第二幕 第六十九話:死神の弱点と、地下迷宮の攻防
#帝都アエテルガルドの中心にそびえ立つ、第一士官学園。
日付が変わり、生徒たちが深い眠りについている深夜の静寂の中、月明かりすら届かない旧校舎の裏手に四つの影が音もなく降り立った。
戦乙女の正式な漆黒の軍服に身を包んだローゼリア、リアンヌ、アルティナ、そしてウルスラの四人である。
「アルティナ、例の『異常な魔力反応』がある座標はここからで間違いないな?」
ローゼリアが、暗視ゴーグル越しに古びた鉄扉を見つめながら小声で尋ねる。
「ええ。この旧校舎の地下、かつて防空壕として使われていた放棄区画のさらに奥よ。電子ロックは私がすでに書き換えてあるわ」
アルティナが手元の小型タブレットを操作すると、赤錆の浮いた重厚な鉄扉が、わずかな電子音と共にゆっくりと開いた。
「よし、潜入開始じゃ。敵が何者であれ、未来の若者たちの足元に危険な罠を仕掛ける輩は、この妾が残らず排除してやるわい」
ローゼリアの号令で、四人は暗闇の地下通路へと足を踏み入れた。
ここから先は、マギアナイトという強大な装甲を持たない、生身の肉体での潜入ミッションである。
しかし、その緊張感に満ちた空気が維持されたのは、わずか開始十分後のことだった。
「……ぜぇっ、はぁっ、ぜぇっ……。な、なんじゃ……この地下道は……っ。階段が、長すぎるじゃろうが……!」
地下へと続く果てしない螺旋階段の中腹。
ローゼリアは膝に手をつき、肩で激しく息をしながらその場にへたり込んでいた。
額からは滝のように汗が流れ、普段は強者の余裕を漂わせている真紅の瞳は、今や限界を迎えた小動物のように虚ろに潤んでいる。
「ローゼリア! 大丈夫ですか! お顔が真っ青です!」
先頭を警戒していたリアンヌが、血相を変えてすっ飛んできた。彼女は懐から清潔なシルクのハンカチを取り出し、主の汗を甲斐甲斐しく拭い始める。
「だ、大丈夫ではない……。体力はまだしも、息が完全に上がってしまった。なんでエレベーターという文明の利器を設置しておらんのじゃ、この欠陥構造は……」
ローゼリアの弱音に、最後尾を歩いていたアルティナが、タブレットから目を離して呆れたように深いため息をついた。
「はぁ……。いくらなんでも貧弱すぎるでしょ。まだ地下三階分の階段しか降りてないわよ? マギアナイトの操縦桿を握らせれば銀河最強の死神のくせに、生身になった途端、ただの運動不足の少女なんだから」
「う、うるさいっ。妾は生身の運動など普段からしておらんのじゃ。頭の演算処理にすべてを集中するためにな……ぜぇっ」
「はいはい、言い訳はいいから。この先、崩落して足場がないエリアもあるのよ? あんた、飛び越えることもできないんじゃないの?」
アルティナの冷ややかなツッコミに、ローゼリアがグヌヌと唸る。
実際、ローゼリアの生身の運動能力は、帝国の平均的な同年代の少女と比較しても著しく劣っていた。日々の時間はすべてゲームのプレイとシミュレーターに費やされており、リアルでの移動は基本的に母艦の動く歩道か、誰かの背中に乗るかであったからだ。
「ローゼリア! どうかご無理をなさらず!」
リアンヌは、主の危機(ただの息切れ)を前にして、碧眼に決意の炎を燃やし、その場に片膝をついた。
「さあ、私の背中をお使いください! いえ、それよりも腕の中の方が安定しますね。お姫様抱っこで、この先の最深部まで私がお運びいたします!」
「いや、リアンヌ。いくら何でもそれは……」
「ご遠慮には及びません! このリアンヌ・ヴァーミリオン、主の足となり盾となることこそ無上の喜び! さあ、どうぞこの胸に飛び込んでください!」
リアンヌは両腕を広げ、真剣そのものの表情でローゼリアを抱き上げようとする。
「わ、分かった。分かったから顔を近づけるでない! 自分で歩く、自分で……ひゃわっ!?」
抵抗しようとしたローゼリアであったが、疲労で足がもつれ、そのままリアンヌの腕の中へとすっぽりと収まってしまった。
「捕まえましたよ、私の主。……ああ、なんと軽く、愛らしい……。このまま一生、私が抱えて生きていきたい……」
リアンヌはローゼリアを大事そうにお姫様抱っこしたまま、恍惚とした表情で階段を軽やかに下り始める。装甲服を着込んだ状態でありながら、その足取りには微塵のブレもない。
「……ほんと、何を見せられてるのかしらね、私たちは。緊迫した潜入任務の最中だってのに」
アルティナが、やれやれと肩をすくめて呆れ顔を見せた。
だが、その一連の光景を後ろから見ていたウルスラ・レーヴェの様子は、少し違っていた。
「(……ドクン、ドクン)」
ウルスラは、無表情を取り繕いながらも、そのヘーゼル色の瞳を微かに揺らし、自らの胸の奥で早鐘のように鳴り響く心音を感じていた。
「(な、なんだろう、この胸の高鳴りは……。極秘の潜入任務中だというのに、彼女たちはこんなにも無防備で……それなのに、互いの弱点を補い合い、絶対的な信頼で結ばれている)」
かつて暗躍組織『黎明の腕』の暗殺者として育てられたウルスラにとって、任務において「個人の弱点」を晒すことは死を意味した。足手まといは切り捨てられ、感情は邪魔なノイズとして処理されるのが当たり前の世界だった。
だが、戦乙女は違う。
銀河最強の死神が、無防備に息を切らして仲間に甘える姿。
それを当然のように、いや、むしろ歓喜に震えながらフォローする近衛騎士。
呆れながらも、周囲の警戒と電子的な安全確保を完璧にこなす天才ハッカー。
「(……これが、『仲間』。誰一人として欠けることなく、互いの背中を預け合う、本物の絆……!)」
ウルスラの胸の内で、温かく、そしてくすぐったいような感情が弾ける。
冷徹なスパイであった彼女にとって、この過保護で、少しズレていて、しかし絶対的な安心感に包まれた家族のようなやり取りは、刺激が強すぎたのだ。
「ウルスラ? あんた、顔が赤いけど大丈夫?」
アルティナが不思議そうに振り返る。
「は、はいっ! 問題ありません! 私も、いつでもローゼリア殿下をおぶって走れるよう、両腕の筋肉をパンプアップさせて待機しております!!」
「……あんたも、リアンヌに負けず劣らず重たいわねぇ」
ウルスラは照れ隠しのように咳払いをし、アルティナの背中を守るようにして、一行はさらに深い地下迷宮へと足を進めていった。
螺旋階段を降りきり、崩落した通風孔をリアンヌの風の魔力で吹き飛ばしながら進むこと数十分。
四人はついに、アルティナが探知した「異常な魔力反応」の震源地へと到達した。
「これは……」
お姫様抱っこから降ろしてもらったローゼリアが、真紅の瞳を細める。
そこは、かつての防空壕の面影を全く残していない、異様な空間へと改造されていた。
広大な地下空洞の中央には、禍々しい紫色の光を放つ巨大な魔法陣が描かれ、その中心には、脈打つような不気味な黒い結晶体——『厄災の遺物の欠片』が鎮座していたのである。
「アルティナ。あれはなんじゃ?」
「待って、今スキャンするわ。……っ! これ、ただの遺物じゃない! 学園全体の地下に張り巡らされたマナのパイプラインに、物理的に寄生しているわ! 上にいる生徒たちの無意識の魔力を少しずつ吸い上げて、この結晶体に魔力を注いでいるのよ!」
アルティナがタブレットの画面を見て顔を青ざめさせる。
「注ぎ込んで、どうするつもりですか?」
ウルスラが警戒態勢を取りながら問う。
「一種の巨大な召喚門、あるいは時限爆弾ね。……この魔力充填率なら、あと数日で限界を突破する。そうなれば、この士官学園ごと、帝都の中心部が消し飛ぶわ」
「……随分と悪趣味な仕掛けを用意してくれたものじゃ」
ローゼリアは、ジャージのポケットから小型の魔力銃を取り出した。
『——その通り。帝国の未来を担う若者たちを、その希望ごと一瞬で絶望の淵に沈める。これほど痛快な復讐の舞台は他にないだろう』
突如として、地下空洞のスピーカーから、しゃがれた男の声が響き渡った。
「誰だ!」
リアンヌが腰に帯びた騎士剣を抜き放ち、ローゼリアの前に立ちはだかる。
魔法陣の奥の暗がりから、ボロボロの灰色のローブを深く被った男が姿を現した。
その顔には、狂気と憎悪が深く刻み込まれている。
「貴様は……『黎明の腕』の幹部か」
ウルスラが、かつての雇い主の気配を察知して低い声を出す。
「裏切り者のウルスラか。……管理者様に見捨てられ、帝国軍にすべてを焼かれた我々に残されたのは、この遺物の欠片と、貴様ら『戦乙女』に対する純粋な復讐心だけだ」
男は、血走った目でローゼリアを睨みつけた。
「特異点よ。貴様らがいかに無敵のマギアナイトを持っていようと、この地下深くには持ち込めまい。そして、機体がなければ、貴様などただの非力な小娘に過ぎない!」
男がローブの下から取り出した起爆装置のような端末のボタンを押す。
瞬間、地下空洞の壁面に擬態していた無数のハッチが開き、自律駆動型の防衛ドローンや、魔力で強化された人型のゴーレム部隊が大量に湧き出してきた。
「さあ、絶望の中で死ね! 貴様らがここで朽ち果てれば、数日後には学園の生徒たちも全員、この遺物の爆発と共に宇宙の塵となるのだ!」
男が狂ったように高笑いをする。
「……やれやれ。大将の前に、雑兵の群れが立ち塞がるのは世の常じゃが」
ローゼリアは、周囲を囲む数十体の敵を前にしても、微塵の動揺も見せずに口角を上げた。
「マギアナイトが無ければ、妾がただの小娘だと?……とんだ勘違いじゃな」
ローゼリアは小型魔力銃の安全装置を解除し、仲間たちに視線を向けた。
「機体が変わろうと、戦う者の中身は変わらん。妾の指揮と、お前たちの技量で、この防衛線を完全に突破するぞ!」
「「「了解!!」」」
死神の号令と共に、地下迷宮での生身の攻防が幕を開けた。
『ガガガガッ! 目標、捕捉。排除開始』
無数のドローンが宙を舞い、赤いレーザーの照準を四人に向けて一斉に照射する。
「アルティナ! 敵の射撃の連携を乱せ!」
「言われなくても! 私の電子戦は、生身でも健在よ!」
アルティナがタブレットのキーボードを神がかった速度で叩く。
空間に展開されたホログラムのコンソールから、即席の妨害電波が放射され、ドローンたちの射撃タイミングがコンマ数秒、バラバラにズレた。
「ウルスラ、右翼のゴーレム群の足を止めろ! リアンヌは左翼のドローンを落とせ!」
「承知!」
「我が主の命のままに!」
群青の残像が走る。
ウルスラは、両手に握った高周波の電磁ナイフを逆手に構え、迫り来る三体のゴーレムの懐へと滑り込んだ。
「遅い……!」
黎明の腕で叩き込まれた暗殺術。ウルスラの刃は、装甲の厚いゴーレムの関節の隙間(駆動系コード)だけをピンポイントで切り裂き、瞬く間に三体を機能停止させていく。
一方、リアンヌは純白の軍服の裾を翻し、レイピアに強力な風の魔力を纏わせた。
「吹き飛びなさい! 《シュトゥルム・ピアース》!」
放たれた風の刺突が、空中のドローンを数機まとめて貫き、壁へと叩きつける。さらに、別のドローンから放たれたレーザーを、レイピアを旋回させて作り出した風の防壁で完璧に弾き返した。
「(……すごい。マギアナイトに乗っていなくても、全員が自分の役割を完璧に理解し、ローゼリアの指示にコンマ一秒の遅れもなく連携している)」
ゴーレムを沈めながら、ウルスラは再び胸の高鳴りを感じていた。
戦場において、信頼できる仲間の背中を見ながら戦うことが、これほどまでに心強く、全能感に満ちたものだとは知らなかった。
「よそ見をしている暇はないぞ、ウルスラ! 敵の増援、正面から来る!」
ローゼリアの警告。
見れば、さらに大型の重装甲ゴーレムが、地響きを立てて突進してくる。
「っ……! しまった、ナイフでは装甲が抜けません!」
ウルスラが舌打ちをする。
「下がれ、ウルスラ! 妾がやる!」
ローゼリアが前へ出る。
生身での運動能力は皆無だが、彼女の『戦局を読む力』と『照準合わせ』の正確さは、リアルの肉体でも一切ブレることはない。
ローゼリアは、手元の小型魔力銃のチャージレバーを弾いた。
「敵が重装甲なら、弱点となる継ぎ目をピンポイントで狙い撃つまでじゃ」
ドォォンッ!!
ローゼリアの放った圧縮魔力弾は、突進してくる重装甲ゴーレムの分厚い装甲……ではなく、その装甲の継ぎ目にある、わずか数センチの「センサーの受光部」へと寸分の狂いもなく吸い込まれた。
『ピーーーッ……エラー。視覚センサー、破壊……』
ゴーレムがコントロールを失い、壁に激突して動きを止める。
「さすがね。システムの補正なしの手動照準で、よくあんな針の穴を通すような射撃ができるわ」
アルティナがドローンをハッキングで同士討ちさせながら感心する。
「基本じゃ。装甲の薄い場所を的確に叩けば、どんな硬い敵でも倒せるのじゃ」
ローゼリアは得意げに鼻を鳴らし、魔力銃をくるくると回してホルスターに収めた。
わずか数分の間に、地下空洞を埋め尽くしていた防衛部隊は、戦乙女たちの完璧な連携の前にすべて鉄屑へと変えられていた。
「ば、馬鹿な……。生身の人間が、これほどの戦闘力を……」
ローブの男が、信じられないものを見るように後退りする。
「お主らの敗因は、妾を『マギアナイトに乗っていなければ何もできない』と侮ったことじゃ。……まあ、階段を降りるのは確かにしんどかったがな!」
ローゼリアが男に銃口を向ける。
「捕縛しますか、ローゼリア」
リアンヌがレイピアを構えて男の退路を断つ。
「くそっ……! こうなれば、貴様らだけでも道連れにしてやる!!」
男は絶望の叫びを上げ、手元の起爆端末のカバーを強引に引きちぎった。
「この遺物の暴走への時間を、今この瞬間ゼロに——」
シュバッ!
男がボタンを押し込むよりも早く。
ウルスラの手から放たれた電磁ナイフが、男の手首を正確に貫き、端末を弾き飛ばした。
「ぐあああああっ!?」
男が手首を押さえて床に転げ回る。
「……私の仲間を、そして罪のない生徒たちを巻き込もうとした罪。万死に値します。おとなしく帝国の尋問室で罪を償いなさい」
ウルスラが冷たく見下ろし、男を拘束具で即座に縛り上げた。
「見事じゃ、ウルスラ。流石の反応速度じゃな」
ローゼリアが褒めると、ウルスラは直立不動の姿勢に戻り、わずかに頬を染めた。
「光栄です、ローゼリア殿下。皆様の背中を守るためならば、私の刃は決して鈍りません」
「ふふっ、本当に立派な戦乙女になったわね、ウルスラ」
アルティナが微笑ましく笑う。
「さて。雑兵の処理は終わったが……問題はこっちじゃな」
ローゼリアは、中央の祭壇で不気味に脈打ち続ける『厄災の遺物の欠片』を見上げた。
男が倒された後も、遺物は学園の生徒たちから無意識の魔力を吸い上げ続けており、その紫色の光は徐々に危険な明滅を始めている。
「アルティナ。これ、物理的に破壊しても大丈夫なやつか?」
「駄目よ! 外部から強い衝撃を与えれば、蓄積された魔力が一気に暴走して、地下区画ごと吹き飛ぶわ! それに、魔力のパイプラインが複雑に絡み合っていて、私のハッキングでも完全な停止の指示は弾かれる……!」
アルティナがタブレットを叩きながら焦りの声を上げる。
「停止できないなら、どうすればいいのですか?」
リアンヌが尋ねる。
「……この遺物そのものを、安全な宙域まで『物理的に隔離』して、そこで爆発させるしかないわ。でも、こんな高密度の魔力爆弾を、生身の私たちで運ぶなんて不可能よ!」
「なるほどな。時間制限付きの、爆弾運搬任務というわけか」
ローゼリアは、顎に手を当てて思考を巡らせた。
「(……機体さえあれば、ルシフェルで宇宙空間まで運んでぶん投げるのじゃが。フィーネの機体改修が終わるまで、あと数日はかかる)」
「アルティナ。この爆弾が限界を迎えるまで、あとどれくらい猶予がある?」
「今の魔力吸収ペースなら……もってあと三日。三日後の夜には限界に達するわ」
「三日か。……ギリギリじゃな」
ローゼリアの真紅の瞳に、鋭い光が宿る。
「団長に緊急通信を入れい! フィーネの尻を叩いて、なんとしても『三日後』までに新しい機体を完成させるのじゃ!」
「三日後!? 無理よ、元々は二週間かかるって言ってたのよ! フィーネが過労死しちゃうわ!」
アルティナが悲鳴を上げる。
「背に腹は代えられん! 学園の生徒たち……あの縦ロールのお嬢さんたちを、こんな理不尽な事態の巻き添えにするわけにはいかんじゃろう!」
ローゼリアの決然とした言葉に、リアンヌ、アルティナ、ウルスラの三人も強く頷いた。
「了解しました。すぐに母艦へ連絡します!」
アルティナが通信を開く。
「三日後の夜、この地下から遺物を引き抜き、宇宙空間へ運んで処理する。……それが、我々『戦乙女』の次なる任務じゃ」
地下迷宮の暗闇の中で、死神たちは次なる死地を見据えていた。
残された時間は三日。
未完成の新たな翼と共に挑む、学園の命運を懸けた爆弾処理任務。
休息の時間は終わりを告げ、戦乙女たちは再び、理不尽なる盤面へと立ち向かっていくのであった。




