第二十話:リアンヌ成分の枯渇と、静かなる狙撃手
母艦『エインヘリアル』のカフェテリア。
いつもなら活気に満ちているその空間で、漆黒の死神ことローゼリアは、テーブルに突っ伏して完全にスライムと化していた。
「はぁぁぁぁぁ…………」
深いため息が、マグカップの中の紅茶の液面を揺らす。
(むり。しんどい。リアンヌ様がいない世界、色が無さすぎる……)
ローゼリアがここまで抜け殻のようになっている理由はただ一つ。
愛しの相棒であるリアンヌが、別宙域での重要要人護衛という単独任務のために、三日前からエインヘリアルを離れているからだ。
爆発した自室の修理が終わるまでリアンヌの部屋で同棲(?)し、毎晩あの極上の温もりと匂いに包まれて眠るという神々の遊びを覚えてしまったローゼリアの身体は、完全に『リアンヌ成分』への重度な依存症を引き起こしていた。
「……見事なまでの禁断症状だね。副団長がいないだけで、あのお転婆なお姫様がここまでしおれるとは」
対面の席で、分厚い電子書籍を読みながら淡々と呟いたのは、三女のオルトリンデだった。
銀色のショートヘアに、知的な丸眼鏡。長女ランドグリーズの豪快さや、次女ロスヴァイセの騒がしさとは対極にある、冷静沈着な戦乙女の頭脳担当である。
「う、うるさいわオルトリンデ! 妾はただ、今日の紅茶の茶葉が少し気に入らなくて憂鬱なだけじゃ!」
「へえ。リアンヌが淹れたものじゃないから、味がしないって顔してるけど」
「なっ!?」
(図星!! この三女、常に本読んでるくせに観察眼が鋭すぎるんだよ!)
顔を赤くしてジタバタするローゼリアを見て、オルトリンデは小さく息を吐き、本を閉じた。そして、手元のデータパッドをテーブルの中央に滑らせる。
「まあ、気持ちはわからなくもないよ。リアンヌの包容力は異常だからね。……でも、そろそろシャキッとしてもらわないと困る。出撃の時間だ。今回の目標は、暗礁宙域に隠された非合法組織の兵器密造プラントなんだけど……これを見て」
オルトリンデがパッドを操作すると、プラントに出入りする偽装貨物船の拡大画像がホログラムで投影された。その船体に、微かにだが特徴的な『三つ首の犬』のエンブレムが刻印されている。
「間違いない。銀河の裏社会を牛耳る巨大マフィア・シンジケート、『ガルム』の紋章だよ」
「マフィア……じゃと?」
「そう。ただの密造業者じゃない。手広くヤバい兵器を売り捌いてる厄介な連中だ。……行くよ、ローゼリア」
「ふん。相手がマフィアであろうと関係ないわ! 妾の魔力で、プラントごと宇宙のチリにしてくれる!」
数時間後。暗礁宙域『ゴルゴン』。
無数の巨大な小惑星が浮遊する複雑なデブリ帯の中を、二機のマギアナイトが音もなく滑るように進んでいた。
漆黒の古代機動騎士『ノワール』。
そして、その少し後方を飛ぶ、深い緑色に塗装された細身の狙撃仕様機『ジークルーネ』。オルトリンデの愛機である。
『ローゼリア。この先は敵のレーダー網が濃い。ノワールの魔力出力を最低限まで絞って。ステルス迷彩を展開する』
「うむ、了解じゃ」
オルトリンデの指示は、いつものリアンヌのものとは全く性質が異なっていた。
リアンヌが「私が前を開くから、あなたは好きなように暴れてください」という圧倒的な『盾』のスタイルであるのに対し、オルトリンデは「私が敵の死角と弱点を暴くから、そこを正確に撃ち抜け」という『目』のスタイルである。
(オルトリンデの電子戦能力、マジでえげつないな……。敵の警戒網の穴をミリ単位で縫って進んでる。さすがマフィアの隠しプラントだけあって警備が厳重だ)
やがて、巨大な小惑星のクレーターの奥に、要塞化されたプラントの姿が見えてきた。
『……見つけた。あれが目標の密造プラント』
オルトリンデのジークルーネが、巨大な長距離狙撃ライフルを構え、センサーをプラントへと向ける。
『問題発生。プラントの周囲に、軍事用の強力な対魔力シールドが張られている。ガルムの連中、相当資金をつぎ込んでるね。あれでは、あなたの長距離魔導砲でも外側から一撃で破壊するのは難しい』
「ふん。ならば、妾が懐に飛び込んで、シールドの内側から直接ぶっ壊してやるわ!」
『駄目。シールドの内側には自動迎撃システムが密集してる。リアンヌの盾がない状態で突っ込むのはリスクが高すぎる』
即座にローゼリアの提案を却下し、オルトリンデは淡々とキーボードを叩く音を通信越しに響かせた。
『……私が、シールドのジェネレーターの座標をピンポイントで割り出す。同時に、シールドの周波数に干渉して、一瞬だけ——正確には、0.5秒だけ、シールドに「穴」を開ける』
「0.5秒じゃと?」
『そう。その0.5秒の間に、私が指定した座標へ、ノワールの魔導砲を最大出力で叩き込んで。……できる?』
オルトリンデの声には、一切の疑いがなかった。
それは、リアンヌが向けてくれる絶対的な信頼とはまた違う、戦士としての能力を冷徹に評価した上での『信頼』だった。
(0.5秒の隙間に、最大出力の砲撃をねじ込む……。普通なら針の穴を通すような無茶振りだけど。俺とノワールなら……!)
ローゼリアの口元に、不敵な笑みが浮かぶ。
「……誰に物を言っておるのじゃ。エーベルヴァインの天才皇女たる妾にとって、0.5秒など欠伸が出るほど長い時間じゃ!」
『ふふ、言うね。……じゃあ、カウントダウンを開始する』
ノワールの機体下部から、赤黒い光を帯びた長距離魔導砲が展開される。
ローゼリアは呼吸を止め、オルトリンデから送られてくる照準データに、自身の魔力のベクトルを完全に同調させた。
『5、4、3……』
オルトリンデのジークルーネから、不可視の電子妨害波がプラントに向けて放射される。
『2、1……今ッ!』
バチィッ! というノイズと共に、プラントを覆っていた強固な対魔力シールドの一部が、ほんのわずかに——人間が瞬きをするよりも短い時間だけ、揺らいで消失した。
「吹き飛べェッ!!」
ローゼリアの魔力が爆発する。
放たれた極太の赤黒い閃光は、オルトリンデが開けた0.5秒のシールドの『穴』を寸分の狂いもなく通り抜け、要塞の奥深くにあるジェネレーターを直撃した。
ドドォォォォォォォンッ!!!
内側からの大爆発。
対魔力シールドが完全に連鎖崩壊を起こし、ガルムの非合法プラントは宇宙空間に巨大な火球を咲かせて粉々に消し飛んだ。
「……ふう」
ローゼリアが砲身を収め、息を吐く。
『目標の完全沈黙を確認。……見事な射撃だね、ローゼリア。0.01秒のズレもなかった』
「当然じゃ! お主のサポートも、まあまあ悪くなかったぞ」
『まあまあ、か』
通信越しに、オルトリンデが小さく笑う気配がした。
『リアンヌのように、あなたの前に立ってすべてを防ぐことは私にはできないけど。……あなたの瞳に映らない死角を守ることくらいはできる。これからも、リアンヌがいない時は私が目を光らせてあげるよ』
「オルトリンデ……」
(この三姉妹、本当にみんな底なしに優しいな……。リアンヌ様がいなくて寂しがってる俺の背中を、オルトリンデなりに不器用に押してくれてるんだ)
「……うむ。頼りにしておるぞ、オルトリンデ」
ローゼリアは、心からの感謝を込めて微笑んだ。
母艦『エインヘリアル』への帰還。
格納庫にノワールを降ろしたローゼリアは、ヘルメットを小脇に抱え、疲れた身体を伸ばしながらタラップを降りた。
「ふぁ〜……やっぱりリアンヌがいないと、帰ってきた時の『お疲れ様』のハグがなくて寂しいのう……」
ぼんやりと呟きながら顔を上げた、その時。
「——誰が、いないのですか?」
「ひゃっ!?」
格納庫の影から、純白の軍服に身を包んだ長身の騎士が、極上の——そして少しだけ怒ったような、しかし愛おしさが隠しきれない微笑みを浮かべて姿を現した。
「り、りりり、リアンヌ様!?」
「ただいま戻りました、我が姫君。……要人護衛の任務、予定より二日ほど早く片付けてきました。あなたに会いたくて、少しばかり実力行使(物理)で急ぎすぎたかもしれませんが」
(予定を二日も巻いて帰ってきた!? どんだけ無双してきたの!? っていうか、会いたくてって……!!)
「り、リアンヌ……っ!」
ローゼリアの目から、ブワッと涙が溢れ出した。
尊大な態度も皇女のプライドも、すべてが宇宙の彼方へ吹き飛んでいく。
ローゼリアはタラップを駆け下りると、両手を広げて待っていたリアンヌの胸の中へ、弾丸のようなスピードで飛び込んだ。
「ばか! ばか者! 寂しかったではないか! 三日も妾を放置するなんて重罪じゃぞ!!」
「ふふ、ごめんなさい。私も、あなたがいなくて夜も眠れませんでしたから。……お仕置きは、後でベッドでゆっくりと受けますよ」
リアンヌは、腕の中に飛び込んできた愛おしい半身を、壊れ物を扱うように、しかし逃がさないようにギュッと強く抱きしめ返した。
鼻腔をくすぐる、リアンヌの甘い香り。耳に響く、力強い心音。
(ああああ……これだ。この匂い、この体温……! 完全にリアンヌ様成分が五臓六腑に染み渡っていく……!! 生きててよかったァァッ!!)
その様子を、少し離れた場所から見ていたオルトリンデは、手元の電子書籍を開きながら、やれやれと肩をすくめた。
「……あれだけ見事な砲撃を決める死神が、リアンヌの前だとただの甘えん坊のお姫様だものね。矛と盾の相性は、やっぱり最強か」
オルトリンデの呆れ混じりの呟きは、二人の世界に没入している双璧の耳には、全く届いていないのであった。




