第三幕 第三話:湯上がりの卓球と、暗殺者の極上マッサージ
皇族専用の巨大な大露天風呂『星見の湯』で、心身ともに極限までリラックスした戦乙女たちは、ふやける一歩手前で湯から上がり、風情ある木造の休憩処へと移動していた。
「ぷはぁっ! 湯上がりの『星間フルーツ牛乳』は最高じゃな! 五臓六腑に染み渡るわい!」
ローゼリアは、腰に手を当ててガラス瓶に入った冷たいフルーツ牛乳を一気に飲み干し、満足げに息を吐いた。
真紅の彼岸花が描かれた浴衣の襟元がわずかに乱れ、上気した白い肌が湯上がりの色香を漂わせている。
「ええ、本当に。果実の甘みとミルクのコクが絶妙ですわね」
ロスヴァイセも、上品にストローでフルーツ牛乳を飲みながらおっとりと微笑む。
「ブリュンヒルデ団長は、お湯から上がった途端に『もう一歩も動けん』と言って、部屋の布団にダイブしてそのまま気絶するように眠ってしまいましたね」
オルトリンデが、空の瓶を片付けながら報告する。
「まあ、無理もないわ。団長の疲労は私たちとは次元が違うから。……そういえば、フィーネさんは?」
アルティナが不思議そうに周囲を見回す。
「フィーネ殿なら、先ほど『源泉のポンプ室の構造が気になって仕方ねェ』と言って、旅館の裏手へ消えていきました。職業病というやつですね」
ウルスラが生真面目な顔で答えた。
「それぞれが思い思いに休暇を満喫しているようで何よりじゃ。さて……」
ローゼリアは、休憩処の奥にある広い遊技スペースへと目を向けた。
そこには、温泉旅館の定番とも言える緑色の『卓球台』が数台並んで置かれていた。
「ふむ。温泉に来たからには、やはり卓球は外せんな。お主ら、妾と一勝負どうじゃ?」
ローゼリアが卓球のラケットを手に取り、自信満々に不敵な笑みを浮かべる。
「おっ、やるかいローゼリア! マギアナイトの操縦じゃ敵わないけど、生身のスポーツなら私にも勝機があるかもしれないね!」
ランドグリーズが元気よく立ち上がり、袖をまくった。
「ローゼリアお姉様! 私とお手合わせ願います! 幼い頃より、マーベリック家で社交のための卓球は嗜んでおりますの!」
エリーゼも目を輝かせて名乗りを上げる。
「よかろう。誰が相手でも構わんぞ。銀河最強の死神の反射神経と動体視力、生身の卓球でも存分に見せつけてくれるわ!」
ローゼリアは、ラケットを剣のように構え、大見得を切った。
——しかし、彼女は一つだけ、重大な事実を忘れていた。
彼女の異常な戦闘能力は、あくまで「マギアナイトの操縦」という機体を通した操作においてのみ発揮されるものであり、ローゼリア自身の生身の運動神経は、絶望的なまでに『ポンコツ(運動音痴)』であるということを。
「それでは、第一試合。ローゼリア殿下 対 エリーゼさん。……始め!」
審判台に立ったオルトリンデの冷徹な声が響く。
「行きますわよ、ローゼリアお姉様! そぉれっ!」
エリーゼが、令嬢らしく優雅なフォームで、しかし的確に卓球台の端を狙ったサーブを打ち込んだ。
「ふははっ、甘い! その軌道、見切ったわ!」
ローゼリアの真紅の瞳がピンポン玉の軌跡を完璧に捉える。彼女の脳内では、玉の回転、空気抵抗、バウンド後の軌道計算が一瞬で完了していた。
(ここじゃ!)
ローゼリアは渾身の力でラケットを振り抜く。
**ブンッ!**
空を切る虚しい音が響き、ピンポン玉はローゼリアのラケットの数センチ上を通過して、そのまま床へと転がり落ちていった。
「……あれ?」
ローゼリアが硬直する。
「あ、あれ……? お、お姉様、わざと見逃してくださったのですか?」
エリーゼが慌てて尋ねる。
「……いや。頭では完璧に捉えておったんじゃが、体が全くついてこんかった。もう一度じゃ!」
だが、悲劇は繰り返された。
エリーゼの打ち返す緩やかなボールに対し、ローゼリアの体は信じられないほど不器用にしか動かない。
足がもつれて卓球台の角にすねをぶつけ、「痛ぁっ!?」と涙目になったり。
力任せにスマッシュを打とうとして、ラケットごと明後日の方向へ放り投げてしまったり。
「十五対ゼロ。エリーゼさんの勝利です」
オルトリンデが無慈悲な宣告を下す。
「あわわわっ! 申し訳ありませんお姉様! 私、調子に乗って……!」
「気にするな、エリーゼ……。妾の完敗じゃ……」
ローゼリアは床に四つん這いになり、真っ白に燃え尽きていた。
「ローゼリア! 大丈夫ですか!? さあ、お水をお飲みください!」
リアンヌが飛んできて、過保護にローゼリアを介抱する。
「ぷっ……あははははっ! ローゼリア、あんた機体に乗ってないと本当にただのどんくさい女の子なのね! お腹痛いっ!」
アルティナが腹を抱えて大爆笑している。
「むむっ、アルティナ! 笑うな! 次はお前が相手じゃ!」
「いいわよ。電子の海の魔女のカットボール、取れるかしらね!」
第二試合、アルティナ戦。
アルティナはいやらしい回転をかけたカットボールを連発。ローゼリアは翻弄され、右へ左へとドタバタ走り回った挙句、自らの浴衣の裾を踏んで盛大にすっ転んだ。
「……アルティナの勝利です」
第三試合、ランドグリーズ戦。
「いくよ、ローゼリア! そりゃあっ!」
ランドグリーズの容赦ない強烈なスマッシュがローゼリアの顔面を捉えそうになり、リアンヌが悲鳴を上げて盾となって乱入したため、反則負け。
結果。
ローゼリア・エーベルヴァイン、生身の卓球において全戦全敗。
「ううっ……。妾の……銀河最強の死神としての威厳が……たかが小さなプラスチックの玉一つに……」
ローゼリアは遊技場の隅で膝を抱え、完全にいじけてどん底まで落ち込んでいた。
「元気をお出しください、ローゼリア殿下。生身の運動など、下々の者がやればよいのです。殿下は玉座に座って指示を出してくださるだけで十分ですわ」
ロスヴァイセが、おっとりと慰めながらお茶を差し出す。
「お姉様! 私がこの卓球台をすべて買い取り、お姉様が百発百中で打ち返せるよう、自動追尾機能付きのラケットを開発させますわ!」
エリーゼがトンデモないことを言い出す。
「そうよ、ローゼリア! あなたには私がいます! 今後、あなたの前に飛んでくるすべてのピンポン玉は、このリアンヌ・ヴァーミリオンが叩き落としてみせます!」
「いや、卓球のルールが崩壊しておるじゃろ……」
ローゼリアは、慰めになっているのかいないのか分からない過保護な仲間たちの言葉に、力なくツッコミを入れた。
「……殿下。慣れない運動と転倒で、あちこちの筋肉がこわばっています。このままでは明日に疲れを残してしまいます」
しょんぼりとしているローゼリアの背後に、ウルスラが音もなく立ち、その華奢な肩にそっと手を置いた。
「うむ……確かに、ふくらはぎと肩甲骨の辺りが妙に痛い。やはり生身で動くのは妾には向いておらん」
「お任せください。黎明の腕で叩き込まれた、人体構造の極致。私のマッサージで、その痛みを完全に抜き取ってご覧に入れます」
ウルスラは、ローゼリアを休憩処の畳の小上がりへと促し、うつ伏せに寝かせた。
「では、失礼いたします」
ウルスラの指先が、ローゼリアの背中から腰にかけて、滑るように這う。
それは、ただ強く揉むだけの素人の手つきではない。筋肉の繊維、血流、そしてマナの流れる経絡を完全に把握した、プロフェッショナルの指圧であった。
「ひゃっ……!? う、ウルスラ、そこは……!」
「肩甲挙筋に疲労が溜まっていますね。ここを少し、こうして……」
ウルスラが絶妙な力加減でツボを押し込む。
「あぁっ……! ふぁっ、そこ……すごく……良い……!」
ローゼリアの口から、甘い吐息のような声が漏れる。
「次は腰部です。マギアナイトの操縦で最も負担がかかる部位。丹念に解します」
「んっ……ああっ……! 骨が……とろける……」
あまりの気持ちよさに、ローゼリアは完全に抵抗を諦め、畳に顔を埋めてふにゃふにゃになっていた。
かつての冷酷な暗殺者が、今は主の疲れを癒やす最高のセラピストとしてその技術を振るっているのだ。
「ウルスラさん……なんて恐ろしい指さばき……。ローゼリアが完全に骨抜きにされています……!」
リアンヌが、ハンカチを噛み締めながらその光景を悔しそうに見つめている。
「ふふふ。リアンヌさんも、後でウルスラ殿にお願いしてみてはいかがです?」
「いえ、私はローゼリアにしか肌を許しません!」
「そうですか。リアンヌさんは本当に真っ直ぐですわね」
ウルスラの極上マッサージによって完全にHPとMPを回復させたローゼリアは、すっかりご機嫌を取り戻していた。
「素晴らしいぞ、ウルスラ! お主のその技術、部隊の正式な福利厚生として採用しよう!」
「もったいなきお言葉。殿下のためならば、いつでも腕を振るいます」
ウルスラは、生真面目な顔のまま、わずかに頬を染めて一礼した。
夜もすっかり更け、アルカディアの空には満天の星が輝き始めていた。
「さて……体が解れたところで、もう一度お湯に浸かってくるとしよう。夜の露天風呂もまた一興じゃろうからな」
ローゼリアが立ち上がると、リアンヌ、ロスヴァイセ、ウルスラの三人が「お供します!」と即座に立ち上がった。アルティナや他の面々は、卓球で遊び疲れて部屋に戻るとのことだった。
四人は再び、静寂に包まれた『星見の湯』へと足を運んだ。
昼間の賑やかさとは打って変わり、夜の露天風呂は幻想的な雰囲気に包まれていた。
湯船の周囲には淡い魔力灯が灯され、ししおどしの音が星空に吸い込まれていく。
「ふぅ……。二度風呂というのも、贅沢なものじゃな」
ローゼリアは、首までお湯に浸かり、夜空の巨大な星雲を見上げた。
「ええ。こうして静かに星を眺めていると、私たちが日々戦っている宇宙の広さと、平和の尊さを改めて感じますわ」
ロスヴァイセが、ローゼリアの隣でおっとりと呟く。
「一年……。星喰いの群れを退けてから、本当に平和な一年でした」
ウルスラが、お湯の中で静かに目を閉じる。
「私は、黎明の腕にいた頃は、こんな穏やかな夜を迎えられる日が来るとは思ってもいませんでした。ローゼリア殿下、あなたにはどれだけ感謝してもしきれません」
「よせ。妾はただ、自分が気に入らないバグを修正しているだけじゃ。お主らが今ここにいるのは、お主ら自身が選択し、戦い取った結果じゃよ」
ローゼリアは、少し照れくさそうにお湯で口元を隠した。
「ローゼリア。この平和がいつまで続くかは分かりません」
リアンヌが、真剣な眼差しでローゼリアを見つめる。
「ですが、いかなる理不尽があなたの前に立ち塞がろうとも、私たちが……『戦乙女』の七つの翼が、必ずあなたをお守りします。だから、これからも私たちの先頭に立って、その背中を見せ続けてください」
「……うむ。頼りにしているぞ、お前たち」
ローゼリアは、三人の仲間たちと視線を交わし、柔らかく微笑んだ。
温泉の温もりと、仲間たちの確かな絆。この二つがあれば、どんな困難なクエストでもクリアできる気がした。
だが、死神の休息は、いつだって長くは続かない。
### 深淵の胎動
その頃。
光すら届かない銀河の最深部、第十三宙域のさらに奥深く。
かつて幽霊船アストライアを飲み込んでいた『忘却の星海』の跡地で、見えざる高次元の意思——『管理者』が、静かにそのシステムを再起動させていた。
『——特異点の排除プログラム、フェーズ3へと移行』
『直接干渉によるエラー、および自然災害の誘導による失敗を確認。これより、特異点と最も因果律の強い「歴史的負債」を利用した、絶対的排除シークエンスを構築する』
空間が歪み、何もない虚空から、巨大な金属の建造物が『生成』されていく。
それは、かつてエーベルヴァイン帝国が全銀河を支配するために作り上げ、そして自らの手で封印したはずの、禁忌の古代兵器群であった。
『……世界にバグは不要。すべては、大いなる調和のために』
アルカディアの温泉で戦乙女たちが平和の恩恵を噛み締めているまさにその時。
アエテルガルド帝国を、いや、銀河全土をかつてない絶望の底へと叩き落とすための新たな盤面が、誰にも知られることなく、静かに完成の時を迎えようとしていた。




