカタカタカタカタカタッ!!!!
執務室に、凄まじいタイピング音が鳴り響き始めた。
ローゼリアの指先は残像を残すほどの速度で端末を叩き、目にも留まらぬ速さで経費データが処理されていく。
敵の弾幕を見切る動体視力と、ミリ単位の機体操作を可能にする指先の精密な動きが、なぜか「帝国の事務処理」という全く間違った方向で完全にスパークしていた。
「なっ……なんだその速度は……!?」
ブリュンヒルデが、目を丸くして立ち上がる。
「ふはははっ! 完璧じゃ! ミス率ゼロ、コンボ継続中! 次の束を持て、団長! 妾のAPMを舐めるなよ!」
「お、おお……! あ、あるぞ、まだ第三四半期の補給物資のリストが……!」
それから約二時間後。
本来ならオルトリンデとブリュンヒルデが三日徹夜しても終わらないはずの膨大な事務処理が、ローゼリアの恐るべきゲーマースキルによって完全に消滅していた。
「……終わった。オールSランクのパーフェクトクリアじゃ……」
ローゼリアは、指先から白い煙が出そうな勢いでタブレットを置き、満足げに息を吐いた。
「ローゼリア。……お前、ルシフェルが直るまで、いや、直ってからも私の専属秘書にならないか? 給料は今の三倍弾むぞ」
ブリュンヒルデが、感動で目を潤ませながら両手でローゼリアの手を握りしめる。
「絶対に嫌じゃ。これ以上やったら妾の魂が社畜に染まってしまうわ」
ローゼリアは団長の手を振り払い、そそくさと執務室を後にした。
「結局、事務処理もただの作業ゲーじゃったな……」
ローゼリアは、再びやることがなくなり、最終的にエインヘリアルの展望デッキへとやってきていた。
分厚い強化ガラスの向こうには、果てしなく広がる美しい星の海が見える。
「……なあ、バハムート」
ローゼリアは、展望ガラスに手をつき、腕の端末に向かってポツリと呟いた。
「妾は、少し焦っておるのかもしれん。あの高次元空間で、機体を壊され、手も足も出ずに仲間を待つことしかできなかった。……自分の無力さを痛感したんじゃ」
『……マスター』
「だから、早く新しい機体に乗って、自分の力を証明したい。妾はまだ戦える、みんなの盾になれるんじゃと、そう思いたいだけなのかもしれんのう」
ローゼリアの小さな呟きに、バハムートは少しの沈黙の後、静かに答えた。
『マスター。フィーネ班長がドックへの立ち入りを禁じているのは、単なるサプライズではありません。……あなたに、機体から離れたこの「平和な時間」を過ごさせるためです』
「……平和な時間?」
『はい。戦場でのアドレナリンと、私との同期による万能感。それは一種の麻薬です。あなたはそれに依存しすぎている。……機体を持たない今の脆弱なあなた自身と向き合い、母艦での穏やかな退屈を味わうこと。それもまた、指揮官として必要な休息だと、皆が判断したのです』
「……フィーネのやつめ。柄にもない気遣いをしおって」
ローゼリアは、苦笑いしながら端末を軽く撫でた。
「じゃが、お主の言う通りかもしれんな。戦いばかりがすべてではない。こうして星を見ながら退屈を持て余す時間も、決して悪いものではないわ」
その時。
エインヘリアルのメインモニターが起動し、出撃していた部隊の帰還信号が灯った。
『——こちらリアンヌ。戦乙女各機、目標の宙域の海賊拠点制圧を完了しました。これより母艦に帰還します』
通信回線から、少し疲れた、しかし明るい仲間たちの声が響く。
『ふぅ、今回も楽勝でしたわね! 早く帰って、お姉様の等身大チョコレート像の修復作業に入りませんと!』
『エリーゼ殿、だからそれは重すぎると……。それより、殿下のためにお土産の星間フルーツは無事に確保しました』
「……ふふっ。帰ってきたようじゃな、妾の騒がしい翼たちが」
ローゼリアは、展望デッキの窓から、遠くに見える六つの極彩色の光の尾を見つめた。
彼女たちが帰ってくる場所。そして、自分が待つべき場所。
「バハムート。新しいルシフェルが完成するまで、もう少しだけこの『退屈』を楽しんでやるとしよう。……お前も、新しい体に移行する準備をしっかりとしておけよ」
『——了解。マスターの帰還を、最高の状態で迎え撃ちます』
ローゼリアは、踵を返し、仲間たちを出迎えるためにハンガーへと向かって歩き出した。
機体がなくとも、彼女が戦乙女の主であり、銀河最強の死神であることに変わりはない。
今はただ、この愛おしい日常の中で羽を休め、次なる空へと飛び立つための力を蓄える時。
彼女の顔には、退屈への不満ではなく、明日への期待に満ちた柔らかい笑みが浮かんでいた。




