第二幕 第七十話:令嬢の専用機と、死神の実機演習
深夜の第一士官学園、旧校舎の地下迷宮。
『厄災の遺物の欠片』という、時限式の巨大な魔力爆弾の存在を確認した戦乙女の四人は、地上への帰還の途についていた。
行きはよいよい、帰りは恐い、とはよく言ったものである。
下りでさえ体力の限界を迎えていたローゼリアにとって、果てしなく続く上りの螺旋階段は、文字通り「絶望」という名の巨大な壁であった。
「……無理じゃ。もう一歩も足が動かん。妾はここで干からびて土に還る運命なのじゃ……」
ローゼリアは階段の三階部分で完全にへたり込み、大理石の冷たい床にべったりと這いつくばっていた。
「ローゼリア! いけません、こんな冷たい床に寝そべっては、お体を壊してしまいます!」
リアンヌが悲鳴のような声を上げ、純白の近衛マントを床に敷こうとする。
「だから言ったじゃない。行きでバテてるのに、帰りの階段を登り切れるわけないって」
アルティナがタブレットの灯りで足元を照らしながら、呆れたようにため息をついた。
「アルティナ殿、ローゼリア殿下を責めないでください。殿下は常に我々のために、頭脳の限界まで思考を巡らせておられるのです。肉体の疲労は私たちが補うべきです!」
ウルスラが直立不動の姿勢で、真剣に擁護する。
「ああ、ウルスラの言う通りです。さあローゼリア、私の腕の中へ! 行きと同じく、私がお姫様抱っこで地上までお連れいたします!」
リアンヌは両腕を広げ、恍惚とした笑顔でローゼリアの前に膝をついた。
「う、うむ……。情けないが、背に腹は代えられん。頼むのじゃ、リアンヌ」
ローゼリアが力なく手を伸ばすと、リアンヌは羽毛を扱うかのような優しさで、それでいて絶対に落とさない力強さでローゼリアを軽々と抱き上げた。
「ああ……主の体温が、私の装甲服越しに伝わってくる……。この温もりを守るためなら、私はこのまま大気圏まで駆け上がることができます……!」
リアンヌは、ローゼリアを胸に抱いたまま、羽が生えたかのような軽やかな足取りで階段を駆け上がり始めた。
「リアンヌ、揺れが激しいぞ! もう少しゆっくり歩かんか!」
「申し訳ありません! 嬉しさのあまり、ついステップを踏んでしまいました!」
「……緊迫した潜入任務の帰還中だってのに、緊張感の欠片もないわね」
アルティナがやれやれと首を振る。
その背後で、ウルスラはリアンヌに抱き抱えられるローゼリアの姿を、羨望の入り混じった熱い眼差しで見つめていた。
「(……素晴らしい。あれが主と騎士の究極の信頼関係。私もいつか、ローゼリア殿下をあのように軽々と抱え上げ、お守りできるほどの筋力と包容力を身につけなければ……!)」
冷徹なスパイであったはずのウルスラの思考が、少しずつおかしな方向へシフトしていることに気づく者は、この暗闇の階段には誰もいなかった。
翌朝。
地下に学園ごと吹き飛ぶ時限爆弾が隠されていることなど微塵も感じさせない、いつもと変わらぬ平和な空気が、白亜の士官学園を包み込んでいた。
パニックを避けるため、地下の遺物の件は生徒たちには完全に伏せられている。
ローゼリアたちは、エインヘリアルのブリュンヒルデ団長とフィーネに「三日以内に機体を完成させろ」という無茶苦茶な催促を入れた後、表向きは何食わぬ顔で臨時教官としての任務を続けていた。
「ローゼリアお姉様! 今日の講義も、大変素晴らしいものでした!」
午前の座学が終わり、カフェテリアへ向かおうとしたローゼリアの前に、プラチナブロンドの縦ロールを揺らしてエリーゼ・マーベリックが駆け寄ってきた。彼女の背後には、いつものように優秀な取り巻きの生徒たちが控えている。
「うむ、エリーゼか。お主もよく話を聞いておったな」
ローゼリアが戦乙女の漆黒の軍服のポケットに手を入れたまま頷く。
「はい! ところでお姉様、本日の午後は、屋外の第一演習場を使用した実技訓練が予定されておりますが……」
エリーゼは少し頬を染め、しかしその瞳には強い決意の光を宿してローゼリアを真っ直ぐに見つめた。
「どうした? シミュレーターの調子でも悪いのか?」
「いえ、そうではありません。……私に、お姉様と『実機』での模擬戦を許可していただけないでしょうか!」
エリーゼの申し出に、周囲にいた生徒たちがざわめいた。
「実機での模擬戦、だと?」
「はい。シミュレーターでの電子的な戦いでは、お姉様の底知れぬ実力の片鱗しか味わうことができません。実際の機体に掛かる重力、風の抵抗、そして本物の金属が軋む音。それらすべてを肌で感じてこそ、真の学びを得られると考えたのです」
エリーゼの言い分は、士官候補生として非常に立派なものであった。
だが、アルティナがタブレットを弄りながら横槍を入れる。
「実機戦って言ってもねぇ。エリーゼ、あなたの実家から持ち込んだ専用機は学園のハンガーにあるけど、私たちの機体は今、改修中で手元にないのよ?」
「存じております。ですが、学園のハンガーには、教官用の機体も用意されております。……どうか、お願いいたします!」
エリーゼは深々と頭を下げた。
ローゼリアは、顎に手を当てて少し考えた。
「(……機体が完成するまでの三日間、ただ座学をしているだけでは体が鈍るのも事実じゃ。実機の操縦感覚をリアルの肉体に思い出させておくのも悪くないじゃろう)」
「良かろう。その挑戦、受けて立つわい。午後一番で、第一演習場に集合じゃ」
ローゼリアが不敵に笑うと、エリーゼはパァッと顔を輝かせた。
「ありがとうございます、お姉様! 私のすべてを懸けて、お相手いたします!」
午後、第一演習場。
広大な荒野を模した屋外演習場には、生徒たちが安全な観覧席から固唾を飲んで見守る中、二機のマギアナイトが向かい合っていた。
一機は、エリーゼ・マーベリックの搭乗する専用機『ロゼット・グレイス』。
マーベリック公爵家が莫大な資産を投じて最新鋭の第四世代フレームをベースにカスタマイズした、真紅と黄金に輝く芸術品のような機体である。両腕には高出力の連装ビームライフル、両肩には高機動スラスターを備え、その美しさと火力を兼ね備えた姿は、まさに名門貴族の令嬢にふさわしい威容であった。
対するもう一機は。
学園のハンガーの隅で埃を被っていた、旧式の教官用訓練機であった。
装甲はくすんだ灰色で、所々に塗装の剥がれがある。背部のスラスターは出力が弱く、武装に至っては威力を極限まで落とした模擬戦用のビームサーベル一本と、申し訳程度の訓練用シールドのみ。
エリーゼの『ロゼット・グレイス』と比べれば、トラクターと最新鋭のスポーツカーほどの性能差があった。
『……ローゼリアお姉様。いくら機体が手元にないとはいえ、そのような旧式機で本当によろしいのでしょうか? 私、手加減はできませんわよ?』
エリーゼが通信回線越しに、心配そうな、それでいて少し誇らしげな声をかけてくる。
『案ずるな。弘法筆を択ばず、という言葉を知っておるか? どのような機体であろうと、操る者の技量がすべてを決めるのじゃ』
ローゼリアは、旧式機の窮屈なコックピットの中で、操縦桿の遊びを確認しながら飄々と答えた。
「(……とはいえ、ルシフェルに比べるとレスポンスが絶望的に鈍いのう。関節のサーボモーターが泣いておるわ)」
オペレーター席のアルティナからのアナウンスが演習場に響き渡る。
『両機、準備完了。……模擬戦、スタート!』
その合図と共に、エリーゼの『ロゼット・グレイス』が背部の高機動スラスターを激しく吹かし、猛禽類のような速度で空へと舞い上がった。
『行きます! 私の成長、ご覧ください!』
ロゼット・グレイスの両腕から、訓練用とはいえ当たれば一撃で機能停止に追い込まれる高出力のビームが、雨あられと降り注ぐ。
シミュレーターの時とは比べ物にならない、実機ならではの重厚な魔力の弾幕。それが荒野の演習場の地面を次々とえぐり、土砂を巻き上げる。
『ローゼリアの機体が、土煙に飲まれた!』
観覧席の生徒たちが息を呑む。
だが、土煙が晴れた後、そこにあったのは、ビームの直撃を完璧に躱し、無傷で佇む灰色の旧式機であった。
『なっ……!? あの弾幕を、シールドも使わずに回避した!?』
エリーゼが驚愕する。
「エリーゼよ。お主の攻撃は、確かに素早く、そして正確じゃ。じゃが、正確すぎるがゆえに、次にどこを狙うかが手に取るように分かるのじゃよ」
ローゼリアは、操縦桿を滑らかに動かし、機体をステップさせた。
旧式機は、出力不足を補うかのように、地面の起伏や岩陰を滑るように利用し、最小限の動きでビームの軌道から身を逸らしていく。
『くっ……! ならば、面制圧で!』
エリーゼは機体を急降下させ、ロゼット・グレイスの肩部から模擬用のマイクロミサイルを大量に射出した。無数の弾頭が、ローゼリアの旧式機を包み込むように殺到する。
「アルティナ、あのミサイルの誘導方式はなんじゃ?」
『熱源探知と視覚センサーの複合ね。旧式機じゃ振り切れないわよ!』
アルティナの通信が響く。
「振り切る必要はない。相手の目を誤魔化せばよいのじゃ」
ローゼリアは、旧式機の左腕の訓練用シールドを、自ら地面の岩角に勢いよく叩きつけた。
激しい摩擦熱と火花が散り、シールドの装甲が一部欠損する。
『えっ? 自分からシールドを壊した!?』
エリーゼが目を丸くする。
ローゼリアは、摩擦熱を持ったそのシールドの破片を、ミサイルの群れに向けて空高く放り投げた。
同時に、機体のスラスターを一時的に完全に切り、熱源を断つ。
複合センサーを搭載したミサイル群は、空中に放り投げられた「最も熱量の高い破片」を目標と誤認し、ローゼリアの機体を通り越して空中であえなく自爆した。
ドガガガァァァンッ!!
空中で盛大な花火が上がる。
『信じられない……。機体のパーツをデコイ(囮)にするなんて……!』
観覧席の生徒たちが、ローゼリアの神がかった機転にどよめいた。
『まだまだ! 接近戦なら!』
エリーゼのロゼット・グレイスが、ミサイルの爆炎を突き破って突進してくる。真紅の機体がビームサーベルを抜き放ち、圧倒的な推進力でローゼリアの旧式機へと迫る。
最新鋭機の装甲と出力による、暴力的なまでの突撃。
旧式機の鈍い反応速度では、躱すことはおろか、剣を合わせることすら間に合わないはずだった。
だが、ローゼリアは微塵も慌てることなく、操縦桿を握る手に力を込めた。
「実機であろうと、機体の挙動の癖と相手の心理を読み切れば、やることは同じじゃ」
ローゼリアは、エリーゼが剣を振りかぶったその絶対的な一瞬を狙い、旧式機のスラスターを「前進」ではなく、わずかに「斜め後方」へと吹かした。
逃げるのではない。エリーゼの剣の軌道ギリギリに身を置き、自ら相手の「間合い」へと滑り込むための高度な空間把握。
ブンッ!
エリーゼのビームサーベルが、旧式機の鼻先を数ミリの差で空振りする。
『しまった……! 踏み込みすぎた!?』
最新鋭機の出力が裏目に出た。全力で踏み込んだため、空振りした反動で機体の体勢が大きく崩れ、ロゼット・グレイスの無防備な背中がローゼリアの前に晒される。
「装甲の隙、もらったぞ」
ローゼリアは旧式機のビームサーベルを起動し、最小出力のまま、ロゼット・グレイスの背部メインスラスターの結合部——最も装甲が薄いジョイント部分へと正確に切っ先を押し当てた。
『ピーーーッ。メインスラスター、機能停止。戦闘継続不可能』
無情なアナウンスが演習場に響き渡る。
「…………」
エリーゼのロゼット・グレイスは、バランスを崩したまま膝をつき、完全に沈黙した。
「勝負あり、じゃな」
ローゼリアの旧式機が、サーベルを収めて静かに見下ろす。
圧倒的な性能差を覆し、機体のスペックではなく純粋な『技量』のみで勝利を掴み取った銀河最強の死神の姿に、観覧席からは割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。
『……完敗です。シミュレーターではなく、実機で肌を合わせて、お姉様の底知れぬ実力がより深く理解できました』
エリーゼは通信回線越しに、悔し涙を拭いながらも、その声には清々しいほどの心酔が満ちていた。
「うむ。お主の突進のタイミングは悪くなかったぞ。ただ、機体の出力に頼りすぎて、自分の動きを制御しきれておらんかった。機体と対話し、手足のように扱うことができれば、お主はもっと強くなれる」
ローゼリアが優しく諭すと、エリーゼの機体のカメラアイがパチパチと点滅した。
『はいっ! お姉様のお言葉、胸に刻み込みます! 私、もっともっと精進して、いつかお姉様の背中を守れるような立派な騎士になってみせます!』
「うむ、その意気じゃ。……じゃが、妾の背中はすでにリアンヌが予約済みじゃからな」
観覧席の最前列で、リアンヌが「当然です。ローゼリアの背中は、このリアンヌ・ヴァーミリオンの絶対領域ですから!」と腕を組んで得意げに胸を張っていた。
実機での模擬戦が終わり、生徒たちの熱狂が冷めやらぬ中。
ローゼリアは旧式機をハンガーに戻し、控室でリアンヌたちと合流した。
「見事な立ち回りでした、ローゼリア。旧式機の軋む関節音すら、芸術的な音楽に聞こえましたよ」
リアンヌがタオルを手渡しながら称賛する。
「お疲れ様。生徒たちには余裕を見せてたけど……本当は冷や汗ものだったんじゃない?」
アルティナが、タブレットから目を離さずにニヤリと笑う。
「まあな。あのポンコツ機、少し無理に動かしただけで関節のサーボが悲鳴を上げておったわ。……それにしても、これで少しは体が温まった。三日後の本番に向けて、良い準備運動になったわい」
ローゼリアはタオルで汗を拭きながら、鋭い視線を窓の外へ向けた。
白亜の学園の地下には、今この瞬間も、帝都を吹き飛ばすほどの魔力を蓄積し続ける『厄災の遺物』が脈打っている。
生徒たちの前では教官として平静を装っているが、水面下では爆弾処理へのカウントダウンが確実に刻まれていた。
「ウルスラ。地下の爆弾の様子はどうじゃ?」
「はい。アルティナ殿の監視プログラムによれば、魔力の充填率は想定通りに上昇しています。……タイムリミットまで、あと二日と半日。猶予はありません」
ウルスラが、手元の端末を確認しながら生真面目な顔で報告する。
「問題は、フィーネの機体改修が間に合うかどうかね」
アルティナが通信回線を開いた。
モニターに映し出されたのは、目の下に真っ黒な隈を作り、髪を振り乱しながらスパナを振り回している整備班長フィーネの姿だった。
『……ああん!? あと三日で機体を仕上げろだと!? ふざけんじゃねェ! こっちは古代フレームの調整とバハムートAIのインストールで、脳みそが沸騰しそうなんだよ!!』
通信越しのフィーネの怒声に、ローゼリアたちは思わず耳を塞いだ。
「す、すまんフィーネ。じゃが、学園の地下に時限爆弾が仕掛けられておってな。三日後の夜までにルシフェルが届かんと、妾たちは学園ごと宇宙の塵となってしまうんじゃ」
ローゼリアが事情を説明する。
『はぁ!? 時限爆弾!? 団長だけじゃなく、てめェらまでアタシの胃に穴を開ける気かよ!』
フィーネは頭を抱えてしゃがみ込んだ。だが、数秒後には顔を上げ、血走った目でカメラを睨みつけた。
『……チッ。分かったよ。てめェらが死んだら、アタシが作った最高傑作の機体が無駄になるからな。なんとしても三日後の夜までに、全機ロールアウトさせてやる。……だが、完成した機体をテストする時間なんて一秒もねェぞ! ぶっつけ本番で古代のジャジャ馬を乗りこなす覚悟はできてるんだろうな!?』
「愚問じゃな。妾たち戦乙女のプレイヤースキルを舐めるでない」
ローゼリアが不敵に笑うと、リアンヌ、アルティナ、ウルスラも力強く頷いた。
『へっ。頼もしいこって。……待ってな、てめェらの新しい翼、死ぬ気で形にしてやるからよ!』
通信が切れ、フィーネは再び修羅場へと戻っていった。
「さあ、決戦の夜に向けた準備は整った。……学園の平和と、あの縦ロールのお嬢さんたちの未来を守るため、我々戦乙女が、裏の盤面を完全に制圧するぞ」
ローゼリアの宣言と共に、四人の戦乙女は静かに頷き合った。
表向きは華やかな学園の教官として振る舞いながら、その実、地下に潜む最悪の爆弾を処理するための、息詰まるような攻防のカウントダウンが、静かに、そして確実に進んでいくのであった。




