第二幕 第六十一話:第十二星区の霧と、発動する隔離の罠
エーベルヴァイン帝国辺境、第十二星区。
巨大なマナ採掘プラントと古代遺跡の発掘拠点が集中するこの星域は、通常であれば無数の輸送船が行き交い、煌びやかな人工の光に満ちているはずであった。
だが、空間跳躍を終えて実体化した戦乙女の母艦『エインヘリアル』のメインモニターに映し出されたのは、不気味なほどの「虚無」と「静寂」だった。
「……なんじゃ、これは。星区全体が、すっぽりと霧に覆われておるぞ」
ブリッジの窓から外を眺めたローゼリアは、真紅の瞳を細めた。
宇宙空間に霧など存在するはずがない。しかし、彼女たちの目の前には、乳白色の淀んだガスのようなものが第十二星区全体を覆い隠すように漂っていた。それは星々の光を歪め、巨大なプラントの輪郭すらもぼやけさせている。
「団長! 艦のメインレーダー、および光学センサーの機能が極端に低下しています! この『霧』、ただのガスじゃありません。超高濃度の魔力散布体……強烈なジャミングフィールドです!」
オペレーターのオルトリンデが、コンソールを叩きながら悲鳴のような声を上げた。
「通信機能は!?」ブリュンヒルデが鋭く問う。
「駄目です! 帝都本星との超空間通信網はもちろん、近距離の量子通信すら、この霧の中では著しい減衰を起こしています。……今の私たちは、完全に『目隠しと耳栓』をされた状態です!」
「(……なるほど。通信途絶の原因はこれか。偵察艦隊が消えたのも、このジャミングのせいでお互いの位置を見失い、各個撃破されたということじゃな)」
ローゼリアは、冷静に状況を分析していた。
「エインヘリアルはこのまま霧の境界線で待機、防衛陣形を取れ。……これ以上艦を進めるのは危険すぎる」
ブリュンヒルデは即座に判断を下した。
「ローゼリア。お前たち四機で先行し、第十二星区のメインプラントへ潜入してくれ。この異常なジャミングを発生させている装置があるはずだ。それを破壊し、通信を回復させろ」
「了解じゃ。……皆、行くぞ。視界と通信が悪い。はぐれないように陣形を密に保て」
ローゼリアの号令で、漆黒の『ルシフェル』、純白の『ブラン』、紫色の『ハルファス』、そして群青の『ミネルヴァ』の四機が、カタパルトから乳白色の霧の中へと飛び出していった。
霧の中は、方向感覚を容易く狂わせるほど視界が悪かった。
互いの機体のスラスターの光だけを頼りに、四機は慎重にマナ採掘プラントの巨大な外殻へと接近していく。
『……ローゼリア。プラントの外部防衛システム、完全に沈黙しています。迎撃の気配もありません』
リアンヌのブランが前衛を進みながら報告する。
「不気味なほど静かじゃな。……アルティナ、内部の状況は探れるか?」
『無理よ。この霧のせいで、外部からのハッキングプロトコルが悉く弾かれるわ。物理的に内部のメイン端末に有線接続しないと、何が起きているのかすら分からない』
アルティナのハルファスが、焦立たしげに答える。
『私が先行して、メインゲートのロックを解除します』
ウルスラのミネルヴァがスラスターを吹かし、プラントの巨大な搬入口へと取り付いた。彼女が慣れた手つきで外部パネルを操作すると、重厚な金属の扉が鈍い音を立ててゆっくりと開いた。
内部もまた、異様な状況だった。
非常用の赤色灯だけが点滅する薄暗い通路には、戦闘の痕跡はおろか、作業員たちの姿すら一切見当たらない。血痕も、破壊されたドロイドの残骸もない。ただ、人だけが「神隠し」に遭ったかのように綺麗に消え失せていたのだ。
『……人がいない。それに、このプラントの心臓部であるマナリアクターも、意図的に「待機状態」に落とされています』
ウルスラが、壁面のサブ端末をハッキングしながら報告する。
「戦闘によって制圧されたわけではないということか。……まるで、最初から我々を誘い込むために用意された『空箱』のようじゃな」
ローゼリアの真紅の瞳に、極度の警戒の色が浮かぶ。
その時、ウルスラのヘーゼル色の瞳が、コックピットの中で冷たく光った。
彼女はサブ端末を操作するふりをしながら、自らの網膜認証でのみ起動する裏のプロトコルをプラントのシステムに流し込んでいた。
(……目標のプラント内部への誘導、完了。これより、隔離フェーズへと移行する)
『ローゼリア、この先が中央コントロールルームよ。あそこのメイン端末に私を繋がせて。この霧の発生源と、消えた作業員たちの行方をデータベースから引っこ抜いてみせるわ』
アルティナが前方の巨大な扉を指差す。
「よし。リアンヌ、ウルスラ。アルティナがハッキングを終えるまで、周囲の警戒を——」
ローゼリアが指示を出そうとした、その瞬間だった。
**ガゴォォォォンッ!!**
突如として、プラント全体を揺るがす巨大な地響きが鳴り響いた。
同時に、四機がいる広大な通路の天井から、分厚い隔壁が恐ろしい速度で落下してきたのである。
『なっ!? 隔壁が!?』
リアンヌがブランの盾を構えるが、隔壁は一箇所だけではなかった。
通路の前後、そして左右から、迷路を作るかのように無数の隔壁がランダムかつ高速で作動し、ローゼリアたち四機を瞬く間に物理的に分断していった。
「ちぃっ! バハムート、回避ルートは!?」
『警告。全ルート封鎖。プラントの内部構造が物理的に再配置されています』
分厚い特殊合金の壁が、ルシフェルの眼前に突き刺さる。
振り向いた先には、すでにリアンヌもアルティナも、ウルスラの姿もなかった。
『ローゼリア! 大丈夫ですか!?』
通信機から、ノイズ混じりのリアンヌの声が響く。
「妾は無事じゃ! そっちは——」
**ジジッ……ピーーーーッ。**
そこで、通信が完全に途絶えた。
ルシフェルのコンソールに、無数のエラーメッセージが表示される。
『メインネットワークへの接続、ロスト。戦術リンク、切断。……周囲の壁面から、極めて強力な電磁波および魔力ジャミングが放射されています。外部との一切の通信が不可能です』
バハムートの合成音声が、冷酷な事実を告げる。
「(……物理的な分断と、絶対的な通信遮断。個の力と連携を誇る我々に対する、最も効果的なメタ戦術というわけか)」
ローゼリアは操縦桿を強く握りしめ、周囲を囲む分厚い壁を睨みつけた。
敵は、戦乙女を潰すために、この巨大な採掘プラントそのものを「巨大な鳥籠」へと改造していたのだ。
同じ頃、ルシフェルから遠く離れた別の区画。
純白の騎士機『ブラン』のコックピットで、リアンヌは歯噛みしていた。
「ローゼリア! アルティナ! ……くっ、通信が全く通じない!」
周囲は完全に壁に囲まれた、闘技場のような円形の空間だった。
彼女の最大の武器は、主であるローゼリアの盾となり、その死角を完璧にカバーする連携にある。しかし、守るべき主が不在であり、かつ仲間との連携が取れない今、彼女の戦術的価値は大きく削がれてしまっていた。
『——その通り。戦乙女の近衛騎士よ。お前の真の力は、主を守る時にのみ発揮される』
突如として、円形空間のスピーカーから、機械的に合成された不気味な声が響いた。
「何者ですか! 姿を見せなさい!」
リアンヌが長槍を構える。
壁の一部がスライドし、そこから現れたのは、これまでに見たこともない異形の無人機だった。
重装甲の騎士のようなフォルムを持ちながら、その両腕には巨大な『万力』のような特殊兵装が備わっている。機体の表面は、周囲の魔力を吸収して装甲を硬化させる特殊なコーティングが施されていた。
『我々は黎明の腕。高次元の意志を代行する者。……お前の「風の魔力障壁」のデータは、すでに解析済みだ』
無人機が、鈍重な足音を立ててブランへと突進してくる。
リアンヌは長槍を構え、風の魔力を纏わせて迎え撃つ。
「私を単なる盾だと思っているなら、後悔することになりますよ!!」
圧縮された風の槍が、無人機の胸部に突き刺さる。
しかし、いつもなら敵の装甲を容易く抉り開けるはずの一撃が、異形の無人機の表面で甲高い金属音を立てて弾かれた。
「なっ……魔力が、霧散した!?」
『無駄だ。その機体は、魔力による物理衝撃を拡散・吸収するように設計されている。……主を持たぬ騎士よ。ここで無様に朽ち果てるがいい』
無人機の巨大な万力が、ブランの長槍を力任せに挟み込む。
リアンヌの過酷な孤独の戦いが、幕を開けた。
……一方、アルティナの状況もまた、絶望的であった。
彼女の『ハルファス』は、電子戦と遠距離狙撃に特化した機体である。しかし、彼女が隔離されたのは、無数のパイプと入り組んだ機械群が視界を遮る、極端に狭いブロックだった。
「ちょ、ちょっと! 何よこの狭さは! ライフルの銃身が引っかかって構えられないじゃない!」
アルティナがコックピットで悪態をつく。
おまけに、プラント全体を満たす強烈なジャミングのせいで、彼女の誇るハッキング能力や索敵レーダーは完全に使い物にならなくなっていた。
『——天才ハッカー、アルティナ。お前の目は、電子の海にあってこそ輝く。だが、この物理的な迷宮と絶対的なオフライン環境下では、お前はただの脆弱な的だ』
機械の声と共に、パイプの陰から、四足歩行の獣のような小型の無人機が多数姿を現した。
それらは銃火器を持たず、代わりに超高温に熱せられた高周波ブレードの牙を備えていた。狭い空間で機動力を生かし、ハルファスの薄い装甲を切り裂くための「猟犬」である。
「……ッ! 私の電子戦が使えない環境を用意したってわけね。でも、舐めないでよね! 私だって戦乙女の端くれよ!」
アルティナは、長砲身のライフルをパージし、脚部に内蔵された近接用のビームダガーを抜いた。
得意分野を完全に封じられた状態での、不得手な近接乱戦。アルティナは必死に猟犬たちの牙を躱しながら、活路を見出そうと足掻いていた。
そして、ウルスラ・レーヴェは。
彼女の『ミネルヴァ』は、プラントの最奥部に位置する、防音とジャミングから完全に隔離された安全なコントロールルームに悠然と降り立っていた。
彼女は機体を降り、薄暗い部屋の中央にあるメインコンソールへと歩み寄った。
その表情には、普段の新人傭兵としての緊張感も、仲間を気遣う温かさも微塵も存在しない。あるのは、冷徹な監視者としての氷のような笑みだけであった。
ウルスラは、自らの端末をコンソールに接続し、黎明の腕の暗号回線を開いた。
「——こちらウルスラ。作戦は第3フェーズに移行。目標の分断および隔離空間の構築、完了しました」
『ご苦労だった、ウルスラ。監視の目をごまかし、プラントの制御を奪う手際、見事であった』
回線の向こうから、黎明の腕の幹部の男が満足げに答える。
「提供されたデータが正確だったおかげです。リアンヌには魔力吸収装甲を持つ重騎士を。アルティナには狭所での近接猟犬を。……それぞれの「長所」を完全に殺すアンチ・ユニットをぶつけました。彼女たちが生き残る確率は、限りなくゼロに近いでしょう」
『素晴らしい。……だが、最大の問題はあの特異点。ローゼリアのルシフェルだ』
幹部の声に、微かな緊張が走る。
「ええ。彼女には、私が直近のシミュレーション訓練で収集した『戦闘データのすべて』をインストールした、特別な相手を用意しています」
ウルスラのヘーゼル色の瞳が、冷酷な光を帯びる。
「いかに銀河最強の死神であろうと、自らの『最適解』を完全に読み切り、それを上回る速度でカウンターを合わせてくる相手には勝てません。……それに、バハムートによる戦術リンクを断たれた今の彼女は、演算能力の多くを機体のマニュアル操作に割かざるを得ない」
ウルスラは、モニターに映し出されたローゼリアの区画の映像を冷ややかに行き詰めた。
「終わりますよ、ローゼリア。あなたたちの傲慢な伝説は、この計算し尽くされた盤面の上で、無様に崩れ去るのです」
巨大なプラントの最下層。
最も広大で、しかし周囲を完全に分厚い隔壁に囲まれた絶対隔離空間。
ローゼリアのルシフェルは、その空間の中央で静かに佇んでいた。
ジャミングによって通信は途絶し、レーダーは機能していない。仲間たちがどうなっているのかも分からない。
「(……リアンヌとアルティナのことじゃ、そう簡単にやられはせんじゃろう。ウルスラも実力はある。……今は、妾がこの空間を脱出することが先決じゃな)」
ローゼリアは、冷静に周囲の壁を観察し、物理的な破壊を試みようとマナビーム砲の出力を上げかけた。
その時である。
ルシフェルの背後の空間が、陽炎のように歪んだ。
『警告。後方至近距離に高エネルギー反応。急速接近!』
バハムートの合成音声が響くよりも早く、ローゼリアの直感が死の気配を察知した。
「チッ!」
ローゼリアは機体を反射的に反転させ、魔力振動刀を抜き放って防御姿勢をとった。
**ガギィィィィィィンッ!!!**
激しい金属の衝突音が、隔離空間に反響する。
ルシフェルの刀と鍔迫り合いを起こしているのは、漆黒の装甲に身を包んだ、ルシフェルと酷似したシルエットを持つ機体であった。
しかし、その装甲の隙間からは、血のような禍々しい赤い光が漏れ出している。
『——特異点、ローゼリア。お前の存在は、この宇宙のバグだ。我々「管理者」の意に沿わぬエラーは、ここで完全に初期化する』
その機体から、かつて暗黒星域で聞いたあの巨大な眼球と同じ、機械的で感情のない思念波が放たれた。
「……なるほどな。管理者とやらが直接送り込んできた『刺客』というわけか。しかも、ご丁寧に妾のルシフェルを模倣した機体とはな」
ローゼリアは、真紅の瞳を細めて目の前の敵を睨みつけた。
敵機は鍔迫り合いを弾き飛ばすようにして後退すると、両腕からルシフェルと同じように連装魔力バルカンを展開した。
「バハムート、回避機動!」
ローゼリアが操縦桿を引く。ルシフェルがスラスターを吹かして左へとサイドステップを踏む。
だが、敵機はその動きを『完全に予測していた』。
ルシフェルが移動したその座標に、すでに敵のバルカンの銃口が正確に向けられていたのだ。
ドドドドドッ! と放たれた魔力弾の雨が、ルシフェルの装甲をかすめ、火花を散らす。
「なっ……! 妾の回避ルートを、完全に読んだじゃと!?」
ローゼリアは驚愕に目を見開いた。
彼女の回避機動は、数万回の戦闘経験から導き出された「その状況における最適解」である。それを先読みされるということは、敵がローゼリアの思考パターンそのものを完全に把握しているということに他ならない。
『無駄だ。お前の機体の癖、反応速度、そして次に行うであろう戦術的選択。……それらすべてのデータは、我々の手元に「提供」されている』
敵機が、滑るような動きでルシフェルの懐へと入り込んでくる。
その踏み込みの深さ、タイミング、すべてがローゼリア自身の戦い方そのものだった。
「……提供された、じゃと?」
ローゼリアの脳裏に、一つの可能性が閃く。
戦乙女の戦闘データは、最高レベルの暗号化で保護されている。外部から容易くハッキングされるものではない。もし、ローゼリアの最新の動きや癖までが筒抜けになっているとすれば、それは——。
「(……内側から、最も近い場所で妾たちを観察し、データを送っていた者がいるということか!)」
ローゼリアは、唇を強く噛み締めた。
「ウルスラ……! あの女、最初から我々を売るためのスパイじゃったか!」
『その通りだ。お前たちは、仲間という甘い幻想に溺れ、自らの首を絞める縄を内側に招き入れたのだ』
敵機が、無慈悲な斬撃を振り下ろす。
ローゼリアは必死に防御するが、敵機はルシフェルの防御の「わずかなラグ」——直近の改修で発生していた、魔力伝導率の極小の遅れ——すらも完璧に突いてきた。
ガァァンッ!
ルシフェルの左腕の装甲が大きく斬り裂かれ、姿勢制御が乱れる。
「くっ……!」
『お前の動きは、すべて我々のシミュレーション通りだ。特異点よ、お前はすでに詰んでいる』
通信を絶たれ、孤立無援。
自らの思考と癖を完全に読み切る、己自身の「影」のような最強の敵。
そして、信頼していた仲間の裏切りという事実。
これまでのどんな強敵よりも、どんな理不尽な物量よりも。
今、ローゼリアは、死神としての長い戦いの中で、最も絶望的な窮地に立たされていた。
「(……これが、管理者の用意した盤面か。確かに、よく練られたクソゲーじゃ)」
ダメージアラートが鳴り響くコックピットの中で、ローゼリアは荒い息を吐きながら、しかし決して闘志の炎を絶やすことはなかった。
真紅の瞳の奥で、限界の状況を前にしたゲーマーとしての血が、静かに、しかし熱く沸騰し始めていたのである。




