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追放皇女の異世界戦記  作者: 浅井川亘


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第二幕 第六十三話:神々の誤算と、深淵からの執行者

光すらも届かぬ銀河の最果て。あらゆる星間国家の観測網から外れた絶対的な暗黒星域において、巨大な『眼球』のような構造物が不気味な瞬きを繰り返していた。

その眼球——高次元の存在である『管理者』の前に、暗躍組織『黎明の腕』の長である灰色のローブの男が、全身を粟立たせながら平伏していた。周囲の空間は、管理者の放つ圧倒的なプレッシャーによって微細なひび割れを生じているかのように歪んでいる。

『……第十二星区における特異点消去プログラム、「虚無の鍵」の作動失敗。ならびに、当該宙域に展開した隔離施設の完全崩壊を確認した』

空間そのものを震わせるような、無機質で冷徹な思念波が響き渡る。

そこに怒りや焦りといった感情は存在しない。ただ、自らの敷いた絶対的な計算式アルゴリズムに生じた致命的なエラーに対する、機械的な『修正欲求』だけが渦巻いていた。

「も、申し訳ございません、管理者様……! 我々が用意した刺客は完璧に機能するはずでした。しかし、特異点ローゼリアは我々の予測を凌駕する非合理的な機動で刺客を破壊し、あろうことか、監視役であったウルスラ・レーヴェまでをも……」

「言い訳は不要だ」

男の震える声を、冷酷な思念波が遮る。

『特異点ローゼリア・エーベルヴァイン。この個体の魂は、我々が用意したルールの枠外にある。それどころか、彼女の放つ不確定なノイズは、我々の忠実な手駒であったウルスラの精神構造すらも書き換え、システムから離反させた』

眼球の網膜に相当する部分に、ウルスラが戦乙女たちと共に『虚無の鍵』を破壊する映像が再生される。その映像はノイズにまみれ、まるでシステムが理解を拒絶しているかのようだった。

『バグは伝染する。このまま放置すれば、我々が数万年をかけて構築したこの宇宙の観察盤面テストケースそのものが、彼女という特異点によって完全に破壊されるだろう』

「で、では、いかがなされますか……? 帝国はすでに我々の存在を完全に察知し、総力を挙げて『黎明の腕』の拠点を潰しにかかっております。我々の戦力だけでは、あの死神と帝国軍を同時に相手にすることは不可能です」

ローブの男の言葉に、眼球はゆっくりと、深淵の闇を覗き込むように瞳孔を収縮させた。

『間接的な観察と介入のフェーズは終了した。これより、特異点排除のための最終プロトコルに移行する。……深淵の底より、「執行者」を解き放て』

その言葉を聞いた瞬間、男は恐怖に目を見開いた。

「し、執行者を……!? あれは、星系一つを文字通り『無』に還すための、管理者様の直属の破壊兵器! この宇宙の物理法則すら無視するあの怪物たちを解き放てば、取り返しのつかない被害が——」

『バグの駆除に多少の巻き添えは不可避だ。……世界を正しき軌道へと戻す。すべては、大いなる調和のために』

巨大な眼球の周囲の空間が、ガラスが割れるようにひび割れ始めた。

その亀裂の奥から、禍々しくも神々しい、圧倒的な高次元のエネルギーが溢れ出し、三つの流星となって銀河の闇へと飛び去っていく。

神々の誤算は、ついに彼ら自身に直接的な『暴力』を行使させる決断を下させたのである。

エーベルヴァイン帝国の首都星、その衛星軌道上に停泊する母艦『エインヘリアル』。

激戦から数日が経過した艦内では、いつものように穏やかな日常の時間が流れていた。

「……ローゼリア殿下。本日の艦内清掃、および各機体の基本メンテナンスのダブルチェック、完了いたしました。次に私が果たすべき任務をご指示ください」

エインヘリアルの休憩室。

背筋をピンと伸ばし、軍人らしい完璧な敬礼の姿勢をとる群青色の髪の女性——ウルスラ・レーヴェの姿があった。彼女の表情は極めて真剣で、ヘーゼル色の瞳には一切の妥協が許されないという強い意志が宿っている。

ソファの上で、ダボダボのジャージ姿でクッションを抱き抱えていたローゼリアは、手元の端末から目を離し、やれやれと長いため息をついた。

「ウルスラ。お主、昨日も徹夜で弾薬庫の整理をしておったじゃろう。少しは肩の力を抜け。ここは軍の規律に縛られた窮屈な施設ではないのじゃぞ」

「いえ! 私は一度皆様を裏切り、死地に追いやった身。この命に代えても、戦乙女の皆様に恩返しをしなければならないのです。休息など不要です!」

「不要なわけがあるか。疲労は戦場での判断を鈍らせる最大の枷じゃ。……ほれ、リアンヌからも言ってやってくれ」

ローゼリアが助けを求めると、隣のテーブルで優雅に紅茶を飲んでいた純白の騎士、リアンヌ・ヴァーミリオンがくすくすと笑いながら立ち上がった。

「ウルスラ。あなたのその生真面目な忠誠心は、痛いほどよく分かります。かつての私も、ローゼリアの盾となることだけに固執し、周囲が見えなくなっていた時期がありましたから」

リアンヌは、柔らかな笑みを浮かべてウルスラの肩にそっと手を置いた。

「ですが、ローゼリアが私たちに求めているのは、命令に従うだけの機械的な駒ではありません。互いの背中を預け合い、共に生きて帰るための『仲間』なのです。あなたが自分をすり減らして倒れてしまっては、本末転倒ですよ」

「リアンヌ殿……」

「それにね、ウルスラ」

休憩室のドアが開き、アルティナが大量のお菓子を抱えて入ってきた。

「ローゼリアは、ただ一緒に遊ぶ相手が欲しいだけなのよ。ほら、今日は新作の協力型ボードゲームを買ってきたわ。四人で遊ぶのにちょうどいいやつ」

アルティナがテーブルにカラフルな箱を広げると、ローゼリアの真紅の瞳がパァッと輝いた。

「おお! それは発売されたばかりの陣取りゲームじゃな! よし、ウルスラ。次の任務はこれじゃ。妾たちとチームを組んで、この盤面を制圧するのじゃ!」

「えっ……? ぼ、ボードゲーム、ですか? 私が、皆様と共に……?」

ウルスラは戸惑いの表情を浮かべた。

『黎明の腕』の密偵として、ただ命令を遂行し、効率と結果のみを求められてきた彼女の人生において、「仲間と遊ぶ」という概念は完全に欠落していた。彼女の世界は常に白か黒か、成功か失敗かの二極でしか構成されていなかったのだ。

「そうじゃ。戦場での連携を深めるには、平時の遊びで互いの思考の癖を知るのが一番の近道じゃからな。……さあ、席につけ。ルールはアルティナが教える」

ローゼリアに強引に腕を引かれ、ウルスラはソファに座らされた。

配られた手札を見つめながら、ウルスラの胸の奥に、これまで感じたことのない温かい感情がじんわりと広がっていく。

「(……これが、私の新しい居場所。誰も私を捨て駒にせず、一人の人間として見てくれる場所……)」

ウルスラは、少しだけ目元を赤くしながら、ぎこちない、しかし心からの笑顔を浮かべた。

「はい……! 全力で、この盤面の制圧に貢献いたします!」

「その意気じゃ。だが手加減はせんぞ!」

休憩室に、四人の少女たちの楽しげな笑い声が響く。

冷徹なスパイであったウルスラは、戦乙女の温かな絆の中で、確実に人間としての感情と魂を取り戻しつつあった。

しかし、その穏やかな時間を切り裂くように、帝国の深部ではすでに新たな嵐が吹き荒れようとしていたのである。

帝都アエテルガルド、皇宮の最深部にある大戦略会議室。

巨大な円卓を囲むように、帝国軍の最高幹部たちや近衛艦隊の提督たちがずらりと並び、重苦しい沈黙の中で息を潜めていた。

円卓の上座。

そこに座る金髪黒眼の女帝、フェイト・エーベルヴァインが放つプレッシャーは、尋常なものではなかった。

彼女の表情は氷のように冷たく、黒曜石の瞳には、一切の慈悲を排した絶対的な殺意が静かに燃え上がっている。ローゼリアの前で見せる「甘すぎる姉」の顔は微塵もなく、そこにあるのは、冷酷無比な銀河の覇王としての顔であった。

「……情報部からの最終報告は以上ですね」

フェイトの透き通るような声が、広大な会議室に響き渡る。

「は、はっ!」

情報部長官が、冷や汗を拭いながら立ち上がる。

「ウルスラ・レーヴェから提供された『黎明の腕』の暗号通信プロトコルと、アルティナ殿がプラントから引き抜いたデータログを照合した結果、帝国の辺境星区および周辺の独立星系に潜伏している『黎明の腕』の秘密拠点を、合計十二箇所特定いたしました」

「ご苦労様です。素晴らしい仕事でした」

フェイトは、ゆっくりと立ち上がった。その細い身体から発せられる覇気に、歴戦の将軍たちでさえ思わず背筋を震わせる。

「高次元の『管理者』とやらを気取り、我が帝国の領土を実験場とし、あろうことか……私の愛する妹の命を盤面の上で弄んだ愚か者たち。その罪がどれほど重いか、彼らは自らの魂に刻み込むことになります」

フェイトは、会議室の巨大な立体星系図に映し出された、十二の赤い光点(敵拠点)を扇子で指し示した。

「近衛艦隊、および帝国正規軍の第一から第五艦隊に命じます。特定した十二の拠点に向け、全軍、即時出撃」

「目標の確保と、敵構成員の生け捕りでしょうか?」将軍の一人が尋ねる。

「不要です」

フェイトは、一切の感情を交えずに断言した。

「一つ残らず、灰燼に帰しなさい。降伏は認めません。命乞いも聞き入れる必要はありません。彼らが潜む小惑星帯ごと、あるいは衛星ごと、我が帝国の主砲で文字通り『宇宙の塵』に変えなさい。……このエーベルヴァイン帝国に仇なす者がどうなるか、その高次元とやらの神々に見せつけてやるのです」

「ははっ!! 皇帝陛下の御心のままに!!」

将軍たちが一斉に敬礼し、足早に会議室を後にしていく。

フェイトの勅命により、帝国軍という銀河最大の暴力装置が、ついに本格的に稼働を始めたのだ。圧倒的な艦隊戦力による、無慈悲なまでの殲滅戦。見えない敵であった『黎明の腕』は、今や帝国の強大な軍事力によって、その隠れ家ごと物理的にすり潰されようとしていた。

「(……待っていてください、ローゼリア。貴女の平穏な日常を脅かす害虫は、お姉ちゃんが一人残らず駆除してあげますからね)」

誰もいなくなった会議室で、フェイトはただ一人、星系図を見つめながら妹への狂気的なまでの愛情を噛み締めていた。

彼女にとって、帝国の軍事力も、自らの権力も、すべてはローゼリアを守り、愛でるための手段に過ぎない。その執念こそが、エーベルヴァイン帝国を不敗たらしめる最大の要因であった。

しかし、事態はフェイトの予測すらも上回る速度で動き始めていた。

帝国軍の大艦隊が出撃を開始してからわずか数時間後。

母艦エインヘリアルのブリッジに、けたたましい緊急警報が鳴り響いた。

「どうした!? 帝国軍の殲滅作戦に何かトラブルでもあったのか?」

ボードゲームを切り上げ、ジャージ姿のままブリッジに駆け込んできたローゼリアが、艦長席のブリュンヒルデに問い詰める。

リアンヌ、アルティナ、ウルスラもそれに続く。

「……いや、違う。帝国軍の作戦自体は順調だ。すでに三箇所の敵拠点を完全に沈黙させたという報告が入っている。だが……問題は別の場所で起きた」

ブリュンヒルデの顔は、これまでにないほど蒼白になっていた。彼女の手には、開封されたばかりの新しい胃薬の瓶が握られている。

「帝国防衛線の要衝、第八星区の『絶対防衛要塞イージス』からの緊急通信だ。……要塞が、現在進行形で壊滅的な打撃を受けている」

「壊滅的じゃと? イージスと言えば、帝国でも三本の指に入る強固な軍事要塞じゃろう。数万の艦隊で包囲されても数ヶ月は持ち堪えるはずじゃ」

ローゼリアが眉をひそめる。

「ああ。だが、敵は艦隊ではない。……メインモニターに映像を回す。心して見ろ」

ブリュンヒルデの操作により、ノイズ混じりの映像が映し出された。

そこは、無数の砲台と分厚い装甲に覆われた巨大な宇宙要塞の周辺宙域だった。

要塞の防衛艦隊数千隻が、一斉に主砲を放っている。宇宙空間を無数の光の矢が飛び交い、圧倒的な弾幕が形成されていた。

しかし、その弾幕のすべてが、空中の「見えない壁」に阻まれ、虚しく四散している。

弾幕の中心にいたのは、たった『三機』の機動兵器だった。

それは、通常のマギアナイトとは全く異なる、神々しさすら感じさせる異形の機体であった。

純白と黄金の流線型の装甲に身を包み、背部からは天使の羽のような六枚の光の翼を展開している。その機体からは、マナの波長とは全く異なる、次元そのものを歪めるような圧倒的なエネルギーが放射されていた。

『な、なんだあれは……! 攻撃が、空間ごと歪められて逸らされていく!』

『物理法則が通じない! 防御スクリーンが紙のように……ぎゃあああっ!!』

映像の中で、三機の天使型機動兵器のうちの一機が、軽く腕を振るった。

ただそれだけの動作。

しかし、その腕から放たれた光の波動は、射線上にいた帝国の戦艦数十隻を一瞬にして「空間ごと切断」し、凄まじい大爆発を引き起こした。

さらに別の一機が光の翼を広げると、周囲の宇宙空間に局地的な超重力場が発生し、要塞の分厚い外殻が飴細工のようにメキメキと潰れ、崩壊していく。

「な、なんという力……。あれは、兵器の次元を超えています!」

映像を見ていたリアンヌが、絶望的な光景に息を呑んだ。

「ウルスラ、お主、あれを知っておるか?」

ローゼリアが鋭い視線を向ける。

「……話に聞いたことしかありません。管理者の直属であり、この宇宙の物理法則そのものを書き換える力を持つ、規格外の破壊の使徒。……『執行者エグゼキューター』です」

ウルスラは、震える声で答えた。

「執行者……。特異点である妾を排除するために、ついに神様ご本人が反則チート兵器を引っ張り出してきたというわけじゃな」

ローゼリアの真紅の瞳に、燃え盛るような闘志の炎が宿る。

「団長、第八星区までのワープにどれくらいかかる?」

「エインヘリアルの最大出力で跳べば、二十分だ。……行くのか、ローゼリア。あれは、これまでのどんな敵とも次元が違うぞ」

ブリュンヒルデが念を押す。

「愚問じゃな。姉上の庭を荒らす無法者を放置しておく趣味はない。それに……」

ローゼリアは、不敵な笑みを浮かべ、自身の指の関節をポキポキと鳴らした。

「どれだけ理不尽な能力を持っていようが、用意された盤面があるなら、攻略への道筋は必ず存在する。……神が用意した最悪の難局、この妾たち『戦乙女』が完全に突破してやるのじゃ」

「ローゼリアの言う通りよ! あんな出鱈目な連中、私のハッキングでシステムごと丸裸にしてやるわ!」

アルティナがタブレットを叩いて気を吐く。

「我が主の往く道、このリアンヌ・ヴァーミリオンが最強の盾となりて切り開きましょう!」

「私も、いただいたこの命と機体、すべてを懸けて特攻します!」

ウルスラもまた、迷いのない瞳で決意を口にした。

戦乙女の四人が見せる、圧倒的なまでの戦意と絆。

それを見たブリュンヒルデは、小さくため息をつきながらも、頼もしげに笑って力強く頷いた。

「……よし。全艦、第八星区に向けて緊急空間跳躍の準備! 対象は管理者直属の『執行者』三機。これより、我々戦乙女の総力を挙げた迎撃作戦に移行する!」

『了解!!』

サイレンが鳴り響き、エインヘリアルのクルーたちが一斉にそれぞれの配置へと走る。

ローゼリアたち四人もまた、愛機が待つハンガーへと駆け出していった。

高次元の意志によって解き放たれた、絶対的な力を持つ神の代行者たち。

対するは、いかなる理不尽な盤面をも己の技量と絆で打ち砕く、銀河最強の死神と戦乙女たち。

「さあ、見せてみろ管理者。お前たちの用意した最強の刺客が、どれほどのものかをな!」

エインヘリアルの巨大な船体が、空間の歪みへと突入していく。

神々の誤算は新たなる戦火を呼び、星々の運命を懸けた、かつてない死闘の幕が今、切って落とされようとしていたのである。

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