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追放皇女の異世界戦記  作者: 浅井川亘


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第三幕 第九話:運動音痴の奇跡と、死神の涙ぐましい強がり

エインヘリアルのメインドックで、リアンヌたち六人の戦乙女が主の奪還に向けて次元の亀裂へと飛び込んでいた、まさにその頃。

高次元の中枢領域、無数の光の帯が流れる無機質な空間で、ローゼリア・エーベルヴァインは地獄のような死闘——という名の「決死の逃走劇」を繰り広げていた。

「はぁっ……! はぁっ……! げほっ……!」

漆黒に真紅のラインが入った特注のパイロットスーツは、すでに所々が破け、痛々しい裂傷から赤い血が滲んでいる。

柔らかな銀糸の髪は汗と埃で額に張り付き、肩で激しく息をするその姿は、満身創痍という言葉がふさわしかった。

『——目標の再捕捉を完了。排除シーケンス、第十四波を実行』

空間の全方位から、管理者の冷徹な合成音声が響き渡る。

直後、虚空から無数の「光の矢」が生成され、生身のローゼリアへ向けて一斉に射出された。

『マスター! 右後方より熱源接近! 回避を!』

左腕の端末から、バハムートAIの切羽詰まった警告が飛ぶ。

「わ、分かっておる! 見切ったわっ!」

ローゼリアの真紅の瞳は、迫り来る光の矢の軌道を完璧に捉えていた。

彼女の戦場を俯瞰する特異な動体視力と直感は、自らが左へ大きく跳躍し、前転の要領で矢の雨を潜り抜けるという「完璧な回避ルート」を瞬時に弾き出していた。

ローゼリアは、そのイメージに従って、力強く床を蹴った。

……いや、蹴ろうとした。

「あ、もつれ……ひゃうっ!?」

己の想像を絶するポンコツな運動神経により、ローゼリアの右足と左足が見事に絡まった。

彼女は華麗な跳躍を見せるどころか、その場でカエルのように無様にすっ転び、光の床に顔面から激突したのである。

ズガガガガガガッ!!!

直後、ローゼリアが「本来なら回避行動をとって到達するはずだった空間」を、数百本の光の矢が凄まじい勢いで通過し、虚空を撃ち抜いて消え去った。

うつ伏せに倒れ込んだローゼリアの頭頂部を、光の矢が数ミリの差で掠めていく。

『……エラー。対象の軌道予測に致命的なズレが発生。運動ベクトルが論理的計算から一〇〇パーセント逸脱。……理解不能アンノウン

管理者のシステム音声が、どこか混乱したようにノイズを混じらせた。

「ふ、ふはは……! ど、どうじゃ……妾の、神がかったフェイント回避は……! 完全に裏をかいてやったわい……っ」

顔面を打ち付けた痛みに内心で半泣きになりながらも、ローゼリアは鼻血を拭い、這いつくばったまま震える声で強がりを放つ。

そう、奇跡である。

管理者のシステムは、特異点であるローゼリアを「極めて高度な知能と戦闘技術を持つ存在」として認識し、彼女がとるであろう「最も理にかなった最適な回避行動」を予測して、その先回りをするように攻撃を仕掛けていた。

しかし、ローゼリアの生身の身体能力は絶望的なまでの運動音痴である。脳内の完璧なイメージとは裏腹に、足がもつれ、転び、すっぽ抜け、予測不可能なほどどんくさい動きを連発した。

その結果、管理者の高度な予測攻撃はすべて空を切り、ローゼリアは奇跡的に「致命傷」だけはすべて回避し続けていたのである。

だが、奇跡はあくまで奇跡であり、無敵を意味するわけではない。

『——警告。マスターの心拍数がレッドゾーンを突破。極度の疲労状態です。さらに、全身に複数箇所に及ぶ打撲および裂傷を確認。これ以上の運動は、肉体が自壊します』

端末のバハムートが、非情なステータスを告げる。

致命傷は避けているものの、攻撃の余波による衝撃波や、床に派手に転んだことによる打撲、そして掠り傷が確実にローゼリアの体力を削り取っていた。

「はぁっ……はぁっ……。言われんでも……分かって、おる……」

ローゼリアは、震える腕で上体を起こそうとするが、もはや立ち上がる筋力すら残っていなかった。

温泉旅行の卓球で数回ラケットを振っただけで筋肉痛になる少女である。マギアナイトのサポートなしに、神の領域で回避運動を繰り返すなど、土台無理な話であった。体力も気力も、とうの昔に限界を通り越している。

「(……くそっ。完全に手詰まりじゃな。バハムートの演算で管理者のコアの座標は割り出しつつあるが、それを攻撃する物理的な手立てが何一つない)」

痛い。苦しい。怖い。

転んだ時の膝や肩の傷がズキズキと痛み、孤独な神の領域の冷たさが、容赦なく全身の体温を奪っていく。

本当なら今すぐうずくまって、子供のように声を上げて泣き出したいほど心細かった。瞳の奥には、すでに恐怖と痛みの涙が溢れそうになっている。

だが、彼女は誇り高きエーベルヴァインの覇王の妹であり、銀河最強の傭兵団の主だ。

見えざる敵の前に涙を見せ、屈服することだけは、彼女の強靭なプライドが絶対に許さなかった。

『……対象の運動パターンの予測を放棄。これより、回避不可能な「広域面圧殺シーケンス」へと移行する。特異点よ、もはや逃げ場はない』

ついに管理者も、ローゼリアの予測不可能なポンコツ回避を計算することを諦めた。

ローゼリアの頭上の空間が歪み、巨大な光のグリッドが天井全体を覆い尽くすように展開される。それは、空間そのものを押し潰す、回避という概念が存在しない絶対的な面攻撃であった。

『マスター! 上空より超高質量のエネルギー場が降下してきます! 生身での生存確率は〇パーセントです!』

「……あーあ。ついに力業に出おったか。これだから理不尽なシステムは嫌いなんじゃ」

限界まで張り詰めていた虚勢の糸が、今にも切れそうになる。震える唇をぎゅっと噛み締め、ローゼリアは零れ落ちそうになる涙を必死に堪えながら、迫り来る光の天井を真っ直ぐに見上げた。

「(……みんな、早く来て……っ! 妾、もう一歩も動けんぞ……!)」

内心で弱音を吐き出しながらも、ローゼリアは決して目を逸らさない。

彼女の並外れた直感は、完璧なタイミングで「それ」が来ることを信じて疑っていなかったからだ。

「バハムート。妾は決して諦める趣味はないが……ここから先は、己の力ではなく、かけがえのない仲間たちを信じて待つ時間じゃ」

ローゼリアは、薄く微笑んで静かに目を閉じた。

「——さあ、出番じゃぞ。妾の、愛すべき過保護な部下たちよ」

ローゼリアが呟いた、まさにその瞬間。

管理者の領域の絶対的な天井を、外側から無理やり食い破るようにして、極大の魔力レーザーが突き刺さった。

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