第二幕 第七十二話:別れの白亜と、招かれざる星図
第一士官学園での、二週間にわたる『戦乙女』の臨時教官としての任務が、ついに最終日を迎えていた。
抜けるような青空の下、学園の広大な第一演習場には、全生徒が整列し、教壇に立つ四人の戦乙女たちに向けて惜しみない拍手と敬礼を送っていた。
地下での爆弾処理という、学園の存亡を懸けた極秘任務が為されていたことなど知る由もない生徒たちにとって、この二週間は純粋に「銀河最強の生ける伝説から直接指導を受けた」という、誇り高くも過酷な日々であった。
「——というわけで、二週間の特別授業はこれにて終了じゃ。お前たち、最初はただの雛鳥かと思ったが、なかなかどうして、見込みのある動きをするようになったではないか」
教壇の中央。
漆黒の軍服を纏ったローゼリア・エーベルヴァインが、マイク越しに堂々たる態度で総評を述べる。
「戦場において、機体の性能やマニュアル通りの戦術は確かに重要じゃ。だが、最後に生死を分けるのは、状況を冷静に見極め、相手の虚を突く『思考の柔軟さ』じゃ。ここで学んだことを忘れず、立派な将校になるのじゃぞ」
ローゼリアの言葉に、数百人の士官候補生たちが「ははっ!!」と一糸乱れぬ敬礼を返す。
その最前列で、プラチナブロンドの縦ロールを揺らす令嬢、エリーゼ・マーベリックは、大粒の涙をボロボロとこぼしながらローゼリアを見つめていた。
「ローゼリアお姉様……っ! 私、お姉様からいただいた数々のご指導、生涯忘れません! このエリーゼ、必ずや立派な騎士となり、いつかお姉様の背中をお守りできるほどの武勲を立ててみせますわ!」
「うむ。お主の専用機『ロゼット・グレイス』も、推進器の癖さえ掴めばさらに化ける。精進するのじゃな」
ローゼリアが優しく微笑みかけると、エリーゼは感極まって教壇へと駆け寄ろうとした。
しかし、その前に純白の近衛マントを翻したリアンヌがスッと立ち塞がる。
「そこまでです、エリーゼさん。あなたの心意気は立派ですが、ローゼリアの背中はすでに私が予約済みです。あと百年は修行してから出直してきなさい」
「むむっ……! リアンヌ教官、いつか必ずあなたを越えて、お姉様の隣を勝ち取ってみせますからね!」
「受けて立ちましょう」
バチバチと火花を散らす二人を見て、後方でタブレットを弄っていたアルティナがやれやれと肩をすくめる。
「最後まで暑苦しいわね。まあ、帝国軍の未来は明るいってことでいいんじゃないかしら」
「ええ。彼女たちのまっすぐな瞳を見ていると、私たちが守り抜いたものの重さを実感します」
ウルスラも、穏やかなヘーゼル色の瞳で生徒たちを見渡しながら静かに頷いた。
こうして、戦乙女たちによる波乱万丈な士官学園での臨時教官生活は、大団円のうちに幕を閉じたのであった。
母艦エインヘリアル、メインブリッジ。
学園からの帰還を果たし、久々に私服のジャージ姿に着替えたローゼリアが、あくびをしながらブリッジのソファに寝転がっていた。
リアンヌが手際よく淹れた紅茶の香りが、艦内に漂っている。
「いやはや、人に物を教えるというのは存外疲れるものじゃな。……して、フィーネの様子はどうじゃ?」
ローゼリアが紅茶のカップを受け取りながら尋ねる。
「整備班長は、ルシフェル以外の三機の古代フレームの組み上げを終わらせた直後、『三日は絶対に起こすな』という血文字のメモを残して、医務室のベッドで気絶するように眠っています」
オルトリンデが、苦笑交じりに報告した。
「そうか。無理をさせてしまったな。目が覚めたら、最高級のステーキでもご馳走してやらねば」
ローゼリアが労いの言葉を口にした、その時である。
「——休ませてやりたいのは山々だが、そうも言っていられなくなったぞ」
自動ドアが開き、ブリュンヒルデ団長が重々しい足取りでブリッジに姿を現した。
その手には、厳重なロックが掛けられた黒いファイルが握られている。
「どうしたのですか、団長。また新しい領収書の山ですか?」
アルティナがからかうように尋ねるが、ブリュンヒルデの表情はかつてないほど険しかった。
「いや、領収書ならまだマシだった。……たった今、フェイト皇帝陛下から、我々『戦乙女』に対する特命依頼が下った」
「姉上から? 珍しいのう、いつもなら直接通信を入れてきて、三十分ほど妾を甘やかすトークをしてから本題に入るはずじゃが」
ローゼリアが首を傾げると、ブリュンヒルデは手元の黒いファイルをデスクに放り投げた。
ホログラムモニターが展開され、一枚の古い星図が空中に映し出される。
そこは、エーベルヴァイン帝国の領土からはるか遠く離れた、銀河の辺境。
星の光すら届かない、漆黒の宙域であった。
「……第十三宙域、『忘却の星海』。かつて、帝国がまだ銀河の半分しか支配していなかった時代に、数多の調査艦隊が向かい、そしてただの一隻も帰還しなかった絶対の禁忌宙域だ」
ブリュンヒルデの低い声がブリッジに響く。
「帰還者がゼロ……。ブラックホールか、強力な磁気嵐でも発生している宙域なのですか?」
ウルスラが眉をひそめる。
「自然現象ではない。……情報部が、この宙域の深部から、極めて微弱な『救難信号』を傍受したのだ」
ブリュンヒルデがコンソールを操作すると、ノイズにまみれた音声データが再生された。
それは、帝国軍の正規の暗号通信プロトコルであった。しかし、その規格は——。
『これは……!』
アルティナが弾かれたようにタブレットを叩く。
『団長! この暗号規格、少なくとも三百年前の旧帝国時代のものです! なぜ、そんな古い信号が今になって……!?』
「それだけではない」
ブリュンヒルデは、さらに深刻な顔でローゼリアを見つめた。
「この救難信号と同時に、付近の宙域から、お前たちが先日学園の地下で処理した『厄災の遺物』と完全に一致する、異常な魔力波長が観測されたのだ」
その言葉に、ブリッジの空気が一瞬にして凍りついた。
「厄災の遺物と同じ波長、じゃと……?」
ローゼリアの真紅の瞳が、スッと細められる。
「ああ。フェイト陛下は、この事態を極めて重く受け止めている。高次元の『管理者』は鳴りを潜めたが、この宇宙にはまだ、帝国の根幹を揺るがす過去の亡霊が眠っている。……正規軍の大艦隊を動かせば、無用の混乱と敵の警戒を招く。だからこそ、少数精鋭でいかなる事態にも対応できる我々『戦乙女』に、白羽の矢が立った」
ブリュンヒルデは、背筋を伸ばし、戦乙女たちを見渡した。
「任務は、第十三宙域『忘却の星海』への極秘潜入。救難信号の発信源の特定、および遺物と同波長のエネルギー源の調査、並びに破壊だ。……出発は明日。完成したばかりの古代フレーム機体の初陣には、いささか過酷すぎる舞台だが……やれるか、お前たち」
沈黙が降りる。
未知の宙域、三百年前の幽霊船、そして再び現れた厄災の波長。
しかし、戦乙女たちの顔に恐怖はなかった。
「……愚問じゃな、団長」
ローゼリアはソファからゆっくりと立ち上がり、ニヤリと好戦的な笑みを浮かべた。
「新しいマップが解放されたというのに、指をくわえて待っているプレイヤーがおるわけなかろう。……それに、新しい機体の性能を試すには、絶好の舞台じゃ」
「我が主の往く道、この新たな風の盾がすべて切り開いてご覧に入れます」
リアンヌが胸に手を当て、優雅に一礼する。
「電子の海だろうと未開の星の海だろうと、私の眼からは逃れられないわ」
アルティナが不敵にウインクをする。
「私も、いただいたこの命と新たな機体で、全力でお支えします!」
ウルスラも、力強く頷いた。
学園での束の間の休息は終わりを告げた。
銀河最強の死神と、新たに生まれ変わった戦乙女たちは、過去の亡霊が蠢く未知の星海へと、その歩みを進めようとしていた。




