第二幕 第六十六話:戦乙女の新たなる翼
母艦エインヘリアルの医務室。
消毒液の匂いが漂う中、純白のシーツに包まれたベッドで目を覚ましたブリュンヒルデは、自分がすべてを忘れて天国にいるのだと一瞬だけ錯覚した。
しかし、目に飛び込んできたのは無機質な白い天井と、心配そうに覗き込むローゼリアたちの顔。そして何よりも彼女を現実に引き戻したのは、サイドテーブルの上にうず高く積まれた『未決裁の機材調達書類の束』であった。
「……ああ、やはり夢ではなかったか」
「だ、団長! 気がついたのじゃな! よかった、三途の川を渡り切る前に戻ってきてくれて!」
ジャージ姿のローゼリアが、心底ホッとしたようにブリュンヒルデの手を握る。
「……三日だ。あなたが過労とストレスで精神的ショックを起こして倒れてから、丸三日が経過しているわ」
頭に包帯を巻いたアルティナが、呆れたように告げた。
「そうか。エインヘリアルは今、どこにいる?」
「すでに帝都アエテルガルドの第一軍港、特別ドックに入港しています。フェイト皇帝陛下のご厚意により、帝国最高の設備と予算が私たち『戦乙女』のために用意されています」
リアンヌが姿勢を正して報告した。
「そうか……。だが、戦力が事実上ゼロの今の状態では、いつ他の敵対勢力が攻めてくるか分からん。早急に機体を用意せねば」
ブリュンヒルデがそう言ってベッドから降りようとした、その時である。
**「——ったく、てめェらってば、ホントに世話焼かせやがって!」**
医務室の自動ドアが乱暴に開き、ズカズカと重い足音を立てて一人の女性が踏み込んできた。
オイルと煤で汚れたツナギを着込み、ボサボサの赤い髪を後ろで無造作に束ねた彼女は、戦乙女の専属整備班長であるフィーネであった。
手には巨大なスパナを担ぎ、その表情は苛立ちを隠そうともしない、ガラの悪さと姉御肌特有の凄みを漂わせている。
「フィーネ……。状況はどうだ?」
ブリュンヒルデが胃を押さえながら尋ねる。
「どうだもクソもねェんだよ、団長! てめェら、毎回毎回限界突破だの特攻だので機体をスクラップにしやがって……! 今回は全員無事だったからアタシも笑って許してやるが、機体の方は完全に笑えねェ状況なんだよ!」
フィーネはスパナで床をガンッ!と叩き、ローゼリアたちをギロリと睨みつけた。
「す、すまん、フィーネ。じゃが、あれは世界を初期化しようとするチートボスを倒すためには、必要な犠牲じゃったんじゃ……」
ローゼリアが珍しくバツが悪そうに肩をすくめる。
「分かってんだよ。てめェらが宇宙救ってくれたことくらいな。だがな、物理的に『無ェ』もんは直せねェんだよ!」
フィーネは舌打ちを一つして、タブレットを操作し、空中に三つの機体のホログラムデータを展開した。
「まずリアンヌの『ブラン』。あれは元々、帝国の地下深くから発掘された古代マギアナイト『ノワール』のコアと装甲材をベースにした完全なオーバーテクノロジーの産物だ。同じもんを直そうにも、替えの古代合金なんてどこにもねェ」
「……申し訳ありません。主の勝利への道を切り開くためとはいえ、唯一無二の愛機を失ったことは痛恨の極みです」
リアンヌが深く頭を下げる。
「謝んじゃねェよ。お前が盾になったからお姫様は勝てたんだろうが。……で、次にアルティナの『ハルファス』。あれは秘密技術組織『ユグドラシル』の特注品で、中身はブラックボックスの塊だ。無断でリミッター解除してシステム焼き切った以上、あいつらが二度と同じ機体を売ってくれるわけがねェだろうが」
「うっ……。まあ、あの世に片足突っ込んだようなハッキングだったからね。仕方ないわ」
アルティナが気まずそうに目を逸らす。
「そしてウルスラの『ミネルヴァ』。あれは完全に『管理者』の技術で作られた機体だ。物理法則を一部無視したスラスター機構なんて、今の帝国の技術じゃ絶対に再現不可能だ。……直掩隊のランドグリーズたちの機体は量産規格だから復元はできるが、それでも時間がかかんだよ」
フィーネは大きく息を吐き出し、腰に手を当てた。
「……つまり、今の戦乙女には、お姫様の背中を任せられるだけのスペックを持った機体が、一つも残ってねェってわけだ」
「一からすべてを作り直すことはできないのか?」
ブリュンヒルデの問いに、フィーネは鼻で笑って首を横に振った。
「無理だね。それぞれ全く違うピーキーなコンセプトの機体を、別々の規格で一から設計して製造するなんて、どんだけ予算と人員があっても数年はかかんだよ」
重苦しい沈黙が医務室に降りた。
だが、フィーネはニヤリと凶悪な笑みを浮かべ、担いでいたスパナで肩をトントンと叩いた。
「——なーんて、アタシが何の手も打ってねェと思うか? 整備班長を舐めんじゃねェぞ」
「フィーネ、何か代替案があるのか?」
ブリュンヒルデが顔を輝かせる。
「おうよ。元の機体を『復元』するのが無理なら、まったく新しい、かつ元の機体を遥かに凌駕する『最新鋭機』を作ってやればいいんだろうが。しかも、全員分な」
フィーネはタブレットを乱暴に操作し、新たなホログラムを展開した。
そこに映し出されたのは、六機の洗練された漆黒の内部フレームであった。
それは、リアンヌのかつての愛機である古代マギアナイト『ノワール』と酷似した、重厚でありながらも恐ろしいほどの魔力伝導率を誇る骨格である。
「これは……ノワールのフレームじゃな!?」
ローゼリアが真紅の瞳を丸くする。
「その通りだ。フェイト陛下に直訴して、帝国の最深部『古代遺物保管庫』に封印されていた、ノワールと同型の未起動コアと基礎フレームを六機分、強引にふんだくってきてやったんだよ」
フィーネが誇らしげに胸を張る。
「でもフィーネ、古代マギアナイトのフレームなんて、並のパイロットじゃ制御しきれないわよ? リアンヌだって相当な訓練を積んでようやく乗りこなしていたのに」
アルティナが懸念を口にする。
「そこで、もう一つの隠し玉だ」
フィーネは、ローゼリアをビシッと指差した。
「お姫様のルシフェルに搭載されてる神AI『バハムート』。あいつの並列処理能力(サブAI)を、この六機の古代フレームすべてにぶち込んでやるんだよ」
「バハムートをじゃと!?」
「おうよ。古代のオーバーテクノロジーによる圧倒的な出力と、バハムートAIの超絶演算能力による完璧な機体制御。この二つを掛け合わせることで、機体のピーキーさを極限まで抑えつつ、お互いの戦術リンクをコンマ一秒のラグなしで共有できる、完全な『戦乙女専用のワンオフ・シリーズ』が完成するってわけだ!」
フィーネの壮大な構想に、戦乙女の面々は息を呑んだ。
「機体名はそのまま引き継ぐぜ。リアンヌの新しい『ブラン』、アルティナの『ハルファス』、ウルスラの『ミネルヴァ』。そしてランドグリーズたちの機体も、すべてこの古代フレームとバハムートAIをベースに、てめェらの好みに合わせて徹底的にチューニングしてやる。……どうだ? 腕が鳴るだろう?」
「……素晴らしいです、フィーネ! かつてないほどの鉄壁の盾を、再びこの手にできるのですね!」
リアンヌの瞳が感動に潤む。
「私の電子戦能力とバハムートの演算が合わされば、ハッキングスピードは前の数倍に跳ね上がるわね。最高よ!」
アルティナも悪戯っぽく笑う。
「裏切り者の私にまで、そんな破格の機体を用意してくださるとは……。この御恩は、必ず戦場で返してみせます」
ウルスラが深く頭を下げる。
「だから、そんなに畏まってんじゃねェよ。アタシはてめェらが気持ちよく暴れられるオモチャを作るのが仕事なんだからよ」
フィーネは口の端を曲げて、照れ隠しのように鼻の頭を擦った。
「……さて。みんなの機体の目処は立ったが、妾のルシフェルはどうなるのじゃ?」
ローゼリアが、目を輝かせながらフィーネににじり寄った。
「お前の機体はフレームが完全に歪んでやがるから、大改修が必要だ。帝国技術局のメインドックを丸ごと一つ貸し切って、三交代制で一ヶ月はかかるぜ」
フィーネは、忌々しそうに一枚のリストをブリュンヒルデに突きつけた。
「団長! これがルシフェルの修復と、他の六機を組み上げるのに必要な追加素材リストだ! 帝国軍の備蓄だけじゃ到底足りねェから、ギルドのコネ使って銀河中のブラックマーケットから買い集めてきな!」
ブリュンヒルデは、突きつけられたリストを受け取った。
そこに並ぶのは、「星核の欠片」「超重力圧縮クリスタル」「古代竜の逆鱗」など、神話の時代にしか存在しないような超希少素材の数々。そして、それぞれの横に記された、目玉が飛び出るような落札予想価格。
「(……これを、私が各所の裏社会の顔役たちと交渉して、買い集める……だと?)」
ブリュンヒルデの胃が、再びキリキリと激しい痛みを訴え始めた。
「あ、団長。ついでにお願いがあるのじゃが」
ローゼリアが、容赦なく追撃をかける。
「どうせ一ヶ月かけて大改修するなら、ルシフェルの武装も新しくしてほしいのじゃ! 右腕の魔力振動刀だけじゃ手数が足りん。両肩に独立稼働する巨大なクローアームを追加して、さらに背中の翼をすべてファンネルのようなオールレンジ攻撃兵器に改造してほしいのじゃ! あと、コックピットに最新型のゲーミングチェアと、キンキンに冷えたコーラが入る冷蔵庫も追加で!」
「……ローゼリア。お前は、自分の機体の修理費がどれだけかかっているか分かっているのか?」
ブリュンヒルデは、地の底から響くような低い声で尋ねた。
「細かいことは気にすんな! 足りない分は、姉上に言えばいくらでも小切手を切ってくれるじゃろ!」
ローゼリアが豪快に笑う。
確かに、フェイト女帝であれば喜んで国庫を開放するだろう。
しかし、帝国軍の正規の予算を、一介の傭兵部隊の機体の(しかも冷蔵庫などのふざけた)改修に湯水のように注ぎ込むためには、それを正当化するための膨大な「理由書」と「決裁書」が必要になる。
そして、その書類を書くのは、他でもない団長であるブリュンヒルデなのだ。
「……分かった。フィーネ、機体の開発と改修はすべてお前に任せる。ローゼリアの無茶な要求も、通せる範囲で通してやってくれ」
ブリュンヒルデは、諦めたように深くため息をつき、ベッドから立ち上がった。
「団長、どこへ行くのじゃ?」
ローゼリアが首を傾げる。
「……書類仕事だ。お前たちの機体を用意するための、終わりのない事務戦線にな」
ブリュンヒルデは、新しい胃薬の瓶の封を切り、三錠を水も飲まずにガリガリと噛み砕いた。
そして、悲壮な決意を胸に、うず高く積まれた未決裁の書類の束を抱え上げると、ふらつく足取りで医務室を後にした。
「団長の背中……なんだか哀愁が漂っておるな」
ローゼリアが不思議そうに呟く。
「誰のせいだと思っているんですか。……団長が私たちのために戦ってくれている間に、私たちも新しいバハムートAI搭載機に乗るためのシミュレーション訓練を徹底的に行いますよ。休んでいる暇はありません」
リアンヌが、気を引き締めるように言った。
「おう、アタシも徹夜続きになるぜ。てめェら、絶対に死ぬんじゃねェぞ。アタシが丹精込めて作る最高傑作なんだ、簡単にスクラップにしやがったらマジでぶっ殺すからな!」
フィーネが、スパナを握りしめて凄みを効かせて宣言した。
「了解しました。この命に代えても、新たな翼で勝利を掴み取ってみせます」
ウルスラが、深く頭を下げる。
高次元の神々による脅威は、一時的に去った。
だが、宇宙にはまだ不穏な影が渦巻いている。
母艦エインヘリアルのドックでは、ガラは悪いが頼れる姉御肌の整備班長フィーネの手によって、戦乙女たちの新たなる翼——古代の力と神AIを融合させた最強の機体群の建造が、急ピッチで進められようとしていた。
そして、書類の山と格闘する団長ブリュンヒルデの血の滲むような努力(とフェイト女帝の莫大な資金援助)により、銀河最強の死神の愛機『ルシフェル』もまた、さらなる理不尽な火力を備えた悪魔の機体へと生まれ変わる日を静かに待っているのである。
次なる盤面の幕開けに向けて、戦乙女たちは着実に、そして強固に、その爪を研ぎ澄ませていた。




