第二幕 第六十話:甘き日常の裏側と、動き出す影
エーベルヴァイン帝国の首都星アエテルガルド。
第七星区での任務を終え、無事に帝都へ帰還した傭兵団『戦乙女』の面々は、数日間の短い休息を与えられていた。
皇宮の最奥、皇帝フェイトのプライベート空間として厳重に警護されている『玻璃の庭園』。
一年を通じて温暖な気候に保たれ、銀河中から集められた希少な花々が咲き誇るその美しい庭園の中央で、約束通り、優雅なティータイムが開かれていた。
「さあ、ローゼリア。帝都で最高のパティシエが、貴女のためだけに特別に用意したメロンパフェです。存分に味わいなさい」
豪華な白亜のテーブルの上には、水晶の器に美しく盛り付けられた、芸術品のような特大パフェが鎮座していた。瑞々しい緑色の果肉が溢れんばかりに飾られ、甘い香りが周囲に漂っている。
「おおっ! これは見事な代物じゃな! では、早速……」
ジャージ姿のままテーブルに着いていたローゼリアは、真紅の瞳を輝かせて銀の長スプーンを手に取った。
だが、そのスプーンがパフェに突き刺さるよりも早く、対面に座る漆黒のドレス姿のフェイトが、スッと身を乗り出して別のスプーンでメロンを掬い取った。
「はい、あーん、ですよ。ローゼリア」
フェイトは、一切の表情を崩さず、皇帝としての威厳を保ったままの顔で、メロンの乗ったスプーンをローゼリアの口元へと突き出した。
「……姉上。妾は自分で食べられるといつも言っておるじゃろう。それに、ここは外じゃ。後ろでリアンヌたちが見ておるではないか」
ローゼリアが顔を赤くして抗議する。
「問題ありません。私は皇帝として、愛する妹が果実を喉に詰まらせないよう、細心の注意を払って配膳する義務があるのです。……さあ、口を開けなさい。それとも、私が直接口移しで食べさせた方がよろしいですか?」
「わ、分かった! 分かったから変なことを言うでない!」
ローゼリアは観念したように口を開け、フェイトの差し出したメロンを頬張った。
口の中に広がる極上の甘さに、思わずふにゃりと頬が緩む。
「……美味しいですか、ローゼリア?」
フェイトの黒曜石のような瞳が、とろけるような甘い光を帯びる。
「う、うむ。さすがは帝室御用達のパティシエじゃ。見事な腕前じゃな」
「それは良かった。貴女が喜ぶ顔を見るのが、私にとって何よりの癒やし……ごほん。公務の疲れを癒やす、ささやかな休息なのですから」
フェイトは慌てて咳払いをして威厳を取り繕ったが、その後ろで控えている近衛騎士のリアンヌや、新たに護衛として随伴しているウルスラから見れば、そのシスコンぶりは完全にダダ漏れであった。
「(……これが、帝国の絶対君主と、最強の死神の素顔。噂には聞いていましたが、ここまでとは)」
少し離れた木陰で直立不動の姿勢を保ちながら、ウルスラ・レーヴェはヘーゼル色の瞳で姉妹のやり取りを冷静に観察していた。
ウルスラにとって、このお茶会は単なる護衛任務ではない。暗躍組織『黎明の腕』の密偵として、特異点であるローゼリアの「弱点」を探るための重要な情報収集の場であった。
「(皇帝フェイト・エーベルヴァイン。彼女はローゼリアを溺愛し、ローゼリアもまた、フェイトに強い親愛と信頼を寄せている。……姉妹の絆は強固ですが、それは同時に、互いにとって最大の急所になり得るということ)」
ウルスラの冷徹な思考が、静かに盤面を分析していく。
かつて、先帝アンブロシウスは魔力を持たないローゼリアを無能と断じ、帝国から追放した。フェイトはそれに激怒し、実の父と兄を幽閉してまで帝位を簒奪し、妹を取り戻したのだ。
「(もし、ローゼリアが致命的な危機に陥れば、あの冷徹な皇帝は必ず理性を失い、強引な軍事行動に出る。逆に、皇帝フェイトが危機に晒されれば、あの死神は一切の冷静さをかなぐり捨てて罠に飛び込んでくるはず。……『黎明の腕』の幹部たちが望む絵図を描くには、これ以上ない極上の餌だ)」
ウルスラは、内心のどす黒い計算を微塵も顔に出さず、穏やかな笑みを浮かべて控えていた。
その完璧なポーカーフェイスは、リアンヌでさえも全く疑念を抱かせないほどに洗練されていた。
お茶会が終わり、エインヘリアルへと戻ったローゼリアたちは、息つく間もなく日々の訓練へと移行した。
傭兵としての勘を鈍らせないため、そして新戦力であるウルスラとの連携をさらに強固なものにするためである。
艦内の仮想戦闘ルーム。
そこでは、ローゼリアの『ルシフェル』とウルスラの『ミネルヴァ』が、仮想の敵部隊を相手に激しいコンビネーション戦闘を繰り広げていた。
『——右舷から敵機三機、接近! ウルスラ、弾幕で足を止めろ!』
『了解しました!』
ローゼリアの指示に、ウルスラが即座に反応する。
ミネルヴァのアサルトライフルが火を噴き、仮想敵の進行ルートを正確に塞ぐ。敵が回避行動を取って動きが鈍ったその一瞬の隙を突き、ルシフェルが漆黒の旋風となって肉薄した。
『そこじゃ!』
魔力振動刀の鋭い一閃が、三機の仮想敵を立て続けに両断する。
『見事な太刀筋です、ローゼリア。私の方へ逃げた敵は、こちらで処理します!』
ウルスラのミネルヴァがスラスターを吹かし、生き残った一機の懐へと潜り込む。左腕に装備された巨大な杭、パイルバンカーが火薬の破裂音と共に撃ち出され、敵機の胴体を綺麗に貫通した。
『訓練終了。全目標の沈黙を確認しました』
オペレーター役を務めるアルティナの声が響き、仮想戦闘ルームの景色が元の無機質な空間へと戻る。
「ふむ、なかなか良い動きじゃったぞ、ウルスラ。妾の誘導に合わせて、完璧なタイミングで射線を確保しておった」
シミュレーションポッドから降りたローゼリアが、満足げに頷きながらタオルで汗を拭う。
「ありがとうございます。ですが、ローゼリアの空間把握能力には到底及びません。私が一を考える間に、あなたはすでに十手先までの展開を読み切っている。……背中を預ける者として、これほど心強いことはありません」
ウルスラもポッドから降り、謙虚に頭を下げた。
「そうよ、ウルスラ。ローゼリアの戦況を読む力はちょっと異常だからね。でも、それにしっかりついていけるあなたの機動力と判断力も大したものよ。私の電子支援とも完全に同期できてるし」
アルティナが、タブレットでデータを確認しながら太鼓判を押す。
リアンヌも傍らで、「ええ。ウルスラが遊撃を担ってくれるおかげで、私はより強固にローゼリアの盾となることに集中できます」と微笑んだ。
戦乙女のメンバーたちは、ウルスラを完全に「信頼できる仲間」として受け入れていた。
その温かい眼差しを受けながら、ウルスラは「光栄です」と微笑み返した。
しかし、彼女の腹の底では、氷のように冷たい計算が巡り続けていた。
「(……戦闘データ収集、第十二フェーズ完了。ルシフェルの加速のタイミング、アルティナのハッキング支援のラグ、そしてリアンヌの防壁展開の優先順位。……すべて、私の脳と端末に記録された)」
ウルスラは、シャワールームへと向かうローゼリアの背中を見つめながら、自らの端末に暗号化されたデータを保存した。
「(個々の能力は確かに異常だ。だが、彼女たちの連携はローゼリアを中心とした阿吽の呼吸に依存しすぎている。もし、通信が完全に遮断され、視界が奪われ、各々が完全に孤立した状況に置かれれば……この強固な連携は、たちまち崩壊する)」
ウルスラの所属する『黎明の腕』は、武力で正面から戦乙女を潰そうとは考えていない。
圧倒的な力を持つ特異点を排除するには、システムと環境を操作し、彼女たちの強みを完全に殺す「盤面」を用意することが不可欠なのだ。
「(……準備は整いつつあります。管理者様。我々が用意した最悪の舞台へ、この死神たちを引きずり込むための罠が)」
ウルスラのヘーゼル色の瞳が、誰にも見られない暗がりの中で、薄暗く光った。
それから数日後。
エインヘリアルのブリッジに、突如としてけたたましい緊急警報が鳴り響いた。
「何事じゃ!? また反乱分子の仕業か?」
ジャージ姿でクッションに寝そべっていたローゼリアが、身を起こしてモニターを睨む。
「違う……。帝国軍総司令部を経由した、最優先の『特命依頼』だ」
艦長席に座るブリュンヒルデが、険しい顔でコンソールを操作した。
メインモニターに映し出されたのは、帝国の広大な星系図。
その中の一つ、帝都アエテルガルドから遠く離れた辺境の宙域——『第十二星区』のアイコンが、不吉な真紅の警告色で点滅していた。
「第十二星区……。確か、帝国の巨大なマナ採掘プラントと、古代遺跡の発掘拠点が集中している重要星域ね」
アルティナが即座に情報を引き出す。
「その第十二星区との通信が、今から一時間前に『完全に途絶』した」
ブリュンヒルデの言葉に、ブリッジの空気が凍りついた。
「通信途絶? 星区全体がか?」
ローゼリアが眉をひそめる。帝国の通信網は多重のバックアップで守られており、星区まるごとが同時に沈黙するなど、自然現象ではあり得ない事態だった。
「ああ。しかも、異変を察知して急行した帝国軍の偵察艦隊三隻も、星区の境界線に突入した直後、一切の通信を絶った。……撃墜の報告すらなく、だ」
「撃墜の報告もなく、消えた……」
リアンヌが息を呑んだ。
「ただの反乱分子や海賊の仕業ではないことは明らかだ。……フェイト陛下は、これを帝国の根幹を揺るがす重大な事態と判断された。そして、帝国正規軍を動かす前に、ギルドを経由して我々『戦乙女』に直接の指名依頼が下された」
戦乙女はあくまで傭兵団であり、帝国の私兵ではない。皇帝フェイトの命令であっても、それは「依頼」という形をとるのが筋であった。もちろん、フェイトがローゼリアを頼り、そして莫大な報酬(白紙の小切手)を提示してきていることは言うまでもない。
ブリュンヒルデは、立ち上がり、ローゼリアたちを見渡した。
「依頼内容は、第十二星区への先行潜入。および、通信途絶の原因究明と、可能であれば事態の解決だ。……帝国軍の主力艦隊を大々的に動かせば、またエターニアの時のように敵に付け入る隙を与える可能性がある。隠密性と突破力に長けた我々が、まず事態の全容を掴む必要がある」
「……なるほどな」
ローゼリアは、小さく息を吐き、真紅の瞳に鋭い光を宿した。
「(……星区まるごとの通信遮断。そして、偵察艦の消失。……前回、暗躍組織の末端を潰したことに対する、奴らからの『直接の報復』というわけか)」
明らかに罠だった。
敵はこちらの出方を完全に予測し、わざと巨大な不穏の種を撒き散らして、ローゼリアたちを誘い込もうとしているのだ。
「どうしますか、ローゼリア」
リアンヌが、静かに主の決断を問う。
「決まっておろう。我々は戦乙女じゃ」
ローゼリアは、不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
「相手が罠を張って待っておるというなら、その罠ごと盤面を叩き割ってやるのが一番の攻略法じゃ。……それに、姉上から名指しで頼まれた依頼を断るわけにはいかん。帝国の領土に土足で踏み入るような無礼な連中は、この妾が残らず掃除してやるわい」
「了解しました。直ちに出撃準備に入ります!」
リアンヌとアルティナが力強く頷く。
その輪の端で、ウルスラもまた「私も全力でサポートします」と真剣な顔で頷いていた。
しかし、彼女の内心は、密かなる歓喜に打ち震えていた。
「(……かかりましたね。これこそが、我々『黎明の腕』が用意した死の舞台。……第十二星区に足を踏み入れた瞬間、あなたたちの伝説は終焉を迎える)」
「よし。依頼を受諾する! 全艦、第十二星区に向けて空間跳躍の準備を急げ! 武器の点検を怠るなよ!」
ブリュンヒルデの号令が飛び、エインヘリアルは慌ただしい出撃態勢へと移行した。
見えない敵が張り巡らせた、致死の蜘蛛の糸。
それが待ち受ける暗黒の宙域へと、戦乙女たちは一筋の光となってワープの軌道へと突入していった。
破滅への序曲は、今、静かに奏でられ始めたのである。




