第二幕 第七十三話:忘却の星海と、戦乙女の七つの翼
銀河の果て、星の光すらも暗黒物質に呑み込まれ、一切の観測を拒絶する絶対の禁忌宙域——第十三宙域『忘却の星海』。
その分厚い暗雲を切り裂くように、空間が激しく歪み、漆黒の母艦『エインヘリアル』がその威容を現した。
「……空間跳躍、完了。エインヘリアル、第十三宙域へ到達しました。メインエンジン、通常航行モードへ移行します」
ブリッジのオペレーターが、コンソールを叩きながら報告する。
巨大なメインモニターには、渦巻く紫色の磁気嵐と、無数の小惑星やデブリがぶつかり合う、地獄のような光景が映し出されていた。
「ひどい有様ね。磁気嵐のせいで、通常の光学センサーもレーダーも使い物にならないわ。有視界での航行を強いられるなんて、まるで大昔の帆船時代よ」
アルティナが、タブレットの画面に走るノイズを忌々しげに払いのけながら言う。
「だが、お前の電子探査能力と、バハムートの並列演算を同期させれば、ある程度の地形把握は可能だろう?」
艦長席のブリュンヒルデが尋ねると、アルティナは不敵に笑った。
「当然よ。少し時間はかかるけど、救難信号の発生源は確実に割り出してみせるわ。……ただ、この磁気嵐の中に隠れている『何か』の気配が、どうにも気持ち悪いのよね」
「(……確かに。ただの荒れた宙域ではない。まるで、この空間そのものが巨大な生き物のように、我々を値踏みしておるような感覚じゃ)」
私服から漆黒の専用軍服に着替えたローゼリアは、真紅の瞳でモニターの暗闇を鋭く見据えた。
出撃の数時間前。
エインヘリアルの特別ドックでは、連日の徹夜作業を終え、文字通り死に体となっていた整備班長フィーネが、這うようにして戦乙女たちを見送りに来ていた。
『……いいか、てめェら。ルシフェル以外の六機も、古代フレームと神AIの同期を完璧に終わらせてやったぜ。だがな、古代の出力は現代の機体とは桁が違う。機体がてめェらの思考を先読みして動くから、一瞬でも気を抜けば機体に振り回されて脳みそが焼き切れるぞ。……アタシが命を削って組み上げた最高傑作の七機だ。絶対に、傷一つつけずに全員で帰ってきやがれ!』
血走った目でそう吠えた後、フィーネは立ちながら白目を剥いて気絶し、医療班に担架で運ばれていった。彼女の執念によって完成した戦乙女たちの新たなる翼は、すでにハンガーで出撃の時を静かに待っている。
「アルティナ、目標座標の特定はまだか?」
ローゼリアが問う。
「……捉えたわ! エインヘリアルの現在位置から、相対距離で三千キロ。巨大なデブリ帯の中心に、救難信号の発信源があるわ。……メインモニターに映像を回すわよ」
ノイズが走り、モニターの映像が切り替わる。
そこに映し出されたのは、小惑星と見紛うほどに巨大な、一隻の宇宙艦の姿であった。
「これは……!」
リアンヌが息を呑む。
「……旧帝国時代の、超弩級探査艦『アストライア』。記録によれば、今から三百年前、この第十三宙域の調査に向かい、そのまま消息を絶った幻の艦だ」
ブリュンヒルデが、驚愕と共にその名を口にした。
全長数十キロにも及ぶ巨大な船体は、至る所がひしゃげ、装甲は剥がれ落ちている。
しかし、完全に沈黙しているはずのその幽霊船の表面には、不気味な『紫色の魔力光』が、まるで呼吸をするかのように脈打って走っていた。
「学園の地下で見た『厄災の遺物』と、完全に同じ波長の光ですね。……三百年前の艦が、なぜ今になって遺物の力で起動しているのでしょうか?」
ウルスラが警戒を露わにする。
「理由はどうあれ、あの中に『何か』が巣食っているのは間違いない。救難信号も、我々をおびき寄せるための罠の可能性が高いな」
ブリュンヒルデが険しい顔で腕を組む。
「罠と分かっていて飛び込むのも、戦の定石じゃ。……さて、向こうさんも歓迎の準備を整えてくれたようじゃぞ」
ローゼリアがモニターを指差した。
幽霊船アストライアの周囲を漂っていた無数のデブリの中から、突如として無数の熱源反応が立ち上がったのだ。
それらは、デブリに擬態していた、あるいはデブリそのものから削り出されたような、無骨なシルエットを持つマギアナイトの群れであった。
装甲の形状は、間違いなく三百年前の旧帝国軍の量産機。しかし、どの機体にもパイロットが搭乗している気配はなく、装甲の隙間からは遺物と同じ紫色の魔力結晶が不気味に突き出している。
「無人の旧式機か。だが、あの紫色の結晶……機体そのものを遺物の魔力で異常強化しているようね」
アルティナが分析結果を読み上げる。
「数は……ざっと五百。こちらを完全に包囲する陣形をとっているわ」
「よかろう。三百年前の亡霊どもに、現代の戦乙女の力を見せつけてやるのじゃ。……総員、出撃態勢!」
ローゼリアの号令に、戦乙女の六人が一斉に踵を返し、ハンガーへと駆け出した。
『——カタパルト、接続完了。全機、出撃どうぞ!』
エインヘリアルのオペレーターの声が響く。
「ローゼリア・エーベルヴァイン、ルシフェル、出るぞ!」
漆黒の悪魔『ルシフェル』が、宇宙空間へと飛び出す。
コックピットの全天周モニターには、死角のない完全な星空と、赤く表示された無数の敵機が映し出されている。体を深く包み込む特注の柔らかいシートが、出撃時の強烈な加速Gを優しく吸収してくれた。
続いて、純白の『ブラン・ゼファー』、紫の『ハルファス・イクリプス』、群青の『ミネルヴァ・アサルト』。
さらにその後方から、再設計と古代フレームの恩恵を受けて恐るべき性能へと強化された直掩隊の三機——ランドグリーズの『グリムゲルデ』、ロスヴァイセの『ヘルムヴィーゲ』、オルトリンデの『ジークルーネ』が次々と射出され、ルシフェルの両翼に展開する。
『ローゼリア、敵機の反応が異常です! 旧式機とは思えないほどの速度で接近してきます!』
ウルスラからの通信。
「遺物の魔力による暴走状態じゃな。……お前たち、新しい機体の性能を試すには丁度いい的じゃ。遠慮はいらん、全力を出せい!」
『『『了解!!』』』
真っ先に動いたのは、ウルスラの『ミネルヴァ・アサルト』であった。
『行きます! 障害はすべて、私が粉砕する!』
群青の強襲機は、脚部の爆発反応装甲型スラスターを容赦なく起爆させた。
ドォォォォンッ!!
宇宙空間に爆炎が咲き、その凄まじい反動がミネルヴァの機体を弾丸のような速度で敵陣の中央へと蹴り出す。
常人であれば機体の制御すら失うような無茶苦茶な加速。しかし、古代フレームの異常な反応速度と、バハムートAIの姿勢制御アシストが、ウルスラの『こう動きたい』という思考を寸分の狂いもなく機体に反映させていた。
『遅い……! 止まって見えます!』
ミネルヴァは、迫り来る旧式機のビームを紙一重で躱し、左腕の巨大なパイルバンカーを構えた。
『穿てッ!』
極大出力で打ち出された鉄杭が、紫色の魔力結晶ごと旧式機の胴体を容易く貫通し、一撃で爆散させる。
『ウルスラ殿だけに見せ場は譲りませんよ!』
ロスヴァイセの『ヘルムヴィーゲ』が、分厚い重装甲を輝かせながらスラスターを全開にする。
『この重装甲と大質量の前には、小手先の戦術など無意味です!』
古代フレームの規格外のトルクによって振り回される、機体の身の丈ほどもある超重量の戦斧。それが一振りされるだけで、周囲の旧式機が三機まとめて装甲ごと叩き割られ、宇宙の塵へと変わっていく。
『私の双発突撃銃の弾幕、古代フレームの出力でどこまでやれるか……見せてやる!』
ランドグリーズの『グリムゲルデ』が、ロスヴァイセの作った死角に滑り込むようにして跳躍する。
彼女はバハムートAIの予測演算をフル活用し、敵の射線を完全に読み切りながら、両手のライフルから文字通り雨あられのような魔力弾をばら撒いた。ただの牽制ではない。その一発一発が、敵の関節部やセンサーといった急所を的確に穿ち、次々と機能停止に追い込んでいく。
『敵の陣形が乱れました! 私も続きます!』
純白の『ブラン・ゼファー』が、流麗な軌跡を描きながら戦場を駆け抜ける。
旧式機の群れが、ブラン・ゼファーに対して一斉に射撃を行う。
しかし、リアンヌは機体を全く止めない。
『当たる前に逸らす! それが私の新たな盾!』
ブラン・ゼファーの機体表面を覆う高密度の風の防壁が、敵のビームの軌道を滑らせ、無効化していく。
リアンヌは、被弾を恐れることなく敵の懐に飛び込み、両手に構えたツイン・ハルバードを旋風のように振るった。
圧縮された魔力の刃が、旧式機の分厚い装甲をバターのように切り裂く。かつての「動かざる盾」から「戦場を舞う回避盾」へと変貌を遂げたリアンヌの姿は、まさに美しき戦乙女そのものであった。
『前衛組、突出しないでよね。私たちの射線が塞がるじゃない』
後方から、アルティナの『ハルファス・イクリプス』が、身の丈を超える超長距離マナ・スナイパーを構えた。
『アルティナ殿の電子支援に合わせて、私が各個撃破します』
オルトリンデの『ジークルーネ』が、アルティナの隣に並び立ち、同じく長砲身の電磁狙撃砲を構える。
『バハムート、並列演算リンク。敵機の回避パターン、全解析完了。……さあ、電子の海の魔女の狙撃、躱せるものなら躱してみなさい』
アルティナが引き金を引く。ハルファス・イクリプスの銃口から放たれた極太の紫電のビームが、宇宙空間で枝分かれし、複数の敵機を同時に貫く。
『空間座標修正、誤差なし。撃ち抜きます』
アルティナのジャミングによって動きが鈍った敵機を、オルトリンデのジークルーネから放たれた精密な不可視の狙撃弾が、次々と頭部センサーを破壊していく。
神AIの演算能力を手に入れた後方支援の二機は、もはや一つの戦域を後方から完全に支配するほどの領域に達していた。
「(……見事じゃ。フィーネの機体改修と、あいつらの適応能力は妾の想像を超えておる)」
ローゼリアは、全天周モニターに映る仲間たちの圧倒的な蹂躙劇を見ながら、満足げに笑みを深めた。
「さて、妾もただ見ているわけにはいかんのう」
ローゼリアは操縦桿のトリガーを引き、ルシフェルの背部に搭載された自律可動砲台を空間に解き放った。
「散れ! 一機も逃すな!」
漆黒の砲台群が、ローゼリアの思考と完全に連動し、宇宙空間を縦横無尽に飛び回る。
全天周モニターに映る三百六十度の視界。そのどこに敵がいようとも、ローゼリアの意識が向いた瞬間に、砲台は死角からのレーザーで敵を撃ち抜いていく。
自らは機体の手足を動かすことなく、思考のみで戦場を制圧する絶対的な手数と火力。
それに加えて、不用意に接近する敵がいれば、ルシフェルの両肩に装備された巨大なクローアームが、古代の装甲ごと敵機を無造作に握り潰した。
『ローゼリア、外周の敵機、残存数ゼロよ! 完全に片付けたわ!』
アルティナの弾むような通信が響く。
出撃からわずか十分。遺物の魔力で強化されていたとはいえ、三百年前の亡霊たちは、戦乙女たちの新たなる七つの翼の前に為す術もなく全滅したのである。
「よし、露払いは終わった。……本命は、あの幽霊船の中じゃ」
ローゼリアは、ルシフェルの全天周モニターの視点を、巨大な探査艦アストライアのぽっかりと開いた搬入用ハッチへと向けた。
艦の内部は、マギアナイトがそのまま進入できるほどの広大な空洞となっている。そして、その奥底からは、先ほどの無人機どもとは比べ物にならないほど巨大で、禍々しい魔力の反応が這い出してくる気配があった。
「罠だろうと何だろうと、奥に隠れている親玉を引きずり出して叩き潰す。……行くぞ、お前たち!」
『『『了解!!』』』
七機の戦乙女は、漆黒の宇宙から、さらに深い幽霊船の闇の中へと、一切の躊躇なく突入していった。
忘却の星海に眠る亡霊との真の戦いが、今、幕を開けようとしていた。




