第三幕 第十一話:鉄拳制裁と、指揮官の涙
母艦エインヘリアルのメインドックは、帰還した六機のマギアナイトが発する凄まじい排熱と、冷却ガスの白煙に包まれていた。
限界突破の状態で高次元の領域を駆け抜け、絶対的な力を持つ敵の中枢を粉砕して帰還した機体たちは、どれも深刻なダメージを負っていた。
純白の装甲が煤け、各部の関節から火花を散らすブラン・ゼファー。パイルバンカーの砲身が完全に焼け焦げたミネルヴァ・アサルト。その他の機体も、立っているのが不思議なほどに満身創痍であったが、そのコックピットから降りてくる乙女たちの表情には、確かな達成感と安堵が満ちていた。
「医療班、早く! ローゼリア殿下をこちらへ!」
ウルスラが、自らの機体の胸部装甲から、ボロボロになった特注のパイロットスーツ姿のローゼリアを抱きかかえて降りてくる。
待機していた医療チームがストレッチャーを急行させ、ローゼリアを慎重に寝かせた。
「お姉様! ローゼリアお姉様ぁっ!!」
後方で待機を命じられていたエリーゼが、縦ロールを振り乱しながら駆け寄り、ストレッチャーの縁にすがりついて大粒の涙を流した。
「ああ、なんて痛ましいお姿……! ご無事で、本当にご無事でよかったですわ……!」
「……泣くな、エリーゼ。心配をかけたが、敵の親玉はきっちりと始末してきたぞ……」
ローゼリアは、顔のあちこちに擦り傷を作り、複数の打撲と裂傷の痛みに顔をしかめながらも、心配させまいと気丈にいつもの強がった口調で薄く笑ってみせた。
応急処置のスプレーが吹きかけられ、バイタルが安定していることが確認されると、周囲を囲んでいたリアンヌたち戦乙女の面々も、ようやく深く、深い安堵の息を吐き出した。
「本当に、生きた心地がしませんでしたよ。……ですが、よく生きていてくださいました」
リアンヌが、煤けた顔のまま、ローゼリアの手を両手で包み込むように握り締める。
「ふふ……お前たちが来てくれると、信じておったからな。……それにしても、少しばかり派手にやり過ぎたかのう」
ローゼリアは、ハンガーの天井を仰ぎ見ながら、緊張の糸が解けたことで襲い来る強烈な疲労感に身を委ねようとした。
——その時である。
「そこを退け」
低く、しかしドス黒い怒りと威圧感に満ちた声が、ハンガーの喧騒を切り裂いた。
声の主は、傭兵団『戦乙女』の団長、ブリュンヒルデであった。
普段の書類仕事に追われる疲労困憊の姿とは違う。軍服を乱れなく着こなし、その青い瞳には、周囲の空気を凍りつかせるほどの鋭い光が宿っている。
彼女が歩みを進めると、医療班も、整備兵たちも、思わず道を開けるように後ずさった。
「だ、団長……? どうされました、そのような恐ろしい顔をして」
ロスヴァイセが、おっとりとした口調の中に微かな戸惑いを混ぜて尋ねる。
ブリュンヒルデは答えず、真っ直ぐにローゼリアのストレッチャーの横へと立った。
「……おお、団長。悪いが、事後報告の書類は後にしてくれ。今は全身の骨が軋んでおってな、ペンも握れそうに——」
ローゼリアが軽口を叩こうとした、次の瞬間。
**パァァァァァァンッッ!!!**
エインヘリアルの巨大なドックに、乾いた、そして極めて重い破裂音が響き渡った。
「……え?」
アルティナが間抜けな声を漏らす。
ストレッチャーの上にいたはずのローゼリアは、ブリュンヒルデの放った渾身の平手打ち——いや、全身の体重を乗せた『張り手』を頬に受け、ストレッチャーごと床に吹き飛ばされ、無様に転がっていた。
「痛ぁっ!?」
「だ、団長!? 何をなさるのですか!!」
リアンヌが血相を変え、倒れ込んだローゼリアを庇うようにブリュンヒルデの前に立ち塞がった。ウルスラやランドグリーズも、信じられないものを見るような目で団長を凝視する。
満身創痍で帰還したばかりの主に対し、労いの言葉もなく全力で殴り飛ばすなど、彼女たちの理解の範疇を超えていたからだ。
「どけ、副団長。これは傭兵団の長として、規律と命を軽んじた愚か者への正当な制裁だ」
ブリュンヒルデは、リアンヌの剣幕に一歩も引くことなく、冷徹な声で言い放った。
その圧倒的な覇気と、正論の響きに、リアンヌは思わず言葉を詰まらせる。
ブリュンヒルデはリアンヌを押し除け、床に倒れて赤く腫れた頬を押さえているローゼリアを見下ろした。
「痛いか、ローゼリア。……だが、お前が今回しでかした事は、その程度の痛みで済まされる問題ではない」
ブリュンヒルデの拳は、微かに震えていた。
「単騎での未知の領域への突入……正気の沙汰ではない。向こう側に何が待ち受けているかも分からない次元の亀裂に、たった一人で飛び込むなど、指揮官に対する明確な反逆であり、自死を望むような無謀な蛮行だ!」
「そ、それは……あのまま見逃せば、奴らはまたコソコソと盤面を……帝国の平和を乱しにくると分かっておったから……」
ローゼリアが床に座り込んだまま反論しようとするが、ブリュンヒルデの怒声がそれを遮った。
「黙れ!! その結果、どうなった!? お前の愛機であるルシフェルはどうした!」
ブリュンヒルデの指差す先、ドックの隅では、整備班長のフィーネが腕を組み、下を向いて唇を強く噛み締めていた。
「あれは、ただの兵器ではない。フィーネが寝る間も惜しみ、お前の命を守るために心血を注いで組み上げた、世界に二つとない古代フレームの結晶だ! それを、お前の無謀な突撃の果てに、完全に失ってきたのだぞ! 機体の損失は、傭兵団にとって腕をもがれたに等しい大損害だ。お前は、フィーネの想いと技術を、自らの浅はかな判断で宇宙の塵にしてしまったのだ!」
「……フィーネ……」
ローゼリアは、俯く整備班長の姿を見て、初めてハッと息を呑んだ。
「さらに言おう。お前は、自分自身の『実力』を過信しすぎている。己の頭脳と戦術予測が優れているからといって、どんな窮地も単独で覆せるとでも思ったか? お前は自分がマギアナイトのコックピットから放り出された時、どれほど無力で脆弱な存在か、まったく理解していなかったのだ!」
ブリュンヒルデの言葉は、高次元空間でローゼリアが味わった絶望的な事実を、鋭く抉り出していた。
「生身のお前は、卓球の球一つ打ち返せない、ただの少女だ。その脆弱な肉体で、神の領域でどれほどの死の恐怖を味わった? その恐怖は、お前自身の『傲慢』が招いた自業自得の結果だ!」
ローゼリアの真紅の瞳が、大きく見開かれる。
反論の言葉は、もう何一つ出てこなかった。ブリュンヒルデの言う通りだった。
自分は無意識のうちに、すべてを自分の計算通りに動かせると思い上がっていたのだ。機体という絶対の鎧がなければ、自分は一歩も動けない非力な存在であるという、当たり前の現実から目を背けて。
だが、ブリュンヒルデの叱責は、それだけでは終わらなかった。
「……そして、私が最もお前を許せない理由は、そこではない」
ブリュンヒルデの声が、怒りから、深い悲痛の色へと変わった。
「お前が独断先行で死地へ飛び込んだことで、残された仲間たちがどう動くか……お前ほどの知恵が回る人間が、予想できなかったはずがないだろう」
ローゼリアの肩が、ビクッと跳ねた。
「お前は、自分の命を投げ打つ覚悟で飛び込んだのかもしれない。だが、お前を主と仰ぎ、お前を愛する彼女たちが、それを見過ごすはずがない。結果としてお前は、弾薬も推進剤も底を尽きかけていたこの七つの翼に……お前の大切な仲間たちに、お前を救うために未知の死地へと飛び込ませる『状況』を強要したのだ!」
ブリュンヒルデは、周囲を取り囲む満身創痍の戦乙女たちを指差した。
「見ろ、彼女たちの機体を。そして、その傷だらけの顔を。お前一人を助けるために、彼女たちは全滅のリスクを背負って次元の壁を越えたのだ。もし、計算が少しでも狂っていれば……もし、敵の罠がもう少し巧妙であれば……お前は、自分だけでなく、この傭兵団全員を死に追い込んでいたのだぞ!!」
その言葉が、ローゼリアの心臓を物理的に貫くような衝撃を与えた。
自分の単独行動が、仲間を危険な場所に行かせざるを得ない状況を作り出した。
「後の始末は任せた」などと格好をつけて飛び込んだ裏で、彼女たちがどれほどの絶望と焦燥に駆られ、どれほどの危険を冒して自分を迎えに来てくれたのか。
ローゼリアは、自分の両手を見た。
擦り傷だらけの、小さな手。
自分は、前世での『一人で全てを解決してきた』という傲慢な感覚を、この現実の世界にまで持ち込んでしまっていたのだ。
自分の命は自分だけのものではない。自分が傷つけば、自分を助けるために仲間が血を流す。そんな当たり前のことすら、戦いの熱の中で忘れてしまっていた。
「……私から言うことは以上だ。お前がこの傭兵団の主を名乗るのなら、自分の命の重さと、仲間の命の重さを、二度と履き違えるな」
ブリュンヒルデは、そう言い捨てて背を向けようとした。
「……団長」
床にへたり込んでいたローゼリアが、震える声で呼び止めた。
彼女は、ゆっくりと立ち上がると、ブリュンヒルデの背中、そしてリアンヌたち戦乙女の面々、さらには整備班のフィーネに向けて、深く、深く頭を下げた。
床に額が擦れるほどの、最敬礼であった。
そして顔を上げた彼女の口から紡がれたのは、いつもの「覇王の妹」としての虚勢を張った尊大な言葉ではなく、等身大のただの少女としての、絞り出すような肉声だった。
「……ごめんなさい。私が、完全に間違ってた」
ローゼリアの真紅の瞳から、ボロボロと大粒の涙が零れ落ち、ハンガーの冷たい床を濡らした。
「自分の頭の良さと、ルシフェルの力に驕ってた……。みんなの気持ちを置き去りにして、自分勝手な真似をした。フィーネの大切な機体を壊して、リアンヌたちを死地に引き摺り込んで、団長にまた無理をさせた……っ。どんな罰でも受ける。本当に……本当に、ごめんなさい……っ」
銀河最強の死神と恐れられた少女が、鎧を脱ぎ捨てて、子供のように声を上げて泣きながら謝罪する姿。
その場にいた誰もが、言葉を失った。
張り詰めていた空気が、静かに、そして温かく溶けていくのを感じた。
「……バカヤロウ」
真っ先に動いたのは、フィーネだった。
彼女はツカツカとローゼリアの元へ歩み寄ると、その頭を乱暴に、だが優しく撫で回した。
「機体なんてなァ、金と時間がありゃ何度だってアタシが最高のモンを組み上げてやるよ。だが、てめェの命は一つしかねェんだ。……謝るくらいなら、二度とあんな無茶しやがんな」
「……フィーネ……う、うぅっ……」
「ローゼリア。私たちは、あなたの剣であり盾です。あなたがどこへ行こうと共に行きますが……私たちを置いていくことだけは、どうかもう、しないでください」
リアンヌが膝をつき、ローゼリアの小さな体を強く抱きしめた。
「そうですわ、お姉様。次にあのような真似をしたら、私、お姉様の等身大チョコレート像を毎日食べさせますからね!」
エリーゼの涙ながらの言葉に、ローゼリアは鼻をすすりながら、いつもの調子を少しだけ取り戻して答えた。
「……それは別の意味で拷問じゃ……」
泣き笑いの表情で、ローゼリアがリアンヌの背中に腕を回す。
それを合図にしたように、ウルスラ、アルティナ、ロスヴァイセ、ランドグリーズ、オルトリンデも次々とその輪に加わり、生還した主の温もりを確かめ合うように寄り添った。
その光景を背を向けて聞いていたブリュンヒルデは、大きく肩を揺らし、天を仰いだ。
「……まったく。お前たちの団長をやるのは、本当に骨が折れる。これならまだ、帝都の経理局で書類と格闘している方がマシだ」
そう憎まれ口を叩くブリュンヒルデの瞳からも、安堵の涙が一筋、頬を伝って流れ落ちていた。
指揮官として厳しく罰しなければならなかった。だが、彼女自身が誰よりも、ローゼリアの生還を祈り、絶望の淵に立たされていたのだ。
そこへ、ハンガーのメインモニターが強制的に切り替わり、帝都アエテルガルドの司令室が映し出された。
玉座に座るフェイト女帝——ではない。
玉座の前に立ち、顔をぐしゃぐしゃにして号泣している、帝国の覇王の姿であった。
『ロ、ローゼリアぁぁぁぁっ!! よかった……本当によかったぁぁぁっ!! もし貴女に何かあったら、私、あの次元の向こう側まで帝国全軍で殴り込みに行くところでしたよぉぉっ!』
「姉上……。姉上にも、多大な心配をかけたのう。……すまなかった」
ローゼリアがモニターに向かって、申し訳なさそうに、だがいつもの不敵な笑みを浮かべる。
『謝罪など後です! 今すぐ帝都に帰還しなさい! 最高級のベッドと、最高級の医療チームと、私からの最高級のハグを二四時間体制で用意していますからね!!』
「……それは遠慮したいが、姉上の顔を見に帰るとするかのう」
ローゼリアは、仲間たちに支えられながらゆっくりと立ち上がった。
高次元のシステムの中枢を破壊し、理不尽な神の干渉を退けた戦乙女たち。
機体は傷つき、失われたものも大きかった。
だが、その代償として彼女たちが得たものは、これ以上なく強固な「絆」と、互いの命の重さを真に理解した「信頼」であった。
「さあ、帰るぞお前たち。……妾たちの、帰るべき場所へな」
ローゼリアの号令と共に、エインヘリアルは帝都アエテルガルドへと向け、その巨大なスラスターに火を灯した。
星々の海を駆ける彼女たちの前途には、まだ見ぬ未知の盤面や新たな脅威が待ち受けているかもしれない。
しかし、互いを信じ、共に歩むことを誓い合った死神と七つの翼を、もはや分断することは誰にもできないのだ。




