第二幕 第七十六話:管理者の盤面操作と、星海を埋める獣の群れ
第三の脅威であった幽霊船アストライアの撃破から数日。
帝都アエテルガルドへと帰還した傭兵団『戦乙女』の母艦エインヘリアルには、束の間の平穏が訪れていた。
しかし、その平穏はあくまで「戦闘要員」たちにとってのものである。
「……よし。これで第十三宙域での戦闘に伴う『古代フレーム運用評価報告書』および『特別危険手当の請求書』の作成は完了だ。フェイト陛下の決裁も下りている。完璧だ」
艦長室にて、ブリュンヒルデ団長は山のように積まれた書類の最後の一枚に電子サインを刻み込み、深く、深い安堵の息を吐き出した。
ここ数日、彼女は一睡もせずに事務作業と格闘し続けていた。傍らに置かれた胃薬の瓶は、すでに二本目が空になろうとしている。
「終わった……。これでようやく、私も数時間の仮眠がとれ——」
**『——緊急警報! 帝国外縁宙域より、超大規模な未確認接近物を検知!』**
ブリュンヒルデがソファに倒れ込もうとしたその瞬間。
艦内に、耳を劈くような最高レベルの警戒サイレンが鳴り響いた。
「(……なぜだ。なぜ私が寝ようとした瞬間に、世界は危機に陥るのだ?)」
ブリュンヒルデは虚無の表情で虚空を見つめ、新しい胃薬の瓶の封を切りながら、重い足取りでメインブリッジへと向かった。
メインブリッジには、すでに私服姿のローゼリアをはじめ、リアンヌ、アルティナ、ウルスラたち戦乙女の面々が集結していた。
「団長、遅いわよ! とんでもないものがこっちに向かってきているわ!」
アルティナが、血相を変えてメインモニターにホログラムの星図を展開する。
そこに映し出されていたのは、帝国の外縁宙域を埋め尽くすほどの「真っ赤な波」であった。
「なんじゃ、これは。帝国軍の艦隊か?」
ローゼリアが真紅の瞳を細める。
「いいえ、金属反応はありません。すべて巨大な生体反応です! 識別分類は宇宙生物群、通称『星喰い(ヴォイド・スウォーム)』。推定総数は約三百万体以上にも及びます!」
オペレーターのオルトリンデが、震える声で報告した。
「第五星区外縁部より、一直線に帝都アエテルガルド方面へ向かっています。脅威度は星系壊滅規模の『特S』レベルです!」
アルティナがさらに詳細なデータを読み上げる。
「宇宙生物の群れ……!?」
リアンヌが息を呑む。
宇宙空間には、マナを食料として深宇宙を回遊する巨大な生物群が存在する。通常は星間国家の航路を避けて移動する大人しい存在だが、稀に暴走し、星々の資源を食い荒らす「自然災害」として恐れられていた。
「これほどの規模の群れは、帝国の観測史上でも類を見ません。……しかし、おかしいです」
ウルスラが、生真面目な顔で星図の軌道を指差した。
「この生物群は本来、帝国の宙域から数光年は離れた銀河の果てを回遊しているはずです。それがなぜ、突然進路を変え、真っ直ぐに帝都を目指しているのでしょうか?」
その疑問に、ローゼリアは顎に手を当ててニヤリと笑った。
「簡単なことじゃ。誰かが『誘導』を引いたのじゃよ」
「誘導……? 誰がそんな真似を……」
ブリュンヒルデが眉をひそめると、ローゼリアは天井を指差した。
「決まっておるじゃろう。あの高次元の引きこもり……『管理者』じゃ」
管理者はシステムのルールに縛られているため、特異点であるローゼリアを直接攻撃すればエラーが生じる。ならば、システムの外部にある自然災害である宇宙生物を利用すればいい。空間の重力場やマナの濃度を僅かに操作し、生物の群れの進路を自然に帝都へと向かわせる——それがローゼリアの推測であった。
「つまり、自分は直接手を出さず、盤面の配置を弄って、妾たちを自然災害で押し潰そうという腹積もりじゃな。……相変わらず、陰湿な盤面操作じゃ」
ローゼリアは、呆れたように肩をすくめた。
「陰湿だろうが何だろうが、このままでは帝都が宇宙生物の波に飲み込まれます! 防衛艦隊の迎撃は間に合いません!」
アルティナが叫ぶ。
「迎撃なら、ここに銀河最強の防衛部隊がおるじゃろう」
ローゼリアは、仲間たちを振り返った。
「敵は三百万の獣の群れ。圧倒的な物量戦じゃ。……じゃが、お前たちと新しい七機の翼があれば、確実に押し返せる。出撃じゃ!」
「「「了解!!」」」
死神の号令に、戦乙女たちが一斉にハンガーへと駆け出した。
母艦エインヘリアルが全速力で帝国外縁の防衛宙域へと向かう中、メインブリッジの巨大モニターには、帝国軍最高司令部との極秘の暗号通信回線が開かれていた。
モニターに映し出されたのは、金髪黒眼の美しき女帝フェイト・エーベルヴァインと、歴戦の猛将たちが顔を揃える帝国軍作戦会議室の様子である。
『——状況は極めて深刻です。観測部隊の報告によれば、接近中の宇宙生物群の総数は三百万を突破。しかも、その移動速度は通常の回遊時とは比較にならず、明確な意思を持って一直線に帝都アエテルガルドを目指しています』
白髪の老将軍が、苦渋に満ちた顔で星図のホログラムを指し示した。
ホログラムには、帝国の絶対防衛線を飲み込もうとする真っ赤な波が、無慈悲に迫り来る様子が描かれている。
『全艦隊を外縁宙域に展開させてはいますが、相手は強靭な外殻を持つ宇宙生物。通常の艦砲射撃では致命傷を与えられず、物量で押し切られるのは火を見るより明らかです』
将軍たちの間に、絶望的な沈黙が降りる。
だが、その沈黙を破ったのは、エインヘリアルのブリッジで腕を組んでモニターを見つめる、漆黒の軍服を着た少女であった。
「案ずるな、帝国軍の諸将よ。その真っ赤な波を食い止めるために、我々『戦乙女』が向かっておるのじゃ」
ローゼリアが、飄々とした態度で言い放つ。
『おおっ、ローゼリア! 私の愛しい妹よ!』
それまで威厳を保って玉座に座っていたフェイト女帝が、ローゼリアの姿を見た瞬間、姉としての顔を露わにしてモニターにすがりついた。
『貴女がわざわざ前線に出る必要はありません! 帝国の艦隊をすべて盾にしてでも、私が貴女を安全な場所へ逃がして……!』
「姉上、落ち着けい。帝都を捨てて逃げるなど、覇王たる者の口にする言葉ではないぞ」
ローゼリアが呆れたようにため息をつく。
「それに、今回の敵の標的は、おそらく帝都そのものではない。……この『特異点』である、妾自身じゃ」
「『管理者』の差し金……ということですね」
ブリュンヒルデ団長が、痛む胃を押さえながら確認する。
「うむ。システムに縛られたあやつは、自ら手を下すことができん。だからこそ、宇宙の自然災害を誘導し、妾を『事故』に見せかけて排除しようとしておるのじゃ。……ならば、妾が囮となって群れを引きつけ、一網打尽にするのが最も効率的じゃろう」
ローゼリアの言葉に、帝国軍の将軍たちがどよめいた。
たった七機のマギアナイトで、三百万の群れを引きつけるなど、正気の沙汰ではないからだ。
「アルティナ。帝国軍との連携データ、準備はできておるな?」
ローゼリアの合図を受け、紫色の瞳の天才ハッカーが一歩前に出た。
「ええ、完璧よ。帝国軍の皆さん、お手元の端末に私たちの『迎撃プラン』を送信したわ。確認してちょうだい」
帝国軍の会議室とエインヘリアルのブリッジに、アルティナが構築した立体的な戦術マップが展開された。
「これが、私たちの迎撃プランよ。名付けて『オペレーション・ヴォイド・イクリプス』」
アルティナが、タブレットを操作しながら得意げに解説を始める。
「まず、帝国第一・第二艦隊には後方支援と防壁構築を担当してもらうわ。大出力の魔力シールドを展開し、帝都への被害を防ぐ巨大な漏斗状の絶対防壁を形成してちょうだい。
次に、帝国第三・第四艦隊は側面からの誘導砲撃。星喰いの群れの側面に一斉砲撃を行い、進行ルートを強引に中央の狭い宙域へと絞り込むの。
つまり、艦隊には敵を倒すことよりも『群れの進行ルートを一つに絞り込む』ことに専念してもらうわ」
アルティナは、戦術マップの中央部分を指差した。
「そして私たち『戦乙女』の配置よ。私アルティナとオルトリンデは電子妨害と後方狙撃。敵群の感覚器官をジャミングで狂わせつつ、漏れた個体を長距離狙撃で確実に処理するわ。リアンヌ、ランドグリーズ、ロスヴァイセの三人は、中央防衛線を担当。絞り込まれた群れの正面に立ち、物理と魔力の両面で敵の突進を完全に受け止める鉄壁の盾となってもらう。
最後に、ウルスラとローゼリアは遊撃と殲滅の矛。防衛線で足の止まった群れの中央に突入し、古代フレームの圧倒的火力で超広範囲の殲滅を行うのよ」
『なるほど……。敵の物量を一点に集中させ、そこを戦乙女の皆様が叩くというわけですか』
老将軍が感心したように顎を撫でた。
『しかし、絞り込まれた三百万の突進を、中央で受け止める部隊の負担は計り知れません。たった三機で、波をせき止められると……?』
その懸念に対し、純白の近衛騎士服を纏ったリアンヌが一歩前へ進み出た。
「帝国軍の諸将よ、ご安心を。ローゼリアを護る盾であるこの私、リアンヌ・ヴァーミリオンと、頼れるランドグリーズ、ロスヴァイセの二名が中央に立つ以上、星を喰らう獣の群れであろうと、一匹たりとも防衛線を越えさせることはありません」
「リアンヌ殿の言う通りです。私の重装甲と大質量の戦斧で、波ごと叩き割ってご覧に入れます」
「私の双発突撃銃の弾幕で、一切の隙間を埋め尽くします。……私たち『戦乙女』を、舐めないでいただきたい」
ロスヴァイセとランドグリーズも、力強く頷いた。
古代フレームと神AIの恩恵を受けた彼女たちの機体は、もはや旧来のマギアナイトとは次元が違う。その自信に満ちた言葉に、将軍たちも息を呑んで圧倒された。
「……姉上。そういうわけじゃ。艦隊の指揮と、後方の守りは任せたぞ」
ローゼリアがモニター越しのフェイトに語りかける。
『……分かりました。貴女がそこまで言うのなら、帝国の全軍をもって、貴女たちの狩り場を完璧に整えてみせましょう。……ですがローゼリア、くれぐれも無茶だけはしないでくださいね』
フェイトは、女帝としての威厳ある表情に戻り、全軍へ向けて力強く号令を下した。
『——帝国軍全艦隊へ通達! これより、我が軍は傭兵団「戦乙女」の支援に回る! 陣形を再編し、敵群を中央宙域へと誘い込め! 大いなる帝国の未来と、我が妹の武運のために!』
通信が切れ、エインヘリアルのブリッジに心地よい緊張感が走った。
「さて、打ち合わせはこれまでじゃ。総員、機体に搭乗せい。……狩りの時間じゃ!」
ローゼリアの号令と共に、戦乙女の七人はそれぞれのハンガーへと向かった。
ハンガーでは、漆黒の『ルシフェル』をはじめとする七機の悪魔が、出撃の最終チェックを受けていた。
「ローゼリア。先ほどは皆の前でしたので控えていましたが……本当に、ご無理はなさらないでくださいね」
機体に乗り込もうとするローゼリアの背中に、リアンヌが心配そうな声をかける。
「案ずるな、リアンヌ。お主たちが完璧な防衛線を構築してくれるのなら、妾はただ、最も密集した場所に最大火力を叩き込むだけじゃ。……お主こそ、三百万の波を正面から受けるのじゃぞ。怪我などしたら、承知せんからな」
ローゼリアが振り返り、優しく微笑みかける。
「っ……! はい! この命に代えても、あなたの期待に応えてみせます!」
リアンヌはパァッと顔を輝かせ、深く頭を下げて自身の『ブラン・ゼファー』へと駆け出していった。
「お二人とも、気合いが入っていますね。私も負けていられません」
群青の『ミネルヴァ・アサルト』に乗り込むウルスラが、生真面目な顔でスラスターの最終確認を行う。
そこへ、巨大なスパナを担いだ整備班長フィーネが、ドスドスと足音を立てて歩いてきた。
「おい、てめェら。さっきも言ったが、アタシの機体を宇宙生物の体液で汚したらマジで殺すからな! 防壁の出力は常に最大にしとけ!」
フィーネは相変わらず口汚く凄んでみせるが、その瞳には、出撃していく仲間たちへの深い心配の色が隠しきれずに滲んでいた。
「分かっておる。お主の徹夜の結晶を、生臭い血で汚すような真似はせん。……帰ったら、約束通り特別ボーナスを出してやるから、首を洗って待っておれ」
ローゼリアがニヤリと笑う。
「……フンッ。言うじゃねェか。だったら、絶対に全員で帰ってきな。一機でも欠けたら、修理代をてめェらの給料から天引きしてやるからな!」
フィーネは照れ隠しのようにそっぽを向き、スパナでルシフェルの強靭な脚部装甲をカンッと軽く叩いた。それが、彼女なりの最大の激励であった。
「では、行くとするかのう」
ローゼリアは、ルシフェルのコックピットに滑り込んだ。
体を優しく包み込む特注のシート。全天周モニターが起動し、三百六十度の宇宙の景色がローゼリアの視界を覆い尽くす。
『——マスター。各機、システムオールグリーン。バハムートAI、並列戦術リンク正常。いつでも出撃可能です』
バハムートの合成音声が響く。
「よし。全機、カタパルトへ。……帝国の光を脅かす害虫どもを、残らず駆除するぞ!」
エインヘリアルの巨大なハッチが開き、七筋の極彩色の魔力光が、星の海へと放たれた。
遥か前方には、帝国艦隊の砲撃によって見事なまでに一つの宙域へと誘導された、真っ赤な宇宙生物の波が蠢いている。
恐怖すら覚えるほどの圧倒的な物量。しかし、七機の戦乙女たちの心に迷いはない。
銀河最強の死神と、古代の力を宿した七つの翼。
三百万の星喰いとの、未曾有の防衛戦が、今まさに幕を開けようとしていた。




