第二幕 第七十五話:忘却の終焉と、戦乙女の凱歌
無限に続くかと思われた漆黒の縦穴を、四機のマギアナイトが猛スピードで降下していく。
幽霊船『アストライア』の胎内は、深く潜るほどに重力が狂い、上下の感覚すら曖昧になるような異様な空間へと変貌していた。
「アルティナ、底は見えたか!」
ローゼリアは、ルシフェルの全天周モニターに映る流れるような闇を見据えながら通信を飛ばす。体を深く包み込む特注の柔らかいシートが、自由落下の強烈な浮遊感を和らげていた。
『もうすぐよ! 魔力の密度が跳ね上がっている……! 空間の底が、巨大なエネルギーの海になっているわ!』
アルティナの緊迫した声が響く。
その直後、視界の先を覆っていた分厚い暗闇が唐突に晴れた。
四機の機体は、アストライアの最深部に広がる、巨大な球状の空洞へと飛び出したのである。
「これは……」
ウルスラが、ミネルヴァ・アサルトのコックピットで息を呑む。
空洞の中心には、まるで巨大な心臓のように脈打つ、紫色の超巨大な結晶体が浮遊していた。
周囲には無数の血管のような魔力ケーブルが張り巡らされ、アストライアの全区画から集められた魔力が、その結晶体——『厄災のコア』へと絶え間なく注ぎ込まれている。
『——よくぞ、ここまで辿り着いた。忌まわしき生者どもよ』
コアから放たれたのは、先ほどの金属音のような機械的な思念ではない。
それは、三百年の間、コアに取り込まれ、苦痛と絶望の中で自我をすり潰されてきた乗組員たちの、呪詛に満ちた怨嗟の集合体であった。
「……三百年前の亡霊たちか。帝国に見捨てられ、化け物の苗床にされた無念は察するが……」
ローゼリアは操縦桿を強く握り込み、真紅の瞳に鋭い光を宿した。
「お前たちの痛みを、未来の若者たちに押し付けることなど断じて許さん。過去の亡霊は、おとなしく土に還るのじゃ!」
『我々ヲ、否定スルカ……! ナラバ、共ニ深淵ヘト堕チヨ!!』
厄災のコアが激しく明滅した瞬間、空洞の壁面を覆っていた紫色の魔力結晶がうねりを上げ、数百本にも及ぶ巨大な触手となって四機へと襲い掛かってきた。
一本一本が、戦艦を容易くへし折るほどの質量と速度を持っている。
「迎撃じゃ! コアの懐に飛び込む隙を作れ!」
『了解!』
オルトリンデの『ジークルーネ』が後方に下がり、電磁狙撃砲を構える。
『バハムート、空間座標の同期を。……射線を確保します!』
放たれた不可視の狙撃弾が、迫り来る触手の根元を正確に撃ち抜き、その軌道を大きく逸らす。
さらに、アルティナの『ハルファス・イクリプス』が、超長距離マナ・スナイパーから紫電のビームを放射状に放ち、空間を埋め尽くす触手の群れを薙ぎ払った。
『動きが単調よ! いくら巨大でも、これなら的が大きくなっただけね!』
アルティナが不敵に笑う。
だが、切断された触手は、すぐさま断面から新たな紫色の結晶を増殖させ、何事もなかったかのように再生してしまう。
『駄目です、再生速度が異常です! このままでは押し潰されます!』
ウルスラが叫ぶ。
「いや、よく見ろ! 先ほどの上層での戦いよりも、再生にコンマ数秒の『遅れ』が生じておる!」
ローゼリアの全天周モニターは、戦場のすべての事象を正確に捉えていた。
「リアンヌたちが、上層で艦の外壁を破壊し続けておる証拠じゃ。艦の修復機能が分散し、コアの防衛リソースが確実に削られておる!」
その頃、アストライアの上層区画。
『吹き飛びなさい! 《ゼファー・ストライク》!!』
純白の『ブラン・ゼファー』が、両手のツイン・ハルバードを竜巻のように振るい、迫り来る艦体融合のゴーレムの群れを次々と粉砕していた。
『いいぞ、リアンヌ! そのまま敵のヘイトを稼げ! アタシたちが壁をぶち抜く!』
ロスヴァイセの『ヘルムヴィーゲ』が、超重量の戦斧をアストライアの分厚い隔壁に何度も叩きつけ、巨大な亀裂を走らせる。
『弾幕を張ります! 一歩も通しません!』
ランドグリーズの『グリムゲルデ』が、双発突撃銃から怒涛の魔力弾をばら撒き、再生しようとする結晶の壁を次々と蜂の巣にしていく。
「ローゼリア……! 今頃、最深部で死闘を繰り広げているのですね」
リアンヌは、風の防壁で敵のレーザーを弾きながら、縦穴の奥底へと祈りを捧げた。
「私の主よ。私はあなたの盾。ですが、共に隣で戦えない今、この命を燃やしてでも、あなたの道を切り開くための囮(矛)となりましょう!」
古代フレームの限界出力を引き出したブラン・ゼファーは、もはや純白の光の矢と化していた。
艦の防衛システムは、この圧倒的な破壊をもたらす三機を「最大の脅威」と誤認し、最深部のコアへ送るべき魔力を、上層の修復と迎撃へと次々に回し始めたのである。
「今じゃ! コアの防壁が薄くなっておる!」
最深部の空洞。ローゼリアは、触手の再生が追いつかなくなったその絶対的な隙を見逃さなかった。
「ウルスラ! 妾の道を作れ!」
「承知!!」
群青の残像が虚空を駆ける。
ミネルヴァ・アサルトが、爆発反応装甲型スラスターの全推力を解放し、自らの装甲を焦がしながらコアの正面へと特攻を仕掛けた。
『邪魔ダァァァッ!!』
無数の触手がミネルヴァを串刺しにしようと迫るが、ウルスラは機体の姿勢制御をバハムートに完全に委ね、信じられないほどの変態機動でそのすべてをすり抜けていく。
「この命に代えても、ローゼリア殿下の道を……穿つ!!」
ミネルヴァの左腕、極大出力のパイルバンカーが、コアを覆う分厚い紫色の防壁へと激突した。
ドガァァァァァァンッ!!!
火薬と魔力の爆発が、防壁に巨大な亀裂を走らせる。だが、貫通には至らない。
「まだです! 限界突破!!」
ウルスラは、ミネルヴァの古代フレームの出力をさらに引き上げ、右腕でもパイルバンカーの杭を強引に押し込んだ。
バキィィッ! という硬質な音と共に、ついにコアの絶対防壁が粉々に砕け散る。
『防壁、破壊完了! ローゼリア殿下!』
衝撃で後方へと弾き飛ばされながら、ウルスラが叫ぶ。
「大儀じゃ、ウルスラ! あとは大将の仕事じゃな!」
ローゼリアは、ルシフェルのスロットルを最奥まで押し込んだ。
漆黒の悪魔が、真紅の魔力の尾を引いてコアの懐へと神速で踏み込む。
『オノレ……オノレェェェェッ!!』
厄災のコアが、最後の抵抗とばかりに、周囲の空間そのものを圧縮する超高密度のエネルギー波を放とうとする。
「無駄じゃ!」
ローゼリアは、ルシフェルの背部に搭載された自律可動砲台をすべてコアの周囲に展開させた。
「全砲門、一斉掃射!」
漆黒の砲台群から放たれた無数のレーザーが、コアの表面を正確に撃ち抜き、エネルギー波の収束を物理的に阻害する。
思考のみで戦場を完全に支配する、魔改造されたルシフェルの真の力。
「バハムート! 機体の全魔力を、両肩のクローアームに集中せよ!」
『了解。古代フレームのマナ伝導率、限界閾値を突破します。……マスター、これ以上の出力は機体が自壊します』
「構わん! 一撃で終わらせる!」
ルシフェルは、巨大なクローアームを大きく振りかぶり、剥き出しになった厄災のコアへと強引に突き立てた。
『ガアァァァァァァァッ!?』
亡霊たちの断末魔のような悲鳴が、空洞に響き渡る。
「過去の遺物に縋り、未来を閉ざそうとする輩は……妾がこの手で、完全に粉砕してやるわい!!」
ローゼリアの裂帛の気合いと共に、ルシフェルのクローアームから放たれた真紅の極大魔力が、コアの内部へと直接注ぎ込まれた。
ピキィィィィィィンッ……!!
宇宙で最も硬いガラスが砕け散るような、甲高い音が響き渡る。
三百年の間、第十三宙域を支配し、アストライアを怪物へと変えていた『厄災のコア』が、内側から爆発的にひび割れ、凄まじい光の奔流と共に完全に粉砕されたのである。
『……コアの魔力反応、完全消失。敵性システムの沈黙を確認』
バハムートの静かな音声が、勝利を告げた。
「ふぅ……。なんとか、討伐完了じゃな」
ローゼリアは、柔らかいシートに深く背中を預け、全天周モニターに映る美しい光の粒子(コアの残骸)を見つめて息を吐いた。
『やりましたね、ローゼリア!』
『当然よ。私たちの敵じゃないわ』
アルティナとオルトリンデが、歓喜の声を上げる。
だが、安堵の時間は長くは続かなかった。
ズゴゴゴゴゴォォォォォッ!!!
コアを失ったアストライアの艦体が、激しい震動と共に崩壊を始めたのである。
自己修復機能と形状維持をコアの魔力に依存していた幽霊船は、その巨大な質量を支えきれず、自重で圧壊しようとしていた。
『マズいですよ! この空間そのものが潰れます!』
ウルスラが体勢を立て直しながら叫ぶ。
「脱出するぞ! 上空の縦穴へ向かえ!」
四機が急上昇を開始した、その時である。
頭上の分厚い天井が、外側から凄まじい風の魔法と爆発によってぶち抜かれた。
「ローゼリア! お迎えに上がりました!!」
舞い散る瓦礫の中から現れたのは、純白の『ブラン・ゼファー』、そして『グリムゲルデ』と『ヘルムヴィーゲ』の三機であった。
「リアンヌ! ランドグリーズ、ロスヴァイセ! 無事じゃったか!」
ローゼリアの顔がパァッと明るくなる。
「ええ! あなたがコアを破壊してくれたおかげで、敵の動きが完全に止まりました! さあ、このまま艦を脱出します!」
リアンヌがルシフェルの隣に並び立つ。
「よし、総員、最大戦速! 崩落に巻き込まれるなよ!」
七機の戦乙女は、古代フレームの圧倒的な推進力を束ね、崩れゆく幽霊船の胎内を一直線に駆け上がっていく。
背後から迫る瓦礫の波と爆炎を、アルティナのナビゲートとリアンヌの風の防壁で切り抜け、彼女たちはついに、アストライアの外装を突き破って宇宙空間へと飛び出した。
直後。
三百年の間、暗黒の宙域を彷徨い続けていた超弩級探査艦『アストライア』は、自らの内に秘めていた魔力の暴走と共に、音のない宇宙で巨大な閃光を放ち、完全に消滅した。
それと同時に、第十三宙域を覆っていた分厚い紫色の磁気嵐も、嘘のように晴れ渡っていく。
絶対の禁忌宙域に、三百年の時を経て、再び美しい星々の光が差し込んだ瞬間であった。
母艦エインヘリアル、メインドック。
「……てめェら。アタシが『傷一つつけずに帰ってきやがれ』って言ったのを、もう忘れたのか?」
油まみれのツナギを着たフィーネが、巨大なスパナを肩に担ぎ、般若のような顔で仁王立ちしていた。
彼女の目の前には、激戦を物語るように装甲が焦げ、所々がへこんだ七機のマギアナイトが並んでいる。特に、コアの防壁を無理やり砕いたウルスラの『ミネルヴァ・アサルト』と、強引にクローを叩き込んだローゼリアの『ルシフェル』は、関節部からプシューと情けない白煙を上げていた。
「す、すまんフィーネ。じゃが、機体の基本フレームには異常はないはずじゃ。お主の組み上げた古代機体、最高じゃったぞ!」
ローゼリアがジャージ姿でペコペコと頭を下げる。
「申し訳ありません、フィーネ殿。私の操縦が未熟なばかりに……」
ウルスラも直立不動で謝罪する。
フィーネは、大きなため息を一つ吐き出し、スパナを床に置いた。
「……チッ。まあ、あれだけのバケモノの巣窟に突っ込んで、誰一人欠けることなく、フレームの致命傷もなしに帰ってきたんだ。機体の性能証明としては、百点満点をくれてやるよ」
フィーネは、ニヤリと悪戯っぽく笑った。
「装甲の修理くらい、一晩で終わらせてやる。てめェらはとっととシャワーでも浴びて、休んできな」
「おお! 恩に着るぞ、フィーネ!」
ローゼリアたちが歓声を上げる。口は悪いが腕は確かで、何よりもパイロットの無事を喜んでくれる姉御肌の整備班長に、七人は心からの感謝を捧げた。
一方、エインヘリアルの艦長室では。
「……第十三宙域の磁気嵐の消滅、および『厄災のコア』の完全破壊を確認。……任務、完了だ」
ブリュンヒルデ団長は、フェイト皇帝への完了報告のデータ送信を終え、深く背もたれに寄りかかった。
彼女の傍らには、いつものように真新しい胃薬の瓶が置かれている。
そして、デスクの上には「古代フレームの緊急メンテナンス費用の請求書」「特殊弾薬の補充申請書」「限界突破による機体負荷の始末書」など、狂気のような書類の山が、すでにうず高く積まれていた。
「高次元の管理者だろうが、三百年前の亡霊だろうが……私の部下たちの敵ではない。だが……」
ブリュンヒルデは、書類の山を見つめ、聖母のような悟りの笑みを浮かべた。
「この事務戦線だけは……永遠に終わりが来ないようだな……ふふふ……」
コトリ、と胃薬の瓶が転がる音が、静かな艦長室に響いた。
かくして。
過去の亡霊が引き起こした第十三宙域の危機は、新たなる翼を手に入れた戦乙女たちの圧倒的な力によって、完全に解決された。
ローゼリア・エーベルヴァインと七人の戦乙女の絆は、古代の力を経てさらに強固なものとなり、彼女たちの名は、銀河の星々に新たな生ける伝説として深く刻み込まれていく。
いかなる盤面が用意されようとも、銀河最強の死神の歩みを止めることはできない。
少女たちの戦いと日常は、これからも果てしなく続いていくのであった。




