第二幕 第六十五話:勝利の代償と、微笑みの団長
高次元の神の代行者たちとの、宇宙の存亡を懸けた死闘から数時間後。
帝都アエテルガルドへの帰還の途についた母艦『エインヘリアル』の艦内は、激しい戦闘の余韻と、生き残ったことへの安堵の空気に包まれていた。
エインヘリアルの艦長室。
傭兵団『戦乙女』の団長であるブリュンヒルデは、執務机に深く背中を預け、長いため息を吐き出していた。
「……何はともあれ、全員が生きて帰還できた。傭兵部隊の指揮官として、これ以上の喜びはない」
彼女は傍らに置かれた真新しい胃薬の瓶を愛おしそうに撫でた。
今回は文字通り、世界が「初期化」されるかどうかの瀬戸際であった。高次元の存在だの、空間切断だの、超重力だの、傭兵の手に負える範疇を遥かに超えた絶望的な盤面。
それでも、ローゼリアをはじめとする自慢の部下たちは、誰一人欠けることなくその理不尽を打ち砕いてみせたのだ。
「まったく、どいつもこいつも規格外すぎる。……だが、誇らしい部下たちだ」
ブリュンヒルデが、静かな達成感と共に温かいコーヒーを口に運ぼうとした、その時である。
「失礼するぞ、団長。起きておるか?」
艦長室の自動ドアが開き、あちこちに湿布を貼ったジャージ姿のローゼリアと、頭に痛々しい包帯を巻いたアルティナが入ってきた。
「ローゼリア、アルティナ。医務室で休んでいなくていいのか?」
「傷の治療は済んだわ。それより、団長。……これ、整備班から上がってきた『今回の戦闘における機体の損害報告書』よ。一応、目を通しておいて」
アルティナは、どこか気まずそうな、同情に満ちた視線を向けながら、一枚のタブレット端末を執務机の上にそっと置いた。
「ああ、ご苦労。……まあ、あれだけの激戦だったのだ。多少の修理費がかさむのは覚悟の上だ。それに、今回の依頼はフェイト陛下からの特命依頼。報酬も修理費も、帝国の金庫から青天井で支払われる約束になっているからな」
ブリュンヒルデは、余裕の笑みを浮かべながらコーヒーを一口啜り、タブレットの画面に視線を落とした。
『戦乙女・機体損害評価報告書(第八星区・絶対防衛要塞イージス防衛戦)』
* **1号機『ルシフェル』(搭乗者:ローゼリア)**
* 右腕部:限界突破による魔力振動刀の融解に伴い、肩部関節から先が完全に蒸発。
* 左腕部:任意パージにより喪失。
* メインフレーム:完全手動操作時の異常なG(重力加速度)と慣性制御オフによる稼働により、全身の骨格フレームが致命的に歪曲。
* スラスター群:全基焼き切れ。
* 【評価:**大破(修復には最新鋭戦艦一隻分の予算と、最低半年の期間を要する)**】
「……ふむ。ルシフェルは規格外のワンオフ機だからな。姉妹機のパーツを流用するにしても、これは骨が折れる。だが、想定の範囲内だ」
ブリュンヒルデは冷静にスクロールした。
しかし、その指先は次の項目から徐々に震え始めた。
* **2号機『ブラン』(搭乗者:リアンヌ)**
* 空間切断攻撃を直接被弾したため、機体中心部から真っ二つに両断。
* 【評価:**全損(完全スクラップ。修復不可)**】
* **3号機『ハルファス』(搭乗者:アルティナ)**
* 高次元システムへの強制ハッキングに伴う致死量のフィードバックにより、電子頭脳、魔力炉、全配線が完全に焼損。
* 【評価:**全損(ただの黒焦げの鉄の塊。修復不可)**】
* **4号機『ミネルヴァ』(搭乗者:ウルスラ)**
* 超重力場への物理的特攻および至近距離での爆発により、両腕喪失。さらに重力圧壊によりメインフレームが粉々に粉砕。
* 【評価:**全損(原形を留めていない。修復不可)**】
* **5号機『グリムゲルデ』(搭乗者:ランドグリーズ)**
* **6号機『ヘルムヴィーゲ』(搭乗者:ロスヴァイセ)**
* **7号機『ジークルーネ』(搭乗者:オルトリンデ)**
* 重力崩壊、および空間切断により、三機とも粉塵レベルまで粉砕。
* 【評価:**全損(残骸の回収すら困難。修復不可)**】
「…………」
ブリュンヒルデの動きが、完全に停止した。
「だ、団長……? 大丈夫か?」
ローゼリアが、おそるおそる声をかける。
タブレットの最下部に表示された『被害総額(概算)』の欄。
そこに並ぶゼロの数は、傭兵ギルドの年間総予算を軽く飛び越え、小規模な星間国家の国家予算すら上回る天文学的な数字であった。
確かに、シスコンの極みであるフェイト女帝であれば、「ローゼリアの命が助かったのなら安いものです」と、この請求書にノータイムでハンコを押すだろう。資金面での問題はない。
だが、問題はそこではない。
全損した六機、および大破したルシフェルの代替機・修復パーツを帝国中の軍需産業からかき集め、一から調整し直し、書類の山と格闘し、ギルドへの報告書をでっち上げ、それらすべてを「部隊の責任者」であるブリュンヒルデが処理しなければならないという、途方もない『事務作業という名の地獄』が待っているという事実である。
「(……機体が、ない。私の部隊の、最高峰の専用機が、7機中6機全損……1機大破……?)」
コトリ、と。
ブリュンヒルデの手から、コーヒーカップが滑り落ちた。
続いて、愛用の胃薬の瓶が机から転がり落ち、カーペットの上を虚しく転がっていく。
「団長? もしもし、団長? 反応がないのじゃが……」
ローゼリアが顔を覗き込む。
ブリュンヒルデは、タブレットを見つめたまま、ゆっくりと顔を上げた。
その表情は、先ほどまでの疲労や苦悩が嘘のように晴れ渡っていた。
憑き物が落ちたような、一切の煩悩から解き放たれた、まるで悟りを開いた仏のような、神々しいまでの『満面の笑み』。
「……あははっ。ふふふ……。綺麗だ……。書類の山が、星屑のように輝いて見える……」
「だ、団長!? 目が完全にガンギマリしておるぞ!!」
「平和だなぁ……。世界は、こんなにも美しい……。私はもう、何も考えなくていいんだ……」
ブリュンヒルデは、聖母のような極上の微笑みを浮かべたまま。
バタンッ!! と、後頭部から一直線に床へと倒れ込んだ。
「団長ォォォォォッ!!?」
ローゼリアの悲鳴が艦長室に響き渡る。
「駄目よローゼリア! 団長の胃壁どころか、精神の防壁が完全に空間切断されちゃってるわ! 早く医務室に運ばないと、現実世界に戻ってこなくなる!!」
アルティナが半狂乱になって医療班を呼ぶ通信ボタンを連打する。
「し、しっかりするのじゃ団長! 妾が悪かった! 次からはもっと機体を大事に使うから、三途の川を渡るでない!!」
ローゼリアが必死にブリュンヒルデの肩を揺するが、団長は安らかな微笑みを浮かべたまま、ピクリとも動かない。
彼女の魂は今、果てしない事務作業の絶望から逃避し、高次元の管理者すら到達できない「完全なる無の境地」へと旅立ってしまったのだ。
神の代行者を打ち破り、世界を救った銀河最強の死神たち。
しかし、彼女たちを束ねる苦労人の団長にとっての『真の最終ボス(書類仕事)』は、今まさにその口を大きく開けたばかりであった。




