第三幕 第二話:死神の甘え上手と、星降る温泉郷の休戦協定
母艦エインヘリアルの居住区画、ラウンジ。
エリーゼが持ち込んだ『ローゼリア等身大チョコレート像』は、ウルスラの暗殺術——もとい、神がかった包丁さばきによって芸術的な一口サイズに解体され、隊員たちの胃袋へと平和裏に収まっていた。
「……美味いな、これ。カカオの純度が高い」
「ええ、本当に。口の中でとろけるような甘さですわ。エリーゼさんのローゼリア殿下への深い愛情が、お味にも表れておりますわね」
ランドグリーズとロスヴァイセが、優雅に紅茶を傾けながらチョコレートを味わっている。
そんな平和な昼下がりのラウンジの自動扉が、重々しい音を立てて開いた。
「——お前たち、少し良いか」
現れたのは、ブリュンヒル団長であった。
いつもなら書類の束と胃薬の瓶を抱えて幽鬼のように彷徨っている彼女だが、今日の足取りは不思議と軽く、その顔には微かな高揚感すら漂っている。彼女の右手には、何やら高級そうな金箔押しの封筒が握られていた。
「どうしたのですか、団長。ついに過労で幻覚でも見るようになりましたか?」
アルティナがポテトチップスを齧りながら尋ねる。
「失礼なことを言うな。……実はな、先日の外縁部での宇宙生物掃討作戦の事後処理で、帝国軍の兵站局長を少しばかり『手伝って』やったのだ。その局長が、多大なる恩義を感じたらしく、私にこれを融通してくれた」
ブリュンヒルデは、金箔押しの封筒から数枚のプラチナチケットを取り出し、テーブルの上に並べた。
「これは……?」
リアンヌが目を丸くする。
「帝国が誇る最高級保養惑星『アルカディア』。その中でも、皇族や一部の特権階級しか立ち入ることを許されない、星間温泉郷『龍宮』の特別招待券だ」
その言葉に、ラウンジの空気が一瞬で沸騰した。
「星間温泉郷『龍宮』!? あの、惑星そのものが巨大な温泉リゾートとして開発されていて、予約が十光年先まで埋まっているという伝説の保養地ですか!」
オルトリンデが、普段の冷静さを忘れて身を乗り出す。
「温泉……! 素晴らしい響きですわ。連日の戦闘と訓練で凝り固まったお肌と筋肉を解きほぐすには、最高の環境ですわね」
ロスヴァイセがおっとりと両手を合わせ、瞳を輝かせる。
「ああ。兵站局長の伝手で、戦乙女の全メンバー分のチケットを確保した。……だが、問題が一つある」
ブリュンヒルデは、そこでわざとらしく咳払いをし、ローゼリアへと視線を向けた。
「チケット自体は無料だが、あの惑星はセキュリティが厳しすぎる。我々のような傭兵団が武装した母艦ごと乗り込み、かつ『特異点』であるローゼリアを安全に滞在させるためには、温泉郷の一区画を完全に貸し切る必要がある。……そのための莫大な予算と、皇族専用エリアへの立ち入り許可は、兵站局長の権限ではどうにもならんのだ」
「なるほどな。チケットはあるが、交通費と貸し切り料金が足りんというわけか。……団長、お主の目は『なんとかしろ』と言っておるぞ」
ローゼリアは、ジャージのポケットに手を突っ込みながらニヤリと笑った。
「察しが良くて助かる。我々の予算は、すでに新機体の維持費と弾薬代で火の車だ。ここは一つ、ローゼリアの『絶大なるコネクション』に頼りたいのだが」
「ふむ。つまり、姉上に予算を無心してこいというわけじゃな。……よかろう。たまには広いお湯に浸かって、足を伸ばしたいと思っておったところじゃ」
ローゼリアは手元のデータ端末を操作し、帝国最高司令部——フェイト女帝の直通回線を開いた。
『——ローゼリア!? どうしたのですか、貴女から直接通信を入れてくるなんて! もしかして体の具合が!? 誰か、至急医療班を……!』
モニターに映し出されたフェイト女帝は、深刻な表情で玉座から立ち上がり、周囲の将軍たちに怒鳴り散らそうとしていた。
「待て待て、姉上。妾は健康そのものじゃ」
ローゼリアは、端末のカメラに向かって、少しだけ上目遣いになり、声のトーンを意図的に「甘えた妹」のものへと切り替えた。
「その……姉上。最近、機体のテストや出撃が続いて、妾、少しばかり体が重くてな。……冷え性も辛いし、たまには広い温泉にでも浸かって、羽を伸ばしたいのじゃが……」
ローゼリアは、わざとらしく小さくため息をつき、寂しそうな表情を作ってみせた。
その瞬間、フェイト女帝の威厳ある顔が、完全にデレデレの姉の顔へと崩壊した。
『お、温泉!? そうですね、あの連戦に次ぐ連戦……私の愛しい妹が疲労を溜め込んでいるのも当然です! ああ、なんという不甲斐ない姉でしょう、貴女の疲れに気づいてあげられないなんて!』
フェイトは感極まったように胸に手を当てた。
『分かりました! 直ちに帝国経理局に特別予算を組ませます! 保養惑星アルカディアの『龍宮』ですね? 第八艦隊を派遣して惑星周辺の安全を確保させ、最高級の皇族専用エリアを戦乙女のために完全貸し切りにしましょう! 費用はすべて帝国皇室のポケットマネーから出します! 好きなだけ、心ゆくまで癒やされてきなさい!』
「本当か、姉上! さすがは帝国の太陽、話の分かる最高の姉じゃ! 愛しておるぞ!」
ローゼリアが満面の笑みでウインクを飛ばすと、フェイトは『あああっ……!』と謎の悲鳴を上げてモニターの前で崩れ落ちた。
「(……相変わらず、チョロすぎるわね、あの女帝)」
アルティナがタブレットの陰で呆れ顔を作る。
『ローゼリア! ゆっくり休むのですよ! お土産話を楽しみにしていますからね!』
フェイトの通信が切れると同時に、ブリュンヒルデ団長は深く安堵の息を吐き出し、力強くガッツポーズをした。
「よし! 予算と許可は下りた! 総員、直ちに休暇の準備に取り掛かれ! 目的地は星間温泉郷『龍宮』! これより我々は、終わりのない事務と戦闘から離脱し、絶対的な休息へと突入する!!」
「「「おおおおおっ!!」」」
ラウンジに、戦乙女たちの歓喜の声が響き渡った。
数日後。
母艦エインヘリアルは、帝国領内の安全な宙域にある美しい青と緑の惑星——保養惑星アルカディアへと降り立った。
星間温泉郷『龍宮』は、惑星の豊かな自然と古代の地熱エネルギーを利用し、帝国最高の建築家たちが和風のテイストを取り入れて作り上げた、超巨大な温泉リゾートであった。
皇族専用の貸し切りエリアは、美しい竹林と枯山水の庭園に囲まれ、ししおどしの心地よい音が静かに響き渡っている。
「おお……! これは見事な景観じゃな。空気のマナ濃度も高く、呼吸するだけで活力が満ちていくのを感じるぞ」
ローゼリアは、エインヘリアルから降り立ち、石畳の道を歩きながら感嘆の声を漏らした。
彼女たちはすでに、旅館が用意した最高級の絹で織られた浴衣に着替えていた。
漆黒の軍服やジャージ姿とは違う、華やかで色とりどりの浴衣姿の戦乙女たちは、まるでどこかの国の姫君の集まりのように美しい。
ローゼリアの浴衣は、深紅の生地に黒い彼岸花があしらわれた、彼女の瞳の色に合わせた特注品である。小柄な彼女が少しだけ袖を余らせながら歩く姿は、周囲の保護欲を否応なしに掻き立てていた。
「ああ……ローゼリア、その浴衣姿、本当にお似合いです! まるで深窓の令嬢のようです! 今すぐこの網膜の映像を切り取って、永久保存版のデータとして帝国歴史博物館に寄贈したい……!」
リアンヌが、純白に薄紫の桔梗が描かれた浴衣姿で、ローゼリアの後ろを鼻息荒くついていく。
「ローゼリアお姉様! 私とお揃いの帯留め、使ってくださったのですね! ああ、生きていて良かった……!」
エリーゼは、縦ロールを綺麗にまとめ上げ、金糸の刺繍が入った豪華なピンクの浴衣を着て、ローゼリアの隣を陣取っている。
「殿下、足元にお気をつけください。石畳の間にわずかな段差があります。私が抱えてお運びしましょうか?」
ウルスラは、群青色に流水紋の入った凛々しい浴衣姿でありながら、周囲への警戒(という名の過保護)を一切解いていない。
「お主ら、せっかくの休暇なんじゃから少しは落ち着け。……おお、フィーネもちゃんと浴衣を着ておるではないか」
ローゼリアが前方を指差す。
そこには、普段の油まみれのツナギから一転、紺色に無地の渋い浴衣を着せられ、居心地悪そうに首の後ろを掻いている整備班長フィーネの姿があった。
「チッ……。なんだってアタシまでこんなヒラヒラしたもん着なきゃならねェんだ。機体のオーバーホールがまだ残ってんだよ……」
「そう言わずに楽しみましょうよ、フィーネさん。ここの源泉を汲み上げているポンプシステム、旧帝国時代の超大型機関を応用しているらしいですよ?」
アルティナが、黒地に星屑の模様が入った浴衣姿でからかうように言う。
「なんだと!? 古代機関のポンプだと!? ……しょうがねェな、後で少しだけ機械室を覗いてやるか」
まんまと興味を引かれたフィーネを見て、戦乙女たちは顔を見合わせてくすくすと笑い合った。
「さあ、皆さん。お部屋の準備も整っているようですわ。まずは極上の温泉で、日頃の汗を流しましょう」
ロスヴァイセが、白地に大輪の牡丹が描かれた華やかな浴衣の袖を口元に当て、おっとりと微笑んだ。
一行は、仲居型ドローンの案内に従い、貸し切りの大露天風呂へと歩みを進めていった。
皇族専用エリアの最奥に位置する『星見の湯』。
それは、山の斜面を大胆に切り拓いて作られた、広大な大露天風呂であった。
湯船には白濁した源泉がなみなみと注がれ、湯煙の向こうには、アルカディアの美しい自然と、空に浮かぶ巨大な星雲の絶景が広がっている。
「ふはぁぁ……。極楽じゃ……。まるで全身の疲労や毒素が洗い流されていくようじゃ……」
湯船の縁に頭を乗せ、ローゼリアは完全に骨抜きになった声を出して脱力していた。
お湯の温度は絶妙で、肌に触れる滑らかな感触が、戦闘で張り詰めていた神経を優しく解きほぐしていく。
だが、極楽気分に浸りながらも、ローゼリアの真紅の瞳は、湯煙の向こうでくつろぐ戦乙女たちの姿を、密かに、そして油断なく観察していた。
(……ふむ。転生して絶世の美少女になったとはいえ、中身が元男である以上、どうしても目がいってしまうのは悲しき男の性というやつじゃな。それにしても……)
ローゼリアの視線の先には、豊かなプロポーションを惜しげもなく晒して白濁のお湯を楽しむロスヴァイセや、日々の厳しい鍛錬によって美しく引き締まったリアンヌ、そしてウルスラの肉体がある。
さらに、エリーゼの年齢相応ながらも将来有望な可憐な姿や、健康的な美しさを持つランドグリーズの姿まで、まさに選び抜かれた乙女たちの百花繚乱であった。
(我が部下ながら、なんとも眼福な光景じゃ。温泉の効能以上に目の保養になるわい。……ん?)
ふと、ローゼリアは少し離れた場所で、湯船の縁に腕を乗せてお湯に浸かっているアルティナに目を留めた。
普段は少し幼さを残す体つきの彼女だが、お湯から覗くその胸元には、以前よりも確かなふくらみが存在している。
(……アルティナのやつ、以前よりも胸が少し大きくなっておらんか? この一年で、順調に成長期を迎えておるようじゃな。……それに比べて妾の体は……)
ローゼリアは、自らの平均的なふくらみを持つ胸元をちらりと見下ろした。同年代の少女の平均値としては決して悪くはない造形だが、ここ一年、全くと言っていいほど成長の兆しがないのである。
気になったローゼリアは、お湯を掻き分けてアルティナのそばへと歩み寄った。
「ん? どうしたの、ローゼリア」
不思議そうに首を傾げるアルティナ。その無防備な胸元へ、ローゼリアは一切の躊躇なく両手を伸ばし、むにゅっと揉みしだいた。
「ひゃあッ!? ちょ、ちょっとローゼリア! 何するのよ!」
「ふむ……視覚の錯覚かと思ったが、手のひらに伝わる質量が確実に増しておる。張りといい弾力といい、順調に発育しておるようじゃな」
「どこを揉みくちゃにしながら冷静に分析してんのよ! セクハラ! 覇王の妹のセクハラよ!」
アルティナが顔を真っ赤にしてローゼリアの手をペシペシと叩く。
「減るものでもなかろう。それに比べて、妾の成長期はどこへ行ってしまったのやら……」
ローゼリアが恨めしそうにため息をつくと、アルティナは赤くなった顔のまま、胸を両腕で隠してジト目を向けた。
平和な空気が漂う露天風呂。
しかし、その静寂は、死神の背中を巡る「三人の刺客」によって打ち破られる運命にあった。
「さあ、ローゼリア! お背中をお流しいたします!」
「お待ちください! ローゼリアお姉様のお背中を流すのは、妹分であるこのエリーゼの特権ですわ!」
「いいえ、お二人の洗い方は力任せすぎます。筋肉の疲労を的確に抜き取る私のマッサージ洗浄こそ、殿下にはふさわしい!」
湯煙を切り裂き、リアンヌ、エリーゼ、ウルスラの三人が、それぞれ最高級のスポンジや手ぬぐいを武器のように構えて、ローゼリアの背後へと殺到してきた。
「ひぃっ!? お、お主ら、お風呂の中では走るでない!」
ローゼリアがお湯の中で後ずさりする。
「ローゼリア、私のこの愛に満ちたスポンジの泡立ちをぜひ! 一切の汚れと穢れを拭い去ってみせます!」
リアンヌが、白鳥のような美しい全裸を晒しながら、ずいっと距離を詰める。
「お姉様! 私の実家から取り寄せた、星間真珠のエキスを配合した特製石鹸ですわ! これでお姉様の玉の肌をさらに磨き上げます!」
エリーゼが、縦ロールをお湯につけないように器用に立ち回りながら、石鹸を高く掲げる。
「殿下、私の手ぬぐいは特殊なマイクロファイバー製。毛穴の奥の老廃物まで、暗殺者の如く確実に仕留めます!」
ウルスラが、真剣そのものの表情で手ぬぐいを構える。
「……どれも遠慮する! 妾の背中は一つしかないんじゃぞ! 落ち着け、まずはじゃんけんじゃ! じゃんけんで勝った者から順番に一分ずつじゃ!」
ローゼリアの悲鳴のような提案により、全裸の美少女三人による、血で血を洗うじゃんけん大会が露天風呂の中心で勃発した。
「ふふふ。相変わらず、ローゼリア殿下は大人気ですわね」
ロスヴァイセが、その様子をおっとりと眺めながら、湯船に浮かべた木盆から徳利を手に取った。
「全くだ。ローゼリアも大変だね。……っと、ロスヴァイセ、私にもお猪口にお願い」
ランドグリーズが、木盆の上のお猪口を差し出す。
「はい、どうぞ。アルカディア特産の純米星酒ですわ。……団長も、いかがですか?」
ロスヴァイセが、湯船の端で静かに目を閉じているブリュンヒルデに声をかけた。
ブリュンヒルデは、豊かな金髪を湯船の縁に流し、首までしっかりと白濁したお湯に浸かっていた。
彼女はゆっくりと目を開け、差し出されたお猪口を受け取る。
「……ああ、いただく」
クイッと酒を飲み干したブリュンヒルデの目から、一筋の美しい涙がツーッと流れ落ちた。
「だ、団長!? どうされましたの!? お湯が熱すぎましたか!?」
ロスヴァイセが慌てて尋ねる。
「……いや。違うのだ」
ブリュンヒルデは、夜空の星雲を見上げながら、震える声で呟いた。
「……書類がない。ここには、決済のハンコも、始末書も、予算の折衝もない……。私は今、紙の束ではなく、温かいお湯に包まれている……。これが……これが『生の実感』というものか……っ!」
「(……団長、完全に心が折れる寸前だったのね……)」
少し離れた場所で、胸までお湯に浸かりながらタブレットを防水カバーに入れて弄っていたアルティナが、深い同情の眼差しを向けた。
「まあ、今日くらいはすべてを忘れて、ゆっくり休むといいわ。私たちも、ここ最近は働き詰めだったんだから」
アルティナはタブレットの電源を切り、お湯の中で大きく手足を伸ばした。
「よし! 妾の勝ちじゃ! 最初の順番はもらったわ!」
「くっ……! リアンヌ教官、次こそは負けませんわ!」
「じゃんけんでの敗北は、暗殺者としての恥……次は必ず先手を取ります!」
ローゼリアの背中を巡る争いは、リアンヌの勝利でひとまずの決着を見たようだ。
「あははっ、くすぐったいぞリアンヌ! もっと優しく洗わんか!」
「申し訳ありません! 嬉しさのあまり、つい力が!」
戦乙女たちの明るい笑い声と、お湯の跳ねる音が、星降る露天風呂に響き渡る。
誰もが、この平和で穏やかな時間が、永遠に続くことを願っていた。戦いの記憶も、宇宙の命運も、今この瞬間だけは白濁したお湯の底へと沈めて。
だが。
光が強ければ強いほど、そこに落ちる影もまた濃くなる。
彼女たちが休息を満喫しているアルカディアの星空の、さらに遥か彼方。
光すら届かない銀河の最深部で、長きにわたって沈黙を保っていた『高次元の管理者』が、次なる盤面の駒を、静かに、そして確実に動かし始めていたことに、今はまだ誰も気づいていなかった。
戦乙女たちの短くも甘美な休暇は、嵐の前の静けさに過ぎない。
死神と乙女たちの絆を試す最大の試練が、すぐそこまで迫っていた。




